明かされた正体。宮の過去。

 またしばらく、僕は、天海、琉莉の二人と会わない日々が続いていた。

 昼間、勝手に過ごす場所にしている社務所の休憩所の、畳の部屋で、僕はお茶を飲みつつ、窓の外を伺っている。師走に入り、神社を覆うように茂っていた、緋や黄の葉達も次々と散っていき、だいぶ、寂しい景色になった。

 時折、木枯らしが吹き抜け、この古い社務所の建物内にも、隙間風の立てる、壊れた笛のような音色が鳴り響いている。

 「天海と琉莉がいないと、やっぱり静かだな…」

 僕は、湯呑みを卓袱台の上に置いて、ポツリと呟いた。

 今年は冬の訪れが早いのか、師走に入ってから、冷え込みは急速に増したようだ。


 産土神である僕は、人間のように気温は感じないから、寒さで震える事はないが、それでも、すっかり木の葉を落としきった梢や、枯葉が木枯らしに乗って、何処かへ飛ばされていく姿には、やはり、冬特有の、寒々しさや寂しさを感じさせた。

 「おっと…、また雨だ…。この寒さだと、雨が初雪に変わる日もそう遠くないだろう」

 窓につき始めた水滴を見つける。

 一人でいると、つい、独り言が増えてしまう。

 氷雨と言うべき、冷たい雨がやがて、社務所や本殿、拝殿など、神社の建物にも振り付け始めた。ここの建物はとても古いから、本殿、拝殿が雨漏りしていないか、心配だ。

 僕は、本殿や拝殿の方に様子を見に行く。雨だけでなく、風も強く、拝殿中央に縄で吊るされた本坪鈴(ほんつぼすず)が、乾いた音を立てて揺れている。

 雨に濡れる事などはない僕は、そのまま、拝殿、更に、御神体のある本殿まで通り抜けて、中を見て回る。幸い、まだ雨漏りはない。

 

 拝殿の真正面。小さな二段の石段の前を見下ろす。

 雨の日は、この位置に立って、正面を見下ろす度に、僕が救えなかったあの民-『彼女』の事を思い出す。

 参道の石畳を、『彼女』が来たあの夜と同じように、ぽつり、ぽつりと、曇天の空から落ちる雨粒が濡らしていく。

 「やっぱり雨は、今でも苦手だ」

 雨音が、あの夜-雨と共に桜の花びらが降り落ちていた夜の記憶を、否応なく、僕の元に連れてくるから。もういない筈の『彼女』の歔欷(きょき)の声も、雨音に交じって、今も微かに聞こえるような気がする。

 

 「貴女には、僕はさぞ、無力な神様だったよね。『愛する女の人の隣を、堂々と手を振って歩けるならば、私をいっそ男にしてほしい』 …そうまで願った貴女に、僕では、何の救いも差し伸べられなかったんだから。今、貴女と同じように、『女の人を愛する、女の人』二人に出会えて、二人に、この土地で幸せになってもらいたいっていう一心で行動してきたけど、貴女の目はに、僕は今度こそ、頼りになる神様に、ちゃんと見えているかな?」

 こんな、日差しも弱く、寂しげな空気の境内に、雨が静かに降りしきる日には、今も僕はそう、『彼女』に語り掛けずにはいられない。

 あれから、幾星霜が過ぎた。黄泉の国へ、自ら旅立った彼女は、今生では結ばれ得なかった人に再会しているだろうか。黄泉の国で、今頃、愛する女の人ともう、誰の目も憚る事などなく、並んで、肩を寄せて歩いているだろうか。

 

 そんな事を考えていると、今年の夏、○○川で行われた花火大会で見た、天海と琉莉、二人の姿が思い浮かぶ。

 夜空を、色を変え形を変え、大輪の花を咲かせていく花火達。そのまばゆい光に照らされながら、そっと、二人の影が一つに重なった。何処か、いつまでももじもじしていた二人が、本当に自然に身を寄せ合った。

