貴女だけは、忘れないで

 宮の問いに対する答えは、口に出す前から、私の中で既に決まっていた。

 

 宮は無力な神様で、私達にも、何の救いにもなっていないのではないか。

 彼女はそうした思いに囚われてしまっている。

 

 しかし、そのような事は、私に言わせれば、ある筈がないのだ。

 宮と会えて、この神社に足を運び、宮と共に過ごすようになった、あの春の日から今日までの時間。

 その日々は、私にも、きっと琉莉にも、出会ってから今まで二人で過ごした中で、最も安らぎに満ちた、穏やかな日々だったのだから。


 この街に来る前の日々を思い出してみる。

 誰も、私と琉莉のような関係を、正しい家族の姿だとは認めず、親たちでさえ狼狽し、私達に聞くに堪えない言葉をぶつけた。 

 いつまでも、日の光の下で堂々と明かす事の出来ない関係。

 同じ家を間借りしているだけで、何の繋がりも持たないただの他人同士。

 それ以上に私と琉莉が見なされる事はなく、もしも…死が二人を分かつ時があれば、私と琉莉が単なる同居人などではない、深い繋がりだったのだと覚えてくれる存在も、何処にもいないだろう。


 そんな諦念に近い気持ちさえ、私の中に生まれつつあった。

 きっと、それは普段、だらしがない部類の人間の私に世話を焼いてくれて、溌溂と振舞っている、琉莉も恐らく分かっていたと思う。

 二人の暮らしには、上辺には明るく装いながら、そんな暗い気持ちを、お互いの平穏の為に、ひた隠しにしている部分が確実に存在した。

 

 しかし、宮のくれた言葉が、安らぎをもたらしてくれた。

 「産土神はこの土地に暮らす全ての民の幸せを願うもの。だから僕も、天海と琉莉の事を応援する」

 そう、宮が言ってくれた事がきっかけでどれだけ、気持ちが救われたか。

 そのおかげで、この神社に来て、宮の前でだけは、誰憚る事なく、私達は本当の関係‐、恋人同士として振舞えたのだから。

 

 私は、宮の方に、そっと、卓袱台の向こう側へと身を寄せていく。

 そして…、神様相手に、畏れ多き事かもしれなかったが、宮の手をそっと、丁寧に両手で握った。そして、彼女にそっと頭を下げる。「ありがとう、宮」と言葉を添えて。

 「え…⁉ど、どうしたの、天海…?」

 ずっと、静かに私達の返答を待っていた彼女も、この私の行動には、驚いたようで、静けさを破って、声を出す。

「これは、私からの感謝の気持ちよ。私達を、今まで支えてくれた事へのね」

 「僕は二人の為に、大した事なんて、何にも…」

 「何を言っているの、宮。貴女が最初に会った日に言ってくれた事を、忘れてしまったの?あの日の宮が、この土地に暮らす全ての民の幸せを願っている、だから、私と琉莉の事も応援するって、言ってくれたから、私も琉莉も、楽になれたのよ。この神社にいて、宮の前にいる時だけはね」

 それだけで、十分に、宮は私達の支えになっている。

 私の言葉に、琉莉も、宮の元へ近づいていくと、また、深く頭を下げる。

 「私もよ、宮…。この神社に来るようになるまで…、貴女に会うまで、私も、日々を、こんな穏やかな気持ちで過ごせた事、なかったんだから。存在さえも否定するような事も言われてきた私達を、神様の貴女は、ただ、自然に受け入れて、見守ってくれた。恋人同士、としての私達二人は、当たり前のように、この神社にはいていいんだって、思えるようになったの」

 「たった、それだけの事で、僕が二人を、救ったっていうの…?神様らしい、凄い力を使ったりとか、奇跡を起こしたりなんて、していないのに?」

 琉莉が深く頷く。そして、こう付け加える。

 「何か凄い力や、奇跡なんてなくなったって、ただそれだけの事が、私達を救ったのよ。だから宮は、もう、十分に、私達を救った神様よ」

  

 私も、それに深く賛成する。

 「宮。お願い。貴女の正体が、神様だっていう事も、私達と貴女の関係を何にも変える事はないわ。だから、正体を明かしたからって、私達にも姿を見せなくなったりしないで。これからも、この神社で、私達の事を待っていてほしい。貴女がただ、ここで待っていてくれるという事だけで、私達は救われてるんだから」

 「本当に、それだけでいいの…?」

 宮の表情は、まだ、自分が既に私と琉莉を救っているという事を、信じられずにいるようで、揺らいでいる。

 本当に、神様とは思えないくらいに自信がない子なんだからと思ってしまう。

 宮の心に響くまで、繰り返し、言い聞かせる。

 「ええ…。正体が人間でなくても、神様でも、貴女は、私と琉莉。どちらにとっても、大事な友達の宮なんだから。こうして、いつでもここでまた、私達を笑って出迎えてほしい。前と変わる事なく。そして…」

