第11話 堕天の理由

「他の家はどうなんだろう。ちょっと見て来る」


 言うなりジャックが走り出すので、リチャードも慌てて後に続いた。


 道路に出ると、サイモンは不機嫌そうに眉根を寄せ、あの黒に煙る建屋を見ている。ジャックには彼の姿が見えないのだろう。真ん前を横切り、向かいの家に飛び込んだ。


 リチャードの知らない名前を呼びながら屋内に入るのを横目に見ながら、リチャードはサイモンに言った。


「魔力を使われてる。起きない」

「この村中がそうだ。村民は全員眠らされているんだろう」


「堕天使に?」

「……さあな」


 サイモンは歯切れ悪く応じる。おや、とリチャードは内心目をみはった。サイモンにしては珍しい反応だ。


「リチャード! やっぱり、ここもみんな眠ってて起きない!」


 理由を探ろうとしたとき、ジャックが向かいの家から駆けだしてきた。リチャードが頷くと、とうとうしびれを切らしたらしい馭者が駆けつけた。


「坊ちゃん。この村、どうも様子が変です。一度お屋敷に戻りましょう」


 落ち着きなく周囲を見回しながら馭者が提案するが、リチャードは首を横に振った。


「このことを屋敷の父上に報告してくれ。おれは残ってもう少し様子を見る」

「坊ちゃん!」


 強い声を飛ばされるが、リチャードは馭者の顔をじっと見つめた。


「魔力の匂いがする。そのことを父上に伝えてほしい。そうしたらきっと、適切な人物をこの村に送ってくれると思う。おれはこの村や友人のためにここに残りたい」

「ですが……」


 大丈夫、とリチャードはにっこり笑った。


「おれには守護天使がいる。心配しないでくれ」


 その守護天使は、むっつりとしたまま不機嫌なんだけど、とは言えなかったが。


 それでも、馭者にはこの一言が効いたらしい。

 小さなころから不思議な力で守られてきたのを間近で見てきたからだろう。

 数秒はためらったものの、最後には力強く頷いた。


「承知しました。すぐに戻ってまいりますので……。坊ちゃん。それまで無理はなさらず」

「そっちもな」


 片目をつむって見せると、馭者はぎこちなくはあったが、笑みを浮かべて馬車の方に走って戻った。


「なあ、ジャック」


 馬車が走り出すのを確認すると、リチャードはすすが舞い降りたような建物を指さして見せる。


「あれは家なのか? 誰か住んでいる?」

「うん。ジュードおじさんの家」


 答えながらも、ジャックは済まなそうに眉を下げた。


「ごめん。リチャード。本当は馬車と一緒に戻ってくれって言うべきなんだろうけど……」


 小首を傾げてみせると、ジャックは手を伸ばし、ぎゅっと右手を握ってきた。


「君が必要なんだ、ごめん。残ってくれてありがとう」

「謝ることないさ」


 リチャードは笑う。


「だって友達が困っているんだ。そんなときは助けるものだろう?」


 良い子は、と心の中で続ける。

 ジャックは強張った筋肉を緩ませたように、ようやくほほ笑んだ。


「ありがとう、リチャード。ごめんな」

「だから謝るなよ」


 どんっと彼の肩を叩き、それから再び黒い家を見た。


「そのジュードおじさんの家から嫌な気配がする。行ってみないか?」

「もちろん」


 ジャックは頷くと、先に立って歩き始めた。その後ろをリチャードとサイモンが続く。


「ジュードおじさんのところって、そういえばマックスはどうしてるだろう」

「マックス?」


 繰り返すと、ジャックが目線だけ寄こした。


「ジュードおじさんの子ども。奥さんは……出ていっちゃってさ。おじさん、ひとりでマックスを育てて……。マックス、身体も弱かったからよく熱を出したりして……。おじさん、仕事を休むわけにはいかなかったから、村のおばさんたちが交代で面倒見てたんだ。おまけに、おじさん。奥さんが出て行ってから、お酒を結構飲んでて……」


