第1-3 揺れる評議会

灰色の雲がノクターナ帝国の城を覆い、冷たい風が石畳を滑っていく。城壁の上には無数の旗がはためき、その紋章は長きにわたる魔族の歴史を物語っていた。重厚な扉が静かに開かれ、魔族の最高意思決定機関である評議会が今まさに始まろうとしている。


 大広間に足を踏み入れたレオンは、高い天井から降り注ぐ淡い光に一瞬目を細めた。石造りの壁には古の英雄たちの肖像画が並び、厳かな雰囲気が漂っている。彼はゆっくりと周囲を見渡した。各種族の代表者たちが長いテーブルを囲み、低い声でささやき合っている。その表情には緊張と期待が交錯していた。


(やれやれ、面倒なことになりそうだな)


 レオンは内心でため息をつきながら、指定された席へと向かった。彼の歩みは静かで、周囲の喧騒に溶け込んでいる。途中、彼の視線は一人の女性に留まった。長い黒髪が背中に流れ、赤い瞳が妖しく輝いている。美しい容姿を持つリリスが、微笑を浮かべながら彼を見つめていた。


「レオン様、お待ちしておりましたわ」


 リリスは優雅にお辞儀をし、その動きはまるで舞うようだった。彼女は隣の席を示しながら、柔らかな声で続けた。


「こちらにどうぞ。ずっとご一緒できるなんて、とても嬉しいですわ」


 彼女の瞳には期待と喜びが満ちていた。レオンは軽く会釈し、その席に腰を下ろした。


「ありがとう、リリス」


 彼は静かな声で答えたが、その表情には微かな疲労が見て取れた。リリスは彼の隣に腰を下ろし、親しげに身を寄せた。


「今日の評議会、きっと重要なことが決まりますわね。でも、レオン様がいれば何も心配いりませんわ」


 彼女の声には甘さが滲んでおり、その視線は彼だけに向けられていた。


「まあ、何が起こるか分からないからな」


 レオンは肩をすくめ、軽く笑みを浮かべた。しかし、その心中ではこれから始まるであろう議論の激化を予感していた。


 その時、背後から冷たい声が響いた。


「お二人とも、仲が良いのね」


 振り返ると、青い長髪が風に揺れ、透き通るような白い肌を持つセリーナが立っていた。彼女の瞳は深い湖のように静かで、その奥には揺るぎない意志が感じられた。


「セリーナか。今日も早いな」


 レオンは淡々と応じたが、リリスの表情は一瞬で陰りを見せた。彼女は微かに眉をひそめ、セリーナに視線を向ける。


「セリーナさんもお一人で寂しいでしょう。どなたかお席をお探しですか?」


 リリスの言葉には微かな棘が含まれていたが、その声色はあくまで優雅であった。セリーナはそれに気づきながらも、穏やかな微笑を浮かべて答えた。


「お気遣いなく。私はあちらの席で結構ですので」


 そう言って、彼女は少し離れた席へと向かった。その背中には堂々とした自信が感じられ、周囲の者たちは自然と道を開けた。


 リリスは目を細め、レオンに向き直った。


「全く、あの方はいつも冷たいですね。レオン様にばかり話しかけて」


 彼女の声には嫉妬の色が滲んでいた。レオンはそれに気づきながらも、特に気にする素振りを見せなかった。


「そうか? 別に普通だと思うが」


 彼は軽く首をかしげ、テーブルの上に視線を落とした。


「レオン様はお優しいから、そう思われるのでしょう。でも、私は彼女が何を考えているのか分かりませんわ」


 リリスは小さく溜息をつき、その瞳には不安と独占欲が交錯していた。


(セリーナ……彼女は一体何を企んでいるのかしら。レオン様に近づくなんて許せない)