 「もしも黄泉の国にも花火があるなら、『彼女』と、その、『彼女』が愛していた人も、天海と琉莉のように、身を寄せ合って、見られていたらいいな…」

 ‐どうにも、雨の日に、神社の拝殿と本殿で、一人で過ごしていると、湿っぽい気持ちになって仕方がない。

 鳥居の方に目を向ける。

 かけられた注連縄(しめなわ)が、木枯らしに吹かれて揺れているばかりで、誰の姿もない。

 冷たい雨が続いて風も吹きすさぶ中、流石にあの二人が来る事はないだろう…そう思って、僕はふっと、鳥居から目を逸らして、拝殿から、本殿の方へと歩き出そうとした。


 その折だった。

 雨音の中に、聞き覚えのある二人の声が、初めは微かに、しかし確実にこちらの方に向かって、歩いてくる。

 一人は女性にしてはやや低めの、しかし落ち着きのある声で。

 もう一人は、春の訪れを告げる、小鳥の囀りのように、高く、よく通る声で。

 こんな氷雨が降る中、『忘れられた神社』に等しい、この場所にも来てくれるような二人は、天海と琉莉の他に、この土地にはいない。一瞬にして、僕は彼女達が来てくれたと分かった。

 

 「え…!今日はもう、日も早くに暮れてきたし、こんな天気だから来ないだろうって思ってたのに、どうしたんだろう?」

 僕は、天海と琉莉の思いもかけない来訪に驚きつつも、こっそりと、賽銭箱の後ろに身を隠して、耳に集中する。

 「ああ、宮ったら、あの石灯籠や狛犬の感じだと、やっぱりまた、拭き掃除さぼってるわね。流石に12月にもなると、鎮守の森も、境内も少し寂しい景色になったわね…。雨も冷たいし、そのうち雪に変わりそうね」

 この、真冬の到来が間近な、氷雨の境内にはあまり似つかわしくないような、小鳥の囀りに似た声が聞こえる。

 「そうね…、この半月あまりでもう、神社の周りの見事な紅葉もすっかり散ってしまったわね。それに、部屋に籠りっぱなしだと、つい意識しなくなるけど、日が落ちるのも本当、早くなったわ」

 そう答える、少し低く、落ち着きを感じる声は、天海のものだ。

 

 二人はそれぞれ、天海が藍色、琉莉が薄桃色の蛇腹傘を差して、鳥居の前で一礼した後、参道を見回しながら入ってくる。

天海も琉莉も道行を着物の上に羽織って、厚く着込んでいる。人間には、かなり寒い天候なのだろう。

 拝殿の前で、二人は普段のように礼をし、両手を打ち合わせて、祈りを捧げていた。たった二人の、だけど本当に大切な、この神社の参拝客だ。

 普段なら、この後天海、琉莉のどちらかが、僕の事を呼ぶ。そして、僕が巫女の姿に成り代わって、二人の前に現れるのが、いつも通りの流れだった。

 

 しかし、今日、久しぶりにやって来た天海、琉莉は少し様子が違っていた。

 何か、どちらも少し落ち着かない様子に見える。この神社で、二人がそんな雰囲気になるのは珍しい。

 そして、蛇腹傘に隠れて、表情はよく見えないが、天海の方が、拝殿から数歩下がったあたりの参道の上から、声を張って、こう言った。

 「宮…!ごめんね、今日は普段より遅くにきてしまって。だけど、どうしても、貴女に、今日こそは大事な話と、それから、お願いをしないといけなかったから…。まだ神社にいたら、出てきてくれる?」

 その声には、普段より幾分かの緊張が感じられる。

 それに、大事な話とか、お願いという言葉もいつになく真剣なもので、いつもと同じ、ただお参りの帰りに他愛もない話をしていこうという雰囲気とは、明らかに違う。

 それでも、姿を見せない訳にはいかない。あの二人からどんな話を持ちかけられるとしても。僕は、あの二人を守って、幸せへと導くと決めたのだから。

 

 「いらっしゃい。久しぶりに会えて嬉しいよ、天海。琉莉。ちょっと時間も遅くて、日も落ち始めたけど、良ければ、社務所でお茶でも飲んでいって」

 僕は、参道に立っている二人の前に、ふわりと姿を現し、何事もないように、二人に挨拶する。


 宮は、行燈に火をともし、それを電灯の代わりとして、社務所の薄暗い和室を照らした。

 そして、およそ、電気も水道も通っているとは思えない、古いこの社務所の中で何故か、当たり前のようにお茶を入れて、急須に入れて持ってくる。

 ストーブさえなく、あるのは古い、黒の火鉢の中の、灰色の砂に弾ける弱い火だけだというのに、部屋の中は、不思議なくらいの暖気が満ちて、私は暑くて道行コートを脱いだ。

 どうみてもこの社務所も、人が、しかも、まだこんな、女学生の年代の女の子が一人暮らし出来るような設備は見当たらない。

 宮の恰好も、一段と寒くなってきたのに、普段通りの白衣(しらぎぬ)と緋袴で、上着もないのに、寒そうな素振りすらない。まるで、寒暖を感じないかのように。

 

