平成29(2017)年11月25日 都内住宅街 / 某所

至璃依生

平成29(2017)年11月25日 都内住宅街 / 某所









 私が歩くたび、歩くたびに、さきほどから目に付く、ある「紙」がある。


 最初こそ気にしないように、無視しなければ、と心懸けていた。しかし、ふとした興味からその紙を見てしまう。そして、そこに書いてあることに、私は心底仰天してしまった。


 そこに書かれていたのは、とある誰か達の、プライバシー情報だった。






 その紙は、ただのA4のコピー用紙だった。しかし、その用紙にはシャープペンか鉛筆かでびっしりと、一枚につき一人、複数人のプライバシー情報が、一切の隙間なく、おびただしい程の無数の細かい文字で書き連ねられていた。だから私は無視し続けていたのだ。詳細なプライバシー情報だからでもあるけど、何より、いったい誰が何の為に書いたか知らないが、でもこんなA4用紙に文字をぎっちり書き詰めるやり方を取るなぞ、この作者の人間性が、嫌でもわかる。文字の書き方だってそうだ、過度に精神的に追い詰められているかのような、見ていてする形。色々な意味で苦手な形だ、怖いと心がざわついてしまう。


 それによく見てみれば書かれている内容も、改めて仰天ものだった。今また歩きながら、次々と貼られている紙を何枚かを見ているが、何人かの個人情報なのは間違いないのに、どこか、かなり精密すぎる気がする。ここに書かれているのは、正に「個人情報」だ。私はもうあまりの精密さに気が引けたので、あえて流し読み程度に見ていくことも精神衛生面としては必要だなと思った。心の調子を保ちつつ、私は怪文書と向き合った。

 

 ここに書かれている事は、要は、住所、氏名、年齢、性別。身長、体型、容姿、声色。性格、癖、経歴など。ちなみに経歴とは、学歴や職歴だけに留まらない。「十三歳の頃にテストで百点を始めて取った」とか「昨年、十一月の二十三日にゲームで遊びたいから会社をズル休みした」などの、誰がどこでそんな情報を知ったんだ、ということも書かれていた。

 だから、どこの区のどこの町に住んでいるとか、社会人ならどこの勤め先で何の部署所属や、学生ならどこの学校の何クラスか、とか、そういったものが必ず書かれているのはなのだ。つまりは、あまりにも当人に卑近すぎる情報がつぶさに書き込まれているものだから、読んでいて嫌悪を通り越して寒気や怖気、吐き気さえ出てくる。これは何らかのストーカー案件だとしても、ゆうにその域を超えている。それをたった一人だけならまだしも、これだけの人数の情報を、よくここまで集めたものだ。


 まるでその人間の人生を、データとして丸ごとコピーし、そのまんまメモファイルに書き起こしたかのような。


 あと、妙に気になる点がある。変なところで文章が過剰なのだ。「信じてください、彼、彼女は新たな存在として再誕した神です。私はそれを知っています……」と、仮に誰かのプライベートを書きたいなら、なぜこんな創作じみた文言を入れなければならないのかと、どうしても眉を潜めてしまう。ちなみに私が目を逸らしたかった一番の理由は、これだった。……関わりたくない。


 そんな怪しい紙は、外出した私のその帰路に、電柱なり、街路樹なり、外壁なり、はては誰かの車の窓なりと、まるでこの道を歩く私を先回りするように、何枚も何枚も貼られていた。気持ち悪いのは変わらないが、しかし一度見てしまってある種の興味を覚えてしまったからこそ、今ではもう一枚、一枚と、美術館の館内を巡るようにしげしげと見てしまっている自分がいる。というか、こういう類いのものは、街中でもよく見かけるな、と今にして思い出した。どこかへの電話番号だけが記載されたシールが貼られていたり、美女と安心して遊びたいなら是非こちらへ、というな勧誘広告もそうだ。また、海外ではUSBメモリがわざと落とし物として道ばたに落ちており、それを拾った人間が興味本位でパソコンに接続し、どれだけの人間が拾ったメモリの中を覗き、記録されていたファイルへとアクセスしてしまうのかという実験があったはずだ。結果は過半数以上が開いていたに思う。その話だって、もしも本当に犯罪の方向性であれば、開いた瞬間、そのパソコンへと厄介なウィルスを感染させるなど、容易いことだ。


 そこでふと、気がついた。

 

 失念していた。あまりにも異常な紙だったものだから。


 だったらこの紙には、意味があるはずだ。


 誰かのプライバシーをこれでもかと書き連ねて、それを何枚も、何枚も街中に張り回っている。まるで美術館の展示会のように、様々な場所に掲示している。


 宛先不明瞭な電場番号のシールを貼るにしかり、危うさ満載である勧誘広告もしかり。そして実験といえど、落とし物と嘘をついて、怪しいUSBメモリを読み込ませる話もしかり。それらは何らかの思惑があって、そういったことをやっているのだ。


