天海と琉莉

 急に現れた、僕の姿に、拝殿のお賽銭箱の前で二人は固まり、唖然とした様子で、僕の姿を見ていた。

 こうして、現世の人間の前に姿を見せる事など、久しくなかった。

 巫女の姿に身をやつしているが、上手く出来ているだろうか。

 上衣の白衣(はくえ)に緋袴(ひばかま)の、巫女装束をまとった僕の姿を見て、二人はしばらくこちらの様子を伺っていた。

 やがて、黒の羽織を着ている、少し声が低めの女の人が、少々訝し気な表情をしながら、僕に話しかけてきた。


 「えっと…、ごめんなさい。急に話しかけられたから、驚いてしまって。貴女は…この神社の巫女さん?この神社には、貴女の他には誰も、管理している人とか、神主様みたいな方はいないの?」

 僕を、信用してよい相手か探ろうとするような声色で、声が低めの女の人は尋ねてくる。その、目をぎゅっと、藪睨みのようにして、見てくる視線がちょっぴり怖い。

 

「あ、はい。ちょっと、色々訳があって…、今は基本的にはこの神社の事は、基本的に僕一人に任せてもらってるんです」

 「え?でも、貴女はみたところ、まだ女学生さんの年齢でしょう?それで、この神社の事を何でも任されてるの?」

 彼女の目つきが、こちらを怪しんでいるように見えて、僕は冷や冷やする。

 すると、そこへ、助け舟が現れた。


 「こら、初対面の、それも年下の女の子に、そんな怖い顔して話さないの…。ごめんね、天海、仕事の時は眼鏡してて、視力悪いから、藪睨みするくせがあって。でも、決して機嫌が悪いとか、そういう訳ではないから」

 あの、小鳥の声のような女の人が、横からひょいと顔を出して、天海という女の人の手を弱く抓った。天海とは対照的に、彼女は春の明るい陽気に似合った、華のある着物を着ている。

 

 「いたた…。別に怖い顔はしてないわよ、琉莉。ただ、この女の子がどうして、この年で神社を任されてるんだろうって、素朴に気になっただけで…。答えられない事情があるなら、聞いて悪かったわね。えっと…貴女の事は、なんと呼んだらいいのかしら?」

 天海の眼差しがふっと緩んで、僕も安心する。

 そして、まだ、僕の名前をこの二人に告げていなかった事に気付く。

 「えっと…、僕の名前は、宮(みや)。お宮参りの宮です。ここの神社に久しぶりに人が来てるなって思って、嬉しくなってつい、声をかけてしまいました。お二人にも、この神社の事を、お気に召してもらえたら、嬉しいです」

 僕の名前を聞くと、琉莉が、僕の方に寄ってきて、こう言った。

 「そんなに、私達にはかしこまらなくっていいわよ。私は琉莉。それで、隣の、このちょっと目つきの怖くて、疲れた顔をしてるお姉さんは、天海。どうぞ、宜しくね。私達も、貴女の事、宮って呼ぶから、宮も、私達の事は呼び捨てで構わないわ。敬語もなくて大丈夫よ」

  

 僕は、桜の花の塩漬けを散らしたお茶を用意して、御座を敷き、「粗茶ですが」と二人に振舞った。

 「このお茶、桜の塩漬けがアクセントになって、いい香りね…。春らしくて、悪くないわ」

 天海は、湯気の立つ湯呑みを口元に運ぶと、その香りにふっと、顔を綻ばせ、口元を緩ませる。

 初見の時には、切れ長な目。また、目が悪い為とは分かったが、時に、睨むように目を細める事から、強気、冷徹そうな印象があった彼女だが、和んだ表情には温かみを感じた。

 