 多分ジャックもそのマックスという子の面倒をみていたのだろう。まだ三歳のマックスについて詳細に語ってくれた。


 本当は、町のお医者さんに診せた方がいいこと。

 だけど、そのお金がジュードおじさんには用意できないこと。

 生活は苦しいのに、酒代ばかりにお金を使ってしまうこと。

 酔ってはマックスに暴力をふるうこと。


 ジャックが寄宿舎に入ったころには、暴力や病気のせいで幼いマックスはせってばかりだったこと。


「ジュードおじさん。ジャックです」


 薄闇に包まれた建屋の前で足を止め、ジャックは声を張る。


 リチャードは気づかれない程度に顔を背け、小さく咳払いをした。

 それほど、濃密に甘く、喉に絡む匂いが立ち込めている。サイモンはというと、こちらは煤のように降りかかる黒い霧が気になるらしい。器用に翼を動かして追いやろうとするが、すぐにまた降りかかってくる。


「開けますよ!」


 しばらく待っていたが返事がなく、しびれを切らしたジャックは木戸を押し開けた。


 ぶわり、と。

 吹き付けてくるのはやはり、あの匂い。


 魔力の根本はここだ。確信した。


 室内は暗い。

 窓自体が少ないうえに、雨戸が閉められているからだろう。


 ジャックの後ろにつき、リチャードも屋内に入ろうとして。

 急にジャックが立ち止まるから、慌てた。危うく彼の背中に激突するところだった。


「誰……?」


 震える声でジャックが問う。リチャードは彼を押しのけ、一歩前に出た。


 部屋は一間らしい。

 北側の壁には机とイスが二脚。

 南側の壁には、布団が盛り上がるベッドが見えた。


 だが。

 なにより目を引くのは、床に倒れている四人の男たちだ。


「どれかが、ジュードおじさん?」


 指をさして尋ねると、ジャックは目を凝らして男たちを見る。そして首を横に振った。


「知らない……。このひとたち、誰なんだろう」


 改めてリチャードは、床に転がる男たちを見た。


 確かに。

 農夫たちには見えなかった。いずれも上着を着ており、履いている靴も革靴だ。


 商人だろうか、とリチャードは予想する。


「……マックス? どこかにいるのか?」

 訝し気にジャックが問いかける。


 いるとしたら、あの盛り上がったベッドだ。

 ジャックは、そちらに意識を集中させているようだが。


 リチャードは、そのベッドの真上を見ていた。


 屋根の梁。


 そこにいるのは。

 白い翼をまだらに黒く染めた天使だ。


 むき出しの梁の上で膝を抱えて座り、真下にあるベッドを見おろしている。


 サイモンとそっくりの容貌をした天使だ。アイスブルーの瞳。白皙の肌。銀色の髪。


 基本的に天使と呼ばれる者は、外見が非常に似通っている。いずれもが兄弟か双子のような姿かたちをしており、話し声も共通するところがある。


『血縁関係があるのか?』

 いつだったかサイモンに尋ねると、彼は莫迦ばかにしたように鼻を鳴らした。


『創造主が同じなのだから似ていて当然だろう』

 蔑むような眼を、こちらに向けたのを思い出した。


「……堕天しかかっている」


 サイモンが吐き捨てる。

 確かに、とリチャードは頷いた。

 翼はすでに白ではない。遠目には薄墨うすずみ色に見える。


「マックス。大丈夫か?」


 ジャックはベッドに近寄った。ごとん、と重い音が響き、なんだろうと目をまたたかせると酒瓶だ。ジャックが蹴ったらしい。


 リチャードは目を凝らす。

 魔力の匂いに消されて気づかなかったが、室内にはいたるところに酒瓶が転がっていた。アルコールのすえた臭いが室内には充満している。


「……ジュードおじさん、のかな……」


 ジャックが呟く。

 だとしたら、相当な酒量だ。


「マックス。おじさんはどうした?」