 私は、ここで一旦言葉を切る。

 宮には、絶対に今日、言わなければならないお願いがある。

 今しか、そのお願いを告げる機会はないと思った。

 今以上に、そのお願いを告げるに相応しい時はないと思った。


 「覚えてる?宮に、今日は大事なお願いがあるって、ここに来た時、私が言った事」

 私は宮を真剣な眼差しで見据え、そう言った。宮は頷く。

 「実はここに来る前に、琉莉とも話し合って…、貴女をおいて、貴女以上にこのお願いをするのに相応しい人はいないと、二人で決めたの」

 「お願いっていうのは…何?天海。琉莉。」

 宮も、私と琉莉の顔を順々に見て、その緊張を感じたらしかった。

 私は、琉莉と、並ぶように神妙に姿勢を正し、宮の前に並ぶ。

 「それはね…。宮、貴女に、私と琉莉が、死が二人を分かとうとも、永遠の恋人であり、家族だと証明してくれて…、そして、私達二人とも、この世を離れる時が来ても、私達は家族であった事を、忘れないでいてほしいの。これは、神様の貴女にしか、頼めない事だから」

 私の話を聞いた時、宮は、私達が何を望んでいるか、すぐに理解したようだった。

 彼女が呟く。

 「それって、つまり…」

 琉莉が、より、かみ砕いた言い方で、私の言葉を言い直してくれる。

 「天海の言い回しは固いから、もっと単刀直入に言うわね…。私達は、この神社で神前の式を…つまり、宮の前で挙げたい。そして、宮にずっと、私と天海を家族として見守ってほしい。それで、出来るなら、私達が二人ともおばあちゃんになって、どちらかが先に旅立って…、いずれ、二人ともここからいなくなる時が来ても、貴女だけは、忘れないでいてほしいっていう事。 私と天海が、男女の夫婦と同じ、家族だった事をね」


 私達の言葉を聞いた、宮は真っ先にこう、口にする。

 「いいの…⁉二人の、人生一の晴れの舞台を、この僕の、古い神社で…」

 その言い方を、私はやんわりと、否定する。

 「この神社でいい、じゃない。宮がいてくれるこの神社が、私も琉莉もいいのよ。どうか、お願い。この通りだから」

 そして、私も琉莉も、改めて、頭を下げて、宮にお願いをする。

 

 どうか頭を上げてと、宮は言い、私達は、彼女の顔を見る。

 「…この神社で神前式をするなんて、いつぶりか分からない。でも、二人がそんなに、ここでの式を望んでくれる事は、この神社の神として、僕は本当に嬉しい。それに、僕が、二人が家族であること、そして、亡き後までも家族だった事を、忘れず、とこしえに証明出来る存在に、なれるのなら」

 宮は、決意をしたようだった。

 「いいよ…。二人が結ばれた事、家族になった事を、証明する、神様に僕はなる。二人に会えたことを忘れない為、それに、神様として、僕を信じてくれた二人の、期待に応える為に」

 宮の口から、その言葉が聞かれた瞬間、私と琉莉は、抱き合い、歓喜した。

 思えば、久しくなくなりかけていた、こうした恋人らしい自然な触れ合いが出来るようになったのも‐、二人の暮らしへ、瑞々しさが戻ったのも、宮と出会ってからの日々のおかげだった。


 社務所から、宮に見送られる時、氷雨は既に小雪へと変わっていた。

 氷雨が参道の石を叩く雨音も耐え、音もなく、境内の、寂しい景色の桜の梢にも、雪が薄っすらと積もっていた。

 

 宮は、今日は鳥居の傍まで来てくれた。

 「ごめん…、僕はここから先には出る事が出来ないんだ。だから、ここで今日はお別れ」

 見れば、地面を覆う薄い雪には、3人で歩いてきた筈なのに、私と琉莉の分の足跡しかなかった。私が答える。

「そうか…産土神様だものね。神社を離れられないものね」

「うん…。帰る前に二人とも、ねえ、見て。雪が降るとね、あそこの桜の梢が、淡雪で雪化粧して、季節外れの桜みたいになるんだ」

 宮の言葉に、私も琉莉も、境内の桜‐、確か、宮も慕っていた、先代の神主様が植えた桜の枝を見る。

 弱い月明かりに、梢の淡雪が薄く煌めいて、雪が散り続けている様は、確かに、季節を先取りした花吹雪のようだ。

 琉莉も、私の隣で歓声を上げ、「綺麗…。雪の桜みたい」と口にする。

 「思い出すわね、宮、貴女と私達が出会ったのも、元は、あの桜に惹かれて見に行ったのが始まりだった」

 私が口にすると、宮も微笑む。

 「もう、幾ばくもしないで、二人に僕が会ってから、一年が巡るんだね…。早いな」

 そして、私は、永遠に途絶える事のないように振り続ける、淡雪の積もる梢と、小雪たちを見つめながら、考えた。

 宮が、神前式の神楽を披露し、私と琉莉が、契りを結ぶ…。それに相応しいのは、あの美しい春の景色の中以外には、考えられない。

 「あそこの桜が綺麗だって、教えてくれたのは琉莉だったわね。宮の前で式を挙げるのなら、私もまた、あそこの桜を見ながらがいい。春、桜が満開の頃、ここで、契りを交わしましょう。あの桜の木は、私達と宮を出会わせてくれた存在でもあるからね」

 あの桜が琉莉を魅了し、更に琉莉が桜を見せようと、出不精の物書きの私を引っ張り出してくれた。

 そのおかげで、私達は、宮に会えたようなものだ。

 私の提案に、琉莉は、にこりと頷いた。

 「とってもいい考えと思う。折角なら、私達と宮を巡り合わせてくれた、あの桜の花達には、式の参列客になってもらいましょう」


 かくして私達は、春、桜の満開の頃を待って、宮の前で、神前の、婚姻の契りを交わす事になった。

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