第6話 一路、帰省のために伯爵家へ
「あの一件以来、なにかにつけてしつこいからな」
ダレンが顔をしかめる。
なによりハウスの持ち点を減らされたのがジェイコブにとっても痛かったのだろう。
アリエステ校には、5つのハウスがあり、各学年から15人ずつの生徒が振り分けられ、5学年で75人が所属している。
各ハウスにヘッドマスターと呼ばれる教師や、ハウスキャプテンという最上級生がおり、下級生の世話をしたり、各行事でハウスごとに競い合って点数を獲得していく。
一年の締めくくりに総合得点を発表し、最上位のハウスには校長からトロフィーをもらうのだ。
その重要な持ち点が減ったのだから、ジェイコブはハウスの上級生からこっぴどく叱られ、しばらくは肩身の狭い生活をしていたと聞く。
「無視しますよ」
リチャードはダレンに頷いて見せた。
一年前はついかっとなってしまったが、今は違う。だいたい天使サイモンにも、『いや、普通に暴力はダメだろ』と言われてしまった。
やはり相手が悪人と言えど、暴力は極力ふるうものではないらしい。
ただ今回の件については、庇護者であるシエルがペナルティを課す方針ではないようなのでほっとしたが、数日は寝込むほど落ち込んだ。
良い子にならなければ、約束の年に力が戻ってこない。
リチャードは肝に銘じている。
「よろしく頼むぞ」
ダレンは、リチャードだけではなく、ジャックとアンリにもしっかりとくぎを刺すと、また別の下級生を見つけて人の流れをかき分けて離れていった。
「せっかくの休暇前なのに、ジェイコブみたいなやつの顔を見て帰りたくないな」
アンリがため息交じりに言う。
リチャードとジャックは苦笑いし、同級生や下級生たちの作りだす波に流されながら、回廊を歩いて行った。
下級生たちは、久しぶりの帰省に舞い上がっているし、同級生たちは、新年の祝祭日に誰を招待したか、あるいは、されたかを誇らしげに語っている。
上級生になればなるほど、同じハウスの下級生たちへの目配りに余念がなく、いずれ自分もそうなるのだろうか、とリチャードは想像したりしていた。
良い人間になりなさい。
シエルはそう命じたが、いまだにリチャードの心の中で、良い人というのが理解できない。
人を殺さず、暴力を振るわず、常に穏やかで、周囲に一目置かれる。
そんなジャックのような人間が、〝良い人〟なのだということはリチャードにもわかる。
だが。
そんな彼が、優遇されているか、というとそれはまた別問題だ。
大半の生徒がそうであるように貴族の子弟ではなく、豪商の子でもない。庶民。しかも、かなり貧しい。
親は健在だが、リチャードの家のように仲が良いわけではなく、教育環境には無関心だ。
リチャードは気づかれない程度に、右隣りを歩くジャックを見る。
彼はアンリと休暇中に出された課題のことを話していた。
制服は寸足らず。
靴は磨き込まれているが、古びていることは明白。頭脳は優秀だが、参考書を購入する余裕はなく、クラスメイトのものを暗記するか、書き写して使用していた。
リチャードは当初、良い子になると良いことがあるのだ、と思っていた。
事実、リチャードは二十歳になるとき、良い子であれば本来の力を返してもらい、もと居た場所に戻してもらえる。
これは、良いことだ。
だが、ジャックはたくさん良いことをし、誰もが認める良い子なのに、それ相応の対価が与えられているようには思えない。
(……だったら、どうして)
彼は良い子になろうとするのだろう。
内心、首を傾げながら、黙々と足を前に進ませる。もう回廊も終了だ。あと少しで玄関ホールに到着する。
きっとリチャードが彼の立場なら、やりたい放題にやるだろうになぁ、と小さく息を吐く。
人から金を奪い、服を盗み、害にしかならない親は捨て、優秀な頭脳を使って他人から利益を巻き上げていたことだろう。
その方が目的を達成するには安易なのだ。
だが、ジャックはそれをしない。
誰かから押し付けられたわけではない。自分自身が よしとしないのだ。
(ひょっとしたら、彼も年齢を重ねると、良いことがあるのかもしれない)
ふとそう思った。
彼は学校を卒業すると、司祭となって村の教会に戻るのだと言っていた。
だとすると、それがジャックにとっての良いことなのだろう。
ひとりで勝手に納得をしていると、「あ」と、アンリが声を漏らした。
「どうした?」
アンリを見上げ、ジャックが尋ねる。
「いるよ。ほら、あそこ」
毒虫や苦虫をまとめて嚙み潰したみたいな顔で、アンリは玄関ホールの一角を指さした。
そこには、ジェイコブとその取り巻きたちが、群れている。
「このままやり過ごそう」
アンリが耳打ちをし、ジャックとリチャードは小さく頷いた。
刺激しないように、目立たないように。無言のまま、生徒たちの流れに紛れ込んだのだが、取り巻きのひとりが目ざとく見つけたらしい。
「おい」
ジェイコブが大声を張り上げたが、三人は無視を決め込んで足を速める。
