第20話 天使サイモンは一度天界に戻る

 さすがに驚いた。

 厳格に男子の立ち入りが制限されている。親族の男子とさえ一対一で面会ができないはずだ。男性聖職者も、普段は門の外でしかやり取りしない。


「修道院はハチの巣をつついたような騒ぎになったらしい。まあ、当のご本人は非常に穏やかに『天使との間にできた子だ』と言っておられたらしいが」


 リチャードは視線だけサイモンに向けた。

 父親の背後でサイモンが、嗤う。


「ありえない。人間とわたしたちではしゅが違う。交配などできるものか」

「その後、出産をするんだが……。やはり、心臓がもたなかったらしい。産んですぐに亡くなった」


「その生まれた子、というのが……、エイダですか」

 リチャードの言葉に、父親は頷いた。


「修道院では持て余していたようでな……。その後、母方の親族を転々としてたようだが、どうにも異常なことが頻繁に起こるらしくて……」


 なるほど。

 エイダが、自分のことを『ひとりぼっち』と語っていたのはそういった事情があったに違いない。


 リチャードはサイモンの視線を感じ、父に気づかれない程度に瞳を移動させた。


「異常なこととは、どんなことだ。堕天使が現れているのか?」

 サイモンが抑揚のない声で訝しむ。


 堕天使だとしたら。

 それは、エイダの父親である可能性がたかい。


 人間と通じた天使は堕天するのだから。


「その……。異常なことというのは、堕天使が来るということですか?」

 サイモンに代わり、リチャードが尋ねると、父親はわずかに目を見開いた。


「……堕天使なのかどうかわからん。ただ、なにかが、あの子に付きまとうらしい。リチャード。お前もなにか感じるのかい?」

「昔は……、特にそのようなことはなかったんですが」


 正直に答えると、「そうか」と父親はうなだれた。


「まあ、屋敷ここは清浄だからな。おいそれとは入れんだろう」


 サイモンが独り言ちる。それもそうだろう。リチャードが幼いころ、堕天使に襲われたのは、常に屋敷外で、だ。


 遠乗りに出かけた野原や、両親に連れ出された王都が主だった。


「わたしにはなんの気配も感じない。あの子は愛らしく、素直で……。うちの娘として申し分ないくらい良い子に育った。だからこそ、本当に申し訳ない。その、辛さがわからんのだ」


 呟き、苦い笑みを口の端ににじませた。


「うちには、天使に祝福されて生まれたお前がいる。そのことがあり『扱いに慣れているだろう』と陛下からのご指示もあって、あの子は我が家にやってきたんだ」


 なんだか押し付けられた感が言葉の端々からうかがえるが、結果的にエイダはハルフォード家にやって来て正解だったのかもしれない。


 理解のある父。愛情あふれる母。〝よい子〟で、天使の加護がある兄。


 他人であるとはいえ、冷たく無神経な血縁家族に囲まれて過ごすより、きっと幸せだったに違いない。


「あの子には、ぜひ普通の幸せをつかんでほしい。素敵な殿方に乞われて、温かい家庭をつくり、こどもに囲まれて生活してほしいんだ。今、外国人貴族子息の家庭教師をしているんだが……。あの子は、子ども好きなようだ。きっと良い母親になる」


