二輪の百合は、宮に咲く 後編
神主が遺した、境内の端に咲く桜の木からはやむ事なく、花びらの雪が降り続いていた。その景色を見つめながら、僕は、あの二人を待っている。
式神達に誘われ、もうじき、天海と琉莉の二人を連れた、参進の儀の行列はこの神社にやってくるだろう。
僕は、境内の中心に立ち、手にした神楽鈴を鳴らした。
いくつもの鈴の音が重なり合い、一振りするだけでも、静かな境内の空気が澄み渡り、凛としたものに変わっていく。
「懐かしい音色だ…。最後に、この神社で、民が婚姻の契りを交わすのを見届けてから、もう数十年にはなるかな」
この神社に、参進の儀の、花嫁行列を見ようと立ち並んでいた人々の姿や、優美な雅楽の音が響いていた、遠き日を思い出す。
今のような桜盛りの季節は特に参進の儀の、純白の花嫁姿がよく映えると、特に、民たちは好んでこの神社に神前の式を挙げに来たものだった。
空を見上げると、少し春霞のかかった青空に、日輪が眩く光っていた。
この後の天海と琉莉の門出を祝うのに向け、気持ちを集中させる。
その為に、僕はこの身に春のそよ風を浴びて、瞳に日の光を感じ、自らの精神を、自然と一体にさせた。自身から、雑念をそぎ落とし、神経を研ぎ澄ます事に集中する…。
そうしていた時、僕の脳裏に、懐かしい人の声が聞こえてきた。
『○○命様…。久方ぶりにお目にかかりますな。私の在りし頃に比べて、随分と凛々しくなられて、嬉しい限りでございます』
その声に僕は、はっとして、声の主へと問いかける。
10数年は昔に、冥府へと旅立った筈の、神主の声に間違いなかった。
『その声は、神主…?どうして、貴方がここに…?』
『あの別れの間際に、申し上げた通りです。この世の別れもまた、ほんのひと時の別れでしかないと。身は滅んでも、私の魂魄(こんぱく)は貴女様をずっとお慕い申し上げ、自然の中から見守っておりました。貴女様は大変に優しいが、産土神様としてはいささか、自信や威厳を欠くところがあり、いつしか、あの民を救う事が叶わなかった時のように立ちどまわれるのではないかと。それを魂魄だけとなってからも、私は案じておりました。しかし貴女様は、新たな、自らを信じてくれる民に出会い、過去の後悔から、立派に立ち直られましたな』
神主は遠くに行った訳ではなく、僕の傍で、成長していく僕の姿を見守っていた。
それは、どちらかというと、神に仕える神職というよりは、恰も娘の成長を見守る、父親のそれに近い、物言いではあったが。
『ずっと見てくれていたんだね。僕が、あの二人。天海、琉莉と出会ってから、今日までの事を…』
日輪の中から直接、心へ響いてくるような、彼の声に、僕は心の中で言葉を返す。
『ええ。貴女様には、私は生前は随分と、産土神様としての威厳が足りぬとか、出過ぎた事を申しましたな。しかし、貴女様は貴女様らしいやり方で、民を救う神様へと成長されました。威厳ある神様よりも、民にまるで友のように寄り添い、その思いを分かち合おうとされる、神様へと。今日の神前の式も、陰ながらに見守らせて頂きます。この先も、私の魂魄は、とこしえに貴女様に仕える身として、見守っておりますぞ。それでは、またしばし、お別れでございます』
今日という特別な日を迎えた僕に、普段は、草葉の陰で見守っていた、神主の魂魄が言葉をかけに来たのだろう。
神主の声が消えると共に、一際、大きな風が、境内の中から、彼が生前に植えた桜の木の方に吹き付けた。
風は桜の梢を揺らして、花吹雪を空へと舞い上がらせ、過ぎ去っていった。
それは、ひと時の再会ののち、また去っていく神主の魂魄からの、別れの挨拶のように見えた。