 彼女は心の中でそう呟き、無意識に拳を握り締めた。


「まあ、皆それぞれだからな」


 レオンは話を切り上げるように言い、周囲を見渡した。大広間には緊張感が漂い、各種族の代表者たちが期待と不安の表情を浮かべていた。


 その時、評議会の議長であるバルドルが壇上に立った。彼は長い銀髪を背中に垂らし、その鋭い目が会場全体を見渡していた。重厚な声が静寂を破る。


「諸君、これより次期魔王選出に関する評議会を開会する」


 大広間がさらに静まり返り、全員の視線が壇上に集まった。バルドルは一瞬の間を置き、厳しい表情で続けた。


「まずは各族長より、候補者の推薦を願いたい」


 最初に立ち上がったのは鬼族の族長、マグナスだった。彼は巨体を揺らしながら前に出て、その声は雷鳴のように響いた。


「我が鬼族からは、グラドを推薦する!」


 彼は力強く拳を握り締め、続けた。


「グラドは戦場で『赤き猛牛』と呼ばれ、その武勇と忠誠心は皆も知るところだ。彼こそが次期魔王にふさわしい!」


 グラドは席から立ち上がり、豪快な笑みを浮かべて拳を突き上げた。


「皆、よろしく頼むぜ!」


 その姿に会場からは歓声と拍手が巻き起こった。彼の明るい性格と実直な人柄は、多くの魔族から愛されている。


 次に立ち上がったのは吸血鬼族の族長、カーミラ。彼女は美しい微笑を浮かべ、ゆっくりと歩み出た。その動きはまるで舞台の上の女優のようで、周囲の視線を一身に集めた。


「我が吸血鬼族からは、ロキを推薦いたします」


 彼女の声は甘く、しかしその裏には冷たい鋼のような意思が感じられた。


「ロキの知略と闇の魔法は、この混迷の時代に必要不可欠ですわ。彼ならば、魔族を新たな高みへ導いてくれるでしょう」


 ロキは無言で一礼し、その瞳には何も感情が映っていなかった。彼の存在はまるで影のようで、しかし確かな威圧感を放っていた。


 続いて悪魔族の族長、ルシフェルが立ち上がった。彼は整った顔立ちと知的な雰囲気を持ち、静かな声で語り始めた。


「我が悪魔族からは、レオンを推薦する」


 彼はレオンに視線を送り、優しく微笑んだ。


「レオンの古代文字の力と深い知識は、魔族の未来を切り開く鍵となるでしょう。彼の才能と人柄は、我々全てに希望をもたらすはずです」


 レオンは少し戸惑いながらも立ち上がり、軽く手を挙げた。


「まあ、よろしく」


 一部の者からは笑いが起こったが、その多くは彼への期待と信頼の表れだった。


 最後に立ち上がったのは妖魔族の代表、セリーナ。彼女はまっすぐに壇上に歩み出て、その姿勢には揺るぎない決意が感じられた。


「私は魔王選への参加を辞退いたします」


 その言葉が放たれた瞬間、会場は一気にざわめきに包まれた。驚きと困惑が広がり、誰もが彼女を見つめた。


「セリーナ、一体どういうことだ!」


 マグナスが眉をひそめ、怒りを込めて問いただした。彼女は彼に静かな視線を向け、落ち着いた声で答えた。


「私は魔王の座よりも、他種族との共存を目指す道を選びました」


「何を言っている! 魔族の誇りを捨てるつもりか!」


 マグナスは拳を握り締め、声を荒げた。その態度にセリーナは微かに眉を寄せたが、冷静さを崩さなかった。


 その時、リリスが静かに立ち上がり、その瞳には冷たい光が宿っていた。


「セリーナさん、それは無責任ではなくて? あなたが辞退すれば、レオン様に余計な負担がかかるのですよ」


 彼女の声は穏やかであったが、その言葉には鋭い刃が隠されていた。セリーナはリリスに視線を移し、淡々と答えた。


「レオンにはその力があります。心配はいりません」


「そうでしょうか? あなたは本当にレオン様のことを理解しているのかしら?」


 リリスの瞳には嫉妬と敵意が渦巻いていた。彼女は一歩前に出て、セリーナを鋭く見据えた。


(この女、何を考えているの? レオン様に近づくなんて許せない)


