花火

逃避行

咲いて散る。


それが運命だとしても、私はあなたの前で咲いて散ってゆきたい。








「綺麗だね」


パッと四方八方に散らばる光のハナビラ。それらは消えることは当たり前で、でも消えたことも忘れられるほど次々と打ち上げられていた。それを見て、私はなんのひねりもない感想をあなたに投げかけた。あなたを見た。泣いていた。本当に純粋な人だ。私は少し微笑む。そして、泣く。口元が震えるのがわかった。こんな日が来ることを私たちは望んでいた訳じゃない。それは痛いくらいわかっていた。でも、花火のようにやっぱり散ってゆくことが決まっていたのかも知れない……、そんな風に思って、咲くことより散ってゆく花火の欠片を強く目に焼き付けた。

今、私たちはまさに消えゆかん花火だ。私たちはさっき別れを決めたところだった。……それは少し違う。私が一方的にあなたに別れを放ったのだ。何が私をそうさせたか……、それは私があなたを嫌いになったとか、はたまたあなたが私を裏切ったとか、そんな話ではない。私はひと夏しかここにいられない理由があったのだ。

私は、家出をしてきた。夏休みを使った単なる暴走だ。父と母の離婚話がどうのこうので家の中がごたつく中、反発心から家を飛び出した。私は新幹線に飛び乗り、お金が尽きるまで遠くへゆこうと思った。人生の終わりさえ覚悟した。なんとも拙い覚悟だったが……。そして、お金が尽きるまで遠くにゆこうと思ったにもかかわらず、ホテル代だの食事代だのを気にして、辿り着いたこの場所であなたに出逢ったのだ。





「ここ……どこだろう?」


なんともマヌケな言葉が私の口をついて出た。どこだって良いとやって来たのに、高校生には知らない街並みは恐怖以外の何物でもなかった。どうしようもない心細さを、両親への当てつけだけを胸に降り積もらせて搔き消した。それでも、都会でもない場所からやって来て、1人でホテルも泊まったことのない私は心の中でべそをかいていた。そのべそに、あなたはなぜか気付いてくれたんだ。


「どこかに行きたいの?」


「!」


私は思わずビクッとした。知らない人が話しかけてくる。このまま殺されるのだろうか……? などとニュースに載る自分が浮かんだ。


「な、何でもないです……」


身を翻して、私はあなたから逃げようと思った。……その時、私は冷静にあなたを見た。あなたは警備員の格好をしていた。20歳前後だろうか?あなたはそのくらいの歳に見えた。


「?」


あなたをジロジロ見ていると、あなたは警備員らしくもなく微笑んで言った。


「道がわからないんだったら、遠慮なく聞いてね」


そう言うと、あなたは私から離れようとした。私は思わずあなたの腕をつかんだ。刷り込みを起こした雛のように、私はあなたを縋るように見つめた。……なのに、次に放つ言葉が思い浮かばない。家出だとわかれば、すぐに連れ戻される。私の前でなんの遠慮もなく喧嘩をする両親が頭にフラッシュバックした。


「……どうしたの?」


あなたは心配そうな表情に顔を変え、私にまた問いかけた。私はそっと手を離した。


(もういい……。どうせこんなの長く続かないんだし……。馬鹿みたい……何しに来たんだろう? 本当……馬鹿みたい……)


私は自分でも気が付かないうちに目から涙が溢れていた。私は次にあなたのとる行動をありふれたドラマのシナリオみたいに頭で流した。……だけど、あなたのとった行動はありふれたものではなかった。


「……大丈夫だよ。若い時は色々ある。僕もそんな感じだし」


「?」


「ははっ」


ハテナを浮かべる私をよそに、あなたは悪戯っぽく笑うのだ。私は泣いていたのも忘れて、つられて笑った。


「良かった。笑う元気はあるみたいだ。何があったのか、良かったら聞かせてくれない?」


あなたはそれはそれは上手に私からここにいる理由を聞き出した。









「……そうか。大変だね。君はご両親に別れて欲しくないんだ」


「それは違う。私は愛もないのに結婚したことに怒ってるの。愛してないなら結婚なんかしなきゃ良かったのに……。馬鹿みたい」


「愛はなかったと?」


「愛は消えないじゃない。別れるんなら愛なんて最初からなかったんだよ」


「そうかな? 愛は心の中に誰しもが抱いている感情だと僕は思う。それが膨らんだり萎んだりして人は惹かれ合ったり離れて行ったりするんだよ。ご両親も愛がなかったわけじゃないんじゃないかな? 人は色んなしがらみに縛られてる生き物だから、感情の起伏だって起こるんだよ」


そう、あなたは言った。たったそれだけで、私はあんなに抱いていた両親への怒りが萎んでいくのがわかった。


「……おにいさんは私と話してて良いの? お仕事は?」


私はすんなり説得されそうになったことに理不尽に反発して、話をすり替えた。


「仕事? 仕事だったらこうしてしてるじゃない。君の話を聞くことは立派な僕の仕事だよ。それに、確かに『おにいさん』かも知れないけど、僕はまだ18歳だからそんなに君と変わらないんじゃない?」