 「お二人は、この街では見慣れない顔だけれど、何処かから引っ越してきたの?」

 琉莉に進められて、僕も敬語を廃して、二人に話しかけてみる。

 「ええ。まぁ、宮と同じで、私達にも色々あって、この街の方に越してきたの。でも、家にしばらくこもりっぱなしで、この街の人と話したのは、宮が初めてよ」

 琉莉も、桜の茶を楽しんでくれながら、私に答えた。

 「こもりっぱなし?どうして?」

 その会話に、天海が口を挟む。

 「ああ、それはね…。私がいけなかったの。私が、物書きの仕事で家にこもりがちだから、つい、琉莉もそれに付き合ってもらってしまって。でも、ずっと家にこもりきりだと、体を壊すよってつつかれたから、今日は久々に外を散歩してたわ」

 広くはない境内を見回しつつ、天海は、ふう、と、一息をついた。

 「でも、外を出歩いてみて、いい気分転換になったわ。琉莉にこの神社の事も教えてもらえたし…。特に、境内の隅の桜の木が、この季節は綺麗ね。原稿に疲れた目が癒されるわ」

 天海の目が、先程も見つめていた、桜の木に注ぐ。

 

 この神社には、歴代の神主が植えてくれた、桜の木が並び、大きくはないながらも、春先には神社の中に、薄桃色の花の雲を浮かび上がらせる。

 「あそこの桜の木は、歴代の神主達が植えてくれたんだ。この神社に来てくれる人たちが、少しでも花を見て、気持ちが安らぎますようにって、祈りを込めて。だから、二人にも、ここの桜を好きになってもらえたら、神主様達もきっと喜ぶよ」

 天海の言葉に、僕も嬉しくなる。

 この神社の桜は、参拝する人達だけでなく、僕にとっても大切なものだ。

 特に、思い出深い最後の神主様が、遺した桜は。

  

 「それにしても…、折角の落ち着けるいい場所なのに、汚れが目立つわね」

 琉莉は、石灯籠や狛犬の苔、それに参道には伸びるに任せた野草などを見て、そう言った。

 「昔は、地元の人達もよく、境内を清めに来てくれていたんだけどね。今はそうした人もすっかりいなくなって、見ての通り、古びたところも多くなってしまった。ここは、地元の人にさえ、今では殆ど忘れられた神社だから」

 「忘れられた神社?」

 僕の言葉に、天海は、気になるものがあったようで、聞き返してくる。

 僕は頷く。

 「そう。今では、こんな寂れた風になったけれど、昔は沢山、ここにもお参りに人が来てたんだ。祈願だけじゃなく、嬉しい事や幸せな事があれば、地元の人は皆、お参りのついでに、神社に知らせにも来ていた。春になれば皆、お参りの帰りにあの桜を見て帰っていた。だけど、今はもう、地元の人もすっかり訪ねて来なくなって、寂れてしまって。だから、この場所は信仰も無くした、忘れられた神社なんだ」

 

 時代と共に、この神社に足を運ぶ人、拝殿前で手を合わせる人は少なくなっていき、やがて、誰もいなくなった。

 あんなに心を通わせていた筈の、この地の民が、この神社を忘れていく事は、土地神の女神たる僕には耐えがたい、辛く寂しい事だった。

 

 「だからね、今日、二人が来てくれた事、僕は本当に嬉しかったんだ。この土地の人じゃないって話だったけど、まだ、この神社を頼ってきてくれる人がいるんだって分かったから」

 そして、僕は、二人に尋ねてみる。

 「ねえ…。一つ、差し支えなければ、聞いてもいい?今日二人は、この神社にどんなお願い事をしに来たの?」

 

 僕がそう聞くと、天海、それに琉莉は顔を見合わせる。

 そして、意思が通じ合っているかのように、二人ともふっと微笑む。

 天海が言った。

 「この街では、今度こそ、新たな、幸せな生活が末永く出来ますようにって。勿論、琉莉と二人で」

 琉莉も、その隣でこくりと頷く。

 

