3曲目 言葉がなきゃ伝わらない

 その言葉は、突然かけられたものだった。


 高校2年生の夏だった。高校に入学した当初から仲良くしている子に、こんなことを言われた。


「みことちゃんさ、ずっと思ってたけど、そういうところあるよね。なんていうか、よくわかんないところ?」


 みこと、というのは私の名前だ。命、と書いてみことと読む。そしてそのみことには、「よくわかんないところ」があると友人が言う。ずっと思っていたけど、と前置きをした上でだ。

 その友人の言うずっと、とはいつからのことだろうか。

 よくわかんないって、なんだ。

 素直でわかりやすい、いい子じゃないよねと言いたいのだろうか。表情に乏しかったのか、自分のことに関して発信が足りなかったのか。わかりやすい子ってそもそもなんだ。そもそも自分はわかりやすい人間になりたいのか?

 そんなことを悶々と考えながら、その日の夜は湯船で頭までぶくぶくと沈んだ。


 次の日はいつもより暗い気持ちで学校に行った。なんとなく友人とこれまで築いてきた関係値も全てがゼロになったかのような感覚がある。

 教室に入るとすでにその友人がいる。

「おはよう」

 そう声をかける友人の様子はいつもと変わらないように見えた。

「おはよう」

 平静を装って、そう返す。

 笑いを貼り付けた顔がひくひくと妙な力みかたをする。

 そんな様子に気づいているのかいないのか、友人は構わず話し出す。

「ねー、これさ。ちょっと見てよ」

「え、なに?」

 言いながら、心の底の辺りでジリジリと擦れていく感覚がある。

 枯れ葉を足裏で擦るように、じっくりと心がすり減らされていく。


 ***


 友人と離れ、私は机でぼんやりとスマホをいじっていた。

 あと1時間で今日の授業は終わりだ。今日もなんとか一日終わりそうだと、息を吐いたところだった。

 その日最後の授業で、前回やったテストが返ってきた。しかも、苦手な世界史のテストだ。

「はい。次、音羽」

「……げ」

 その点数を見て、顔を顰める。悪いにも程がある。そもそも私はあまり勉強が得意ではない。どちらかといえば運動の方が得意なタイプだ。中学校までは誤魔化し誤魔化し中の中くらいの成績を維持していたが、高校まで行くと本当の実力が少しずつバレていっている気がする。

 ところで、私は元々目つきがあまり良くない。

 盛大に顔を顰めた私を、たまたまクラスの声がでかい男子生徒が目撃してしまった。

「うわっ」

 男子生徒が声をあげたので、自然と私はそちらに目をやった。男子生徒は大仰に呆けたような表情を作っていた。

「……殺されるかと思った」

 一瞬、教室が静まり返った。

 そして、堰を切ったようにクラスメイトたちが笑い出す。何が面白いのかわからないが、こちらを指さして笑う輩もいる。

 あー、キツイ。

 でも、ここで深刻な顔をしてもみんな興醒めしてしまうので、私は必死にひくつく顔で無理やり笑顔を作る。

 その時、これもたまたまこの男子生徒の近くの席だった気まずい友人と、目が合う。

 友人もまた、お腹を抱えて笑っていて、


「あはは……みことちゃん、ほんと、そういうところ!」


 と言った。

 どういう、ところだよ。

 その言葉は内心で吐き捨てるにとどめた。

 俯いて、自分の席に戻る。その間も、クラスメイトが無遠慮にこちらに向ける視線を感じる。

 別にこれまで、私をそんなふうに笑う風潮もなかったじゃないか、と思う。これが続いたらどうしよう、とも思う。

 ただ、あの男子生徒が「いじる」人間は自然に「いじられ」ポジションになるのだ。その無差別テロに、私は巻き込まれただけだ。

 密かに拳を握りしめる。上手くいなしたい。中学生の頃だってこういうことはあったじゃないか。安直ないじり方に、嫌な思いをしたようなことが。

 言葉を飲み込めば大丈夫だ。嫌だと思っていることも耐えれば、相手にバレなければいいんじゃないか。

 そのまんま終わったら、私の勝ちだ。

 

 ***


 家に帰るとすぐ自室に向かった。

 自室の勉強机の椅子に腰掛け、深く息を吐く。あまりにも色々あった。もう深く考えたくないと、ウォークマンで好きなバンドの曲を流すことにした。

 何気なく流していた中で、ふと、ある歌詞が頭に残って、もう一度その曲を再生し直す。それは今のこの心情に寄り添ってくれるという期待を込めてのことだった。

 しかし、その期待は予想外の方法で裏切られた。

 最初、曲は私に寄り添って悲しみがあることや弱さを理解してくれているように感じた。しかしその後続けられたのは、寄り添っているようで突き放しているような言葉だった。


 なんだそりゃ、と思った。

 そんな言葉があってたまるか。

 でも、それでも。


 曲を最後まで聴き終わり、歌詞を反芻する。

 この曲は味方なんかにはなってくれないが、悲しみをきちんと乗り越えたら、その先で待ってくれるような気がした。

 そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。

 この曲は、下手に前向きな歌詞より、ずっと今の自分に寄り添ってくれているように思えた。そんな風に感じて、溢れそうになる感情ごと涙を乱雑に拭った。

 くっそー、と一人呟く。

 音楽が全てを変えてくれるはずなどないのだから、どうせ、自分で正面から闘うほか選択肢なんかない。


 でもそれなら、勝手に頑張るための勇気をもらったって、誰も責めやしないだろう。


 ちらり、とカレンダーに目をやる。

 幸い、来週は偶然にも当たったこのバンドのライブに行ける。


 それまではどうにか耐え抜いてやる。

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2024年11月29日 20:00 毎週 金曜日 20:00

音楽がなきゃ息ができない いろは @mamotoiro

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