「聞こえてるんだろ、嘘つきと貧乏人!」
ジェイコブが喚き、取り巻きの生徒たちが、どっと笑う。
「嘘つきじゃない」
む、とリチャードは眉根を寄せて足を止めた。
「嘘つきだね。天使なんて見えるわけがないんだ」
ジェイコブがせせら笑う。
ねたんでいるのだ、ということはリチャードにもわかる。
生まれた時に天使が祝福した、というあれだ。
その後も何度か天使が現れてリチャードの危機を救ったのが、また美談になっている。
実際は殺されかかっており、死なないぎりぎりを見計らって助けているのだ、ということをリチャードは周知したいのだが、それもできない。
リチャードの存在自体を教会や司祭、教師たちが特別視していることも知っている。
それが、ジェイコブには気に食わないのだ。
リチャードにとって、彼のこの粘着的なほどのしつこさが、どうにも理解不能だ。
自分やジャックが不愉快な存在なのであれば、かかわらなければいいのだ。
あるいは、徹底的につぶすか。
だが、ジェイコブはそのどちらもしない。
「君が見えないだけだろ」
リチャードは鼻を鳴らした。
「たとえばさ、ラクダという背中にこぶがある四つ足の大型動物がいるんだ、と説明しても、『おれは見たことが無い。そんなものはいない。嘘つきだ』って君は言うのかい? そういうのを無知って言うんだぜ」
よせ、とアンリが小声で制するのを聞かなかったことにし、リチャードは大声を張り上げた。
周囲の生徒たちはクスクスと笑い、ジェイコブは真っ赤になって飛び出そうとした。
慌てたのは取り巻きの生徒たちだ。
また乱闘騒ぎにでもなれば、大ごとだ。壁を作ってジェイコブがリチャードに飛びかかれないようにしている。
「行こう。ほら」
その間に、ジャックもリチャードの背を押して玄関に向かおうとした。
「ああ、そうだ、貧乏人! お前によく似たやつがさっき出て行ったもんだからさ!」
ジェイコブが数人の生徒に拘束されながらも、喚いた。
「お前の村から来たとかいう幌馬車にそう言ってやったぜ! あんたの村の生徒はもういない、ってな!」
「はあ⁉」
アンリが剣呑な声を上げた。
ジャックも足を止めて、唖然とジェイコブを見ている。取り巻きたちは追従の笑みを浮かべたが、玄関ホールにいる他学年の生徒たちは眉を顰め、小声でジェイコブに対しての非難めいた言葉を口にした。
しかし、そんな様子が全く目に入っていないらしい。ジェイコブは得意になって、胸を反らせた。
「貧乏人は貧乏人らしく、歩いて帰れよ! 今年、お前の村、不作だったらしいな! 数人まとめてうちの家が使用人にするらしい。なんなら、お前も雇ってやるよ!」
下品に大笑いをしているジェイコブを無視し、リチャードは立ち尽くしたままのジャックの手を握り、引っ張って歩く。その後を、アンリがジェイコブを睨みつけながらついてきた。
「おれの馬車に乗ればいいよ。君の村、うちの屋敷から真っ直ぐ北に上がったところだろう?」
玄関を抜けた途端、寒風が吹き付け、思わず首を竦めた。
肩を強張らせたまま、右手にトランクケース。左手にジャックの手を握りしめ、馬車廻しに向かいながらリチャードは言う。
「そんなことはできないよ」
寒さと困惑で頬を紅潮させ、ジャックは首を横に振る。
「どこかで辻馬車を拾うさ」
風で突っ張る頬を無理に動かし、ジャックは笑って見せたが、そんな金など持ち合わせていないことは、リチャードもアンリも知っている。
きっと彼は、夜通し歩いて村に帰るつもりだ。
「お金……。手持ちの、貸そうか?」
おずおずとアンリが申し出るが、貸したとしてもジャックはきっと返せない。
そして、「いいよ。ありがとう。でも、返せないから」とジャックが困ったように言うのを、リチャードは見たくなかった。
「おれ、無償で君を馬車に乗せるつもりはないよ」
リチャードは、ジャックが何か言うより先に、そう言った。
馬車廻しに近づくと、すでに何十台という馬車が列をなしており、馬の身体から発する白い靄やむっとするような体臭が、風に乗って鼻先をかすめる。
「課題のソネット。あの小論文を書くコツを馬車の中で教えてくれよ。その授業料として、君を馬車に乗せたい」
きょとんとしているジャックに、リチャードは言い放つ。
「いいんじゃないか? ジャック。家庭教師をしてやれよ」
アンリも嬉し気に目を細めて頷いた。
「もうひとつお願いしたいんだ。ついでに、うちの屋敷にも顔を出してほしい」
戸惑うジャックに、リチャードは顔を顰めて見せた。
「久しぶりに会う妹が、最強にうっとうしいんだ。ぜひ、あいつからおれを守ってくれ」
真面目に依頼すると、ようやくジャックは噴き出すようにして笑い出した。
「じゃあ、家庭教師を受けるとしよう。ついでに、護衛も」
リチャードは彼から手を離し、肘を上げて見せる。
ぱん、と。その掌をジャックが軽やかに叩いた。
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