第14話 全部おれのせいなんだ
◇◇◇◇
次に目を覚ましたのは、半日後だ。
息が苦しい。
苦痛のために意識が戻った。
リチャードが目を開くと、視界いっぱいに広がるのは、エイダの泣き顔だった。
「リチャード! おじさま、リチャードが!」
エイダが振り返り、叫ぶ。
自分の右手は彼女に固く握られているらしい。触れられているはずなのに、なんだか皮膚感が変だと思ったら、包帯が巻きつけられていた。火傷なのかもしれない。ぴりぴりした痛み。指を動かすと突っ張る感じがする。
それよりなにより、本当に息が苦しい。緩く首をしめられている感じだ。
ゆっくりと瞳を巡らせた。
見慣れた壁紙。良く知る香り。温かなベッド。
ここは、屋敷の寝室だ。
「大丈夫か、リチャード。どこか痛いところは?」
エイダの隣に父親が並ぶ。その隣で嗚咽を漏らしているのは母だ。
「……ァ……ク……?」
ジャックは、と問うたつもりなのに、喉から漏れ出たのは、わずかに一語。「ク」だけだ。
だが、それだけでも父親には通じたらしい。
疲労が色濃く出た瞳を潤ませ、首を横に振った。
「お前を助け出した農夫が言うには、火の勢い強すぎて……。助けられなかったらしい。火事がおさまってから、遺体は回収された」
遺体。
リチャードは唇を動かす。だが、声は出ない。
「煙や熱風を吸い込んだせいで、喉の奥が火傷しているのだそうだ。一時的に声は出ないが、すぐによくなる」
力づけるように父親は深く頷いた。その隣で母親が手を伸ばし、リチャードの額に張り付く前髪をかき上げてくれる。ぽつり、と彼女の涙がリチャードの頬に落ちた。
「覚えている? 強盗と居合わせたようね。口封じに、ジャックやあなたがいるのに家に火を放って……」
強盗?
リチャードは母親を見る。
その日、マックスの父親は夜勤の仕事のため、家を空けていたそうだ。
その父親が言うには、マックスの様子を見るため家に入ったところ、ジャックとリチャードは運悪く強盗と鉢合わせし、火を放ったらしい。
マックスの父親は火事になった家のまえで、村人に大声でそう説明してまわったそうだ。
仲間割れか、それとも何があったのかはわからないが、強盗達も退路を塞がれ、焼死。
農夫たちに助け出されたのは、リチャードだけだという。
(……呪いは……解けたのか?)
村中が堕天使の呪いにかかり、眠りについていたはずだ。
堕天使が消えたことで解呪されたのか。
そして、たまたま帰宅したマックスの父親が。
都合の良い事実を作り上げ、説明を施したのだろう。
「ジ……ク……」
彼の名を呼んだのに、喉からうまく言葉が出ない。
代わりに、瞳からは涙があふれ出た。
苦しい。
しゃくりあげながら、リチャードは口を開いて大声で喚いた。
痛みを振りほどくように、喉を掻きむしり、脚をばたつかせた。
視界は戻り、聴覚も復活した。
確認できないが、身体は〝リチャード〟に戻っているのだろう。
それなのに喉から音が出ない。
言葉にならず、声にすらならない。
ただ、泣きながら肺の空気を喉から絞り出した。
良い子だった。
ジャックは良い子だった。
なぜ。
死ななければならないのか。
「落ち着きなさい、リチャード」
「リチャード! お願い、暴れないで!」
「お医者様を、誰か!」
混乱の中、父や母。エイダの悲鳴や怒号を聴く。
聞きながら、リチャードは気を失うまで叫び続けた。暴れ続けた。
ジャックを返してくれ、と。
彼は良い子なのだ、と。
次に目を醒ましたのは、名前を呼ばれたからだった。
ゆっくりと瞼を開いたが、視界は悪い。不明瞭なのは、熱のせいだとすぐに知れた。
視界だけではなく、思考能力もぼんやりとしている。なんどか瞬きをすると、何故か涙がこぼれ出た。
深夜なのだろうか。
なんの物音もせず、室内は墨色に染まっている。
枕元に置かれたランプだけが、橙色の光を放ち、そこだけ温かな色を広げていた。
「リチャード。大丈夫ですか?」