 僕も、二人に微笑みかける。

 「それは素晴らしい願いだね。僕も、この土地を見守る神社の者として、天海と琉莉の二人が幸せになる事を、心から願ってるよ」

 僕がそう言うと、「ありがとう、宮」と琉莉は笑って、返してくれた。

 この街に来る前に、二人に何があったのかは詮索はしないでおく。

 それはきっと、二人にとっては決別したい過去であり、二人はこの街で新たな門出を切ろうとしているのだから。


 僕は、この二人を守りたいと願った。

 忘れられた産土神様になりかけていた、この僕を、神様と信じて祈ってくれた、この二人の為に。

 ‐そうすれば、かつて、必死に願いを捧げに来てくれた『彼女』を救えなかった、昔の自分を責める気持ちも、安らぐような気もしたから。

 

 それから、またしばらく僕は、天海と琉莉の二人と、しばらく御座の上でお茶を飲みながら、話をした。

 琉莉は天海と同居して、天海の、事実上のお世話係のような事をしているのだと聞いた。

 「ちょっと…、お世話係なんて言ったらまるで、私が普段の生活力は壊滅的みたいじゃない」

 天海が、琉莉の発言に異を唱えると、琉莉は

 「本当じゃない。聞いてよ、宮。天海はね、一緒に暮らし始めた時は、部屋の中は積まれた資料の本の山で、足の踏み場もなかったのよ。執筆と引き換えに他の生きる為の能力は捨ててきたような人なんだから」

 などと言い始める。それに「もう!」と、少々不満げな顔で天海が、琉莉の背中を軽く叩く。

 

 ただ、そんな軽口もお互いの事を深く信頼し合っているからこそ言えるのだという事は、僕にもすぐに分かった。

 天海は言った。

 「でも、まぁ、恥ずかしながら、琉莉がいるおかげで私は生きていられるっていうのは、確かに本当よ。私は、家事も皆下手だし、執筆で部屋に缶詰めになるとご飯の事さえ忘れてこもり切りになるような、滅茶苦茶な生活だから…。琉莉がいなかったら、とっくに体を壊してたわ」

 そういえば、今日天海が琉莉と、ここに足を運んでくれたのも、琉莉が彼女を、部屋から引っ張り出して、散歩に誘ってくれたからだった。

 「まあ、でも、最近はようやく天海もご飯も作れるようにはなってきたわね。前は、包丁で指をよく切るものだから、危なっかしくて見ていられなかったけれど」

 「ああ、琉莉には、全く恥ずかしいところを見せたね。女学校の花嫁修業で何を学んでいたのかと言われそうなくらい、酷い包丁さばきだったから」

 そんな話をしながら、二人はまたお互いに笑う。


 二人のやり取りを見ていると、まるで「家族」のような結びつきを、僕は感じずにはいられなかった。それ程、二人の距離感は近く、親密だ。


 「ふふ…、お互いになんだかんだ言いつつも、本当に仲がいいね、天海も、琉莉も。何だかこうして見ていたら、二人はまるで家族みたいだね」

 僕は、二人にそう言った。

 天海は僕の言葉に、ふと、琉莉との会話を止める。

 天海は、ぽつりと呟く。

 「家族ね…。そうね、私達の関係を表すのに、宮の表現は確かに間違ってはないわ」

 彼女は琉莉の方に顔を寄せると、何か耳打ちをした。

 「えっ?」と、琉莉は驚いた反応を見せ、顔を何故か少し赤らめる。

 琉莉は僕の方に目を向けて、しばらく、じっと見ていたが、

 「そうね…天海の言う通り、何だか、この子にだったら本当の事、話しても、いいような気がしてくるわ。不思議な事だけど」

 と天海に言った。

 琉莉から、何かの承諾を得たらしい天海は、僕の方を、先程までより、少し真剣さを帯びた眼差しで見つめる。


 彼女は、僕の瞳の奥までも覗き込もうとするように、僕の目をじっと見つめて、しばらく観察していたようだったが、やがて、こう言った。

 「この街に来てから、まだ誰にも、私達の本当の関係は話してはいない。だけど、不思議ね…、貴女になら、話してもいいような気がしてくるの。今までに私が会ってきたどの人とも違って、貴女の瞳は、信じられない程、濁ったものがなくて、澄み切っているから。貴女みたいな目をした人に会うのは、生まれて初めてかもしれないわ」