 レオンは二人の間に立ち、困惑した表情で手を広げた。


「リリス、もうやめてくれ。セリーナも自分の意思で決めたことだ」


 しかし、リリスは彼の腕にすがりつき、切なげな声で訴えた。


「でも、レオン様! 私はただ、あなたのことが心配で……」


 その瞳には涙が浮かんでおり、彼女の心の中で渦巻く感情が垣間見えた。


(どうして分かってくれないの、レオン様。私はあなたを守りたいだけなのに)


 セリーナはその様子を静かに見つめていたが、やがて視線を外し、壇上のバルドルに向き直った。


「バルドル議長、私の決断は変わりません。どうかご理解ください」


 バルドルは一瞬考えるように目を閉じたが、やがて重々しく頷いた。


「分かった。セリーナの意思は尊重しよう。しかし、これで候補者は三名となる。諸君、意義はないな?」


 カーミラが妖艶な微笑を浮かべながら口を開いた。


「ええ、構いませんわ。むしろ競争が減って好都合ですもの」


 マグナスは不満げに腕を組んだが、何も言わなかった。


 その時、ロキが静かに立ち上がり、低い声で呟いた。


「無駄な時間だ」


 その言葉は小さかったが、周囲の者たちの耳に確かに届いた。マグナスが眉をひそめる。


「何だと?」


 ロキは無表情のまま続けた。


「無意味な争いは時間の浪費だ。結果は既に決まっている」


「貴様、一体何を言っている!」


 マグナスが声を荒げるが、ロキは無視して席に戻った。その態度に場内は再びざわめき始めた。


 カーミラは薄笑いを浮かべ、マグナスに向かって肩をすくめた。


「お怒りにならないでくださいませ。若者の戯言ですわ」


 しかし、その瞳には何か企みがあるように見えた。


 ルシフェルは静かに立ち上がり、場を収めるように口を開いた。


「諸君、冷静になっていただきたい。我々は感情ではなく、理性で物事を判断すべきだ」


 彼の言葉に一部の者たちは頷き、徐々に喧騒は沈静化していった。


 バルドルは深い溜息をつき、手を広げて呼びかけた。


「よろしい。では、次期魔王選出の試練を行うことで一致とする。異議はないな?」


 誰も何も言わず、沈黙が肯定の意思を示していた。


 リリスはレオンの腕をそっと離し、その顔を見上げた。


「レオン様、どうかお気をつけて。私はいつでもあなたのお側におりますわ」


 彼女の言葉には深い愛情と執着が込められていた。レオンは微笑を返しながらも、その内心では複雑な感情が渦巻いていた。


(リリス……彼女の気持ちはありがたいが、時折重く感じることもあるな)


 セリーナは遠くからその様子を見つめ、心の中で静かに思った。


(レオン、あなたには困難な道が待っている。でも、私は信じているわ)


 彼女は視線を外し、会場全体を見渡した。各族長たちの思惑が渦巻き、不穏な空気が漂っているのを感じた。


(このままでは魔族は再び混乱に陥る。何とかしなければ)


 評議会は形式的な進行を続け、やがて閉会の時を迎えた。しかし、その裏では各族長たちの陰謀と策謀が動き出していた。


 バルドルは壇上から降りながら、ロキに目を向けた。その視線には薄い笑みが浮かんでいた。


(計画は順調だ。後は彼が動いてくれればいい)


 カーミラは自らの席に戻りながら、密かに思案を巡らせていた。


(ロキ、あなたならば私の期待に応えてくれるでしょうね)


 マグナスはグラドの肩を叩き、豪快に笑った。


「心配するな、グラド! お前なら必ず魔王になれる!」


 グラドは笑顔で頷いたが、その瞳には何か不安が浮かんでいた。


(本当に俺でいいのか? レオンやロキに勝てるのか……)


 レオンは大広間を後にしながら、深く息を吐いた。


「全く、面倒なことになったな」


 彼は静かに呟き、その瞳には決意と不安が入り混じっていた。


(でも、逃げるわけにはいかない。自分にできることをしよう)


 リリスは彼の後を追いながら、微笑を浮かべていた。


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