第4話 リチャード、14歳になる

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 リチャードが十四歳になった、聖アナベルの日。

 それは、アリステス校において、特別な日だ。

 なにしろ、冬休みを実家で楽しむために寄宿学校を出る日なのだから。


「君はもう準備ができたのか。早いな」


 リチャードはため息をついてそうこぼした。

 同室のジャックがトランクケースの扉を閉めるのが見えたからだ。


「なんだい。君はまだ荷造りが出来ていないのかい?」


 ベッドに片膝を曲げて座っていたジャックは、驚きに目を丸くしている。


 リチャードと同じグリーンハウスの同室者は、黒い瞳と黒い髪を持つおおらかな少年だ。


 彼は貴族の子弟ではなく、村一番の秀才ということで奨学金を得ての入学だった。

 そのためジャックは寄宿学校を卒業すると村に戻り、司祭になることが義務付けられてもいた。


 誰よりも学生時代は貴重だと知っているのだろう。勉学も、学校行事も、もちろん寄宿生活も手を抜かない。


 当初、両親は『平民と同室』ということに渋い顔をしたが、リチャードは入学式でジャックを見、そして話をしてみて、心が浮き立つほど喜んだ。


 彼が、〝とても良い子〟だったからだ。


(彼を真似ればいいんだ)


 入校から一年。

 リチャードはそう確信した。


 記憶が継続し、身体が成長するにつれ、リチャードは「〝良い子〟とはなんだろう」と悩むことがしばしばあった。


 非常にあいまいで、大変不確定なその言葉は、同じ行動をしてもまったく真逆の評価を産む場合もあるからだ。


 例えば、力いっぱい庭を走り回れば、「元気でいい子ですね」と言われるのに、お客様がそこに同席していれば、「じっとしていない悪い子」ということになる。


 良い子とはなにか。

 リチャードの中で、その外郭がどんどん揺れ始めた。


 それに、プレップスクールだけではなく、宮廷や教会においても、リチャードは、「とても悪い子」や「悪い大人」をみかけた。


 なぜ、そんなものが存在しているのか。

 リチャードにはどうしても理解できなかった。


 自分が「良い子」でいようと、努力しているというのに、なぜ人間は努力しないのか。


 一度、自分を監視する天使サイモンに尋ねてみたことがある。


『なぜ悪い人間がいるのだろう』と。


 彼から『人間には、お前に課せられたようなかせがないのだ。良いも悪いもない。己が思うように生きている』と教えてもらった時は、愕然とし、激怒した。ずるい、と。


『そりゃ、あるにはあるぜ? 罪を犯した人間は地獄に落ちる、とか。そんな宗教的枷はな』


 サイモンはけらけらと笑う。対してリチャードは憤然とした。


『なら、どうしてみな、良い人間になろうとしないんだ。悪いことをすると、地獄に落ちるのだろう? 怖くはないのか』


 自分なら、力が戻らないことが死ぬほど恐ろしい。


 二十歳になり、サイモンやシエルの加護が無くなれば、きっと堕天使たちは確実に襲ってくる。この脆弱な身体では、決して戦えない。生き残れない。


 ということは、消えてなくなるしかない。

 そんなのは恐ろしい。


『さあね。人間がどうなろうが、そんなの知ったこっちゃない』


 天使とあがめられる存在のはずの彼は、人の悪い笑みを浮かべたまま消えた。


(悪いことをしてもいいのだろうか。実は許されるのだろうか)


 自分は騙されているのか、と疑いが生じた時期に出会ったのが、ジャックだ。


 彼は何事においても、正しさを大切にし、善なることに重きをおいた。

 勉学に励み、身体を鍛えることを尊んだ。


 だからこそ庶民でありながら、寄宿舎の中でも大切にされ、信頼を得ているのだ。


 彼が最高学年になったとき、きっとハウスキャプテンになるだろう。そういう教師もいる。


 彼を真似ていれば、間違いない。

 〝良い子〟とやらになれるのだ。


 そして、二十歳になり、自分はまた、あの力を戻してもらえる。


「早く荷物を詰めないと……。君、実家から馬車が来るんだろう?」


 ジャックに急かされるまでもなく、衣類や勉強道具などは整然と準備され、トランクケースに詰め込まれるのを待っている。だが、リチャードはそれをせず、むっつりとした顔で床に座り込んでいたのだ。


