第5話 帰省の前の頭痛の種

「妹はおれに似てないんだ」

 リチャードはそれだけを言うと、再び荷物を詰め始める。


「なんだ、そうか。じゃあ……。面倒くさいなんだな。だったらぼくもいらない」


 くすり、とジャックは笑う。


「妹は欲しかったけど……。うちの家に女の子なんて産まれても可哀そうだったかもしれないね」


 ふと、ジャックが精彩に欠ける声で呟いた。


「どうして?」


 トランクケースの空き具合と、荷物の残量を確認しながら、リチャードは何気なく問う。


「男だったら、いろいろ売られる先があるけど。女の子は、売られる先なんて、ひとつじゃないか」


 ジャックが言わんとしていることをなんとなく察し、リチャードは手を止めた。


「ぼくの一番上の兄は、大工の親方のところへ。二番目の兄は料理人に。三番目の兄は漁師のところにそれぞれ売られた。両親に唯一才能があるとしたら、人を見る目だけは確かだったし、子どもの適性もちゃんと見てたんだよね。どの兄も、仕事場から逃げ出さないし、酷い待遇も受けてない。一番上の兄ちゃんなんて、もうすぐ棟梁になるんだ」


「それはすごいね」

 リチャードの言葉に、ジャックは目を細める。


「ありがとう。だけどね、女の子だと……。どんな才能があるかとか、どんな適性があるかなんて重要視されない。売られる先は娼館だけ。おまけに勉強もさせてもらえない。字も計算もできないなんて……。だったら、できる職業は限られて当然だよね」


 だから、とジャックは肩を竦めた。


「ぼくの家には女の子が生まれなくてよかったと思うよ」


 リチャードは、返事を探して青い瞳を室内に彷徨わせた。「ほんと、そうだね」というのも変だし、「そんなことないよ」というのは明らかに嘘だ。


 結局何も言わずにトランクケースに荷物を詰めることにした。

 室内には微妙な空気が漂い、ジャックさえも、居づらそうに脚を組み替える。

 そこに、響いてきたのは、軽快なノック音だ。


「開けるぞ」


 返事をする前に、扉は開き、茶色い髪にそばかすの目立つ男子生徒が顔を覗かせた。

 隣室のアンリだ。


「なんだ。まだ荷物詰めか? おれら、もう出るぞ」


 室内の様子を見て、アンリは目を丸くする。愛嬌のある顔立ちと、くるくるとよく表情の変わる緑の瞳がとても印象的な子爵の息子だ。


「すぐだよ、すぐ」


 リチャードは言うと、強引にトランクケースを締めた。

 アンリが開けた拍子に、ドアから廊下の喧騒がなだれ込んでくる。みな、帰省が楽しみらしい。どの声も明るく、笑い声が絶えない。


「じゃあ、ぼくらも出るか」


 ジャックがベッドから降りると、自分のトランクケースに手を伸ばす。


「そうだね」


 リチャードも頷き、持ち手を握って立ち上がった。


「もう馬車、来てるんだ。うち」


 扉を大きく開けて待ってくれていたアンリが、側を通り過ぎる時に嬉しそうに笑った。


「うちはどうだろう」


 リチャードは小首を傾げる。

 室内を最後に確認し、閉め忘れていたカーテンを引いてから部屋を出たジャックが、アンリに尋ねた。


「ゴードンは?」

 アンリと同室の少年の名だ。


「もう、行っちゃったよ」


 不服そうに口を尖らせて廊下の前方を指す。生徒たちでひしめき合う階段付近に、確かに彼らしい背中が見えた。


「ずっと『早く帰りたい』って言ってたからなぁ」


 トランクケースを前抱きにし、小太りの身体を揺すりながら、下級生を押しのけて歩くゴードンを見て、リチャードは苦笑を浮かべた。


「去年は最悪だった。毎晩『帰りたい』って泣くんだから。いい迷惑だよ」


 うんざりだ、とアンリが顔をしかめる。

 ジャックとリチャードは顔を見合わせて苦笑いをした。


 当初はそんな同級生も多かったようだが、最後まで「お家が恋しい」と泣いていたのはゴードンだけだったような気がする。


「さよなら、ジャック」

「リチャード、またね」


 すれ違いざまに、下級生たちが声をかけてくる。ジャックは丁寧に「よい休暇を」と声をかけ、リチャードもその隣で手を振った。


 アンリなどは後ろから飛びかかられては、「またな」と言われる始末。荷物ごと下級生を振り払って「風邪ひくなよ」といたずらっぽく笑う様を見ていると、下級生たちも先輩の個性をよく把握しているとリチャードは感心した。