『神主…、ずっと、僕の事を見守ってくれていて、ありがとう。今日の、神前の式もきっと、成功させてみせるからね。僕を神様として信じてくれた、あの二人の、幸せな門出の為に』
風が吹き抜けていった方向を見つめながら、僕は、手にした神楽鈴の棒を強く握りしめる。
そして、風の収まった境内に、笛の音色がやがて、聞こえ始めた。
僕が、天海と琉莉の元に遣わした、式神の、参進の儀の行列が戻ってきたのだ。
花嫁衣装に身を包んだ、二人を連れて。
僕は、参道の中心、ほぼ拝殿から見て正面の位置に立って、二人が、式神達に導かれて、境内へと入ってくるのを見届けた。
「○○命様、天海様と、琉莉様を本殿へとお連れ致しました」
参進の儀の先導を任せていた、神職の男性に身をやつした式神が、一足先に鳥居を潜り、僕の元へと、報せにやってきた。
「ご苦労様。いよいよ、今日の主役の二人のご到着だね」
式神を労い、僕は、鳥居の方を見つめる。
そして、式神の者達が奏でる、雅楽の優美な音色と共に、天海と琉莉の二人が、鳥居の前に姿を現した。
およそ一年前、初めて、この神社の、境内の桜に誘われるようにして、偶々訪れてくれた時と同じように、二人は丁寧に鳥居に向かって一礼をして、再び参道を歩き始めた。
式神が差す和傘の下、手を繋いで、参道を歩いてくる二人の姿を見た時-、僕は、境内に、二輪の、大輪の白百合の花が咲いたように見えた。
純白の白無垢は、降り注ぐ淡い春の日差しを受けて、目に眩しい程だった。
いつもは、化粧もごく質素なものしかしていない天海が、今日は髪も結い、白粉をあしらわれ、その唇も、朱色を増して、真紅の瑞々しい一対の花びらに口元は飾られているようだ。
普段は猫背気味なのが、今日は真っ直ぐ背筋を伸ばしている為か、少し背が高く、そして凛とした佇まいに見える。
眼鏡をしない時のくせらしい、いつものような藪にらみもしていない為か、その切れ長な目の、一見すると少々気難しそうな印象も与える顔立ちが、だいぶ柔和となり、元々の顔立ちの良さが、化粧も手伝って、更に引き立てられていた。
琉莉は天海と並ぶと、普段の顔は若干幼い風に見えがちだが、今日はその化粧のおかげか、見違えるように大人びた印象を与える。
そして、今日の天海、琉莉を飾る白無垢が恰も、二人が白百合の花の化身か、花の精であるかのような、清冽かつ、神聖な空気感を醸し出していた。
天海と琉莉は、拝殿の正面前に立ち、待っていた僕の前で、深々と頭を下げ、そして、顔を見せてくれた。
「この神社にはお掃除とか、宮とのお話とかで、何度となく、一年前から足を運んでいた筈なのに、今日は不思議な気分だわ。もうすっかり、見慣れた筈の神社の景色を見ても、御神木から、境内の隅に咲く野花の一本に至るまで、厳かに、この門出を見守ってくれているように感じられて」
天海が、そんな事を口にした。
琉莉は、いつもなら饒舌に僕に話してくれるが、流石に今日ばかりは、慣れない白無垢の恰好で、僕の前に立つのが気恥ずかしそうな素振りだった。
「ど、どう…、宮?私達の、花嫁衣装は。呉服屋の奥さんのところに通って、お互いに化粧も出来るようになるまで練習したんだ。今日の私の化粧は天海がしてくれて、天海の化粧は私がしてあげたのよ…。似合ってるかな?」
そう尋ねる琉莉に、僕は深く頷いて、二人にこう答えた。
「天海…、琉莉…。今日の二人は、本当に綺麗だよ。白無垢を着た二人が鳥居を抜けて、こちらへと、歩いてくるのを見た時は、この神社の境内に大きな、二輪の白百合が咲いたのかと思ったくらいだよ」
