第9話 第八章 王都

 目を覚ますと、菊花は寝台の上にいた。寝台は清潔で、真っ白な敷布が敷かれている。何が起こったのかわからず混乱したが、すぐに思い出したのは游泉のことだった。辺りを見回しても、游泉の姿はどこにもない。

 警戒するようにそろりと寝台を降りた菊花は、部屋にいるのは自分一人で、見慣れない雰囲気の調度に囲まれていることに気がついた。寝台ひとつとっても、彫り物などが精緻で、いかにも高価そうだ。

(なんでこんなところに……游泉様は……?)

 扉も見慣れないかたちだったが、取っ手のようなものをいじっていると、扉が開いた。廊下には見張りと思われる男が立っており、菊花に何事か話すと歩き出した。途中で振り返り菊花を見たので、どうやらついて来いと言っているらしい。

 他にどうしようもなかったので、菊花は大人しく男についていった。

 階段を降り、男はある部屋へと菊花を案内した。びくびくしながら中へ入っていくと、窓を背にして誰かが大きな机に向かっているのが見える。こちらに気づいて顔を上げたが、菊花には見覚えのない男性だった。

「やあ、目が覚めましたか」

 男性は机から立ち上がると、にこやかに菊花に話しかけた。発音はややぎこちないが、鳳鳴国ほうめいこくの言葉であることに菊花は驚いた。

 男性の年は初老に差しかかるかどうかというくらいだろうか。肩にかかる茶色のくせ毛が目をひき、大きな黒い目には意志の強さが感じられる。微笑んでいるが、どこか油断ならないような印象を菊花は受けた。

「とんだ目にあいましたね。お身体は大丈夫ですか?」

 言われて菊花は、男たちに襲われて気を失ったことを思い出した。

「あなたが助けてくれたんですか?」

「人買いたちの手から救ったのは私の部下ですが、あなたたちの居場所を教え、助けるよう指示したのは巫女様です」

「巫女様……?」

 戸惑う菊花に、男性は意味深な笑みを浮かべた。

「あなたと同じ色の目を持つ女性ですよ」

 菊花ははっとして自分の頭に触れた。被衣を被るのをすっかり失念していた。

「……もしかして、巫女様の名前は桔梗ききょうと言うのでは?」

「そうですね。ですがこの国では、神聖なお方のお名前はそう易々と口にするものではないのです」

 男性は人差し指をそっと自分の口に当てた。

「私はオズマと申します。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「……菊花です」

 警戒していたが、菊花は本名を名乗った。このオズマという男には、すでにいろいろなことが知られているのではないかと感じていた。

「菊花殿、あなたは巫女様にお会いするために鳳鳴国からいらした。そうですね?」

 やはり菊花のことはある程度掴んでいるらしい。菊花は頷いた。

「その巫女様……桔梗はわたしの祖母です。祖母に会わせてください」

 お願いします、と菊花は頭を下げた。オズマは「いいでしょう」と答えた。

「ただし、一つだけ条件があります」

「条件……何ですか?」

「あなたが次の巫女様になってください」

 予想もしなかった内容に、菊花は思わず「は?」と怪訝な顔と声になった。

「何を言って……そんなのなれるわけがないじゃないですか」

「私からすれば、そう考える方がよくわからないですね。菊花殿は巫女様の孫なのですよね?ならそれだけで資格は十分……いや、その目で十分と言ったほうが正しいでしょうか」

 オズマは菊花の目をじっと見つめた。その妙に熱の籠った視線に、菊花は少し怖くなった。

「そんなの、できません」

「では巫女様に会わせてさしあげることはできませんね」

 さきほどとは打って変わって、オズマは冷たい視線で菊花を見下ろす。だがその目の奥底には、ギラギラとした、未だ熱の籠った何かが潜んでいる気がした。

「あなたは何の権限があってそんな……」

「あぁ、申し遅れましたが、私はこの国で神官大臣を務めております。神殿は私の管轄で、巫女様のお世話も任されております。巫女様に関することは、すべて私を通すことになっているのです」

