第6話 第五章 双川神舎

 店の裏手に停めてあったくるまに乗せられ、菊花たちは連れられていった。しばらく走って下ろされたのは、大きな神舎しんしゃの前だった。

 参道を歩かされたが不思議と人の気配は皆無で、それは本殿も同様だった。本殿の扉が開けられると、通常あるはずのご本尊などがまったくなく、からっぽの部屋があるだけだった。

 菊花たちが戸惑っている間に、本殿の扉が男たちによって閉められた。ご丁寧に鍵をかける音までする。

「閉じ込められちゃいましたね……」

 開かない扉を確認すると、菊花がぽつりとそうつぶやいた。部屋の中に何もないせいで、小さい声でもやたらに響く。

「菊花、すまない。私のせいで……」

 申し訳なさそうに頭を下げる游泉に、菊花はあわてて首を振った。

「違います……むしろ……」

 菊花は「青目の坊主」という男の言葉を思い出した。今日、あの店に菊花たちがたちが来ることを千太は先を視て知り、それを教えたのだろう。

(前に大人しく千太と一緒に行っていれば、游泉様を巻き込まずにすんだかもしれない……)

 菊花は歯噛みしたが、後の祭りだ。

「ここはどこでしょうね?」

「おそらく双川神舎ふたかわしんしゃだろう。十年以上前に取り潰しになった神舎だ。謀反むほんを企てた罪でな」

「謀反!?」

 物騒な言葉に、菊花は思わず目を剥く。

「当時の双川神舎の大宮師だいぐうしは、即位した兄上の後見人を務めていた。だが、年若いと侮ったのか、だんだんと口出しの増えた大宮師を、兄上は後見人から降ろした。それに怒った大宮師は王家のとある男子を擁して、兄上を引きずり降ろそうと企んだ。その企みは露見して、結局、双川神舎は取り潰しになったのだ」

「そんなことが……」

「その、とある男子っていうのはあんたのことか?」

 急な声に菊花は身をびくりとさせて驚いたが、声には聞き覚えがあった。

「千太!いつの間に……!」

 扉の軋む音も足音も聞こえなかったし、気配すらも感じなかった。どこから入ってきたのだろうか。

 口調も弁えない千太の問いに、游泉はそれを咎めることもなく首を振った。

「いや、私ではない。私の叔父に当たる者だ。もう亡くなったが」

「ふぅん……」

 つまらなそうに呟く千太に、菊花は血相を変えながら詰め寄った。

「わたしたちがあの店にいるって『視た』のは千太でしょう?どうしてあんなことをしたの?なんでこんなところに連れて来たの?」

「言っただろ、迎えに来るって。この間は邪魔が入ったけどよ」

「でも言ったじゃない、わたしは千太とは行けないって」

「桔梗様のこと、知りたいんだろう?なら村に来ないって選択肢はないはずだ」

「だからってこんな脅してなんて……しかも游泉様まで……」

「そっちの春宮様は別件だ。丁度いいから、まとめて連れてきただけだ」

「……どういうこと?」

 怪訝な顔をした菊花の耳に、扉がギィと開く音が聞こえた。はっとして振り返ると、そこにはどこかで見かけたような男が立っていた。身なりのよい姿からして、おそらくは貴族だろう。

(中肉中背、身の丈五尺五寸、細顎に細目、年の頃は三、四十……)