「やっぱり! 20歳いってないんじゃないかって思った! 私17歳! 全然違わない!」


私はやっぱり刷り込みを起こしているようだ。歳の差が1個しかないと知った途端、何だか勝手に親近感がわいて来て、敬語をやめた。


「はは。僕には親がいないからね。大学に行くことも中々ね……」


「え?」


「……喧嘩ばっかりしてる親でもいいから、欲しかったな。僕の両親は8歳の時交通事故で亡くなったんだ。僕だけが生き残って、なんでだって神様を恨んだもんさ」


「!」


あなたはその優しい笑みのまま、そんな悲しい事実を話すのだった。私はその時すでにあなたに恋をしていたのかも知れない。いや、刷り込みを起こしたその瞬間、まいっていたのだ。私はこの時ほど私の人を見る目を褒め称えたことは無い。あなたに惹かれた自分を……。でも、出逢えた喜びと同じくらい、ひた走ってくる別れに私は怯えた。


「で? 君はこれからどうするの? この辺にビジネスホテルはあるけど、一応仕事柄それを勧めるのもどうかと思うんだ。出来れば安全に帰って欲しいんだけど」


「……」


結局、普通の人なのか……と思った。そして、理不尽さを増した私の言動が走り出す。


「やっぱりあなたも普通の人なんだね。私を連れ戻す気なんだ。そらそーだよね。こんなのどうせ長続きしないって思ってるんでしょ? ただの子供の悪足掻きだって……」


拗ねて、あなたに背を向けた。


「うーん……。でも、今は夏休みだからね。好きなことしてもいいと思ってる。その後安全に帰ってよ」


「?」


よくわからない。あなたは何を否定して、何を肯定しているのか……。


「……私、どうしたらいいの? おにいさん」


私は、思ったままを口に出した。


「僕は長浜聖ながはまひじり。君は?」


「……上川芽夢かみかわめむ。……聖さんは私にどうしろって言うの?」


「思いっきりしたいようにすれば? それは若さがなせる最大の力だよ」


「ここにいても良いの!? 私、少なくとも夏休みの間は連れ戻されないの!?」


私は大袈裟に喜んだ。


「しー! 内緒だよ。こんなこと、薦める大人はいない。でも、僕はまだ18だからね。まぁ、成人ではあるけど、どちらかと言えば芽夢ちゃんよりだ。でも、ちゃんと安全に過ごしてね」


「聖さん、ひと夏、私と一緒にいてくれない?」


私からとんでもない言葉が飛び出した。あなたも、何を言い出すのかと、目を丸くしている。


「一緒にって……。どういう意味?」


「私はビジネスホテルに泊まる。聖さんはお仕事をする。終わったら、私の相手をして欲しいの。私暇になるでしょ? 聖さんもお仕事が終わったらどうせ暇でしょ? だったら、私にこの街を案内したり、聖さんの話を聞かせたりしてよ。それだけで良いの。後は何もしなくて良い。私は聖さんの言う通り、この夏休みが終わったら、ちゃんと家に帰るから。ね?」


私は、久しく忘れていた笑顔であなたに言った。あなたといたい。ただそれだけだった。私の中に植え付けられた愛と言う名の感情は、あなたに出逢って、一気に花開いたのだ。まるで、この真っ暗な夜空を、煌々と照らす花火のように。私にとっては、あなたの存在が花火のようなものだったのかも知れないけれど……。


「はははっ。芽夢ちゃんはとんでもない子だね。さっきとはまるで別人みたいな顔をしてる。花火かと思うくらいキラキラしてるよ。う~ん……、まぁ乗りかかった船だ。芽夢ちゃんには安全にこの夏休みを過ごして欲しいし、僕も君の言う通り仕事以外は暇だ。昼間はホテルで勉強して、外に出ないことと、夜、行動する時は僕から離れないこと、守れる?」


「はい!」








ドーーーン!!! パラパラパラパラ……――――。

それから、もう、1ヶ月弱が過ぎようとしていた。目の前に花火が舞う。私を花火のようだ、と言ったあなた。私は、あなたの前で咲けたのかな? 私は、明日、家に帰る。短い逃避行は終わりを迎えようとしていた。あなたは、「最後に」と、この花火大会に連れて来てくれた。

あなたは、とても良い人だった。最初から。最後まで。

私にとっては、私とあなた、どっちが花火だかわからない。あなたは、本当に純粋な人だった。何にも知らない私に何でも教えてくれた。何にも出来ない私を何でも助けてくれた。私たちは手を取って夏休みを過ごした。初めて繋ぐ男の人の手は、あまりに温かかった。あなたは笑顔を絶やさなかった。私はつられて笑った。毎日両親の前でしかめっ面ばかりして過ごした何年もの間を私は忘れていた。「愛がない」と言ったことはもう違うとわかった。私はあなたを愛したことで、私に愛と言う感情があることを知った。それは間違いなく私の両親が私に注いだものに相違なかった。そして、両親が互いに注ぎ合ったものに間違いなかった。それを教えてくれたのもあなただった。それを信じると言うこともあなたが出来るようにしてくれた。私はもはや両親が私が戻った後、どんな結論を出そうとも、それを受け入れる覚悟だ。もし、別れるとなれば、私は泣くだろう。悔しいのではない。怒りでもない。憤りでもない。ただ、哀しい。愛が、萎んでしまったこと、に対する哀しみだ。私を愛してくれていたこと、そして、愛し続けてくれることは信じられる。あなたが言ったのだ。「心配するほど親の愛は子を離すことはない」と。父と母2人の間にある愛も、「消えるわけではない」と、あなたはそうも言った。そう。萎むだけだ。愛はなくなりはしない。生まれた時から、人は愛を抱いている。それは、他人を愛する為になくてはならないことで、そして、萎んでいくこともあるのだと私はそう思うようになった。なんだか、あなたに諭されて負けたように最初は感じたけれど、あなたと過ごす

