第7話 エイダの待つハルフォード伯爵家

 馬車がハルフォード伯爵家についたのは、夕方になるころだった。


 先に馬車から降りたのは、リチャードだ。

 出迎えた執事長に「客がいるんだ」と声がけをし、馬車のタラップに足をかけたジャックを紹介しようとした矢先のことだった。


「リチャード‼」


 屋敷の方から、耳をつんざくような大声が響き渡ってくる。

 懐かしいというか、うるさいというか、煩わしいというか、めんどくさいというか。


 とにかく一言では表現できない雑多な感情がリチャードの胸に積乱雲のようにわき上がった。


「お元気そうでよかったです‼」


 とすり、と。

 体当たりに似た衝撃でもって抱き着いてきたのは、エイダだ。


 ぎゅ、と自分の腰回りに腕を絡ませ、リチャードの制服の胸辺りに顔を押し付けている。そのまま上目遣いに自分を見上げ、紫色の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。


「あれ? 大きくなった?」


 急速にわき上がった多種多様な感情は、エイダの姿を目にした瞬間、霧散した。


 リチャードの記憶では、エイダの頭は自分の肘ぐらいの高さだった。

 だが、彼女は今、リチャードの首ほどに身長が伸び、腕もすらりと伸びている。


 結わずにおろした銀色の髪は肩口どころか、腰近くまで伸び、真昼の光を浴びた小川のようなきらめきを放っていた。


「もうすぐ十四歳ですもの! リチャードと同い年になりましてよ」


 ふふ、と頬を桃色に染めて笑う。

 それもそうか、とリチャードは素直に納得する。自分だって、制服の袖や裾が合わなくなっているのだ。数か月しか年の違わない妹が同じように成長するのは当然だろう。


「まあ、リチャード! お客様?」


 エイダがリチャードの服に顔をうずめたまま、視線だけ動かして尋ねる。


「ああ。そうなんだ。同室のジャック」


 リチャードが改めて紹介をしようと彼に視線を向けると。

 ぽかんとジャックは口を開き、ただただ茫然とこちらを見ている。


 その背後で控える執事長はというと、こちらは慣れっこなのだろう。「なんだか懐かしい光景でございますな」とでも言いたげな表情をしていた。


「ジャック?」


 どうしたんだろうと名を呼ぶと、慌ててジャックは制服の裾を伸ばし、ぴしりと起立をしてみせた。


「ジャック・ハーバーです。リチャードくんとは……」

「いいよ、妹相手にそんな堅苦しい挨拶」


 苦笑を漏らすと、ようやくエイダの侍女がショールを持って屋敷から飛び出してきた。


「お嬢様。外は寒うございますよっ。また、そのように坊ちゃんに抱き着かれて……。そのような年齢としではありませんのに」


 年嵩の侍女に叱られ、エイダは渋々といった様子でリチャードから離れた。


 ショールを肩口に巻きつけられてお説教を受けているエイダは、俯いたまま「ごめんなさい」と詫びている。そのしょぼくれた様子や、彼女が吐く呼気の白さに、侍女もようやく怒りを収めたらしい。


