第25話 ミルトン伯爵の息子

「こんばんは。どうもお待たせいたしました」


 流暢に話すのはこの国の言葉だ。口元にわずかに笑みを浮かべる表情は非常に柔らかい。

 しかし、非常に疲れてもみえた。


「こちらがハルフォード家の長男リチャードです」

 ダレンに紹介され、リチャードは礼儀正しく頭を下げる。


「本日はお時間をとっていただき、誠にありがとうございます」

「なんてことはありません。なにしろ妹君には妻が御厄介になっているようで……」


 違和感を覚えてリチャードは顔を上げる。

 彼の顔には相変わらず愛想のよい笑顔が浮かんでいたが、それよりなにより眉のあたりには申し訳なさのようなものが滲んでいる。


「ご歓談中失礼いたします。坊ちゃま」

 す、と背後に近づいてきた執事がダレンに耳打ちをした。


「すまない。父が呼んでいるようだ。ぼくは失礼するよ」

 ダレンは言う。


「ありがとう、ダレン。また今度ゆっくりお礼を」

「気にするな」


 ダレンは笑うと、執事に「おふたりに飲み物を」と声をかけて離れて行った。


「その……それでわたしに聞きたいこと、というのは?」


 リチャードがグラスを受け取るのを見計らい、ミルトン伯爵が声をかけてきた。


「ああ、待って。ここではなんだから……。少し、移動しよう」


 そう言ってミルトン伯爵は壁際の方に歩き始める。あまりに出入り口付近すぎた。人の目や耳が気になるより先に、夜会参加者の邪魔になりかねない。


「その……父から伺いましたが、義妹がミルトン伯爵家に家庭教師に入った経緯をもう一度お尋ねしたいと思いまして」


 グラスを手に並んで壁まで移動しながら、リチャードはゆっくりと尋ねる。尋ねながらミルトン伯爵の表情に視線を走らせた。


 眉根の辺りにあった申し訳なさは、いまや顔全体に広がっており、ミルトン伯爵はため息をひとつこぼした。


「申し訳ない。本当に……その。いつかは折を見て……お伺いしようと思ってはいたのだ」


 リチャードは相変わらず彼の言葉に付きまとう違和感に困惑していた。それはミルトン伯爵には伝わっていないらしい。堰を切ったように話し始める。


「この国に赴任が決まった時、妻は嫌がってね。なんとか断れないのか、と。というのも、ちょうど息子の教育を始めたところだったのだ。母国でしっかりとした教育やしつけを受けさせたいと彼女は考えていた。だから、わたしはなだめるつもりで『彼の国も非常に教育に力をいれておられる方がいると聞く』と。ハルフォード伯爵のご令息、つまり、リチャード殿の事業について説明をしたのだ」


 ミルトン伯爵は壁に背を預け、グラスを傾ける。リチャードもお愛想程度にグラスに唇をつけて、続きを促すように頷いた。


「彼女は積極的に君の事業や功績を調べ、赴任に非常に前向きになった。やれやれとこの地にやって来て生活が落ち着いた頃に、妻が言いだしたんだ。『ハルフォード家の方をロランの家庭教師としてお迎えできないかしら』と」


 ミルトン伯爵はリチャードの目を見て、慌てて首を横に振った。


「もちろん、それが無礼なことだとは十分わかっている。あくまで妻は、ハルフォード家の誰かから教育に関する話を聞きたかっただけだったんだと思う。だが、この国に来てまだ伝手つてもないわたしがいきなりハルフォード家を訪ねてそんなことをお願いできるはずはない。そのところを妻に言い聞かせ、『近いうちに必ず』と言っていたんだが……」


 そこで非常に重い息を吐いた。


「あんなことがあって……。しばらく妻はふさぎ込んでいたんだが、ある日突然、以前のような笑顔を浮かべてわたしに言うんだ。『あなた、ハルフォード家のご令嬢にお話がしたいの』と」


「エイダに……ですか」


「ああ。そうだ、エイダ嬢に、と。妻がなぜ今更ハルフォード家の方々と話がしたいのか全くその理由がわからず困惑したのだが、妻は執拗に繰り返して……。わたしがはぐらかせていると、とうとう自ら社交界に出向いてハルフォード家と接触してしまってね」


「では、伯爵からのご依頼、というより……」

「もちろん妻の意向はわたしの意向でもある」


 弁解じみた口調でミルトン伯爵が食い気味に言う。


(ミルトン伯爵というより、カーミラ伯爵夫人がエイダを指名したのか)


 順序や作法にのっとった接触の仕方ではなかったが、そこは「外国の方だから」ということで流されたのかもしれない。なにしろその後、夫であるミルトン伯爵から正式なお願いも来たのだろうから。