 そうして、彼女は一息吸うと、僕に向けてこう言った。

 「私と琉莉はね、表向きには小説家と、住み込みのお手伝いという体裁にしているけど…本当は、恋人同士なの。同じ女同士だけれどね。だから、気持ちの上では、もう家族と言ってもよいと、私も琉莉もお互いに思ってるわ」

 

 女同士だけれど、恋人。

 その言葉を聞いた時、僕の記憶にありありと蘇ってきたのは、あの雨の夜。桜の花びらが春雨に濡れて降り落ちる中、拝殿の前で、涙を零しながら、「愛する女の人と、大手を振って隣を歩けるように、いっそ自分を男に変えてほしい」とまで、懇願した、『彼女』の姿だった。

 あの時の『彼女』の悲痛な姿。

 そして、風の噂で聞いた、『彼女』の最期-叶わぬ恋情に世を儚んで、自害したという、その悲惨な最期が、僕の記憶に蘇る。

 

 あの出来事は、戦争より昔で、もう数十年は昔の話だが、あの記憶が僕の中から消えた事はない。

 僕は、あの時の『彼女』の願いを叶える事も、何の力になる事も出来なかった。


 あの時の『彼女』と同じく、天海と琉莉も『女を愛する女』としての苦しみを抱えているのなら‐、あの時、『彼女』に何も出来なかった事の償いの為にも、僕は天海と琉莉、二人の愛が潰える事のないよう、守り抜かねばならない。


 「そうだったんだね。話してくれてありがとう。でも、産土神様は、この土地に暮らす全ての人の幸多からん事を願い、守ってくれる存在。そして僕もまた、その産土神様に仕える巫女だから、僕は二人の事を応援してるよ。この街で二人が絶対、幸せになれますようにと。恋人で、お互いを既に家族のように思い合ってる仲なんだから」

 僕は、二人にそう告げた。

 緊張した面持ちで、天海と僕の会話を見ていた琉莉も、安心した様子になった。

 そして、天海は僕にこう言った。

 「ありがとう、はこちらの台詞よ、宮。私と天海の本当の関係を知っても、貴女みたいな事を言ってくれた人は、今まで、誰もいなかったんだから」

 天海も、ほっとしたような面持ちでこう言った。

 「宮が、そんな風に純粋に、私達の幸せを願ってくれる事は嬉しいわ。この街で、まだ誰にも本当の関係を話した事はなくて、ずっと秘密にしていたけど、宮に聞いてもらって、何だか気持ちが軽くなった」

 

 「そろそろ、今日はお暇しないと。すっかり長居しちゃった」

 と、琉莉が御座から立ち上がる。気付けば、すっかり日差しも高くなって、春の眩しい昼の陽光があたりを照らしている。だいぶ話し込んでいたようだ。

 天海は、私にぺこりと頭を下げ、礼を言った。

 「今日は、色々とお話を聞いてくれてありがとう、宮。この神社は居心地が良いし、宮には、何でも話せるような気がしてくる。また、ここに来てもいいかしら?」

 「勿論だよ。僕で良かったら、何でも相談しにきて。僕は聞いてあげる事しか出来ないけれど、少しでも気持ちが軽くなるなら」

 

 二人は僕の方に手を振りながら、参道を引き返して、鳥居を潜り抜け、帰っていった。

 彼女らの後ろ姿を見送りながら、僕は強く誓った。

 「天海と琉莉が幸せになれるように…、二度と『彼女』のような民を、この地に生み出さない為に。僕はあの二人を守らなければ。僕のような非力な存在でも、神様として、頼ってくれた二人に、応える為に」

 

 

  



 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る