 あと少し、というところまで来られたというのに、目の前に高い壁がある。菊花はそう感じて歯噛みした。

「……一目だけでも会えませんか?」

「次の巫女様になっていただけるなら、いくらでもお会いできるように取り計らいますよ?」

 苦しい条件を突きつけられて菊花が逡巡していると、うしろから「菊花!」という聞きなれた声が聞こえて、菊花は思わず振り返った。そこには、少し形の乱れた游泉が立っていた。そしてその後ろにいるのは、髪が灰色の長髪で、色の白い細身の男性だった。

(この人なんか見覚えが……あ!)

 寅兼柾いんのかねまさとどこかの呑み屋で会って「薬」を渡していた男だと、菊花は思い出した。とすれば、あの「薬」の出所はここで間違いないのだろう。

「これは春宮様、どうしましたか?」

「菊花が目が覚めたと聞いたので……あぁ、無事で良かった!」

 游泉は菊花に近づくと、その手を取った。こころなしか目が潤んでいる。

「ずっと目を覚まさないから、心配で仕方がなかったのだ」

 どうやら游泉は、菊花よりもだいぶ先に意識を回復していたらしい。

「春宮様、課題は終わりましたかな?」

 オズマがにっこりと游泉に微笑みかける。それとは対照的に、游泉は敵意を剥き出しにしてオズマを睨んだ。

「言ったであろう、私は絶対に国交を開くことは認めぬと!そんなこと、私の一存では決めかねる!」

 近忠明と同じように、欧ノ国との国交を開くよう求められ、そのための書類を書くように要求されているらしい。

「開いてほしくば、正面から正々堂々求めるが良い!」

「申し上げたではありませんか、国交を開くよう求めるのは我が国からではなく、そちらからにしてほしいと」

 菊花からすれば、どちらからでも変わらないように思えるが、どうやらそうではないらしい。おそらく、国同士の上下関係などに関わるのだろう。

「春宮様。菊花殿とお二人、助けてさしあげた御礼を是非に表して頂きたいですね」

 オズマはにっこりとほほ笑んだが、その目は冷たく笑っていなかった。



「面倒なことになった……」

 廊下に出ると、游泉がぼそりと呟いた。

「あの男は、私が書くまで帰さないつもりらしい。人買いから助けてもらったのは有り難いが、余計に面倒なことになったとも言えるな……」

 菊花は信吾の忠告を思い出した。たしかに人買いに捕まらなければ、この屋敷に閉じ込められることはなかったはずだ。

(でも、ばばさまに会うには都合がいいかもしれない……)

 オズマの口ぶりでは、桔梗はどこかに匿われているようだった。菊花たちだけで見つけられたかは疑問だ。

「菊花は何か要求されていないか?」

「……次の巫女様になるよう言われました」

 游泉がぎょっとして菊花を見た。

「そんなこと……だめだ!だめに決まっている!」

「わたしだってなりたくないです。でも……」

 ずっと会うことを待ち望んでいた祖母に会えるかもしれないと思うと、菊花はオズマの要求を呑んでしまいそうになる。

「菊花、気になることがある。どうして今の巫女がいるのに、オズマは次の巫女を求めているのだ?」

 言われてみればその通りだ。これの意味するところに気づいて、菊花ははっとした。

(もしかして、ばばさまは……)

 菊花はちらりと周囲をうかがった。髪が灰色の長髪で、色の白い細身の男性はオズマの臣下でミグというらしい。ミグは鳳鳴国の言葉がわかるようで、明らかに菊花たちの話に聞き耳を立てているようだった。

(どうしようか……)