二輪の白百合、という言葉を聞いた時、天海と琉莉は、お互いに、一瞬顔を見合わせた。そして、何故か二人とも、急に、白粉をあしらった白い横顔、頬を薄桃色へと染める。まるで、何か恥ずかしい事でも思い出したように。
「え、どうしたの?二人とも?」
「いえ、不思議ね、実は、宮が今言ってくれたのと、同じような事を、ここに来る前に私と琉莉も考えていたの。きっと、白無垢の私達二人が並んで、この神社に立つ光景は、春の花園の中、二輪の白百合が咲いているような、そんな、生涯忘れない美しいものになる筈だってね…。今日は、この、宮が愛して、私と琉莉も愛している神社で、生涯離れ得ぬ、二輪の白百合となろうという、約束をしてきたところだったのよ」
天海と琉莉が交わしたというその約束の話は、僕の中にも、深い感慨をもたらすものだった。
神社の境内。春の野花と、桜の花達が見守る中、天海と琉莉は、恋人同士で結ばれ、今日より家族となる。
白無垢を着て、花園のような景色の中に佇んでいる二人は、まさしく、春の花園の中に咲いた、二輪の白百合と呼ぶに相応しい美しさに見えるだろう。
「いいね、天海と琉莉の約束、とても素敵だと思う。僕は、二人の門出を見届けて、二人が生涯引き裂かれる事のない、二輪で一つの白百合であった事の証人になるよ」
夢のような景色を、頭の中に描きながら、僕は、神楽鈴を手に取る。
「そしたら、拝殿の前に二人とも並んで。今から、二人の、婚姻の契りに当たっての神事としての、舞を、二人に送るから」
僕がそう言い放つと、天海と琉莉。二人は、表情を引き締めて、姿勢を正し、並んで、僕の正面に立った。
『神主様も、どうか、見守っていて…。僕は今日、この二人を
※
神楽鈴を手にして、それを自在に扱い、鈴の音と共に舞う宮の姿は、私達の目を捉えて離さなかった。
見た目こそ、白衣(しらぎぬ)と緋袴(ひばかま)の巫女様の姿に身をやつした、宮の姿と何ら変わりはない。
しかし、今日の彼女は、紛れもなく見慣れた「宮」の姿でありながら、やはり、彼女は、人を越えた存在-「神様」なのだと、改めて納得せずにはいられない立ち振る舞いだった。
神楽鈴を華麗に操り、一振りするたびに、重なり合った鈴の音が、決して大きな音でもないのに、それは静かな境内に響く。それは、私達の周囲の空気から、災いを成すものを払い、清冽で澄んだものへと変えていくように思われた。
その眼差しも、普段の、人間の少女と何ら変わらないように見える宮とは全く違う。今、舞を私達に向けて贈る彼女は、目前に立つ私達を、その全てを見通すような瞳で見つめているようだ。
もし、私達の前途を危うくする邪なものが憑りついてでもいるなら、そうしたものを一片も見逃す事なく、洗い清めようとするように。
それは決して、比喩には留まらず、実際に、宮の舞で、神楽鈴の音が響く度に、心が、体が軽くなり、何か良くないものが詰まっていた場所を、心地良く爽やかな風が吹き抜けていくような、清涼感を覚える。
私は、ただ、普段の気さくな宮の姿から想像もつかないような、華麗な舞を演じる彼女の、荘厳ささえ感じる空気に圧倒されるばかりだった。
琉莉も、宮の神楽鈴を用いた舞に、目を奪われている様子だった。
そうして、宮は私達へと贈る、舞を終え、神楽鈴を持ったまま、私達に頭を下げる。私達も、急ぎ、彼女に頭を下げる。
今日の彼女の所作には、自然と私達にそうさせてしまう、神様らしさが滲み出ていた。
私達へと捧げる舞を終えた宮は、神楽鈴を式神に、神社の奥の方へ持って行かせる。
「さあ、これで、天海と琉莉の二人に、悲しい事や辛い事をもたらしそうな邪気は全て清めて、綺麗に洗い流したからね」