 だから、こんなにも書いて、貼って、誰かに見せて。そこに、何らかの意味、意図があるのは、明白だ。


 それに、さっきは美術館を例に出したが、しかしこれらは決して、そういった閲覧だけで済むアートな作品などではない筈だ。


 というか普通に犯罪だ。プライバシーの暴露。ここに書かれている人間達が、本当に存在するならの話だが。

 

 そして、気づけば私の足は、完全に止まってしまっていた。


 これまで抱いていた嫌悪感や恐怖心が、見事に逆転してしまっていた。そうだ、なぜ、こんな怪文書が到る処に掲示されている? 何の意味が、何の理由が、何のワケがあって……と、もう最初に抱いていた怖いという気持ちが、真実を知りたいという気持ちへ変わってしまった。この怪文書の謎に満ち満ちた形が、私の好奇心を、強く強く刺激してしまっていた。


 謎、謎、謎だ。なぜ、こんな謎多き紙が、たくさん貼られなければならないのか。


 ――――そして。



 『私が森で出会った、とある恐ろしいものについて』



 この、さっきから何枚もの紙の最後に必ず書いてある、タイトルのような一文は、いったい何なんだ?

 

 私は思わず、そのタイトルを声に出して読んでしまった。


 この怪文書の中でも、最大の謎だったからだ。あぁもうこれが、私の好奇心を更に滾らせて、すっかり私の心を掴んで離さない。気になったら、もう目が離せないでいた。だってこんなにも、ここが肝心だと言わんばかりの、激しい主張をする、その一文。気にならないわけがない。もはや私の中で忌避感は完全に消え去り、早くこの紙の正体と真実を知りたいと、この奇妙な用紙と私とを、自分自身でがっちりと接続してしまっていた。それに元よりミステリー小説などは好きな方だ、これはただの謎解きだと考え方を改めれば、もうこの用紙は、楽しい楽しいクイズという遊び道具にしか思えなくなってきた。


 あぁ、ではこれは、一体何のタイトルなのだろうか。しかし、タイトルにしては、用紙の下の方に書いてある。実はずっと見つけてきた紙の下部には、必ず大きく書かれていた。こればかりは無視をしていたわけではない、こんな独特の創作風な内容にも見えていたからこそ、演出として盛り上げる為に必要なものなんだろうと、まるで意味の無い記号のような文字として勝手に思ってしまっていたのだ。


 赤いマジックペンで、何度も何度も書き殴って、刺々しく強調されている。そして、より目立つようにという狙いか、同じように今度は黒いマジックペンで、その赤文字の上から再び何度も擦るように上書きしたあと、今度は強く執拗に、その赤いタイトルの周りを大きくグルグルと、雑に囲っていた。赤と黒が稲妻のように混じるこの一文は、この作者の叫び声、絶叫にも捉えられる荒々しいデザインだ。この文字を人の声にすればと想像するだけで、耳に劈く金切り声が聞こえてきそうだ。あぁ、それはまさにミステリーやホラーなどでは、読者を驚かすジャンプスケアそのものじゃないか。


 私が森で出会った、とある恐ろしいものについて?


 ますます、意味が分からなかった。その意味不明さが、本当に面白すぎる。これが、誰かのプライバシー情報と、なんの関係があるのか。まさか、安直のまんまに犯人を指しているのか。だとすれば、この文章のどこかに、犯人に繋がる手がかりがあるのでは――――――。

 

 今の私はもう、目の前の一枚の解読に専念してしまっていた。気分は怪文に隠された秘密を解く探偵だ。前の紙も見直そうと思ったが、いや、どうせどこの紙を見ても、ほとんど同じ内容だ、見比べる必要も無い。詳細な個人情報と、劇的な怪しい文体、誇張しすぎたタイトル。形式はみんな、同じだ。だから、この紙だけでも、なぜこんな紙が作られたのかという答えがあれば、すぐにでも分かるだろう。コピーして、ペーストしただけの、複製した紙みたいなものなのだから。


 まずここは都市部だ。住宅街といえども、森と呼べる地域は存在しない。大きな神社には森が生い茂っている場合があるが、ここの近所には、そういう神社も無い。閑静な住宅街、せめて公園に植えられた何本かの木がそれに近しいが、あんなもの到底森とは言えないだろう。

 そして私が出会った、というからには、この怪しい紙を書いた本人が出会ったには違いない。しかしそれがいったい何なのか、まったく想像出来ないが、だがどうにも「恐ろしいもの」だそうだ。そうでなければ、ここまでガリガリとマジックペンでそんな文章を書き上げないだろう。きっと、よほどのものであった筈だ。


 一体、なにと出会ったのか。そして、そいつとなにがあったのか。


 というか、そもそも「とある恐ろしいものについて」という文言なら、隠さなければならない暗号ならずとも、これに対してのちょっとした説明くらいは、少しばかり表沙汰にあっても良いはずでもあるが、しかしそんなもの、用紙のどこにも書いていなかった。

 

 あぁこれは、なんなんだ。なにを指しているんだ?