 父の声は穏やかで、情に満ちているというのに。

 リチャードの心を重く押しつぶしていく。


 父の言う通りだ。

 リチャードだって、エイダの幸せを願っている。誰よりも。


 守られ、慈しまれ、愛でられて過ごしてほしい。


 それが。

 リチャード以外の誰かの役目なのだとわかっていても、その誰かを想像して、嫉妬してしまう。


 サイモンに知れれば、執着は罪だと侮蔑されるのはわかっているが、どうしようもなく苦しくなる時がある。


 エイダが自分以外の誰かに抱き着き、笑顔を見せ、愛らしく微笑むのかと思うと。


 自分の目も耳も、昔のように潰れて聞こえなくなってしまえばいいと思ってしまう。


「リチャード」

 名前を呼ばれ、ゆっくりと父を見る。


 サイモンの言う通り、初めて見た時よりもだいぶん老けた。が、その分、落ち着きと穏やかさを深めた表情をしていた。


「今まで黙っていて悪かった。だが、エイダをよろしく頼むよ」

 立ち上がり、父は「おやすみ」と言って部屋を出ていく。


「おやすみなさい」

 リチャードの返事と共に、扉は閉まった。


「天使との間に生まれた、というのは……」

「あり得ない」


 再度サイモンに話を振ると、即座に断ち切られた。


「さっきも言ったが、そもそも種が違う。おまえたちと猿は似ているが、交配して子はなせるか? できんだろう」


 むっつりとしたまま吐き捨てられる。


「だけど、イノシシと豚の間では子ができるじゃないか」

「豚は、そもそも飼いならされた猪だ」


「サイモンが思うほど、人間と天使って、種族が違うのか?」

 リチャードは腕を組み、首を傾げた。


「シエルが昔、言っていた。おれは本来生まれてくるはずがなかったんだ、と。天使として生まれるには、いくつかの設定があって……。その設定に外れると、本来は不適格として排除される。その設定のひとつに『繁殖能力がない』ってのが入ってて……」


 冷ややかに自分を見つめるサイモンに、リチャードは話し続けた。


「最初、天使同士自然繁殖しないようにかなって思ってたんだけど、よく考えたら、使じゃないか。女がいない。それなのに、繁殖能力に制限をかけるってことは」


 リチャードは、サイモンの視線の圧を感じながらも、言い切った。


「人間との間に子を為せないように、じゃないのか」

「バカらしい。だとしても、だ。制限はかかっているんだろう、子が為せぬよう」


 サイモンの口から流れ出る言葉には、相変わらず凍てつくほどの嫌悪があった。


「お前がシエル様からお聞きした話では、設定外の天使は生まれないはずだ。だったら……」

「だが、おれは生まれた」


 リチャードの言葉に、サイモンは口を閉ざした。


「おれは生まれたんだ。なあ、サイモン。子孫を残すってのは、生物本来の本能のようなものじゃないのか? 『生きる』ということもそうだ。心臓が動き出した段階で、その生物はきっと生き残ろうとするだろう。おれみたいに」


 一番古い記憶。

 それは、戦え、と命じられたことだ。


 なにと、とはその時考えられなかった。


 今ならわかる。堕天使と、だ。

 創造主に組み込まれたプログラム。リチャードに本来与えられた使命は、堕天使殲滅だった。


 だが、培養液内で不適格として排除されかかっていた前世のリチャードは、きっと「排除しようとするなにか」から「戦え」と命じられたのだと感じたに違いない。リチャードにとって、「戦え」は、「生きる」と同義語だった。


 生きるために、戦え。

 本能が一番にそれを命じたのだ。


「だとしたら、いくら誰かに制限をかけられても、レアケースは出てくる。そのひとりと……」

「エイダの母親が通じた、というのか? そんな」


 バカな、という言葉をサイモンは飲み込み、形の良い顎をつまんでしばらく思案している。


「おい、リチャード」

 不意にサイモンがアイスブルーの瞳を向けてきた。


「なに」

「お前、しばらくひとりで大丈夫か」


「……どういうこと」

 きょとんと尋ねると、サイモンは憮然としたまま答えた。


「一度戻る。この状況と推察をシエル様に報告せねば。わたしの加護は得られないが、大丈夫か」

「……まあ、そりゃあ」


 もう堕天使から命を狙われることもない。エイダにまとわりつく天使を排除するぐらいなら、そう危険なこともないだろう。


「手を出せ」

 言いながら、サイモンが近寄ってくる。


 訳が分からぬまま、リチャードは彼に手を差し出した。

 リチャードはその手を無造作につかむと、人差し指でくるりと掌を撫でる。


 若干のくすぐったさを堪えていると、光を放つ魔方陣が浮かび上がった。だが、それも数秒だ。すぐにその魔方陣は輝きを失い、リチャードの掌に文字として焼き付いた。


「もし、人の身体ではどうにもならない事態が訪れたら、この魔方陣を掻き破れ。お前の目と耳の感覚を奪ってやろう」

「言い方……。そして、やり方」


 リチャードはげんなりする。

 ようするに、能力を戻してくれるつもりらしいが、ならば、魔方陣にそのような仕様を与えてくれればいいのに。なぜ、自分で自分の掌を傷つけなければ発動しないようなものにしたのか。本当に意地の悪い天使だ。


「じゃあな」

 にやり、とサイモンは悪い笑みを浮かべて、姿を消した。

 

 

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