第1話 規格外の令嬢のメンタルは強い

「アレクサンドラ・フォン・ベルナール。おまえに第一王子殺害の罪で国外追放を命ずる」


 議事堂に響き渡った重々しい声。高い天井に反響して吸い込まれていった後、徴収である貴族たちからざわめきが起こる。国外追放。地位も名誉もすべて取り上げられ、居場所すらも奪われるという死刑と同等に残酷と言われる処罰だった。


「二度とこのユーリンに足を踏み入れることを禁じ、ベルナール一族と対面することも禁止とする。これは陛下の温情である。反故にした際には即刻死罪とするため、心得よ」


 裁判長が重々しい口調で告げ、口を閉じた。と同時に、傍聴席のあたりで小さな悲鳴が起こった。被告人アレクサンドラ伯爵令嬢の母が失神したのだ。彼女を助け起こすための騒ぎは、耳が痛むほど大きく打ち鳴らされた木槌の音ですぐに静まる。


「被告人、罪状に異論はないか?」


 咳払いをして、裁判長は証言台に立つ少女を見下ろした。


「いえ……」


 珍しいダークレッドの髪が印象的な被告人は、国外追放という絶望を突きつけられたにも関わらず、どこか気もそぞろといった様子。アーモンド型の大きな瞳はしきりに傍聴席の方に向けられている。


「被告人、弁論に集中したまえ」

「申し訳ありません。母に気付け薬をいただけませんか? それと、少し喉が乾きましたのでお水も」


 法廷が静まり返る。ざわざわと聴衆がささやき始め、あからさまな非難の言葉と侮蔑がアレクサンドラにぶつけられる。裁かれる立場で何を言っているのか。しかも王子の殺害という重罪である。つかのま黙り込んだ裁判官が、信じられないと言った様子でつぶやいた。


「君は、自分がどんな罪を犯したのか知っての上での態度かね」


 アレクサンドラは頬にかかった髪を払った。ルビーの瞳に強い光を浮かべ、まっすぐに裁判官を見つめた。


「何度も申し上げますが、わたくしは罪を犯してなどおりません」


 裁判官は絶句し、法廷は蜂の巣を突かれたような騒ぎとなった。


◯ 


 アレクサンドラ・フォン・ベルナールはユーリン王国伯爵の娘だった。ベルナール家にはすでに男児が二人おり、アレクサンドラに求められる素質は愛想の良さと令息たちを虜にする美貌だけであった。


 貴族の女は、家と家を結びつける役割を持って生まれる。誰と結婚するかに多くの場合自分の意志は反映されない。それでも文句を言わず、家のため、夫のために良き妻であり母であることが求められるのである。つまり、扱いやすく従順であることが賛美されるということだ。


 アレクサンドラは愛想と美貌という点では十分すぎるほど「結婚」の条件を満たしていた。しかし、彼女に婚約を申し込んだどんな令息も、3日で縁談を取り下げるのである。アレクサンドラはれっきとした伯爵令嬢である。そしてアレクサンドラは、「問題児」でもあったのだ。


 始まりは七歳の夏だった。


 アレクサンドラは、二人の兄が訓練場で武闘の訓練をしているのを眺めていた。矢が風を切る鋭い音や、教官の大きな声をぼんやりと聞いていた。

「サーシャ」

 長男のアルフレッドが、訓練場のベンチに座っていたアレクサンドラに声をかけた。

「退屈だろう? やってみるか」

 何気ない冗談でアレクサンドラに弓を渡した。

「アルフレッド様、アレクサンドラ様はまだお小さいので」

「いいの」

 教官の制止に反抗したのは、アルフレッドではなくアレクサンドラだった。ぴょこんとベンチから飛び降り、兄の手から弓を奪い取る。子供用の弓とは言え、まだ小さなアレクサンドラにとっては弦を引くだけでも大変なことである。赤い瞳をきらきらさせて見上げてくる好奇心の塊に、教官はとうとう折れた。

「伯爵様にはくれぐれもご内密に」

 子女であるアレクサンドラに武器をもたせたなどど知られれば、大変なことになる。

「だれにもいわないわ」

 アレクサンドラは真剣な顔で頷いてみせた。


 教官はたかを括っていた。アレクサンドラはまだ七歳。かろうじて弓を引くことができても、矢を的に当てるのは不可能だ。弓の引き方を教えながら、この失敗で懲りてくれるといいがとぼんやりと思っていた。