 私は、もう止め処ない好奇心を抑えきれず、そのタイトルを、顔を近づけて、食い入るように見てしまっていた。


 激情に任せて書いたと思われる、そのタイトル。何の意味がない訳がない。


 あぁ、気になる。気になってしまう。


 この用紙は、いったい何なんだ。そのタイトルは、いったい何なんだ。


 私はもう、この怪文書の虜になってしまっていた。


 そして気づけば、もう遅い。その気になって仕方がないタイトルの一文を、私は自ら、右腕を持ち上げて――――、


 人差し指で、ぺたりと触ってしまって。


 そして、もう一度。その一文に答えを訊ねるように。


 もう一度、もう一度だけ、指でトン、トンと叩いてしまっていたのであった。







 その時、気づいたことがある。


 それは、なんとなしに書かれていた。その刺々しいタイトルの末尾に、とても小さく。


 そこだけは、なぜか細いシャープペンの芯で、さらっと書いたように、とても、落ち着いた形で書かれていた。作者としては、とくに大事な言葉ではなかったのだろうか。ただ書いただけ、という体であった。他と比べて、力加減が弱いから、あんまり意味も価値も無い一言なんだろうな、とは思うが……。


 ―――――「データ」。

 

 



 あぁ、うん。


 まぁ、とくに、気にするものでもないのだろう。

 

 






 


 

 


 

 













 


 「なぁ、AIが書いた風景画の話、知ってるか?」


 時刻は午後四時ごろ。とある高校の通学路に、下校途中の男子高校生の二人組が歩いていた。


「あぁ、それ知ってる。実際の近所の公園の風景画を書いて、ってAIに頼んだら、ちゃんとその公園を書き上げたんだけど……、その絵の端っこのほうに、全身が真っ黒な、人みたいなもんが映ってたってやつでしょ?」


「そう、それ。地面に倒れ込んで、でも体が不自然にグニャっと捻れててさ。腕とか、関節が折れ曲がってるように、空に向かって伸ばしてる変な姿勢のやつ。あれ怖いよな」


「AIが何を書くかってのは、書き上げてから分かることってあるよな。でも、たしかその話って、そんな変な注文してないはずでしょ。普通に、近所の公園の景色を書いてってだけなのに。でもなんでか、AIはそんな実在しない黒い人まで書き上げた」


「あれだな。幽霊とか妖怪とかも、アップデートとかされたんだろ。昔はファンタジーみたいな感じだけど、今じゃ、パソコンとかデータに、怪奇現象側が対応したんだよ。あれよ、昔のビデオテープ再生したら、テレビから這い出てくる女、ってやつ」


「あぁ、あったね。ていうか、なにそれ笑える。じゃあ幽霊とか妖怪、怪奇現象とかも、今ではハイテクの時代ってこと?」


「そうそう、なに、インターネットとか、ブルーレイディスクとか、SDカード、USBメモリとかさ。そういったもんに、今は怖いやつは、ウィルスみたく潜んでるんじゃない?」


「うわぁ、もう俺達逃げ場ないじゃん。じゃあもう、迂闊にそこらへんのもん、うっかり触れねぇじゃん。そこの木とか、壁とかも」


「確かに。ほら、マウスポインタとかもさ。あれの矢印マーク、人差し指みたいなもんでしょ。クリックするときも、マウス握ってたら、その指使うんだし」


「あぁ、それは言えてる。指そのものがカーソルになるのか。あ、これマジやばいかもね」


「だろ、だからもうマジで怪しいやつ触るの止めとこうぜ、ネットでも、現実世界でも、どっちの世界でも。ヤベェよマジで」


「言えてる。好奇心よりも、警戒心だ。俺達も気をつけよう」


「そうだな。……あ、そういえばそれ関係で少し思い出したわ。最近外国の、USBメモリの落とし物の話とか知ってる? 拾ったら、大体の人が好奇心に負けて、自分のパソコンにぶっ刺して、中のファイルとか勝手にアクセスして見ちゃうってやつ。最近それが本当に危ないらしくて、そのファイル見たら、なんかよく分からないんだけど、個人情報を全部引っこ抜かれて、それでパソコンのOSが最初から無かったみたいにブッ壊れちゃうらしいんだけどさ――――――」


 

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