第7話 アジアと日本
「良いかね? アジアの多くの地域は列強の支配下に置かれてきた。これをそのままにしておいてはいけないのだ。そして、これらの地域が揺らいできた場合に、何もせぬならば日本は大いに不利な立場に置かれることになる」
「それは同感よ」
出発地点は同じよ。
アジアの諸地域がぐらぐらと揺れ動いているのは間違いないわ。民族主義は芽生えつつあるし、不公平に対する怒りも出ているわね。
問題は、彼らのそうしたエネルギーが落ち着くだけのものを、日本が提供できるのか。
「そもそも日本ですら、まだ完全に固まったとは言えないのではないかしら? それなのに少なくない労力をアジアに傾けるのは得策とは言えないわね。失敗すれば、日本も消耗するし、該当国も他所の強国か共産主義の下に行くことになるわ」
「いや、しかしだな……」
「待ってちょうだい。まだ私のターンよ。もちろん、何もするなとは言っていないわ。後の先の戦法を取った方が良いということよ?」
「後の先?」
「そうよ。同じ岡山県の宮本武蔵や双葉山でおなじみでしょ」
「わしは岡山でも旧備中で、宮本武蔵は旧美作だから、国が同じという認識はないのじゃが……」
地域が違うと言い出したわ。
いるのよね、地球主義とかアジア主義とか広いことを言っているくせに、自分の地元のこととなると途端に細かくこだわる人って。
「犬養さんは明治維新より前に生まれている(1855年)から、備中と美作が違うという認識をもっていなくても仕方ないんじゃないかな」
「……あと双葉山って誰?」
そういえば双葉山は私達より年少だったわ(1912年)。彼の名前を出すのは早すぎたわね。
「とにかく、先んずれば人を制することはできるけど、それは多大な労力を覚悟しての話よ。孫逸仙(孫文)は確かに清を倒したけれど、肝心なところは袁世凱に持っていかれたでしょ? ハンガリーも共産党政権が立ったけれどひっくり返されて国王制に戻ったわ。ハイチやメキシコも独立時の立役者はすぐに退場してしまったのよ」
国家作りは登山のようなものよ。困難な登り道だけれど、自分の正面は山肌だから風は横や後ろからしか吹いてこないわ。
しかし、いよいよ国が出来たと思った瞬間、頂上に立った瞬間、今まで風が来なかった正面からも、四方八方から吹いてくるのよ。旗を立てた瞬間に本人も風にあおられて飛ばされるわけね。
「旗が立った後に様子を見て、隙あらば一番手の足を引っ張って落として、一番手を参考に国造りをすれば良いのよ。足を引っ張っても落ちないのなら、そいつは本当に一番手にふさわしい人だったわけで、その人を見いだせなかった、貴方達アジア主義者の負けということね」
「お嬢ちゃん……、結構酷いことを言うのう」
「私は事実しか言わないわ」
アジアの盤面も左に行ったり右に行ったりしているのよ。
最初の体制で固定された国はアジアにはないわ。一番先に統一する労力を傾けるだけ損なのよ。そんなものは相手勢力にやらせれば良いのだわ。
「重要なのは最初に変えること? 今後末永くきちんとした体制が続くこと?」
「敵対勢力に対して前のめりになり過ぎず、ある程度じっくり構えて様子見しながら日本も固めていくのが一番いいってことだよね」
「そういうことよ。あるいはよほど画期的な方法を用いるなどをする必要があるわね。普通のやりかたでやるのなら、急いては事を仕損じるということよ」
「日本を固めると言っても何をすればよいのだ?」
段々、犬養がいじけてきたわね。
仕方ないわね、何十年かの努力を「非効率的だ」と言われたのだから。「問答無用」とか言わないだけマシかもしれないわ。
「犬養さんは今まで通りで構わないのよ」
「……今まで通り?」
「犬養さんは憲政のために頑張ってきていて、男子に関しては一般参政権が近々認められそうな雰囲気よ」
「うむ。来年中にはどうにかなるだろう」
翌1925年には普通選挙法が成立するわね。そのバーターとして治安維持法も成立するけど。
「それが成立すれば、ひとまずわしの政治家人生もメドが立つ。引退してアジアのサポートに専念しようと思っているのだ」
そうらしいわね。
翌年の普通選挙法成立をもって犬養は引退を宣言したのだけど、支持者が補選に勝手に立候補させて当選してしまい、結局席を置くことになってしまったわ。
まあ、このあたりの話はどこまで鵜呑みにすべきか微妙なところよね。支持者に無理強いされることで束縛から逃れることができるというメリットもあるのだし。
しぶとく続けたことで首相にはなれたけど、政治家としては失策も犯したというし、評価の難しいところだわ。
っと、話が長くなっているわ。まだ続くことになるし。
これだけ長くなると海軍の若手には我慢できなかったかもしれないわね。
「話しているのはほとんど千瑛ちゃんだけど?」
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