 お盆の上から急須と湯呑みを卓袱台の上に置いて、宮がお茶を注いでくれた。

 『この神社には、もう何年も住み込みの神職様はいない…。だけど、宮は、単なる悪ふざけで巫女の真似事をしているようには、とても見えない。じゃあ、宮は…』

 そう考えだすと、私はつい、宮の所作を目で追ってしまう。

 こうして日常的な事をしていたら、宮は何の変哲もない、普通の女の子のようにも見える。

 だが…そんな所作の中に、時に、一瞬ではあるが、見た目から想像してしまう宮の年齢とは、およそ不釣り合いな言動や表情が入り混じる事があるのだ。

 

 それは、例えば私と琉莉が、宮に初めて、自分達の『本当の関係』を話した時。

 宮は、確か

 『産土神様は、この土地に住む全ての人の幸多からん事を願い、守る存在。その神に仕える自分もまた、天海、琉莉の二人を応援するよ。この街で二人が幸せになれるように』 

 と言ってくれたのだった。

 そう言って宮が、私と琉莉に対して笑いかけた時、その顔は、大変厳かで、深い慈愛に満ちたものだった。

 普段の宮はもっと、気さくに笑っている事が多いけれど、あの時の彼女がふと見せた表情だけは、強く、神聖なものを感じずにはいられなかった。

 

 「それで、どうしたの?大事な話と、お願いがあるって言っていたけれど…」

 宮は湯気の立つお茶を一口、口に運び、卓袱台の反対側に座っている私と琉莉に問いかけた。

 彼女も、今日は私と琉莉が、いつものように立ち寄った訳ではない事は、薄々と感づいているようだった。

 私は、どう、話を切り出したものか、少し迷う。何しろ、今からしようとしている話は、酷く御伽噺めいた、現実離れした話になるからだ。

 しかし、このまま踏み込まなければ、宮が何者であるか、私達は、知る事は出来ない。

 私も琉莉も、宮の真実を知りたいと思っている。

 宮にだけは、私と琉莉が紛れもない家族であった事を、覚えていてくれる人になってほしいから。宮に隠し事をされたままであってほしくない。

 

 「…ねえ、宮。今から、私がする話。尋ねる事は酷く、突拍子もない話に聞こえてしまうかもしれないけれど…。それでも、茶化さずに聞いて、正直に答えてくれる?」

 一言、前置きとしてそう言うと、宮は頷く。

 「僕が、天海と琉莉の話を真剣に聞かないなんて事、ある訳ないじゃない。いいよ、どんな問いにでも、答えるって約束する」

 そう、彼女が言ってくれたので、私も、一口、お茶で、冬の乾燥した空気に、乾いた喉を潤すと、話を切り出す。

 「前々から、貴女は一体何者なのか。何処からこの神社に来て、神社にいない時は何をしているのか。それが、私も琉莉もずっと不思議だった。この神社は、貴女以外、巫女様も、神職らしい人も誰もいないのだもの。だからね、しばらく前…、貴女に、鎮守の森の紅葉を見せてもらったあの帰り。ご近所で話すようになった人に、貴女の事。そして、この神社の、今の事情を知らないか、聞いたのよ」

 その私の言葉で、もう宮は、続く話がどういったもので、私と琉莉に何を問われるのか、およその察しはついたらしかった。宮の目が微かに揺れる。


 「そうか…、聞いてしまったんだね」

 私の言葉を受けても、宮はただ、静かにそう答えるだけだった。私は頷き、続ける。

 「ええ…。そうしたら、私と琉莉はこんなに宮に何度もここで会っているのに、この神社はもう10数年も前に、最後の神主様が亡くなってから、ずっと、神職の方はいないって言われたの。巫女様の姿も、一度も見た事がないって。それに、こんなによく、この神社に出入りしている筈の貴女-宮の事も、誰も見た事がないと、そう言われたわ」