 アレクサンドラに弓を持たせたことがいけなかったのかもしれない。上の兄たちでさえ的に当てられるようになったばかりだと言うのに、アレクサンドラが一回の挑戦、しかも初めての挑戦で、的の中心に矢を当ててしまうとは夢にも思っていなかった。


 子供らしく無邪気に喜ぶアレクサンドラの傍で呆然とたちすくむ教官は、冷や汗をかきながらこれからややこしいことになるぞと唇を噛みしめたのだった。


 そしてその予感は現実となる。


 学問の時間になってアレクサンドラお嬢様が消えた、と使用人たちが血相を変えて敷地中を探し回ると、アレクサンドラが土と砂まみれになってひょっこり帰ってくる。


 礼儀作法やダンスを学ぶ時間になると、いつのまにかいなくなっている。ついでに馬も一頭いなくなっているという始末である。馬番の見様見真似で自分で鞍をつけられるようになると、アレクサンドラは勝手に遠乗りに出かけるようになった。


 まったく令嬢らしくない。


 家の中で美しいものに囲まれて、男にすがらなけれは生きていけない、いたいけな生き物であらねばならないのに。なにかあるとすぐに気絶して、ガラスのようにか弱くあるべきなのに。


 アレクサンドラは生まれてこの方一度も気絶したことなどないし、自分の身は自分で守れるようになった。生まれつきの美貌と社交性で誤魔化してはいるが、外で飛び回る「悪癖」を直さなければ未来はない。


 そうこうしているうちに19になってしまった。そろそろ身の振り方を考えなければ、そんな矢先に起こった大事件だった。


 第一王子が崩御した。


 夕食の際、紅茶をひとくち飲んだ数時間後王子は倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。残された紅茶を調べた結果、致死量のヒ素が検出されたのだ。毒見を怠ったとして、厨房付きの使用人たちは全員牢獄に送られた。アレクサンドラが法廷に立たされ、国外追放されることになったのは、とあるメイドの証言によるものだった。


「ベルナール家の令嬢が、王子のカップを触っているのを見た」


 もちろんそれだけでは証拠にならない。その夜は確かに、王宮にいた。王宮の図書館に用があっただけである。アレクサンドラは全くの無実だったが、信じられないことにアレクサンドラの荷物の中から犯行に使用されたとみられるヒ素が見つかってしまった。


 一夜にして王子殺しの犯罪者に仕立て上げられたアレクサンドラは、信じられないと笑い飛ばしこそすれ、泣くことも青ざめることもなかった。国外追放を言い渡されたときも平然としていた。自分が犯罪者に仕立て上げられたことには対して怒ってはいない。アレクサンドラが心配しているのは、家族のことだった。ベルナールの名誉が地に落ちてしまう。なんとかして無実を証明しようとしたものの、誰一人取り合ってくれなかったのだ。


 陰謀の匂いを感じずにはいられない。


 状況は変わらないと決断した伯爵は、根本から切り捨てることで問題を解決しようとした。すなわち、アレクサンドラを捨てるということである。くるりと手のひら返しで王家側に着いた家族。少なからずショックではあったが、一族のためなのだから仕方がない。アレクサンドラ一人をかばっていては、ベルナール家そのものが反逆罪で首を落とされてしまうからだ。


(こくがいついほう……ですもの。もう関係ありませんわね)


 誰も信じてくれないのなら、すっぱり諦めよう。


 アレクサンドラは単純であった。物事を深く考えては感傷に浸るという習慣はないため、こうなったらこうなったで生きていけばよいと思っていた。幸い腕っ節は強いし、自分の宝石や持ち物を売ればまとまったお金は手に入るだろう。


 幼いころに野山で駆け回り、兄たちと武術を鍛え合ってきた経験が活きることになるとは思いもしなかったけれど。アレクサンドラはふうっと息をつき、怒号や罵声が飛び交う法廷の中で肩をすくめたのだった。

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赤の台頭 〜最強令嬢が国を追い出されたら〜 七沢ななせ @hinako1223

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