第12話 陸軍対策

 遂に大正天皇が崩御したわ。

 皇太子が即位し、元号が昭和になったのよ。

 ちなみに史実だと東京日日新聞が「新元号は”光文”だ」という記事を打ち出すわ。特ダネを焦ったのね。

 それだけだと単なる誤報なのだけど、時代が殺伐としていることもあって抗議運動も激しくなるわ。やらかした記者が業界から消えてしまうなど、新聞界全体に嫌な空気が入ってくるのよ。


 時間が経てばすぐに分かる元号で功を争うなど虚しいことだわ。

 新聞なら中身で勝負しなさい。

 大衆紙代表が言うと説得力がないけど、周辺も巻き込んで東京日日を抑え込むことにしたわ。

 抑えられた東京日日は最初は不満だったようだけど、結局新元号が『昭和』だったから、誤報せずに済んで私達に感謝することになったのよ。

 これで主要新聞のうち、私の影響力が及ばないのは東京と大阪の朝日だけになったわね。

 あ、当然のことながら務臺光雄むたい みつおは既に報知新聞から引き抜いているわ(※)


「軍部独裁がなくなる代わりに、千瑛ちゃんが10年以上独裁者になってしまいそうな勢いだね」

「そうね、省庁も少しずつ下に入っているわ。特に逓信省は完全に私のものと言っていいわね」


 この時代の日本官僚は、現代とは違ってより政治的だわ。

 というのも、この時代は官僚を簡単に追い出すことができたの。「官庁事務の都合により」休職させるという文官分限令の規定があって、それを政党が濫用したのね。

 アメリカ大統領が変わると郵便局長まで変わるというでしょ?

 あんな感じで立憲政友会と立憲民政党がそれぞれの官僚を抱え込んでしまったわけ。だから、政権が変われば知事やら警察署長やらがコロコロ変わるようになったというわけよ。


 当然ながら、こういう状況では選挙は殺伐極まりないものとなるわ。2020年以降の選挙も物騒だというけれど、この時代は誹謗中傷はもちろん出入りもあるわけでよりとんでもない世界だったのよ。昭和を舐めてはいけないわ。

 だけど、逓信省の官僚だけは私達との関わりが強いから身分が保証されているわ。

 私達は政友会とも民政党とも繋がりが出来ていて、彼らは逓信省には手出だししづらいのよ。

 だから、逓信省の官僚は私達に足を向けて眠れないのね。


「逓信省は官僚の中でも特に人気でもないよね。それなのにここまで優遇するのはどうしてなの?」

「彼らが電報や電話を握っているからよ」

「電報や電話?」

 更に言えば電力もそうだし、運輸系も彼らの管轄だわ。

「軍を動かすのに必要なのは何?」

「銃とか戦車とか?」

「そんなわけないでしょ。通信よ」

 指令があって、それを伝えて軍は動き出すのよ。

 そのためには電話、電報、ラジオなどが必要になるわ。

 逆に言うと、これを止めれば軍は動けなくなるわけよ。

 何をしていいか分からず立ち往生しているところに、より多い部隊を動員してぶつければこちらが簡単に勝てるというわけよ。


「通信手段や電力を断ち切って、別の部隊に指令を出せば何もできないわ」

 電話やら電信の工事に逓信省は関わっているの。

 だからほとんどの情報はすぐに入手できるわ。いざというときどの電線を断ち切れば良いのか簡単に分かるわけね。


「つまり、いざという時には軍にクー・デタを仕掛けるわけだ。さすがに千瑛ちゃんは半端ないね」

「仕掛けるわけではないわ。仕掛けられる勢力がいることを理解させるのよ」

 程なく、陸軍は皇道派と統制派に分かれて内部抗争を始めるわ。

 陛下の軍が内部抗争を起こすなんてあってはならないのよ、喧嘩両成敗で両方とも追い出すと言ってビビらせればいいのよ。

 若手将校を動かせば、自分達が排斥されると分かれば、大人しくするわけよ。


「でも、仕掛けられる勢力というけど皇道派と統制派以外で誰か任せられる人がいる?」

「梅津美治郎と前田の殿様がいるでしょ」

 梅津は自分からやらないけど、「やれ」と言われれば何でもやるし、前田の殿様もちょっと特殊だけど有能であることは間違いないわ。

 片や超然気質で、片や浮いているから人望という点ではちょっと疑問符があるけど、天皇から「喧嘩両成敗だ」という指示が出れば、梅津ならやってくれるわね。

「梅津さんと前田の殿様なら問題ないね。だけど、年齢的に一番上にはなれないよね? トップには誰を立てるの?」

「吉田豊彦中将かしらね」

 この人は兵器と関わり合いが深いわ。だから、精神論とはかけ離れていて冷静な判断ができるのよ。

 きちんとした軍を目指すうえでトップに置いておくに適した人と言えるわね。

「実際にクー・デタを仕掛けることはないわよ。でも、この辺りのメンバーは陛下の指示で出て来るぞと両派に思わせたら勝ちということよ」


 準備は着々と進んでいるわ。

 あとは時宜を待つだけなのよ。



(※)務臺光雄……販売の神様とも呼ばれた読売新聞の販売部門トップ後社長。「読売と名のつくものなら白紙でも売ってやる」とまで言ったとか。

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