 聞いていた条件とぴたりと合う。清餐せいさんにこの貴族がいたのか、菊花はいまいち思い出せない。

「これは春宮しゅんぐう殿下、ようこそお越し……」

 男が恭しく挨拶を始めると、游泉はすぐさまそれを遮るように手を大きく振った。

近忠明こんのただあき西弐官にしにかん、だな?これはそなたが仕組んだことか?」

 男は顔を上げると、細く吊り上がった狐目をさらに細く釣り上げて、にいと笑った。

「当代春宮に刃を向けた罪、軽いものではないぞ?」

「それは重々承知しております。ですが、こちらもそれなりの覚悟を持って、お招きしたということはご理解頂ければと」

 狐面のような笑顔を貼り付けた男を、游泉は鋭く睨む。どういうことだろうかと菊花が戸惑っていると、ぐいと袖が引かれた。見れば、千太が菊花の小袖の布を掴んでいる。

「何するのよ!」

「お前はオレと来い」

 千太が菊花をぐっと引き寄せようとしたところを、游泉が「待て」と制止した。

「その娘は私の侍女だ。勝手なことはするな」

 二人の間に割って入るように、游泉は菊花をその背にかばう。その様子を見た忠明は、その細い目を少し見開いたかと思うと、またすぐ狡そうに細めた。

「……承知いたしました。春宮様の大事な娘御なのでございますね、丁重に扱いましょう」

 意味ありげな笑みを浮かべた忠明と対照的に、千太がその青い目を剥く。

「あぁ、そうしてくれ」

 游泉も否定はせず、大きくうなずいた。

「ちょっと、游泉様!」

 菊花は背中から抗議をしたが、游泉は聞こえないふりをしている。

「それで、こんなところにまで連れて来たのは何のためだ?」

「折り入ってお話がございまして」

「……宮ではできない話というわけか?」

 忠明はにまりと笑うと、警戒をあらわにする游泉に向かって、すっと敬礼のかたちをとった。

「春宮殿下に折り入ってお願いがございます。殿下にはこちらにて天王陛下への奏上をお書き頂きたい」

「奏上?何のだ?」

「殿下には、欧ノ国おうのくにとの国交を開ける奏上をお書き頂きたいのです」

 忠明の言葉に、游泉は一気に険しい表情になった。

「……そなた、正気か?自分が何を言っているのかわかっているのか?」

「もちろんです」

 笑みを浮かべたままうなずいた忠明の目は、冗談でもふざけているものでもなく、どこかギラギラとした光をその奥底に湛えているようだった。

「そんなこと、私がどうこうできる問題でもない。せめて自分で奏上しろ」

「できないから、こうしてお願い申し上げているわけです」

「なぜだ」

「わたくしが奏上したところで取り上げられることはないでしょう。ですが、あなた様でしたら話は違います」

 游泉は「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。

「兄上は情で政をするようなお方ではない。お前も知っているだろう」

「勿論です。だからこそ、です」

「……どういうことだ?」

「わたくしは一介の官にすぎません。奏上も、天王様に直接上げられるわけではありません。天王様のところへ届く前に、他の官や令丞官れいじょうかんに握り潰される可能性はありましょう。いえ、むしろ内容だけにその可能性は大きいと言わざるを得ません」

「……」

「天王様は聡明な方です。過去にこだわるのではなく、現実にとって利のある方を選ばれる方だと信じております。だからこそ、わたくしは天王様に直々に奏上できるあなた様のお力をお借りしたいのです」

 忠明の熱弁を、游泉は冷めた目で聞いていた。

「そもそも、なぜ欧ノ国との国交を開こうと思うのだ?まさかこれまでの、欧ノ国と我が国との軋轢あつれきを知らぬと申すわけではあるまいな?」

 忠明は「とんでもない」と首を左右に振った。

「歴史的な経緯は十分に承知しております。ですが、それももう古いのではないでしょうか。いつまでも過去のしがらみに拘泥こうでいせず、新しい天王陛下のもと、両国も新しい道を選んではと申し上げたいのです」

 さらさらと流れるような言葉だが、游泉は固い表情を緩めようとはしなかった。

「欧ノ国との国交を開けるとは言っても、向こうはどうなのだ?向こうに開く気がなければ、そもそも成り立たない話ではないか」

「ご安心ください、実はこの件、向こうより打診があってのことなのです。向こうも鳳鳴国ほうめいこくと友好的な関係を結びたいと考えております」

 その言葉に、游泉は一気に表情を険しくした。

「そなた、欧ノ国とつながりがあるのか?打診なんて、そんな話は聞いておらぬぞ?」

「詳しくは申し上げられませんが、わたくしは向こうの高官殿と個人的につながりがございます。殿下がご存じないのも当然です。まだ正式な申し入れではなく、こうして水面下で探っている段階でございますから」

「……」

「殿下もご存じのとおり、鳳鳴国において欧ノ国の印象は決して良くありません。それは民衆のみならず、朝廷でもまた同じでしょう。迂闊に国交を開こうなどと発言したら、それだけで政治生命が絶たれてもおかしくないほどです」

「……朝廷から降りる程度で済めば良いがな」

「仰るとおりです。遡った過去にも、そのような旨を発言して、その後行方が分からなくなった官がおりましたね」

 つまり、それほどまでに欧ノ国との関係は禁忌とされているのだ。菊花はそう理解して、背筋がぞーっと粟立った。

(一体何があったっていうの……?)

