第27話 狙撃

 それから一時間足らずでリチャードはミルトン伯爵邸正門に到着する。

 以前リチャードが来た時のように、やはり家門の馬車はここで待機させられていた。


 馬車につけたカンテラだけが漆黒の闇を阻むように橙色の光を放っている。


「ぼっちゃま!」


 蹄の音で気が付いたのだろう。馭者が声を上げて立ち上がるのがぼんやりと見える。


「なにがあった! エイダはどうした!」


 馬から飛び降りる。着地の時によろけたが、そのまま駆けだした。馬はというと、荒い息を続けながらも速度を落とし、手綱をひくでもないけれどリチャードについてきた。


 疲れただろうにここまで、リチャードの指示をよく聞いて頑張ってくれた。

 リチャードは横に並ぶ馬の鼻面を軽くかいてやりながら、馬車に近づく。


「それが……出てこられない、というか」

 馭者台から馭者が降りると同時に馬車の客車も開き、侍女が飛び出してきた。


「よかった! リチャードぼっちゃま!! お嬢様が……っ。お嬢様が!」

 高齢の侍女は一度転倒しながらも、前のめりにリチャードにしがみつく。


「エイダは中なのか?」

 彼女の肘を取って支えながら尋ねると、滂沱の涙を流し始める。


「あまりに帰りが遅いので、馭者とともにその正門をくぐったのです」


 侍女は泣きながらも震える指で正門を指さす。

 鉄製のそれは、いまはぴたりと閉まっていた。


「数分ほど馬車を走らせましたら、外堀のあるお屋敷の前に到着しまして……」


 馭者がそのあとを継ぐが、闇の中でもわかるほどに困惑している。

 リチャードも数日前に見た風景を脳裏に浮かべる。


 そうだ。

 この屋敷は外堀に囲まれていて、つり橋になる通路を馬車がわたるのだ。


 そのときは、「まあ、駐留外国人の屋敷だしな」と感じた。

 国内で暴動等が起こった時、守りに徹するように作られているのだろう、と。


 だが、今は別だ。

 これは。

 なのだ。


 この屋敷に入ると、容易に出られない。


「その……。つり橋がないのです」

「ない? どういうことだ」


 馭者に食い気味に尋ねる。


「ないのです、ぼっちゃま。馬車を走らせ、私も確認したのですが、外堀と屋敷をつなぐものがまったく」


 侍女が荒々しく首を横に振る。ひっつめた髪がほどけたからだろう。カンテラが作り出す顔の陰影のせいでいつもの彼女よりよほど高齢に見えた。


「一度お屋敷に帰って判断を仰ごうかとも話をしていましたが、その間にエイダお嬢様がミルトン伯爵邸からおいでになるかもしれません。そのとき、馬車がいなかったら心細いでしょうし……。きっと我々が帰らないと、ハルフォードの奥様がなんらかの手を打ってくださると」