その言葉の通り、私は、今までに感じた事のないくらいに、心も体も軽かった。
心というものを、清流の水の中で洗い清める事が出来たなら、こんな気分になるのだろうか、という程に、今の私の気分は清く澄んでいるように感じられた。
「さてと…、そうしたら、ここからは、この婚姻の儀のとりの時間だね。今日の主役である、天海と琉莉に、誓いを立ててもらうよ。二人が、信じてくれた神様の僕の前で。どれだけの月日が流れようとも、今日の日をもって、天海と琉莉は恋人から結ばれ、本当の家族になった事を証明する為に…。二人とも、心の準備は大丈夫?」
宮は、私と琉莉に、順番に視線を遣って、そう問いかけてきた。
私は深く頷く。それに続くようにして、琉莉もまた頷いた。
もう、私達の間に、今日という日に立てるべき誓い。贈り合うべき言葉に、迷いはなかった。
宮の目の前で、私と琉莉はお互いに正面から向き合う形となる。
普段の暮らしの中では、面と向かって真っすぐな言葉で愛情を伝えるのは、どうしても照れや気恥ずかしさが先だって、私はつい、言葉を濁すか、引っ込めてしまう。
だが、今日ばかりは、琉莉に私は真っ直ぐに言葉を渡さねばならない。
今までの私と琉莉の関係には区切りをつけて、今日からは、「家族」となる為に。
私は、彼女の方へ、自分の右の掌を上に向けて、その手を差し出す。
「琉莉…、私の妻になってください。今日からは、家族として隣にいてくれて、私と共に遠い未来まで歩んでほしい。たとえ、もしもこの身が、貴女より先に亡びる時が来てしまっても、魂は滅びず、私は、貴女に、とこしえに愛を送り続ける事を誓います」
日頃、物書きのくせに少々口下手で内気で、真っ直ぐ愛を伝えるのをすぐに恥ずかしがる自分とは別人のように、今日は、私の中の思いが言葉へと変わっていく。
その言葉が、私の目の前に咲く、大輪の白百合のような人に向けて贈られていく。
やがて、私が贈った言葉は、その白百合の花びらにつく、小さな朝露を思わせる涙を、琉莉の目に浮かばせた。
「はい、喜んで…、私は、天海の妻になります」
そう言って、彼女は、私の差し出した掌に自分の右手を重ね合わせた。
いつもは、元気がよく私を引っ張る側になる事の多い彼女が、私の前で涙を見せる事は珍しい事だった。
そして、今度は、琉莉が、私に誓いの言葉を述べる番だった。
琉莉は、私の掌に自分の掌を上から重ねたままに、こう言った。
「私からも…、天海、私の妻になってくれることを望みます。今日からは貴女に家族となって、ずっと隣にいてほしい。そして、私も、もしも貴女より先にこの身が亡びてしまおうとも、魂は亡びず、とこしえに貴女と共にある事を誓います」
私の返すべき言葉はただ一つしか、用意されてはいなかった。
「はい、喜んで。私も、琉莉の妻になります」
お互いの、手の感触を確かめ合い、瞳で真っ直ぐに見つめ合う。
琉莉は、少しだけ、声を震わせそうになったが、それを抑えながら私に、こうお願いした。
「魂が亡ぼうとも、死さえも二人を分かつ事は出来ない。私達は、ここで、永久の、二輪の白百合の花となって咲く。この魂は残り、決して離れる事はない。それが私と天海、両方の誓い…。その誓いをより、確かなものにする証がほしい。天海。どうか、私に誓いの接吻をください」
それは、今日の婚姻の儀に発つ前、家で、琉莉が私にしたお願いだった。
誓いを立てる際には、私から琉莉へと、接吻をしてほしいと。
遂にその時が来た。
「それでは、琉莉…。瞼を閉じていて」
私も、少し、緊張に声が上ずりそうになるが、何とか平静を保ち、琉莉にそう告げた。