「あとは詰めるだけさ。すぐできるよ」


 口を尖らせて応じると、ジャックは肩を竦めて笑った。


「中には、一週間前から荷造りしてるやつもいると聞くよ?」

「早く荷造りしたからって、早く帰れないのにな」


 つい、口がへの字に曲がる。

 ジャックはそんなリチャードを見て陽気に笑った。


「何が嫌なんだい。ぼくのようにあばら家に戻るんじゃないだろう? 君ん家は伯爵家じゃないか」

「だが、君の家にはあの妹がいないだろう」


 つい、突っかかってしまう。

 ジャックは声を立てて笑った。


 彼には常日頃、妹がいかに面倒くさく、煩わしい存在なのか言って聞かせているのだ。


「ぼくならうらやましいけどね。妹とか」


 ジャックは目元に笑いの余韻を残したまま、脚を組む。そうすると、制服のズボンの裾が上がって、脛が剥き出しだ。靴下までサイズがあっていない。そのせいでまだ薄いすね毛がほんの少し見える。


 十四歳。

 彼もリチャードも、ここ数カ月でめきめきと身長を伸ばした。ズボンだけではなく、シャツもジャケットも寸足らずだ。この休暇中に買い替えなければならないだろう。


「君も兄弟がいただろう?」


 覚悟を決め、床に胡座をかく。帰りたくなくても、ジャックの言う通り、迎えの馬車は来ているのだ。待たせたり、わがままを言うのは、「良い子」ではない。適当に荷物をトランクケースに詰め込みながら、横目でジャックを見た。


「いるよ。男ばっかり。うんざりだよ」


 ジャックはわざとらしく天をあおいでみせる。


「男きょうだいと、女きょうだいは違うのかな」


 首を傾げると、ちがうちがう全然ちがう、と首を横に振られた。


「冬休みなんて、仕事で王都に出かけている兄たちも帰って来るからもう……。場所はとるし、くさいし、うるさいし」


 彼にしては珍しく顔をしかめ、指を折って悪口を並べている。

 確かに、と、リチャードは頭に思い浮かべてみた。

 妹のエイダは、小さいし、いつも菓子の甘い香りがしている。ただ。


「妹だって、騒がしいぞ」

 眉間にしわが寄った。


『リチャード、あのねあのね。エイダ、さっきね。えっとね。ピアノを弾いてたんだけど。あ、その前にイゼルダ先生がやって来てね。そしたら、猫がお外から戻ってきたの』


 結局、なんの話なんだというようなことをぺらぺらとしゃべり、聞いている風を装って頷きながら別のことを考えていたら、『リチャード。今、私が言ったことを繰り返してみて』とか言われるのだ。


 そんな説明をしたら、ジャックは愉快そうにまた、けらけらと笑った。


「だけど、君に似て美形なんだろう? うらやましいな」


 首を傾げられ、なんとなくリチャードは部屋におかれた姿見に視線を向ける。


 私物ではない。

 このふたり部屋に最初から設えてあったものだ。


 毎朝、この姿見の前にふたり並んで立ち、制服に乱れが無いことを確認して、食堂に行くのがきまりだ。


 そこにいま映っているのは、リチャードだけ。


 母親譲りの金色の髪と、サファイヤのような青い瞳。父親に似た、すっと通った鼻筋に、薄い唇。


 透けるような白い肌も相まって、昔はよく女の子に間違えられていた。


 だが、十四歳になった今、しっかりとした顎の線や、少しだけ浮いてきたのどぼとけなど、徐々に男らしい姿になりつつある。


(美形、ねえ……)


 あまり視覚からの情報を得るのが得意ではないせいか、どうにも納得できない。ませた女の子が自分に色目を使ってくることも、リチャードは知っている。


 だが、自分にとっての「好むもの」は、良い匂いがするものや、触り心地がいいものだ。


 見て楽しむということがリチャードには理解できなかった。


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スキルを全て奪われて転生させられた俺。やり直し条件は〝良い子〟になること⁉ 果たして二十歳までに原状復帰できるのか!   武州青嵐(さくら青嵐) @h94095

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