第10話 私の名は(後編)

「お綺麗でございます!」


 鼻の辺りにそばかすのある若い女は、柔らかなセーラツィカの髪を整えながら言った。


「ほんと、まるでお姫様みたい」


 今度は左の頬にほくろのある若い女がそう言いながら、セーラツィカの肩に掛けられたローブの位置を正す。


 そばかすの方はザサリナ、ほくろの方はエーデレネといった。2人ともこの家の侍女である。


「ギルネラさん、これでよろしい?」というエーデレネの問いに、ギルネラは目を輝かせて「素晴らしい。セーラツィカ様の魅力が、存分に引き出されていると思います」と答える。


「そうかしら」鏡を覗き込みながらセーラツィカは言った。


「派手すぎやしない? 装飾が多過ぎて、私の顔がどこにあるか分からないんじゃ…」


「そんなことございませんよ! これだけ着飾っても、一番目立つのはセーラツィカ様の見事なお髪とおめめではないですか」とザサリナ。


「そうですよ。失礼ながら、ここまで美しい赤と緑は初めて」とエーデレネ。


「…そう?」セーラツィカは微かに頬を染めると、右耳へと垂れ下がる一房の髪を掴んで遊んだ。


「あなた達2人もとても綺麗よ。もちろん、ギルネラもね」


 赤毛の少女の言葉に女達は嬉しそうに微笑む。


 そんな折、部屋の扉を叩く音がした。「そろそろよろしいでしょうか?」と続いて声がする。


 セーラツィカが「どうぞ」と言うと、バルナレクが中へと入ってきた。


「如何ですか? 皆もう部屋に集まって──」


 着飾ったセーラツィカを目の前に、バルナレクの口は大きく開いた形で固まった。


 足元までを覆い隠すゆったりとした丈の長い白のドレスは、胸元や袖口、裾の端々に朱色の草花紋様の装飾が施されている。


 そのドレスを隠すように羽織るローブは淡い空色で、抽象化された様々な動物達が踊るように縫われていた。


「なんとも、はや…」目を丸くしたバルナレクはなんとかそれだけを言った。


「似合わない?」とセーラツィカ。


「そう思うのなら正直に言って」


「そ、そんなことは決してありません! 失礼しました。どうやら見惚れていたようで…」


 クスクス、とセーラツィカの後ろで若い女達の小鳥のような笑い声がした。


「ええと…そうだ! こちらは万全整いましたが、セーラツィカ様はよろしいでしょうか?」

「いつでも」


「分かりました。それではこちらへどうぞ」


 ザサリナとエーデレネには軽く会釈を、ギルネラには「行ってくるわね」と声をかけた後に、セーラツィカは青年と一緒に部屋を出た。


「ここまで着飾る意味ある?」柱廊を歩きながらセーラツィカは言う。


「まだ皇帝になった訳でもないのに、馬鹿みたい」


「そんなことはない」快活にバルナレクは答える。


「私や父だけならともかく、今日は複数人に姿を見せるのです。気合いを入れねば!」

「あっそ。所で、一体どこからこんな上等な服を?」


「私の母が若い頃に着ていたものだそうです。殆ど袖を通していないそうで、着てもらって服も喜んでいるでしょう」

「私、まだご挨拶してないわよね?」


「亡くなりました。12年前に」

「そ、そうなの…ごめんなさい」


 セーラツィカは視線を足下へと落とす。赤毛の強気な少女も、肉親との死別には言葉も無かった。


「…話は変わるけど、先日の事は反省してるわ。後悔はしてないけど、度が過ぎたんじゃないかって。大声で相手の言葉を遮るなんて馬鹿みたい」