琉莉の瞳が、長い睫毛に縁どられた瞼の下へと隠れる。
すると、私の視線は、自然に彼女の口元へと引き寄せられる。
そこには、口紅で朱色を増した、蕾から綻んだばかりのように瑞々しい、赤い一対の花びらが、『その時』を‐私がそこに触れる瞬間を、今か、今かと待っているようだった。
家で見た時とは違い、日の光の下で、より一層、その、花びらに似た唇は豊潤さを増しているように思えた。
私は、琉莉の方へと顔を近づけていく。
彼女の手から自分の右手を離す。
そして、触れやすいよう、自由になった両手で、まるで、宝物に触れるように、そっと、そのきめ細やかな肌に乗る白粉を乱さぬように、琉莉の両頬にそっと触れて、挟む。
顔を近づけるに伴い、彼女の口元の、赤い花びらが、私の視野の中を占める面積を増やしていく。
そして、私も瞼を閉じる。視野は閉ざされても、瞼の裏に、琉莉の豊潤な唇の、その赤はありありと浮かび、私は、迷う事なく、彼女のそれに、自分の唇を重ねる事が出来た。
二人の唇が重なり合った瞬間に、私の瞼の裏には、眩い景色が広がった。
それは、いうなれば、白昼夢を見ているかのような、そんな感覚だった。
新緑が眩しい野花達が美しく、境内の隅の至る所に咲き乱れていた。
そして、その桃源郷の如く、美しい景色の境内の中、私は、自らの体が、一輪の白百合の花と化しているのを知る。
白無垢の衣装に、そのまま、身も心も一体化してしまったかのように。
本来なら驚くべき光景である筈だというのに、不思議なくらいに、私の心は、静けさと、そして幸せな気持ちで満ち足りていた。
白百合の花と化した私の目の前には、同じように、一輪の白百合が風に揺れて咲いていたから。
そして、私の目の前に咲く白百合は、ふと、光景の境内を通り抜けた一筋のそよ風に揺られる。風になびいたまま、もう一輪の白百合の花びらは、こちらに近づいてきて、私の花びらに優しく、そっと触れてくる。
二輪の花びらが触れ合う感触は、今まさに、触れ合っている、私と琉莉の互いが感じる唇の感触と全く同じだった。
‐この光景は、きっと、現在の光景ではない。
遠い未来…、私と琉莉の願いが成就し、人の体は亡んでしまった後も、永久に裂かれる事のない二輪で一つの、白百合の花へと生まれ変わった姿に違いなかった。
私達が、婚姻の儀で立てた、家族となる契りは、現世の、人の姿で生きている間だけの約束ではない。
私達を包んで、守ってくれた、この神社。
ある意味では、宮の化身と言っても過言ではない、大事なこの神社の一部となって、宮の中に、私達は、二輪の白百合として、永久に、お互いの花嫁であり、妻として咲き誇る事が出来た‐。
宮の神通力が、私と琉莉の願いを読み取り、そんな未来を見せてくれたのに違いなかった。
宮の前で交わした、接吻は時間にすればきっと、時計の秒針が何度か一周するくらいの、そんな短い時であったのだろう。
しかし、お互いの唇を離して、瞼を開き、瞳と瞳を合わせた時、私は、私の願った通り、例え身は亡んでも、永久の時を、二輪の白百合として、琉莉と生き続けられる、という証を、宮に貰えた気がした。
そして、言い表せぬくらいに、心は満たされた気分になった。
琉莉も、きっと、同じ夢を見ていたのだろう。
彼女は、瞼を開いた後も、まだ夢の中にいるような、少し微睡んだような眼差しをしながら、こう言った。
「まだ、夢を見ているようよ…。こんな風に、天海とこれからは家族、妻として共に生きていけるようになる。そんな日が来るなんて。そして、私達は、さっき…接吻の時、見えた光景のように、亡んだ後も、永久の白百合になって、咲き続けられる」
