3章
第35話 エイダside 葬儀のあと
♧♧♧♧
リチャードの葬儀を終え、エイダは自室に戻ってきた。
侍女とメイドたちに手伝ってもらいながら喪服を脱ぎ、入浴を終えたところだ。
「おばさまのお加減はどう?」
鏡の前に座り、髪をすいてもらいながらエイダは高齢の侍女に尋ねる。
「いまだ臥せっておられますが……。明日からは朝食をご一緒したいとおっしゃっているようです」
鏡越しに見る侍女の顔も疲労の色が濃い。
十日前。
エイダは、ハルフォード家の護衛と男たちを引き連れて戻ってきた馭者によって、リチャードの亡骸にすがって泣いているところを発見された。
『遠方からでも、ミルトン伯爵邸の火事には気づきました。そこで馬車を急がせ、門をくぐったところで、不思議なことに白銀に輝く光をみつけたのです。導かれるようにして進むと、大天使様が現れ、『我が守護者は乙女を守った。しかと保護せよ』とおっしゃり、姿を消しました。大天使様のご指示のとおりに進みますと、お嬢様が坊ちゃまを抱きしめて泣いておられたのです』
とは、のちに馭者が王宮と王室外交官に証言した言葉だ。
馭者が到着する少し前には、リチャードの身体からは翼は消え、白髪だった髪は金色に。肌は艶めく大理石を思わせる色に戻った。もちろん牙や爪も消え失せていた。
エイダは保護され、その後、ミルトン伯爵は捕縛されて王室外交官や王宮の担当部署の尋問にあう。
結果的に。
我が子を亡くした妻が心神喪失状態となり、エイダを亡くなった我が子の嫁とすべく命を奪おうとした。
監禁状態になったエイダをリチャードが救出に向かい、激しい抵抗にあう。
そして、救い出したものの命を失い、カーミラ伯爵夫人も自ら命を断った。
五日間に及ぶ捜査ののち、そう結論づけられ、ミルトン伯爵は永久国外追放。彼の国の国内法によって裁かれることとなった。
リチャードの生前の功績をたたえ、王室主導で葬儀が実施されることとなったのだが。
死亡してから早1週間が経とうとしているのに、その身体に腐敗の形跡が見られない。
天使の加護を受けて生まれたのは本当だったのだ、と教会はこぞってハルフォード伯爵家を誉めそやした。
もちろん世間もそうだ。
義妹を庇い、命を落とした兄。
生前は奉仕活動に
事情聴取や葬儀の段取りで顔をあわせると、みな一様にリチャードのことを誉めそやした。
だが、そんなことよりも。
エイダが本当にリチャードが偉大だったと思うことがある。
それは。
彼の事業を、寄宿舎時代の同輩や先輩たちが私財を投じて引き受けてくれたことだ。驚くべきことに、ジェイコブまで多額の寄付を申し出た。
リチャードは生前言っていた。
『おれはジャックのやり残したことを引き継いだにすぎない。次にすべきことは、誰かにこの事業を託すことだ。でも心配はしていないよ。おれの周囲には良い奴しかいないからね』
そんなリチャードを、両親はもとよりエイダも『随分と楽天家でお人よしだ』と思っていたが。
彼の亡きあと、実際に彼が示した通りに動き出した。
「奥様も心配ですが、わたしはお嬢様のことも心配です」
髪を緩く三つ編みにしたあと、鏡越しに侍女がエイダに話しかける。
「わたくしは……大丈夫よ」
意識して微笑んで見せた。
リチャードの死を受け、一番衝撃を受けたのは当然かもしれないが、彼の母親だった。
気丈にふるまってはいたし、エイダを気にかけて常にいたわってくれもしたが。
五日前から起き上がれなくなってしまった。
もとより、リチャードが死亡したのちから食事がとれていない。
夫であるハルフォード伯爵が促し、なんとかスープを飲んでいる程度だ。
今日、リチャードの埋葬が終わったあと、どこか諦めたようにエイダに語った。
『あの子は、神様がわたしたち親子に、つかの間与えてくれた天使だったのね。だとしたら、役目を終えて天に戻るのは仕方ないわ。きっとまた、わたしに死が訪れたとき、あの子に出会えるでしょう』
エイダは何も言えない。
彼の。
リチャードの死を招いたのは、エイダ本人なのだから。
それに気づいたのだろう。義母はとりつくろうように笑った。
『明日の朝は、みんなと一緒にご飯が食べられると思うの。あの子もきっとそれを望んでいるでしょうから』
『ええ。ご一緒させてください』
エイダが応じると、義母はゆったりとした笑みを浮かべ、自分の侍女たちと共に自室に戻って行った。
「おやすみになるまえに、ハーブティーなどいかがですか? 声をかければメイドやこのわたしめもお相手いたしますが」
侍女が勧めるが、エイダは緩く首を振る。
「ありがとう。でも、今日はすぐにひとりになりたいの」
「さようですか。では、なにかありましたらお呼びください。すぐに参りますので。あかりはいかがいたしましょう?」
「もう寝るつもりなの。消しておいてもらうと助かるわ」
侍女は深々と頭を下げると、枕元のカンテラだけを残してすべての明かりを消した。
「失礼いたします」
そう言い置いて侍女は部屋を出た。
ぱたり。
静かに扉が閉まる。
室内は薄闇に包まれた。
明かりを絞ったカンテラの橙色の光だけが、淡く絨毯に広がっている。
エイダは鏡台のイスに座ったまま、バルコニーにつながるガラス扉を見つめる。
カーテンがしめられており、外の様子を窺うことはできない。
だが、今夜は月が明るいのだろう。
こぼれるように差し込んだ月光が、窓枠に光をまぶしている。
エイダはじっと動かぬまま、耳を澄ます。
(今夜もきっと、来るはず)
エイダが年ごろになると、ハルフォードの屋敷に居ても白い翼を持った男が現れるようになった。
現れるといっても、部屋に侵入するようなことはない。
ただ、バルコニーに立ち、ガラス扉に手をついて室内を覗き込んでくる。
じっと。
湿気て粘着質な視線は、エイダを怯えさえ、嫌悪感を抱かせるには十分だった。
ちょうど寄宿舎から冬休みのために戻ってきたリチャードに相談して以降、いったいどうしたのか彼が屋敷に滞在する間は、白い翼の男たちはエイダを尋ねてくることはなかった。
そして、リチャードを失って二日後。
王宮での取り調べを終えて帰宅し、疲労のために風呂も入らずにベッドで横になっていたときのことだ。
こつり、と。
バルコニーの欄干になにかが当たる音がした。
視線だけ移動させるが、ぴったりとカーテンがしめられていて、外の様子はわからない。
だが、確かにそこに人の気配がある。
あいつらだ、とエイダは思った。
白い翼の男がまたバルコニーにいるに違いない。
唐突に、怒りが爆発した。
ふつふつと沸いた、というわけではなかった。瞬間的に燃え上がり、胸を焦がした。
リチャードがいないからだ。
だからあいつらはまた来た。
リチャードを奪い、さらに今後も自分につきまとうつもりか。
エイダは枕をわしづかみにすると、力いっぱいガラス扉に向かって投げつけた。
ガラス扉は思っているよりも大きな音は立てなかったが、バルコニーにいた人物への牽制にはなったようだ。たじろいだような気配が伝わる。
「出て行って!」
腹の底から叫ぶ。
がたり、と。今度は明確に立ち去るような音がしたが、エイダの怒声を聞きつけて慌てて駆けつけるメイドたちの足音にまぎれた。
そうして退散させることに成功したものの、厚かましくも次の夜も、そいつはやってきた。
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