うち、それもあっさり受け入れられるようになった。あなたの人間性だと思った。


あなたと出逢い、別れることが決まっていたからだ、とも思う。


私たちは繋がり続けることも出来たと思う。江戸時代じゃない。自由も、文明も、科学もある。別れる必要性が何処にあろうか。でも、私は別れを選んだ。あなたがいたら、私はすべてのコタエをあなたに求め続けてしまうと思った。それは、17歳の私にはふさわしくない、と、そう、思ったのだ。そう思わなければいけないとやんわりとあなたが指した気がした。あなたらしい優しさだ。


ただ、あなたはいつもいつも諭しながら泣いていた。心の中で。きっと……あなたも私をすきでいてくれたのだと思う。泣きそうな笑顔って、何となくわかる。あなたはいつもそんな笑みを絶やさなかった。私を受け入れ、私を愛し、私を最後は突き放す。それが、あなたの描いたシナリオ。私の今まで見たことのないドラマのシナリオ。それが、私は哀しくて、そして嬉しかった。だから、私は最後の最後までこの逃避行を楽しんだ。最初にあなたに出逢った時から、別れを覚悟していたから。それは、人生の終わりを覚悟した時より、はるかに明確で、確信的なことだった。





「綺麗だね」


「……でしょ? どうしても、観せたかったんだ」


初めてあなたが泣いたのを見た。


「わかってるよ。聖くん、ずーっと泣いてたでしょ」


「……バレてたか……。芽夢ちゃんといると楽しくて、嬉しくて、温かくて、笑顔でいたいのに、どうしても心の中で泣いちゃうんだ。いつも堪えるのが大変だったよ。でも、無駄だったんだ。バレてたんだもんね」


「無駄なんかじゃないよ。とっても……嬉しかった。聖くんの笑顔を見るたびに……愛が……愛されてる気がして……」


私は、初めて言葉にした『愛』に、おっかなびっくりだった。否定されたらどうしよう? 自分の思い込みだったら? 自意識過剰なだけだったら? でも……。


「……それもバレてたか……。はは。芽夢ちゃんが一人で駅にいた時から、僕は芽夢ちゃんから目が離せなかった。一目惚れだったんだ。どこかおどおどして、びくびくして、哀しそうで、でも精一杯強がってそうな芽夢ちゃんが、どうしても放って置けなかった。芽夢ちゃんの話を聞いたら、尚更……。ちゃんと、届けてあげなきゃいけないものがあるって思って……」


「届いたよ。ちゃんと。だいじょうぶ」


「……そっか。良かった」


あなたは、ポロポロポロポロ泣くのだった。それを見て、私も堪えきれず泣いた。綺麗な綺麗な散りゆく花火を見ながら。


もうすぐ花火大会は終わる。

私たちも終わる。

最後に聞いた。


「ねぇ、聖くん、私、咲けた? 聖くんの前で綺麗に咲けた?」


「…………うん。とーっても綺麗にね」


「そっか。なら……いいや。私、ちゃんと歩くから。ちゃんと向き合うから。ちゃんと生きるから。心配しないでね。消えないなら……忘れて良いからね」


「……」


あなたはそれ以上何も言わなかった。そのまま、泣いたまま、花火を見終えて、そのまま、私たちは別れた――。







私は家に帰った。と同時に、警察まで動いていたことを知った。どんなに心配したかと両親に酷く叱られ、酷く泣かれた。私は、「ありがとう」と言った。



両親は離婚した。私は母に引き取られたが、父とも自由に会っている。そうしてくれと両親に頼み込んだ。父は、嫌われていると思っていた、と言った。それを聞いて、私は大笑いした。

それから私はよく笑うようになった。両親はちょっとだけ離婚を後悔しているようにも見えた。ほら。やっぱり愛って膨らんだり萎んだりするけど、消えはしないんだ。

あなたが教えてくれたことを、一つ一つ思い出しながら私は沢山笑う。そして、時々あなたを思い出して一人泣く。





花火を見るたび、ひと夏の逃避行を毎年歳を一つずつ取りながら思い返す。すると、まるで嘘みたいにあの夏の鮮やかだった花火が色褪せてゆく。あなたの笑顔も涙も少しずつ霞んでゆく。でも、決して消えはしない。





『初恋』と言う名の『花火』は――……。

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花火 @m-amiya

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