 ベッドの側にひざまずき、盛り上がったシーツを揺する。


 ふわり、と。

 その肩口に羽根が舞い降りる。


 梁の上の堕天使が身じろぎしたようだ。ふわり、ふわり、と白い羽根が抜け落ち、代わりに滲むように黒い羽根が浮かび上がる。


「村人を眠らせたのも、お前か?」


 サイモンがリチャードの隣で静かに尋ねた。だが梁の上の天使は無言だ。


「今ならまだ戻れる。術を解け。抱いた感情を捨てろ。執着するな」


 冷たいサイモンの声に、かさかさかさと、枯葉が擦れあうような音がした。


 いや、違う。

 白い羽根が、抜け落ちているのだ。


 リチャードは、降り注ぐ羽根を手で払いのける。


「ねえ、マックス。ねえ」


 呼びかけるジャックの肩に。頭に。床に。

 白い羽根が雪のように降り積もっていく。


「なぜ、この幼子おさなごは死なねばならん」


 掠れた声は、堕天使のものだ。


 抱えていた膝に押し付けていた顔を起こす。

 薄暗い室内の中、ルビーに似た輝きを放つ深紅の瞳がまっすぐにサイモンとリチャードを見下ろしていた。


 本来はアイスブルーの瞳。

 赤く染まるのは、堕天のしるしだ。


「この幼子の一生とは、なんだ」

「知らん。お前はすぐさまその子の魂を天上に運べ。それが使命だろう」


 サイモンは取り付く島もない。


「その子から魂を抜け」


 天使の役割というのはひとつではない。


 サイモンのように誰かを加護している者もあれば、ひたすら堕天使を狩る者もいる。人間の呼びかけに応じ、奇跡を起こす役目のものもいれば、最期の時に現れ、魂を天上に運ぶものもいる。


 リチャードは再び、視線をジャックに向ける。


 ジャックは反応のないマックスを確認するため、キルトケットとは名ばかりの布切れをめくっているところだ。


「この子は、ただ病と飢えと、暴力に苦しむためだけに生まれて来たのか」

 堕天使が呻く。


「マックス⁉」


 露になった顔を見てジャックが悲鳴を上げた。リチャードが駆け寄る。


 粗末なベッドにうずくまるようにしているのは、まだ幼い男児だ。

 ジャックは三歳だと言っていたが、背も肩幅も小さい。


 そのマックスの右頬は紫色に腫れあがり、右瞼も異常に膨張している。

 青ざめるジャックに代わり、リチャードはマックスの首に触れた。神経を指先に集中させる。


「……生きてる」


 ほ、とリチャードは頬を緩ませ、ジャックを見下ろした。

 微弱だが、脈が触れる。ジャックも手を伸ばし、マックスの口元や鼻の辺りに掌をかざして呼吸を確認したあと、床に座り込んだ。


「ほんとだ……。よかった……」

 瀕死ではあるが、まだ死んではいない。


「その子の魂はここだ。意識を奪ったから、もう痛みもない。……このまま、わたしが運ぶ」


 かさり、かさり、と。

 白い羽根が宙に舞い散る。


 ゆっくりと堕天使は梁の上で立ち上がった。

 その背に生える翼はいまや漆黒だ。

 代わりに抜け落ちた白い羽根は、マックスの上に雪のように降り積もっていた。


「堕天の理由はなんだ」


 サイモンの眉が曇る。

 彼はマックスの魂を身体から抜いた。任務を果たしている。


 咄嗟にリチャードは床に転がる男たちに近寄った。片膝をつき、頸動脈を探っる。


「……だめだ。死んでる」

 呟くと、サイモンが小さく舌打ちした。


「だから、堕天したのか」


 村人たちのように眠らせたわけではないらしい。 

 殺したのだ、この男たちを。


 シエルが言っていた。


『人を殺めたり、騙したりしてはなりません。動物もそうです。無用な殺生は禁じます』


 あの堕天使は。

 いや、元天使は、それを破った。


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