 私の言葉を、宮は尚も静けさを保ちながら聞いている。彼女はただ、次に問われるであろう事を待っているようだった。狼狽える素振りなどはなかった。

 だから、私は彼女が答えてくれると信じて、問いかける。

 「ねえ、宮。街の人さえも、神社には誰も人はいないし、貴女の姿さえ見た事がないと言っている。それならば、こんなに私と琉莉が、繰り返し会ってきた。そして、今もこうして現に話している、貴女は一体何者なの?私達の前にだけ、姿を見せるのは何故なの?」

 最後に、「宮が、悪ふざけか何かで、私と琉莉に近づいていた訳ではない事は信じてるの。だから、本当の事を話してほしい」と、付け加える。

 

 宮と私、琉莉しかいない、古びた社務所の中に、隙間風の立てる、笛を吹くような音と、火鉢の中で火が弾ける音だけが響いていた。 

 宮はしばしの沈黙を破ると、普段の気さくな笑顔とは違う、落ち着いて、しかし、少しだけ寂しげな表情で、私と琉莉を見る。

 そのかんばせには、初めて会った春の日に「天海と琉莉を応援する」と言ってくれた時と同じ、厳かで神聖な空気もまた感じられた。

 「…遅かれ早かれ、知られてはしまう事だから、話さないといけない事は分かっていた。ただ、僕としてはもう少し、ただの、『巫女さんの友達』として二人の事、見守っていたかったかな」

 宮が話す声もまた、普段よく笑い、砕けた話し方をする彼女のものとは違い、今日は粛々としている。

 それは浮世離れしたものを覚えさせ、自然と背筋を伸ばして聞かねばならぬような、そんな気持ちを私の中に起こさせる。

 琉莉も、宮が口にした言葉に、息をのみ、言葉を漏らす。

 「まだ信じられない…。何だかずっと、御伽噺の世界の中でも彷徨っている気分よ。宮、貴女は本当に、ただの人間の女の子ではないの?」

 琉莉の問いかけに、宮は静かに首肯する。

 「その通りだよ。でも、これだけは誤解しないでほしい。僕は確かに人ならざる存在だけど、それでも、初めて会った時に話したように、天海と琉莉の二人を見守って、幸せを願っているという気持ちは本当だよ。決して二人に何か、邪な目的で近づいた訳じゃない」

 宮は人ならざる存在…。

 告げられた、その言葉に頭がくらくらしてきそうだ。琉莉も、大変に戸惑っている。俄かには信じられない状況に、私達は、今年の春からずっと置かれていた事になる。

 宮の何処か中性的で、少女のようにも、少年のようにも聞こえる不思議な声色も、彼女が人間を超越した存在という事なら、確かに納得は出来る。

 しかし、彼女は、誰彼構わず、人前に姿を見せてはいない。私達以外、近所の人も彼女を一度も見た事がなかったのだから。

 「宮の正体は、人間ではない事は分かった。でも、他の人には貴女は姿を決して見せないのに、どうして、私と琉莉の前には姿を見せたの…?その訳を聞かせてほしい」

 宮には何かしらの事情があって、私達にだけは関心を抱いたようだ。

 そうでなければ、私と琉莉の前にだけは何度も姿を見せた理由が、説明出来ない。

 しかし、どういった思いが、宮に、私と琉莉へそうさせたのか?


 この問いは、宮にとっても一番、話し辛い部分に触れるものであったようだった。

 それについて話そうとする際、宮は、初めて、口をつぐみ、何かためらっている様子が見られた。落ち着いていた表情にも、少し影が差したように見える。

 そして、何故か、和室の壁に嵌め込まれた、曇った窓硝子の方に一瞬、目を遣った。視線を追うと、窓の外はすっかり闇に沈み、雨粒が窓の外を流れ落ちていく。それを見ながら、宮は何か思い出しているように見えた。


 そして、宮はこちらに視線を戻すと、私、それから琉莉を順々に見た。

 「ここから先の話は…、僕が言葉にして話すのも良いけれど、きっと、言葉だけでは二人に伝わり切らないと思う。だから、僕が、本当に人ならざる存在というのを示す為に、今から二人に、ちょっと、僕の記憶を一緒に体験してもらうね」

 そう言うと、宮は掌を前で組んで、何か、小さく唱え始めた。

 それが何か、問おうとする暇もなく、気付いた時、私の意識は、この、行燈の赤橙色の火が照らす部屋から離脱し、暗く、そして雨粒が滴る闇の中へと落ちていった。

 

 


 

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