 欧ノ国については、菊花は紀直から簡単なことしか教えられていない。隣の国だが国交が全くないということ、したがって向こうへ行く手段はないこと、くらいだ。

「だからこそ、殿下の御力をお借りしたいのです。殿下からの申し入れでしたら、容易に無下にされることはないでしょう。わたくしが申し上げるより、はるかに効果的なはずです。ぜひ、周辺国との良好な関係を築いている今、過去の歴史はそろそろ水に流して、欧ノ国との外交を開くべきだという奏上を殿下が上げれば、周囲もきっと……」

「我が国の利は何だ?」

 問われて、忠明は瞬時きょとんとした表情を見せた。

「その……さらに交易を拡大できます」

「交易を拡大?今だって十分な規模だ。年々、輸出量も額も増えている。食料や物資が流れ過ぎていて、兄上はむしろ内需を安定させたいとお考えなくらいだ。民の感情を考えると、それだけでは現状、利になるとは思えぬが?」

「それに……軍事協定を結べば、今後攻め入られることもないはずです」

「あの欧ノ国が、協定を結べば今後絶対に破らぬと?過去に反故にされているにも関わらずか?」

「……」

「私が反対するとは思わなかったのか?」

「それは……」

 忠明が少しうろたえた表情を見せる。それを見た游泉は鼻で笑った。

「こいつなら懐柔できる、そう思ったのであろう?なにせ、私は愚昧な王弟として知られているからな」

(え?どういうこと?)

 菊花は思わず游泉を見たが、その表情は涼しげなものだった。まるで、それをさも当然として受け取っているかのような。

 少なくとも、菊花がこの短い期間で見る限りでは、游泉は愚昧などではなかった。むやみに権力を欲さず、民と国を考え、人知れず動いている。それがなぜ、そのような評価を受け、それに甘んじているというのか。

「ろくに執務室におらず、宴席にも出てこない。朝議ちょうぎでの発言は一切しない。『ただいるだけの人形』、『引きこもりの春宮』、それが私の評価だ。そうだろう?近西弐官」

「……」

「だが兄である天王陛下からは、なぜか可愛がられている。それなら私を持ち上げて利用すればいい、そう思ったのであろう?何なら責任を私にすべて被せれば、そなたは危険を冒さずに済むしな」

