未来日記
松田 かおる
未来日記
最近、何となく面白くない。
どこに行ってもぬるま湯につかったような生活。
生活は、それほど辛い事もなく、まぁまぁ楽しんでいる方だけど、何かが物足りない。
何げないうちに過ぎてはまた訪れる平穏な日常。
刺激のない生活。
―何か、こう刺激のあるような事はないものだろうか?―
そんな事をぼんやりと考えながら歩いていた俺は、
「ちょいと、そこの若いの」
ふいに声をかけられ、その声の方向を見た。
見ると、そこには貧相なナリをしたじいさんが立っていた。
「俺の事?」
「あぁ、そうじゃよ。何か刺激が足りないと考えているお前さんに、ちょっとイイものをあげようと思ってな」
何だ、このじいさんは。初対面の俺に向かって突然何を言い出すのか、下らない勧誘だったらぶっ飛ばしてやろうか、そう思いながら、
「イイもの?」
と聞いた。
じいさんが小さく頷いて俺の目の前に出したものは、少々使い込んだ感じの日記帳だった。
「日記帳?」
俺が聞くと、じいさんはうなずきながら、
「そうじゃ。じゃがそれは、そんじょそこらの日記帳とは訳が違うんじゃよ」
「訳が違う?」
「そうじゃ、よく見てみい」
じいさんがそう言うので、俺はその日記帳の表紙を見た。
表紙の年は今年になっていた。
―今年もすでに半分以上過ぎてしまったというのに、今さら今年の日記なんかをもらってどうしろというのだろう?―
すると、俺の考えを見抜いたのか、じいさんは、
「今さら今年の日記をもらっても、と思っとるじゃろう?」
と言った。
俺がうなずくと、じいさんは笑いながら、
「実はな、この日記は、これから起きる事を書く事ができるんじゃよ」
と言った。
「これから起きる事?」
じいさんの言っている意味がよくわからずにいると、じいさんは
「つまり、自分で未来を作る事ができるんじゃよ」
と付け加えた。
―うさん臭い話だな。大体そんなに都合のいい代物があったりしたら、人生苦労しないよ、全く―
「お前さんの考えている事ももっともじゃ。信じたくないのも当然じゃろう。じゃがな、コレは本当にお前さんの望む通りの未来が作れるんじゃよ」
「ふーん、本当に?」
そこまで言って俺は気づいた。
―このじいさんはさっきから俺の言いたい事や考えている事をずばずばと言い当てている―
なぜ俺の考えている事がわかるんだろう?
「それはな、わしがこの日記に今日の出来事を書き込んでいるからじゃよ」
じいさんが言った。
まただ。いい加減に気味悪くなってきた。
―まさか、このじいさんの言っている事は本当の事なのか?―
「本当じゃとも。ほれ、見てみぃ」
そう言ってじいさんが差し出した日記のページには、今この瞬間までに起こっていた事の一部始終、俺の考えていた事さえもまったく同じく記されていた。
その日付は…今日だ。
「これでわしの言っている事が少しは信じられるようになったかな?」
微笑みながらじいさんが言った。
ここまで見せ付けられると、疑う余地がなくなってきた。
「あ、あぁ…」
俺は思わずつぶやいていた。
「さて、どうするね、お前さん。これを受け取るか、それとも断るか?わしはこの先の事は、ここには書き込んでおらんぞ」
確かに日記帳のページは空白になっていた。
俺は緊張のあまり生唾を飲み込みながら、
「じいさん、あんた、一体…」
と聞いた。
するとじいさんは、にこっと笑いながら、
「わしか?わしは『お前さんにコレを渡す予定になっている者』じゃよ
と言った。
結局日記をもらって家に持ち帰ったが、まだあのじいさんの言った事に対して半信半疑でいた。
もしかしてなんらかのトリックで、うまい具合に騙されたんじゃないか?
あの場所ではうまい具合にごまかされたけど、本当はただの日記帳だった、とか…
それでもものは試し、とりあえず何か書き込んでみる事にした。
さて、何を書き込もうか、と考えるのと同時に、コレをもらう時にあのじいさんが言っていた事を思い出していた。
『こいつを使う時に注意して欲しいんじゃが、決して悪い事ばかりやいい事ばかりに偏って書き続けてはならんぞ。もしそうしたら、お前さんにとって決していいとは言えない事が起こってしまうかもしれんからな。いいな、十分に気を付けるんじゃぞ』
「偏らない事、か。それじゃぁ、とりあえず…」
半信半疑のまま、俺は最初の一週間分の『出来事』を書き込み始めた。
手始めに、友人のサイフが火曜日になくなって、木曜日に中身がそのままで戻ってくる、という予定を立ててみた。
翌日。火曜日。
大学に行くと、教室で友人が俺と顔を合わせるなり、かなり困った口調で、
「まいったよ。今日学校に来る途中でサイフなくしちゃってさぁ。バイト代入ったばっかりなのによぉ。一ヶ月分の給料がパァだよ。たまんねぇよなぁ」
と話し掛けてきた。
―当たった!―
思わず声に出してしまうところだった。
今まで半信半疑だった俺は、日記に書いた事が『本当に』起こったという事実を目の前にして、もう信じざるを得なかった。
そうなると疑いは一気に確信へとかわる。
「大丈夫だよ。きっとすぐに出て来るよ。もしかしたら明後日くらいにひょっこりと出てくるかもしれないぜ」
「本当かよ?だったら嬉しいけどな」
「大丈夫だって、絶対出てくるって」
「たいした自信だな。ま、期待しないで待ってみるか」
「絶対に出てくるって」
俺が余りにも自信たっぷりに言ったせいか、
「まるで何でもお見通しみたいな事を言うなぁ」
ちょっと不思議そうな顔をして友人は言った。
『あぁ、俺は何でも知ってるさ。何でも知る事ができるんだよ』
胸の中で俺はそうつぶやいた。
二日後。木曜日。
友人のサイフは出てきた。
もちろん、中身はそのままだった。