声につられて、目だけ動かす。寝台に横たわる自分を見つめる姿は、天使サイモンによく似ていた。
「……イ……?」
やはり、喉から音らしいものは出ない。それだけではなく、激痛が走る。顔を横にねじると、枕に埋もれて視界が半減した。
「サイモンによく似ていますが、これは別の個体です」
凛とした声には、聞き覚えがあった。
シエルだ。
「わたしのことを覚えていますか? シエルです」
純白のローブを着た性別のはっきりしない天使は、自分のことをシエルと名乗った。
覚えているも何も、この世界に転生させた張本人じゃないか。
「わたしを含めた創造主たちは下界に降りることを許されていません。なので、この個体にプラグを挿してわたしの意識を移しています」
プラグ、というのが何を意味するのかわからないが、中身だけシエルなのだ、ということは理解した。
「口を開けなさい。このままでは気道閉塞のためにあなたは命を落とすことになります」
シエルはローブの内側から銀細工で出来たピルケースを取り出し、開ける。中には透明な球体と、薬液瓶。それに注射器が入っていた。
「さあ、口を」
透明な球体をつまみ出し、リチャードを覗き込む。リチャードは散々苦労しながら仰向けになると、幼児のように口を開けた。
そこに、つるりと落とし込まれた球体は、室内の闇とランプの橙色を宿し、喉を滑って胃に入る。
「すぐに声が出るようになるでしょう。熱は化膿からきています。これも抗生物質を投与しておくので、様子を見ましょう」
熱っぽい腕に、氷のような冷えが走る。
視線を向けると、シエルが注射器で薬液を腕から流し込んでいるところだった。
ピストンで薬液を押し込まれると、その液体が身体のどこをめぐっているのか不思議とわかるような気がした。
腕を流れ、腋下を通り、心臓に運び込まれると、一瞬にして清涼感が脳天からつま先に広がった。かさかさだった唇はにわかにうるおい、逆に涙ばかり流していた眼球が清浄な視野を取り戻し始める。
「……サイモンは、大丈夫?」
試しに口を開いてみると、かすれ声ではあるが、ちゃんと声が出た。
「回復に少し時間がかかりますが、死ぬことはありません」
シエルはピルケースをローブの内側にしまうと、椅子を引き寄せて座る。
指を組み、アイスブルーの瞳に穏やかな色をにじませ、リチャードを見た。
「心配してくれているのですか? ありがとう」
「心配というか……。だって、おれのせいじゃないか」
徐々に回復し始めているのはわかるが、まだ身体を思い通りに動かすまでにはいかない。リチャードは仰向けに寝そべったまま、シエルを見た。
「おれをかばって、サイモンはあんな傷を負ったんだ。ジャックだってそうだ。おれと関わったから、あんなことに……」
良い子だったのに、と言った途端、リチャードは不意に喉をせりあがった嗚咽を飲み込む。
「お、おれ……。気づいたんだ……。なんで、堕天使に危害を加えられるんだろうって、ずっと腹を立ててた。あいつら、おればっかり狙ってって……。だけど」
また目から涙があふれだす。鼻の奥がつん、と痛み、リチャードは、ひぃっく、と大きくしゃくりあげた。
「まだ、名前が無かったころ……。おれ、目も耳もうまく動かなくて……。ただ、『戦え』って言われたから、とにかく滅茶苦茶に戦って……」
天使サイモンと初めて会った時、彼は言っていた。
『まだ、誰が味方で、誰が敵かわかんないのかね』と。
『お前は、天使殺しだ』と。
あの時はなんのことか分からなかったが。
今ならわかる。
自分は敵味方の見境なく殺したのだ。
だから、自分は狙われた。
味方であるはずの天使を殺し、その天使を大切に思う天使が復讐を果たすため、堕天したのだ。
「全部、おれのせいなんだ……」
頬を伝い、顎を濡らす涙を拭おうと思うのに、両方の拳を包帯で巻かれているからうまく動かない。
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