 三人で、休暇をどう過ごすかという話をしながら階段を降り、寄宿舎を出た。

 回廊へと続くホールは、各寄宿舎の生徒たちでごったがえしている。


「リチャード! どこだ⁉ いたら返事をしろ!」


 おしくらまんじゅう状態ではあるが、ゆっくりと回廊は進んでおり、生徒自身のひといきれのためか、冬だというのに結構温かい。


 うぎゅ、うぎゅ、と揉まれながら歩いていると、不意に名前を呼ばれた。


「はい!」


 片手をあげて背伸びをする。

 ジャックとアンリも声の主を探して首を巡らせた。


「わかった、そっちに行く!」


 どうやら声の主は、リチャードたちが所属するグリーンハウスのハウスキャプテンのダレンのようだ。


 ハウスの中で誰からも一番信頼されているのっぽの最上級生は、生徒たちをかき分けかき分け、やって来た。


「馬車廻しのあたりで、ジェイコブ・ビギンが仲間たちと群れてる」


 進行の邪魔にならぬよう、ダレンはリチャードたちを促して歩きながら、小声で告げた。


 ジェイコブ・ビギン。


 できれば、今後一生聞きたくない名前だ。

 リチャードと同じ、伯爵家の子息で、父親の権威や金を、自分も等しく持っていると勘違いしている典型的な貴族のぼんぼんだった。傲慢で、常に腰ぎんちゃくを引き連れて歩き、容赦なく弱いものをいじめた。


 彼が同級生というのが我慢ならないが、それでも所属がレッドハウスということで、いつも距離を置こうと努力しているのに、なにかあるといつも突っかかってくる。


「もう、出たのかと思ってました」

 リチャードが顔をしかめると、ダレンも眉根を寄せる。


「おれは、もっと寝坊してあとから出るのかと思っていたよ」

 それから顔を寄せ、声を潜めた。


「どうせ仕掛けてくるに決まっている。いいか、絶対に挑発に乗るなよ」

「おれは何もしません」


 むっつりと返事をすると、ゆるく丸めた拳で、こつりと頭を小突かれた。


「よく言うよ。去年大乱闘をしたのはどこのどいつだ」


 途端に噴き出したのは、アンリだ。ジャックはというと、しょぼんと肩を落とし、上目遣いにこちらを見た。


「あの時は、ほんとごめん」

「ジャックは悪くない」


 即座にリチャードが言うと、ダレンも力強く頷いた。


「そうだ。悪いのはジェイコブだ」



 それは、まだアリステス校に入学して間もないころだった。


 数学の授業を受けた後、理科実験室に移動をしようとしていた時、クラスメイトのひとりが、「財布が無い」と大騒ぎし始めたのだ。


 リチャードとジャックが、『一緒に探そうか』と声をかけようとした矢先、ジェイコブがジャックの胸倉をつかみ、いきなり言い放ったのだ。


『貧乏人。早く、盗んだ金を出せよ』


 リチャードもジャック自身もぽかん、とジェイコブの顔を穴が開くほど見たのを覚えている。


 なにいってんだ、こいつ。


 それが、純粋な感想だった。

 だが、ジェイコブは同じぐらい純粋に、ジャックが盗んだと信じていた。


 何故なら、彼は平民で、奨学金と多額の寄付でもって入学し、生活をしているからだ。


 これはのちに知ったことだが、ビギン伯爵家には、ジャックの村出身の使用人や馬丁が多数おり、彼が貧しい農村地区出身だとジェイコブ自身が知っていた。 


 そんな人間と、どうして同じ教室で学ばなければならないのかと常日頃から不満を周囲にまき散らしていたのだそうだ。


 また、今年の入学者で最も高貴な者は自分だ、という自負の元、ジェイコブはこのアリエステ校にやって来た。父であるビギン伯爵の出身校であり、父と同じハウスに所属して、将来はハウスキャプテンになり、父のように輝かしい学習の成果を上げて卒業をするつもりでやって来た。