「大丈夫です。あれぐらいしなければ父は人を認めません。お陰でこうして顔合わせまで漕ぎ着けることが出来たんだ。このまま会合でもその調子でお進み下さい」


「なら良かった」


 客間へと続く扉の前で2人は立ち止まる。


「大丈夫、私が側におります」とバルナレク。

「なに言ってるの。この前は全く役に立たなかった癖に」とセーラツィカ。


「そんなことは…! い、いや確かに…」


「グフフ」と思わず赤毛の少女は笑みをこぼす。


「別に期待してないけど、側にいたいならどうぞご自由に」


 ◇


 先日セーラツィカとエネクルジュ親子が激論を交わした客間に、その晩は5人の男が待っていた。


 家の主人であるホスナール。税務長官のデルフレドとその息子ネェズルン。魔術院教授のナペルゴ。そして裁判所書記官のケルゼシュ。


 バルナレクに付き添われてセーラツィカが姿を現すと、男達の視線はみなそこへと集まった。


「なんとも、これは…」


 最初にナペルゴがそう声を漏らした。彼は懐から片眼鏡を取り出して、レンズ越しに少女をよく観察する。


「本当に、ヤーコシュ殿下の目だ。だがしかし…どうして…」


「それでは本日の会合を始めたいと思う。あいにくベルハシル殿は体調不良で欠席とのことだ。それでは──」


 ホスナールの進行を「ふざけるなよ」とデルフレドが遮った。


 ホスナールとは数十年来の友人であり、頭のすっかり禿げかかった髭面の老人は顔を赤くして続ける。


「狂人め、なにを済ました顔をしている。これは一体どういうことだ? この娘は何処の誰なのだ? 早く説明しろ」


「デルフレド殿」バルナレクが口を挟む。


「どうか口を慎んで頂きたい。貴方の前に立っているのは、皇帝となるべきお方なのですよ」


「皇帝…」ケゼルシュは小さく呟き、セーラツィカを凝視する。


「証拠は?」バルナレクを睨みつけながらデルフレドは言った。


「何か形のあるものがあるのか? 印章付きの文章は? 形見の品は?」


(何処かで聞いたような台詞だわ)


 セーラツィカはそう思いつつ、へその前で手を組んで事の成り行きを見守った。


「なにもない。だがどうだ? ナペルゴ殿が言うように、ご両親に瓜二つだろう?」


 投げやり気味なホスナールの回答に、案の定デルフレドは言葉を荒げる。


「おいぼれめ、計画を全て無駄にするつもりか! ただでさえ博打うちだと言うのに、これ以上の負債は抱えられん!」


「親父、とにかく向こうの話を聞いてみては…」とネェズルンは約束通り、だが余りに微弱な援護をバルナレクに送った。


「デルフレド殿、どうか落ち着いて下さい」と再びバルナレク。


「皇帝の血統を示す証ならあります。異能です。皇帝となった者なら誰もが持っていたとされる特殊な力です」


「異能、異能か…」デルフレドはそう言って、セーラツィカの顔を見つめる。


「ならそれをここで見せてみろ。実際にこの目で見るまでは信じない」

「今、ここでですか?」


「そうだ。植物をその場で種から花開かせたり、人形を操って見せろ。歴代の皇帝は出来た。そうだろう?」

「当然知っています。しかし…」


「私も、是非とも見たい」


 ケゼルシュが口を挟む。顔色の悪い男は、病的な目で赤毛の少女を見つめている。


 バルナレクは父の顔を見遣った。ホスナールは一瞬息子の顔を見返した後、小さく頷く。


「セーラツィカ様、その…」バルナレクが言い終えるより早く、セーラツィカは「いいわ」と言った。


「いい機会ですもの。自己紹介代わりに、私の力を披露してご覧に入れましょう」


(大丈夫なのか…?)