「いえ、決してそのようなことは……」

 忠明が慌てたように首を振る。その様子を見て游泉は目を眇めた。

「……そなた、狙いは別のところにあるのではないか?」

「何のことでございましょう?」

「『疲れのとれる薬』、知っているか?」

「いえ、存じ上げませぬ……」

「そうか、なら折角ここにあるから使ってみるか?」

 游泉が着物の袂からひょいと包みを取り出した。なぜ今ここに持っているのだろうと菊花は不思議に思った。

「疲れが取れて、気分が軽くなると評判だ。ほら、ひとつどうだ?」

 游泉の勧めに、忠明は真っ青な顔になってぶんぶんと首を横に振った。

「いえ、本当に結構でございます!」

「そう遠慮するな。……それとも、これが何か知っているのか?」

 鋭い游泉の視線が、忠明の無表情の下から焦りを抉り出す。

「従兄弟の兼柾殿はあれほどご執心ではないか。そなたが知らないはずはないだろう?」

「何のことやら……」

「聞いているぞ。兼柾殿は朝議の終わった後に必ずかわやに駆け込んで、そこからしばらく出てこないと」

「あれは……腹が弱くてですね」

「ほう?最近になって体質でも変わったのか?それともそういう特殊な病か?医者には見せたのか?」

「いえ、その……」

 明らかに忠明の歯切れが悪くなっている。

「艶を失った肌、黄色く濁った白目、薄くなっていく髪……どれも、巷で薬が手放せなくなった者たちと同じような姿だ」

「……」

「薬売りを締め上げたら、官から流されていると吐いた。そなた、何か知っているのではないか?」

「わたくしは何も……」

「では、その欧ノ国の高官の方は知っているのではないか。あの薬の出処は欧ノ国だからな」

 忠明の細い目がかっと見開かれた。

「なぜそれを……」

「おや、当たりのようだな」

 游泉がにこやかに微笑んだ。どうやら、かまをかけたらしい。

「あれはこの国にはないものだからな。国中調べたがどこからも出た様子がなかった。外から来たと考えるほうが自然だ」

「他の国でしたら、欧ノ国以外でもあるではありませんか。えん国とか……」

「鳶国も調べてみたが、そのようなものが出回っている痕跡はなかった。周辺の国や交易のある他の国も同様だ。それなら、可能性がある国はあと一つ」

「……」

「薬が流行りはじめたこの機に、欧ノ国の名前が出てきた。ただの偶然とは思えぬが?」

「……私はただ向こうの高官と、たまたまつながりができただけのこと。兼柾も、何も知りませぬ」

 游泉はしばらく黙ったあとで「そうか」とつぶやいた。

「帰ろう、菊花。近西弐官、今の話は望みどおり天王陛下に伝えておいてやる。すべて、包み隠さずな」

「……お待ちください、殿下。殿下には奏上を上げていただきます」

「私は奏上はせぬ。言いたいなら自分で正々堂々言うがいい」

「……ここまで存じ上げておいて、何事もなくお帰り頂けるとお思いですか?」

 忠明がピィーと指笛を吹くと、途端に周囲がざわつくのを感じた。菊花が窓の外を覗くと、そこにはぐるりと本舎殿を取り囲む男たちがにやつきながら待機していた。数も、さっきよりずっと増えている。

 游泉は固い表情のまま忠明を睨みつけた。

「どういうつもりだ?」

「危害を加えるつもりはございません。ただ、天王陛下への奏上をお書き頂きとうございます」

「せぬと言ったろうが!」

 はじめて聞く游泉の怒鳴り声が、広い本舎殿のなかでわんわんと響き渡った。

「では、お書き頂けるまでこちらに滞在していただきます。ゆめ逃げようなんてお考えなさいますな。あのように屈強な手練れの者たちがおりますので」

 游泉の睨みつける細い狐目が、ますます笑みを深めて細くなった。



 どこかの隙間から入る風で、高燭台の炎がゆらりと動いた。菊花はぶるりと身震いをひとつすると、黴臭い布団をぐるりと身体に巻き付けた。

「……冷えますね」

「そうだな……」

 游泉は心ここにあらずといったように、ずっとぼんやりしている。

 菊花たちは一晩の猶予をもらった。明日の朝の回答次第では、菊花は千太に連れられて村に行くことになる。

 もともとは村に行くつもりだったのだから、何も迷うことはないと菊花は言ったのだが、なぜか游泉が首を縦に振らなかった。そうして、ひたすら無口に考え事をしていた。

「菊花」

 戸が開いて、千太が入って来た。手には小さな火鉢を持っている。

「これ使え。夜は冷えるからな」

「ありがとう……」

 口では礼を言ったが、菊花は千太の顔を正面から見られずにいた。

「千太、なんでこんなことになっているの?」

 千太はうつむいたまま火箸でざくざくと炭を掻き起こしていたが、やがてぼそりと言った。

「……仕事だからだ」

「仕事?この間もそう言ったわよね?どういうことなの?」

「……オレは言われたとおりにやんなくちゃなんねえ。言われたとおりにしないと、村が……母さんがやられちまう」

「村が……?」

 すると千太はぼそぼそと村の事情を話し出した。

「……お前と住んでいたあの村を出てから、オレたちはあっちこっちを放浪していたんだ。なかなかいい土地が見つかんなくて、大勢で移るのは大変だったし、だんだんとみんなくたびれてきた。途中で何人も死んで、みんなもう限界で……いっそもう前のところに戻ろうかって話してたところに、ある人が現れて、オレたちに新しい土地を用意してくれるって言ったんだ」

