• ホラー

とりあえずの「はじめて」。


 アカウント登録はしたはいいものの、実は殆ど稼働していないマイページなどを見て、少しばかりは使っていこうと思い立った今日。



 
 というのも、マイページには幾つかの小説の書きっぱなしがあっって、それらは自分が考えたオリジナル小説をのろのろと書いていたものだったり、または、どなたかの自主企画参加用に書き上げようと思ったけども、のろのろすぎて締め切りオーバーで投稿できなかったりと、そんなものが、コロコロとほかってある。




 ので、たとえば自分で考えたものなら、いつか完成させて投稿したり、もしくは、どなたかの自主企画参加用だったけど、締め切りオーバー後に投稿は失礼と思うのでこれは投稿はせずに、完成だけさせてマイページに非公開で置いておくこともしようかなぁと思ったりした。




 それでだが、実は今から書くこっちのほうが主な理由なんだけども。

 今日という日は、少しある疑問に気がついた日でもあったので、こんなふうに自分へのメモ代わりとして近況ノートとやらを書いている。




 Q =「自分の言葉は、どこまで届いているのか」




 未来、このノートを見返す自分は、恐らくこの言葉を決して忘れもしないだろうし、そも忘れられることなんてムリだろうけれど、一応、この昔っから忘れられないものに対して、なぜ今になって疑問を思ったのか、ざっと説明を書いておくと。




 A=「なんか、自分の言いたいことって、やっぱりあんまり相手に届いてないよね」




 というのも、というか何というか。これはもう、自分が子供の頃からレベルで、とっくの昔に気づいていることだったけど、それでもなぜか今まで、これについて深く考えなかった。でも、その理由も分かってはいる。「届かなさすぎて、嫌気が差しまくった」からだ。



 当たり前だが、自分ががっつり嫌気が差しても、それでこの話は終わることなんて一切無い。これまで生きてきた日々、ずっと、ずっとそんな経験を何度もした。ので、もう自分の話した言葉が、相手に届いたか、届いてないかの判別の仕方なんて、よく分かってしまっている。



 それを相手が「いや、君の言葉はちゃんと届いているよ」と反論しても、自分には「それは違うなぁ」と、かなりの確立で分かる。(じゃあこれを仮に相手に伝えたとしても、いや信じてよ……、としか言わないだろうけれども)



 ちゃんと届いていたら、まさに「ちゃんと届いた」という形になるから、良かったと、安心感がすごい。ちゃんと届いたからこそ、事態が進歩する、事態が好転することもある。届いたなら、届いたという結果が、色んな形で、たしかに目の前に現れるのだ。
 

 精神的には、互いに会話の成立が出来た、伝えていることが、相手にちゃんと伝わった、という手応えがある。「本当に届いたのだ」と。それはもう爽快すぎる。これまであまりにも届かなさすぎたもんだから、ちゃんと成立した際には、会心の一撃レベルの気持ちよさがある。




 それは、たとえば作品がウケたか、自分がボケてギャグ言ったらウケたか、という話しではない。ここはカクヨムだから、そういう話しと思うかも知れないが、これは日常的なコミュニケーションの話しだ。


 会話って難しいと、数え切れないほど思った。今は自分を支えてくれる方や、自分と近しい世界で生きてきた方達が沢山いてくれる場所にて、今後のことを考えながら、自身の体調や息、思考などを整えて過ごしているが、それでも尚「自分の言いたいことが届いていない」という問題は、ここでもほんのり、生まれに生まれ続けている。


 そんな今から遡って数ヶ月前くらいに、相手から「あなたの名前を教えてくれ」って訊かれたから、自分は至璃依生ですって答えたのに、「いや、あなたの名前を教えられても困るんだけど……」って言われた日には、もうどうすれば良いかわからんかったよ。







 そんでも、これ対して、今日の自分は。
 
 なんというか、やってみるか。と思った。






 

 今までの嫌気たっぷりな自分から、動いてみようと思った。


 それに、どうにも自分は「タイピングをすることで、いくつかの効能を感じる体質である」ことも、今日、発見した。


 
 1・集中できる。(ふだんから気が散った状態な自分だが、今日はなぜか急に思い立ったので無料のタイピングゲームをしてみたところ、120秒でどこまで打てるか、という状況が「自分の集中ゾーンの入り口になる」、「また、集中力の呼び水」になることに気がついた)




 2・気分が落ち着く。




 3・ストレスの発散。




 ほか、タイピングをすれば何が起きるのか、まだ把握できてない色々なことがあるはずで、でもそれらは多分、大体が「良き効能」となって、心身をなんらかのアレで好転させるやもしれない。これを書いている今も、そんな気がする、って感じる。



 それでなんだけども、これがまた不思議なことに、ここまで書いたことは、そんな予想も含めて、冒頭の言葉である「少しばかりは使っていこう」という考えへの、現状自分なりの触り心地なんだが、それがどうにも「会話が成立したときの、あの手応え」に近い感覚に思える。つまり、ほんの少し、爽やかな心地になる。文字を書いていると、心地良いのだ。これがもっと爽快、爽快になって欲しい。自分でもストレスなんとかしたいよって考えてたから、これがどうにか、自分で自分を助ける方法になってくれたら、とても嬉しい。

 

 だから、このアカウント、のんびりでも良いから使っていこうって決めてみた。今までなんやらと嫌気がさしてたけど、でもこの「やってみるか」っていう気持ちと、それをエネルギーにして動いていこうとするこの自分は、たぶん間違いなんかじゃないんだろうなぁと思うので、これから、ここカクヨムで、やんわりゆったりとやっていこうと思います。














 



 
  





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