 状況を整理したかったので、少し休みたいと言って菊花は自室に戻った。寝台に横になり嘘の寝息を立てると、眠ったと思われたらしく、部屋から見張りはいなくなった。

 菊花は窓を開けると、游泉の部屋を探して露台を渡り歩いた。菊花の部屋とは数部屋離れたところに游泉はいた。幸い、部屋の中には他に誰もいない。

 菊花は窓をコンコンと叩いて注意を惹いた。気づいた游泉が慌てて窓を開けて、菊花を中に入れる。

「菊花、そんな無茶をしては……」

「そんなことより游泉様、わたし、次の巫女様になるって言おうと思います」

「菊花!?」

「今は何よりも早くばばさまに会いたいんです。今すぐ会わないとだめな気がします。きっと……」

 それから先を菊花は言えなかった。口にしたら現実になりそうで、怖かった。

「でも、本当になる気はありません。隙を見て逃げ出します。多分ですが、きっと何とかなると思います」

「どういうことだ?」

 怪訝な顔をする游泉に、菊花は説明した。

「たぶんですが、ノリと合流できるはずです……このままなら」

「紀参と?どうしてそんなことが……そうか、視たのか」

 菊花はこくりと頷いた。先ほど寝台で寝たふりをしている間に、菊花は時の先を視ていたのだ。

「先を視ても、絶対にそうなるわけではありません。視たとおりにならないこともあります。けど、わたしはこれは当たると思っています」

「やけに自信たっぷりだが……根拠があるのか?」

 すると菊花はにっこりと游泉に笑いかけた。

「だって、ノリですもん。前にわたしに言ったんです。絶対にわたしの味方で、助けが必要ならいつだって駆けつけてくれるって。あの隠れ住んでいた村まで追ってきたくらいですよ?きっと今もわたしたちを追っているはずです」

 絶対の信頼がそこにはあった。それは養父と娘、約十年にわたる時間の中で育まれてきたものだ。ケンカをしようが、怒られようが、その根底には揺るぎない信頼がある。

 いつだって紀直は菊花を想い、菊花は紀直を信じてついてきた。

「だから、この先を信じて動いてみます」

 まっすぐな菊花の青い目に、その美しさに、游泉は思わず言葉を失っていた。

「……すごいな」

「え?」

「いや、何でもない。……そなたが少しうらやましくなっただけだ」

 游泉はほろりと苦く、そう笑った。

「游泉様。わたしを、紀参を信じてください」

 深い青の目がじっと游泉を見つめる。近頃では見慣れたように感じていたが、いつか最初に見たときのように、游泉はその目に吸い込まれそうだと思った。そして、この目になら吸い込まれてしまっても良いと思えた。

「……あぁ、信じよう」

 菊花は満足そうに笑った。



 それから菊花と游泉は、今後どのように動くか話し合った。

「……問題は游泉様ですよね。一緒に行くようにするか、別行動にするか……」

「地理が不案内な以上、別行動は危険だろう。なんとか一緒に動けるようにしたい」

 そういうわけで、游泉も一緒に巫女様のところまで連れて行ってもらう「言い訳」を二人で何とか考えた。いくつか案が出たが、最終的には「駄々こね春宮」案でいくことにした。とにかく菊花に執着しているように見せ、離れたら署名はしないと駄々をこねるのだ。

「……こんなんでうまくいきますかね?」

 不安そうな菊花に、游泉は「やるしかないだろう」と言った。

「仮にも王族だからな、向こうも私に手荒な真似はしないだろう。今だって、拷問などで無理やり書かせることもできるはずだが、それをしてしまうと国交どころか逆に戦になる。それにおそらく、今の欧ノ国に戦をするような余裕はないのではないか?」

 来るまでの道々で、游泉は周りの景色を眺めながら国力を測っていたらしい。たしかに荒れた土地や耕作を放棄した土地をよく見た。欧ノ国は、どうやら土地の滋味が乏しいらしい。さすが政をする人間は視点が違うと、菊花は感心した。