「それで移ったのが今の村?」

「そうだ。けど、これは失敗だった。オレたちはご主人……さっきの近忠明に引き渡されて、あいつの領地に土地をもらった。最初はやっと落ち着けてみんなうれしかったけど、『地代』として取られるものが多くて、村は常にジリ貧だ。作ったものはほとんど持っていかれる。逃げ出すこともできねえ。山から下りたとばれると、一家で半殺しにされる」

 聞いた菊花は愕然とした。まさか、そのようにひどい状況になっているとは思っていなかった。

「でも、それでなんで千太が……」

「オレは『地代』が払えなかったから、代わりにあいつの元で働いてる。身が軽くて都合よく動ける駒が欲しかったらしい」

 千太が苦々しげに言った。

「『地代』が払えなかったって……千太の他の家族は?」

「……死んだよ。親父も、兄貴も。移動しているときに、野盗に襲われたことがあって、そのとき死んだ。母親は生きてるけど、だいぶ弱っちまってる」

「そんな……」

 兄の一太はいつもいじわるだった記憶しかないが、それでも顔なじみの人が亡くなっていたことに、菊花は少なからず動揺した。千太の父は、無口で近寄りがたかったが、薄青い目がやさしかったことを覚えている。

「オレだって、あんなことやりたくてやってるんじゃねえ……母さんを、村を守るためにはしょうがなかったんだ……逆らえば、殺されるから……」

 苦しそうに、絞り出すように千太は言った。千太のやったことは許されることではない。だが、千太と村の事情を知ると、ただ一方的に責めるのは違うように思われた。

 千太はぎりりと奥歯を噛んで、中空を睨みつけた。

「……なんでオレらばっかり、こんな目にあわなきゃなんねえんだよ……」

「……」

「オレらだって、同じ人間なのによ……」

「うん……」

 千太の気持ちは痛いほどわかった。菊花とて、他の人たちと同じであればと思ったことは数えきれない。他と変わりばえのないただの村人だったら、隠れ住む必要も、祖母と別れることもなかったはずだ。

「持っているものがちょっと違うだけで、なんでこんな風にされなきゃなんねえんだよ……持ちたくて持ったわけでもねえのに……」

 菊花は、人々が自分を見る目を思い出した。好奇の目、称賛の目、恐怖の目、畏怖いふの目、憎悪の目……。鳳鳴国ほうめいこくで青い目は異質だ。見られるたびにいろいろな目を向けられ、何かを言われた。言葉でも、視線でも傷つけられた。だから、いつも被衣かずきをかぶっていた。布の陰に隠れて見えなくなれば、何も言われなかった。

「ほんと、そうだね……」

 菊花の占いに来る客には、若い娘も多かった。被衣をかぶる必要はなく、人々の視線におびえることなく着飾って堂々と歩く、そんな娘たちが菊花は心底うらやましかった。自分もああだったらと、何度夢想したことか。

 だが、うらやましがっていても何にもならない。自分は今持っている自分のままで生きていかなければいけないのだ。それが、菊花の得た結論だった。

 千太が退室すると、それまで静かに二人のそばにいた游泉が声をかけてきた。

「あの男が、前に庭で話していた相手だな?」

「はい……幼馴染です」

「仲が良かったのか?」

「そうですね。他に年の近い子どももいませんでしたし……」

「そうか……そなた、村に行きたかったのだったな?」

 千太と久しぶりに再会したときの会話は、やはり聞かれていたらしい。菊花は観念したようにうなずいた。

「一族のいるところは、ずっと探していましたので」

 村に行きたかったのは、生き別れになっている祖母を探すためだと菊花が説明すると、游泉は少し考える様子を見せ、おもむろに言った。

「……なら、むしろ連れて行かれるほうが都合がよいか」

「それはそうですが……」

 だがそうすると、菊花は游泉のそばを離れることになる。菊花に護衛の役が務まるとは到底思えなかったが、だからといって游泉を一人にするわけにはいかなかった。

 菊花の考えがわかったのだろう、游泉は菊花ににっこりと笑いかけた。

「案ずるな、私も一緒だ」

「游泉様!?」

「私もその村が見てみたくなった。菊花の故郷のようなものだしな」

「でも……」

「交渉の優位性はこちらにある。心配するな、奏上を書くことはせぬ」

 自信たっぷりに游泉はそう言ったが、その自信の出所が菊花にはよくわからなかった。

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