 ネェズルンは咄嗟にバルナレクへと視線をやる。


 信じているのか諦めているのか分からぬような表情で、栗色の髪の青年は赤毛の少女を見つめていた。


「誰か、魔術の使える者はいる?」セーラツィカはそう言って男共を見回す。


「さあ、ナペルゴ殿」


 デルフレドはそう言って、白髪の老人を促した。相手はしぶしぶというように、ゆっくりと立ち上がる。


「それではナペルゴ殿。なんでも良いので私の身体に魔術で攻撃をして下さい」


「ええっ!?」老人はそう言って後ずさる。


「ご、ご冗談を! そんなことをすれば、あなたは無事では済みますまい!」

「いいから黙って私に魔術を使って下さい。炎でも、岩でも、氷でも、雷でも」


「で、出来ません! 貴方が皇帝の血統であろうとなかろうと、無防備の若者を打つことなど私は致しません。どうかご勘弁を…」


「そう」老人の抗弁にセーラツィカはあっさりと引き下がる。


 赤毛の少女はバルナレクに屈むよう言うと、相手の耳元で何かを囁いた。栗毛の青年は即座に部屋を出ていく。


 気まずい沈黙が少し続いた後、バルナレクに連れられてギルネラが入ってきた。


「ギルネラ、お願いがあるの。またあの時みたいに私を燃やして。遠慮はなし」


 ギルネラは懇願するように両手を顔の前で組んだが、赤毛の主人は容赦なくギルネラを連れて中庭へと出る。


「皆さん、危ないので離れていて」セーラツィカの言葉に、男達は半信半疑のまま屋外へと続いた。


「ドレスが少し汚れてもいい?」


「大丈夫です。存分に」少女の質問に、バルナレクはぎこちない笑顔でそう答える。


 セーラツィカとギルネラは離れて立ち、対面した。


「いいわよ、ギルネラ」


 ギルネラは嫌そうに頷くと、手のひらで火球を作り始める。それが片手では収まらないほどの大きさになった時、獣人の少女は火の玉を主人に向かって投げた。


「ぐわっ!?」という悲鳴と共に、セーラツィカは背中から倒れる。ゴウゴウと音を立てて、少女の体は燃え盛った


 ナペルゴは「なんということを!」と、ネェズルンは「し、死んだだろ!」叫ぶ。


 流石のデルフレドも慌てて少女を助けようと近寄るが、燃え盛る炎の中から1本の腕が飛び出してそれを制止した。


「な、なんだ!」とデルフレドは慌てて後ろへ飛び退く。


 体を燃やしたままゆらゆらと立ち上がり、「ね?」とセーラツィカは言った。


「凄いでしょ? 私に魔術は効かないのよ。ちょっと熱いけど、全然平気」


「セーラツィカ様。ほ、本当に大丈夫なのですか?」震える声でバルナレクが尋ねる。


「大丈夫だって」燃え盛る火炎は答える。


 少しして炎は次第に小さくなり、やがてセーラツィカの白い歯が見えた。


 男達は一同に口を開けたまま、じっくりと少女の身体を観察する。少し汚れてはいるものの、擦り傷1つない。


「さあギルネラ、もう1回!」


 セーラツィカの身体が5回燃え上がった後に、「…もういい。もう分かった。十分です」とデルフレドは手を振った。


「申し訳ありませんでした。貴方を信じます、セーラツィカ様。例え高価な魔防具を身に付けていたとしても、これほどまでに無傷で済むはずがない」


「理解していただけたようで何より」セーラツィカは答える。顔は全体が黒く薄汚れてはいたものの、表情は満足そのものだった。


「私の名前はセーラツィカ、ケズダル家のセーラツィカ。げほっ! 父の名前はヤーコシュ、母の名前はミュレオーニナ、兄の名前はセラジルド。がはっ! この異能こそが、私が皇帝の血統であることを示す何よりの証拠。言いたいことはまだまだ沢山あるけど、取り敢えず今はこれだけで十分。げほげほっ、ぐげっ…!」


   ◇


「まだ信じられません」


 セーラツィカが下がった後の客間で、ナペルゴは言った。


「何か特別な仕組みがあるのでしょうか? 魔術を弾く身体など、例え神々の血統と言えど聞いたことがありません」


「仕込みではありませんよ」ホスナールが答える。


「私も初めて見ました。驚きましたよ」


「失礼ながら、そこまで驚いているようには見えませんが…」

「そういう顔なのです」


「しかし冷静になって考えてみると、魔術を弾くからなんだという話だ」とデルフレド。


「何かこちらから攻撃出来るでもなく、剣で斬りつけられて死ぬようでは一体なんの役に立つのやら」

「私が試しに『セーラツィカ様を盾に来訪者や魔術師相手に突っ込ませる』という案を出した所、本人はそれでも良いと答えた」


「若輩者はすぐ死など恐れぬフリをしたがる。しかし結局、お前はあのお嬢さんを利用することに決めた訳だ」

「中々骨がある。バルナレクの言う通り、いい『旗印』になるだろう。手綱がきかなくなれば、その時はその時だ」


「はっ! そう上手くいけばよいがな」

 

 少しして、セーラツィカを寝かし付けたバルナレクが帰ってくる。


「おや、ケゼルシュ殿は帰られましたか?」というバルナレクの問いに、「帰った。余程この面子で集まるのが怖いらしい」とデルフレドは答える。


 栗毛の青年は「なるほど」と呟き、父の顔を見遣った。ホスナールは頷き、立ち上がる。


「今晩はもう開きとしよう。時間がない、次に会うのは蜂起後だろうな。各自家に戻り、備えておくように」


 一同は重々しい表情で頷いた。


「それで、ホスナールおじさん」去り際にネェズルンが尋ねる。


「帝都を去るのは早くていつ頃ですか? それとなくご婦人方に挨拶をしておきたいのですが」


「今晩」眉一つ動かさずに老人は答えた。


「それか明朝だ。今日はもう女とは会うな、分かったな?」


「へ?」というネェズルンの声は上擦っていた。

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来訪者殺しのセーラツィカ 二六イサカ @Fresno1908

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