「天海、琉莉、本当におめでとう。二人の婚姻の儀。その契りは僕の目で、しかと見届けたよ。これで、今日からもう、二人は恋人からお互いの妻として、正真正銘の家族になれたね。その事を、この地の産土神の名をもって、僕が、とわに証明するよ。」
先程までは、厳かな表情で、私達の誓いの言葉、そして、誓いが固いものである事を証明する為の、接吻の瞬間を、宮は見届けていた。
しかし今の宮は、いつも通りの、神社に来た私や琉莉の姿を見つけたら、無邪気な程、嬉しそうな笑顔を浮かべる少女の表情に戻っている。
宮は、ぱっと私と琉莉に駆け寄ってくると、両手を精一杯広げて、私と琉莉の二人に、諸共に抱き着いた。
「1年前、僕の事を、神様と信じてくれてありがとう。信じてくれる二人がいたから、僕は忘れられ、消えてしまわずに、愛するこの神社の神様でいられたんだ…。たとえ、人の世が、女同士で家族になる事を認めなかったとしても、僕は二人がお互いの妻になった事を絶対に忘れないよ…」
宮は「私達が、本物の家族であったという事を宮だけはどうか、覚えていて」という、私と琉莉のお願いをちゃんと、覚えている。
ただ、宮が肩に力を入れすぎてしまわぬように、私はそっと声をかける。
「そんなに重く考えなくっていいのよ、宮。ただ、純粋な気持ちで私達の婚姻を喜んでくれる。そして、私達がいなくなってしまっても、お互いが妻であった事を忘れないでいてくれる存在は、この人の世にはいなくて、それが出来る『友達』は宮だけだって思ったから」
友達という言葉に、私は力を込めた。
こうして、神様らしく、私達の婚姻を見届けてくれても、不思議な力を見せてくれても、神様である以前に、宮は、私達の友達の宮だから。
「ねえ、宮。こうして、今日は宮の不思議な力で式まで挙げてもらったけれど、これからもまた、友達として、ここには、変わらずに私も天海も、また来ていいよね?」
琉莉が宮にそう尋ねると、宮はぱっと顔を上げて、婚姻の儀の最中の厳かな顔つきは何処へやら、まだあどけなさの残る少女にしか見えぬ、満面の笑顔で答えた。
「勿論だよ!これからも、二人とも、僕の大切な友達。どうか、遠慮なく訪ねてきてよ。ついでに、晴れて妻同士になったんだから、惚気話みたいなものもあれば、聞かせてほしいな。楽しみにしてる!」
目を輝かせる彼女は、この姿だけなら、やはりとても神様とは見えない。巫女様の姿をしただけの、いたいけな少女だ。
そんな宮が今日の私達の為に、いくつも奇跡を見せてくれて、神様として頑張ってくれたという、その事が私には愛おしくて、娘か妹かを愛でるような気持ちで、宮の頭を撫でてしまった。
「わっ。何するの⁉」
彼女の髪は、絹糸に触れたような手触りだった。
「ふふ、細やかながらお礼よ。私達の為に、こんなに今日は、頑張ってくれてありがとうっていう意味で、何だか、撫でてあげたくなっちゃった」
そんな冗談めかした言葉を口にしてみる。
まさか頭を撫でられると思ってはいなかったらしく、素っ頓狂な声を上げた彼女を見て、私は更に可愛らしいと思った。
琉莉も、その反応を見て、少々悪戯心が湧いたらしく、隣から宮の頭を撫でる。
「ありがとう、宮!そして、これからもよろしく!」
こうして、二人で宮の頭を撫でていると、私と琉莉の間の娘か何かのように、錯覚してしまいそうだ。
「もう、産土神の僕を二人共、子供みたいに扱いすぎ!」
宮がそう言っても、春の日差しの下、私達は、彼女の、触り心地のよい髪を撫でてあげるのを、しばらくやめなかった。
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