友人が俺に会うなり、サイフが出てきた事を教えてくれた。
当然俺はその事を『知っていた』のだが、あまりにも当然の顔付きをしていると怪しまれてしまうので、ちょっと大げさに喜んでやった。
「それにしても、全くお前の言う通りになったなぁ。驚きだよ」
そう友人は言ったので、
「ン?まぁ、たまたまあてずっぽうに言った事が当たっただけだよ。偶然だよ。とにかくサイフが無事でよかったじゃないか」
とりあえずそう答えてその場をしのいだ。
そう言いながらも、俺は胸の中で、
『言う通りになったんじゃなくて、俺がそうなるようにしたんだよ』
とつぶやいていた。
その日の夕方、友人がサイフが出てきたお祝いに、と言う事で夕飯をおごってくれた。
もちろん、その事が日記に書き込んであったのは言うまでもない。
それからというもの、今までの俺とは全く違った刺激的な生活が始まった。
人の運命を決める事ができる。
未来を作り出す事ができる。
そして毎日、その出来事が起こるのをまのあたりにする瞬間。
それだけで毎日が楽しくてしようがなかった。
そして一日の終わりには、今日起こった事を反芻して、明日は何を起こしてやろうかを考える。
この世の中の全ての事が自分の思うままになる、こんなに楽しい事はない。
ただ、あのじいさんが言った通り、余りにも偏った事は書かなかった。
程々にいい事、程々に悪い事。
できるだけバランスを取って書き込んでいた。
誰かや俺にいい事がある分、他の誰かが悪い事が起こるように。
もちろん、悪い事があった誰かにもいい事が起こるようにしてやっていた。
どういう事を誰に起こしてやろうか。
それを考えるだけでも十分に楽しかった。
そのような生活を繰り返しているうちに今年もそろそろ押し詰まり、日記帳も最後のページが近くなった。
今年の日記帳なのだから、今年が終わるとその役目を終わらせるのは当然だが、このまま終わって今までの生活にオサラバするなんて言うのは、もったいなくてしようがなかった。
こんな生活を一度でも体験してしまうと、そんな簡単に手放せるものではない。
何とかして来年の日記を手に入れる事はできないだろうか?
ホンの少し考えて、一ついい方法が見つかった。
―日記にあのじいさんと会うように書き込めばいい―
そうすれば俺はあのじいさんにその日に会う事になる。
そこで来年の日記をもらうようにしておけばいいんだ。
俺は早速その段取りを日記に書き込む事にした。
日付は…そうだな、ちょっとしゃれて大晦日にしよう。
日記に大晦日の予定を書き込んでいると、テレビでニュースを流していた。
連続殺人犯の裁判に関するニュースだった。
「…この犯人は犯行当時、精神錯乱状態だった可能性があり、弁護士側は無罪を主張、裁判所に精神鑑定の実施を要請しました…」
そして大晦日。
俺はあのじいさんにもう一度会うために、街を歩き回っていた。
別にどこに行こうと言う訳ではなかった。
どこにいてもあのじいさんに会う事ができるのだから。
あてもなくブラブラと歩いているうちに、時間が近づいていた。
―…さて、そろそろ時間だけど、あのじいさんはどこから現われるかな―
もうその辺の人込みの中にいるんじゃないかと思い、辺りを見回しながら歩いていると、ビルの電光掲示板でニュースを流していた。
それは現在裁判中の連続殺人事件の犯人が、今朝収監されている拘置所内で自殺したという内容だった。
俺は立ち止まって、その掲示板を眺めていた。
どん。
人込みの中で急に立ち止まったので、歩いている人に軽く弾き飛ばされてしまった。
「おっとっと…」
よろけながらも体勢を立て直そうと思ったが、他の人とぶつかってしまい、更によろけてしまった。
またその拍子で足を捻って転んでしまい、その勢いで車道に身体を投げ出す格好になった。
「いてててて…」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、顔を上げた俺の目の前には、トラックのきれいに光るフロントグリルがあった。
…どれくらい経っただろうか、気がついたら、俺は仰向けに横たわっていた。
周りには人だかりができているらしく、俺を囲んでいるように感じた。
誰かが何かを叫んでいるようだが、どうもはっきりと聞こえない。
意識がはっきりしない。視界も暗い。
―ちっくしょう、なんだってこんな時にこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。俺はこれからあのじいさんに会わなくちゃいけないっていうのに…―
「だから言ったじゃろう。偏った内容にするな、と」
頭の上の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
顔を見るまでもない。あのじいさんだ。
意識が朦朧としているのになぜかあのじいさんの声だけがはっきりと聞こえる。
まるで頭の中に直接話しかけてくるような感じがした。
―偏った内容?もしかして…?―
そこまで考えたが、意識が遠くなってきて、もうはっきりと物事を考える事はできなくなっていた。
「あ、そうそう、そう言えばお前さんはわしと会って日記をもらう事になっていたんじゃな」
『あぁ、そうだ。早く来年の日記をくれないか』
でも俺は声を出す事もできなくなっていた。
「ほれ、そういう予定じゃからな。来年の日記をやるぞ」
遠退く意識の中で俺が最後に見たものは、目の前に被さるように落ちてくる、来年の日記帳の表紙だった。
未来日記 松田 かおる @kamonegi
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