「エイダ嬢はいまも我が家に?」

 そっと問われ、リチャードは柳眉を寄せた。


「ええ、もちろん。二十日ごとに訪問していますが……。伯爵もご存じですよね?」

「実はわたしは……いまは別居していてね」


 苦々し気に言い、ミルトン伯爵は呷るようにシャンパンを飲み干した。


「カーミラを見ているのがつらいというか……。いや、あんな茶番につき合わせて本当に申し訳ないと思っている。エイダ嬢やハルフォード家には改めて謝罪に伺おうと思っていたのだ」


「茶番? 謝罪?」


 どういうことだ。

 不穏な気配を嗅ぎ取り、リチャードの腕は一気に鳥肌立った。

 ミルトン伯爵の前に回り込み、俯く彼の顔を覗き込むように背中を丸める。


「どういうことです。ご子息の……ロランくんの家庭教師を引き受けたんですよね?」


「引き受けてくれた、と妻からは手紙を受け取ったよ。いや、本当に申し訳ない。妻の妄言を信じているふりをしてくれているのだろう? 本当ならわたしが側で支えてやらねばならないのに……」


 顔をねじってリチャードから背けようとするが、リチャードはそれを許さない。


「申し訳ない。伯爵の仰る意味が全く分かりません。義妹はロランくんの家庭教師を行っています。二十日ごとにお屋敷を訪問し、我が国の国語を教え、音読を指導し……」


 リチャードの語尾をミルトン伯爵の乾いた笑い声が潰していく。


「そんなことありえない。何を言っているんだ」

「……どういうことです」


 低い声で問うと、ゆるく彼の腕が伸びてきて距離を取るようにリチャードの胸を力なく押した。そしてシャンパンを飲み干す。


。半年前に、この国で」


 リチャードは言葉を失ってミルトン伯爵を見つめる。正確にはミルトン伯爵の剃り残した髭を意味もなくみつめていた。


「……そんな……バカな。おれ……わたしも、エイダも……」


 ようやくそれだけ言うが、はは、とミルトン伯爵はまたうつろに笑う。


「妻もずっと言っているよ。あの子は生き返ったのだ、と。だから早く教育を施してやらねばならない、立派な貴族に。教養ある紳士にするために、と」


 気がふれているのだ、と、ミルトン伯爵はひとりごちた。


「わたしは家名を守るため、妻を……その、病気療養のために……」


 ぼそぼそとミルトン伯爵がなにか言う。それは言い訳じみていたし、後ろ暗さを少しでも軽減するためだけに口にされた意味のない言葉たちだ。


 だからだろう。時系列を追って話されないミルトン伯爵の話は要領を得ず、リチャードは殴りつけたくなる衝動を何度もこらえながら辛抱強く話を聞きだした。


 要するに。

 ミルトン伯爵夫妻の子、ロランはこの国にきてまもなく、病死した。


 それ以降、カーミラ伯爵夫人はふさぎがちとなった。


 だがある日、「あの子が生き返った。あの子のためにエイダ嬢と話がしたい」と言い始め、勝手に社交界でハルフォード家と連絡をもとうとした。


 自分の手に余ると思ったミルトン伯爵は妻を別荘地といえば聞こえはいいが、王都の僻地に幽閉した。


 そこに、時間差で話を聞いたハルフォード伯爵がミルトン伯爵に声をかけた。

『当家になにか御用がおありのようだが』と。


 焦ったミルトン伯爵は、「妻がエイダ嬢からお話を伺いたいらしい。できればそのような場を作っていただけないだろうか」と依頼したのだ。


 そこでエイダがカーミラ伯爵夫人のところに訪問し、そこで引き合わされたロランの家庭教師を引き受けた。


 本当はもういないはずのロランの。


「……申し訳ないですが、今後一切、義妹にかかわらないでいただきたい。カーミラ伯爵夫人からなにか依頼があれば、わたしが対応しますので」


 予想外なほどに怒りに満ちた声が出た。それだけじゃなく、握りしめたこぶしがわずかに震えている。


 自分の妻のことだろうとなじりたいし、自分の名誉のためだけに精神を病んだ妻を放置したこの男には軽蔑しか感じない。


「……すまない。改めてハルフォード伯爵にはお詫び申し上げる」


 来るわけない。

 リチャードはそう判断し、挨拶もせずにミルトン伯爵に背を向けた。


 いままでだって何度も様子を聞きに来る機会はあったのだ。「妻とはどのような話をしたのか」とか「妻は元気だろうか」とか。


 だがそれを避け、エイダになにもかも押しつけことなかれ主義を通しているこの男が筋を通すはずがない。


 それよりも、ハルフォード家にすぐに戻り、父母にこの話をせねば。

 あの家には、エイダが教えるような子はいないのだ、と。


(だが……ミルトン伯爵の言を信じるなら、あの子は誰だ)


 ロランはすでに死んでいる。

 だが、あの屋敷にはいるのだ。

 三歳の男児が。


 リチャードは目まぐるしく思考を巡らしながら、夜会会場であるモノリー子爵の屋敷を後にした。

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