「さあ、外は寒うございます。中に……。坊ちゃまも、おかえりなさいませ。お客人様と、どうぞ」


 エイダの侍女が深々と腰を折ると、執事長が白手袋をはめた手で、屋敷のポーチを指し示す。


「まずは、旦那様と奥様にご挨拶を」

 促され、リチャードはジャックと並んで歩くのだが。


「うが……っ」


 突如、腰を殴られて小さく呻く。

 なにごとかと執事長や侍女、エイダが振り返るが、リチャードは笑ってやり過ごし、そのあと、隣のジャックにかみついた。


「なにをするんだっ」

「なにをするんだ、じゃないよっ。なんだよっ。どこが面倒くさいだって⁉」


 どすり、と肩をぶつけてなじる。


「あんな可愛い妹に抱き着かれたり、お元気そうで、とか言われて、なにが嫌なのさっ」


 小声ながらもどすの利いた声に、リチャードは目を見開いた。


「嫌だろ。あれ、ずっとだぜ? 廊下歩いてても、お茶飲んでても、ずっと付きまとうんだぞ? 家にいたころは、ちょっと大きな猫を世話してると思うようにしてた」


「猫っ! ねこ……っ! 君ね……。なんだよ。幸せ者かよ」


「なにが。ねえ、なにが。ちょっと、ジャック」


 すたすたと自分の前を歩き出すジャックに何度か呼びかけるが、彼はガン無視でポーチに進み、屋敷の中に入ったのだが。


「おかえりなさませ、お坊ちゃま」


 玄関ホールで出迎える執事とメイドたちが一斉に頭を下げたので、ジャックはたじろいで足を止める。


「ただいま。今日はお客様をお連れしたんだ」


 リチャードがその肘を取り、笑顔を作る。エイダの侍女が小声で何か指示を出し、執事長が小さく頷く。


 メイドたちは「いらっしゃいませ」とジャックにまた頭を下げ、それぞれ指示された内容を遂行するために動き出した。


「すごいな……。ぼくの村より人数がいるんじゃないの」

 呆気にとられたようなジャックに、リチャードは笑った。


「そんなはずないだろ」

「リチャード。おじさまとおばさまは、こちらよ」


 侍女を従え、少し前にいたエイダが声を上げる。本当は駆け寄りたいようなのだが、侍女の手前こらえているらしい。


「わかった。行こう」

 ジャックを促すと、彼は不思議そうに眼をまたたかせる。


「おじさま、おばさま?」


 小声で繰り返す。

 リチャードはそんな彼と並んで歩きながら、肩を竦めた。


「妹は血がつながっていないから。父が連れて来た子なんだ。みんなは、『父上・母上』って呼ぶように言ってるんだけど……。遠慮しているんだろ」


「血 が つ な が っ て い な い」


 一語一句区切って言われるので、そんなに衝撃を受けたのだろうか、とリチャードは慌てて言葉を足した。


「だけど、おれは実の妹だと思って接しているよ。父も母もそうだ」

「…………なんかいろんな意味で、悩みそうだよ、ぼく」


「そうなんだ。家族関係が複雑で……」


 うんうん、と頷いたのに、ジャックにじっとりとした視線を向けられた。なんだろう、と訝しく思う間に、先着していた執事長が「こちらでございます」と部屋の前で頭を下げている。


「旦那様。坊ちゃんが到着なさいました。お客人をお連れです」

 ドアノックのあと、執事長が言う。


「わかった。入りなさい」 


 扉の向こうからは、懐かしい父親の声がする。ふわり、と胸を満たしたのはお湯のような温かさだ。


「ただいま戻りました。父上、母上」

 思わず駆け足になり、部屋に飛び込む。


「おかえり、リチャード」

「元気そうでなによりね、リチャード」


 長椅子に座っていた両親が立ち上がり、両腕を広げている。


 リチャードは両親と軽い抱擁を交わしたのだが。

 いつの間にか母の隣に移動したエイダが、三人目だとばかりにまた抱き着いてきた。


「お嬢様っ」


 侍女が部屋の隅で声を飛ばすが、両親が淡く笑んで首を横に振る。構わない、ということなのだろう。


 まったく妹に甘いんだから、とリチャードは胴体を拘束されたまま、扉口を振り返った。


「同室のジャックなんです。いろんなことが重なって、彼の迎えが帰ってしまって……。馬車に同乗してきました」


「初めまして、伯爵。ジャック・ハーバーと申します」


 ぎこちない仕草ではあるが、それでもジャックはきちんと礼をした。母親はほほえましい、とばかりに目元と口元を緩め、父親はというと愉快そうに笑った。


「君か。去年、息子と一緒に大立ち回りを演じたのは」

「その節は大変ご迷惑を……!」


 あわあわとジャックが首を横に振ったり、頭を下げたりしはじめ、まるで奇妙なダンスのようだ。


「彼のお家はどこなの?」

 母が長椅子に座り、リチャードを見上げる。


「ここから北へ上がったところです。シター村というところで……。あの、馬車で送っても?」


 両親を交互に見比べて尋ねると、ばたばたとジャックが駆け寄ってきた。


「いえいえ。あの、ここまで馬車に同席させていただいたお礼を述べにうかがっただけで……」

「え。そうなの?」


 目を丸くすると、ジャックは口を真一文字に引き絞って頷いた。


「そうだよ。お礼は言わなきゃ」

「馬車の乗り賃は、課題を手伝うことでチャラになったろう?」


「いいじゃないか。明日、馬車で送って差し上げなさい」

 父親も母親の隣に腰掛け、優雅に足を組んだ。


「エイダも行っていいですか?」

 リチャードに抱き着いたままエイダがはしゃいだ声を上げる。


「ダメです」

「ダメ」


 だが、即座に侍女とリチャードに却下され、柔らかな頬をぱんぱんに膨らませてむくれてみせる。


「今日は泊まって……。明日、早朝に帰ると昼前には着くだろう。そうしなさい」


 言うなり、父親は執事長に宿泊の準備と夕食を用意するように命じた。その隣で母親が侍女を呼び、お茶を運んでくるようにお願いしている。


「すいません……っ。なにからなにまで……っ」


 執事長と侍女が部屋を出て行くのを見計らい、ジャックが顔を真っ赤にして頭を下げる。


「うちの方こそ、息子がいつも世話になっているんだ。これぐらいさせてくれ。ほら、いつまでも立っていないで、座りなさい」


 向かいの席を示され、リチャードとジャックはソファに座る。エイダはというと、そのふたりの間にちゃっかりと収まった。


「ですが、本当に……」

「子どもがそんなことを心配しないの」


 まだ、もごもごと礼や詫びを口にしようとするジャックを制し、母が笑う。


「そんなに気にしているのなら、じゃあ、お家まで送る代わりに、学校での様子を聞かせてもらいましょうか。ねえ、あなた」


「それはいい。リチャードは何を聞いても『普通です』だからな」


 愉快そうに父親が笑うのが、理解できない。


「おれはいつも報告をしているじゃないですか」


「あれは報告と言わんよ、なあ?」

「ええ。『普通です』『よくできたと思います』『大丈夫です』の、みっつですものねぇ」


 ころころと母親も笑う。リチャードは口をへの字に曲げ、隣を見た。


「そんなことないよな、エイダ」

「そんな感じよ、リチャード」


 ジャックは噴き出し、それからようやく身体の強張りを解いて、リチャードに代わって学校での様子を両親に報告をし始めた。

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