 ところが、実際に入ってみると、注目されているのは、ハルフォード伯爵の息子、リチャードだ。


 彼は、天使の祝福を受けて生誕し、その後も国中の保護者が『リチャードのようになりなさい』と思うような心根が優しく、まっすぐな少年に育っていた。


 かつ、美しかった。


 あいつのせいで、おれがいくら頑張っても誰も注目してくれない、とジェイコブはひがんでいた、とこれも後に聞いたことだ。


『金に困ってやったんだろ』

 ジェイコブが吐き捨てる。


『本当なのか? ひどい奴だな』

 レッドハウスの同級生たちが、軽蔑した視線をジャックに向けていた。


『そんなことしないよ』


 呆れてジャックが応じると、いきなりジェイコブは彼を突き飛ばした。

 机をなぎ倒しながらジャックは床に倒れ、教室からはいくつも悲鳴が上がる。


『ジャック!』


 咄嗟にリチャードは彼に駆け寄り、助け起こそうとしたが、幾人かの生徒にその腕を取られ、驚いて目を瞠った。


 ジェイコブの取り巻きらしい。


 何人かはレッドハウスの生徒で、やけに粘着質な笑みを浮かべていて、リチャードは鳥肌が立つ。それほど、彼らに対して憎悪の感情が噴き上げた。


 重なるのは、あの天使の表情。

 人を見下し、馬鹿にし、嫌悪する目。


(こいつらは、悪い奴だ)


 即座に、リチャードは判断を下した。


 悪いことを、悪いと知りながら、『でも、こっちの方が面白そうだから』という理由だけで行動をする奴ら。


『教室移動なんだから、時間がねぇだろ。さっさと、カネを返せ』


 転倒した時に肘を強く打ったのかもしれない。うずくまるジャックを、ジェイコブが無造作に蹴りつけた。


 リチャードは確信した。

 こいつも、悪いやつだ。


 良い子のジャックに暴言を吐き、突き飛ばし、あまつさえ、蹴ったのだ。


(良い奴を守るために、悪い奴を殴るのは、悪くない。たぶん)


 リチャードはそう判断したが、ちょっと自信がないので、あとで天使サイモンにでも聞いてみようと、結論を先延ばしにすることにした。


 再び教室に大きな悲鳴と泣き声が響き渡った。


 リチャードが、自分を捕らえる生徒を振り払い、ジェイコブに躍りかかったのだ。


 暴力を振るったことはあっても、暴力を振るわれることはなかったのだろう。リチャードの右拳は、あっさりとジェイコブの左頬に炸裂した。


 床に転がるどころか、壁まで吹き飛び、鼻血を垂らして茫然としているジェイコブに、リチャードは怒鳴った。


『ジャックはそんなことしない! お前は最低だ!』


 その声に触発され、ジェイコブは鼻血だけではなく、憤怒で顔を真っ赤に染めて殴り掛かってきたが、そもそもリチャードとは踏んでいる場数が違う。


 あっけなくまた蹴り倒されたが、今度は取り巻きの生徒たちが一斉に襲い掛かって来る。


 気づけばリチャードは、十四人の生徒を相手に大立ち回りを演じ、騒ぎを聞きつけた教師たち数人によってようやく場はおさめられた。


 その後。

 騒ぎの中心人物たちはそれぞれ個別に事情聴取を受け、各ハウスのヘッドマスターとハウスキャプテンで話し合う場が設けられた。


 ちなみに。

 財布はみつかった。


 彼は購買部でペンを購入しようと教室に持ち込んだつもりだったが、実は居室の机に置いたままにしていたのだ。


 リチャードの暴力は問題だが、理由もなく犯人を決めつけ、一方的に暴力をふるったジェイコブはさらにいけない。


 ジェイコブは厳重注意を受けた上に実家に校長から事情を記した手紙を送られることになり、かつ、レッドハウスは、年間行事で獲得した点数を三点減点されることになった。


 リチャードは、というと。


 同じように実家に校長からの手紙が送られたものの、同じグリーンハウスのみんなからは『仲間思いだ』と称賛された。

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