「それにしても、欧ノ国はどうしてこんなに国交を開かせたがるんでしょうね」

「……おそらく、例の薬を鳳鳴国にもっと流したいのだろう。あの薬が蔓延すれば国力の低下も期待できるから、交渉で有利に立てると考えているのかもしれぬし、あるいは弱った鳳鳴国なら攻め入るのが簡単になる、とそういう肚もあるかもしれぬ。忠明は手引きする代わりに、それ相応の見返りでもあるのだろうな」

「自国を他国に売ろうとするなんて……」

「菊花、世の中には皆の幸せよりも自分の利益を優先しようとする輩がいるのだ」

 そしてそれは官の、さらには高官の中にすらいるということを、游泉は疲れたように呟いた。

 部屋に戻った菊花はオズマに面会を申し込むと、巫女様になるから桔梗のところへ連れて行ってほしいと申し出た。

 オズマは、菊花の裏にあるものを探り出そうとするようにじっと見つめた。

「さっきは随分嫌そうでしたが、考えが変わりましたか?」

「巫女様……祖母の加減は良くないんじゃないですか?」

 そう訊ねたが、オズマはうっすら笑みを浮かべるだけで答えなかった。

「それなら、巫女様になってもいいから、早く祖母に会いたいと思ったんです。やっぱり少しでも長く祖母と一緒にいたいですし……唯一の家族ですから」

「そうですね。家族とは一緒にいたほうがいい」

 菊花の答えにオズマが満足そうにうなずいたとき、扉が大きな音を立てて開いた。そこには、身なりの荒れた游泉が立っていた。どうやら打ち合わせ通り、部屋でひと暴れしてきたらしい。

「菊花!」

 游泉は菊花に飛びつくように抱きしめた。

(な!なんで!)

 こんなのは予定に入っていなかったはずだ。目を白黒させる菊花を、游泉はぎゅうと抱きしめ、ぐりぐりと頬ずりをした。

「やっぱり、片時でもそなたがいないのは耐えられない!」

 おそらく「駄々こね春宮」の演技の一部なのだろう。だが、ここまでとは聞いていない。迫真の演技すぎる。

「春宮様、その娘はこれから巫女様の元に向かうことになりまして……」

 すると間髪入れず游泉は「私も行く」と言い出した。

「いや、春宮様にはこちらで書類を……」

「嫌だ。菊花と離れるなど絶対に嫌だ。それなら私も連れていけ。でないと絶対に書かぬ」

 そう言った游泉は、菊花を庇うようにさらに強く抱きしめた。

(游泉様、演技しすぎです……!)

 オズマは何とか游泉を説得しようとしたが、游泉は絶対に折れなかった。子どものように駄々をこねる游泉の相手がそのうち面倒になったのだろう、連れて行くことをしぶしぶながら了承した。

 早く祖母に会いたいという菊花の要望を汲んでもらい、オズマはその日のうちに手配して菊花たちを移動させた。

「着きました」

 馬車から下ろされると、まず目に入ったのは白い柱だった。真っ白で太い柱が、何本も立ち並んでいる。町並みはわりと色彩が多かったので、随分対照的だ。

 菊花たちが案内されたのは、白い柱が並ぶ建物の中ではなく、その横にある塔だった。建物の三階分くらいはあるだろうか。塔は大きな白い石で造られており、入り口と思しき扉には大きな錠がかかっていた。監獄のようだと、菊花は思った。

 オズマたちが鍵を開けている間、菊花は辺りをそっと見回した。そのとき、集団のいちばんうしろに、兵士がそっとついたのが見えた。菊花がじっと見ていると、目深に被った兜の下の口元が、見覚えのあるかたちに笑みを作っている。

(ノリだ!)

 自分で視たとおりになったことに安堵すると同時に、紀直が来てくれたことで力強い思いがぐっと湧いてきた。

(絶対、皆で帰るんだ!)

 菊花はそっと拳を固めて、塔の中に入って行った。

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