 申し訳ありません、と頭を下げる馭者と、すみません、とまた泣き出す侍女にリチャードは首を横に振って見せた。


「謝ることはない、ありがとう。君たちが言う通り、ハルフォード家は危機を察知してこうやっていま動いているところだ。助かったよ」


「もったいないことでございます、ぼっちゃま」

「で……ですが、お嬢様は……っ。お嬢様のことはいかがいたしましょう!」


 詰め寄る侍女の両肩に手を添え、リチャードは安心させるように微笑んで見せる。


「おれがいまからミルトン伯爵夫人に会ってみよう。なんとかなる。だから、君たちは先に屋敷に戻って現状を母上に報告してほしい」

「ですが……っ。本当に屋敷に入るすべがないのです!」


「侍女を疑ってはいないよ、わかっている。だけど、ここはおれに任せてくれないかな」


 馭者と侍女はそれでも互いに顔を見合わせ、動こうとしない。リチャードは芝居がかったしぐさで、やれやれと肩をすくめて見せた。


「おれのことなら大丈夫。天使の加護を受けていると言われていたろう。忘れたのかい?」

「ですが、ぼっちゃま。あのときのこと、ずっと自分は後悔しております」


 馭者が頭にかぶっていた帽子を取り、両手でぎゅっと握りしめる。肩をこわばらせ、唇を引き絞った。


「ジャックぼっちゃんとぼっちゃんを残してあの村を立ち去った自分をいまでも許せないのです。もうあんな……」


「あのときだって、君たちが屋敷の人間を呼んでくれたからおれの救命措置がスムーズになったんだろう? 君たちの判断は間違っていなかった」


 リチャードは改めて馭者を見る。


「ありがとう、あのときも力になってくれて。本当にいつも助かっている」


 それは心からの言葉だ。

 残念ながらジャックを失う結果になってしまったが、あのときこの馭者たちが残っていたら、さらに最悪な結果になっていたかもしれない。


 リチャードにはいま、なんの力もない。


 力を奪われ、魔法陣の使用を禁じられ、精霊の召喚もだめだと言われている。

 どう考えても無防備な状態で下界に放り込まれた。


 自分の身を守ることだけでも精一杯なのに。

 それなのに大事なものばっかりが増えていく。


 不思議だとリチャードは思う。


 本来であれば、自分のことだけを考えていればいいのだ。

 襲い掛かる堕天使から身を守り、「良い子」と呼ばれる行動様式だけを真似て二十年間生活を続ければいい。


 そう思うのに。


 気づけばリチャードは大事なものを見つけては、それらが傷つかないようにと最善の策を考えている。


 自分でも余計なことをしているなと思う時がある。


 だけど。

 その大事な人たちと言葉を交わしたり、心を通わせたりすることで得られるなにかを欲している自分がいた。


 そして。

 その自分が欲する何かを与えてくれる彼らを傷つけたくはなかった。


「ここはおれに任せてくれ。必ずエイダを連れて帰るから。それより母上が心配している。そちらを慰めてやってくれ」


 リチャードがゆっくりと告げる。馭者はそれでも渋る様子をみせたが、すん、と侍女が洟をすすった。


「ここにいてぼっちゃんのお役に立つのであればいくらでもいますが……。役に立たぬのであれば、お屋敷に戻り、奥様に報告せねば。そうでしょう?」


 馭者にそう言う。馭者はようやく首を縦に振った。


「では、ばあやさん、馬車に。ぼっちゃん、奥様に報告が終わればまた自分はここに戻ります。必ず無事でいてくださいね、エイダお嬢様と一緒に」


 意を決した表情の馭者に、リチャードは深く頷いて柔らかく笑んだ。


「もちろんだ。ぜひ馬車を頼むよ。帰りはのんびりしたいからね」

「かしこまりました。では、どうぞご用心なさって」


 馭者はそう言うと、侍女が馬車に乗り込むのを待って、馬に鞭をいれた。

 ごとごとと大きな車輪の音を立てて馬車が闇の中に走り出す。リチャードはそれを見送り、「さて」とそばにいる馬に話しかけた。


「申し訳ないが、もう少しおれと一緒にいてもらおうかな」


 言葉がわかっているのかどうなのか、馬はぶるんと鼻を鳴らした。リチャードは笑い、手綱をとって正門に近づく。


 馬車のカンテラがなくなったため、視界が非常に悪い。

 木立が闇にさらに濃い影を落とした。


 ぶわり、と。

 大きく風が吹く。


 吹き渡る風に散らされたように、淡い光が空から降り注ぐ。顔を上げると満月だ。


 顎を上げて眺めると月光がまぶしい。

 ようやく夜目に慣れてきたようだ。

 リチャードは正門に鍵がかかっていないことを確認し、押した。存外あっさりと鉄門は開いた。ぎいいいいいいい、と。不快な軋み音に、馬がまた鼻を鳴らす。


 手綱を握って中に入る。

 整備された木立の中を、白御影石で舗装された小道だけが満月に照らされて濡れたように光っていた。


「さあ、行こう」


 リチャードは馬の首を撫でてなだめると、鐙に足をかけて鞍にまたがった。

 軽く拍車を当てると、馬は蹄鉄をリズミカルに鳴らして夜の中を走り出す。


 前回訪問した時は馬車で移動したから気づかなかったが、騎乗のいま、屋敷に近づくと水音がしてくる。


(外堀……)

 水音はどうやら外堀を巡る流水の音だと気づく。


 不思議だ。

 記憶の中では堀の水に動きはなかったはずだ。


(……流しているのか?)


 つり橋を上げたことといい、堀の水を流し続けていることといい、完全に侵入者を拒絶しているとしか思えない。


 リチャードは堀を覗き込むために馬を降りた。

 風が吹きすさぶ。乱れる髪に手をやり、外堀を覗き込んだ。勢いよく流れる水が、光玉に似たしぶきを散らしている。


(貯水なら……)


 渡るための何らか方法があったかもしれないが、こう勢いがよくてはどうにもならない。


(だが、ここまで守りを堅くしているということは、エイダはやはり屋敷内にいる)


 確信したリチャードの鼻先を、かすかに硫黄の匂いがかすめた。

 同時に、ちりっと焦げるような視線を首先に感じる。


 反射的に手綱から手を離し、身をねじって地面に伏せた。


 だあああん、と。

 銃声が響き渡り、さきほどまで自分がいた場所の土が弾ける。


 馬がいななき、後ろ足立ちになって暴れた。手綱がねじれて踊る。


 二発目が鳴り響く。

 今度は自分のすぐそばで土が爆ぜた。


 怯えた馬が元来た道を走り出したが、制止できる状況ではない。リチャードは舌打ちし、時機を見計らって一気に近くの樹木へと飛んだ。


 三発目。

 銃弾は跳躍するリチャードを狙ったようだが、それより先に幹へと身を隠すことに成功する。


(おれを……狙ってる)


 呼吸を整え、幹からそっと射手を探ろうとしたが、すぐにまた銃弾を撃ち込まれた。

 エイダを取り返しに来ることを予測し、狙撃しているに違いない。



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