Rain

つくね

Rain 前編

 佐倉優奈。

 確かにここにいたはずの名前。

 もう二度と、呼ばれることはない名前。



「それでは、同窓会をはじめまっす!」

 

 ある秋の日の日曜日。午後6時。

 陽気な声が響く。

 声の方に目を向けると、派手な金髪の男がマイクを片手にビールを煽っている。

 名前は確か、ユウジ。名字は思い出せない。

 他の面々もつられるようにして、缶ビールのプルタブに指をかける。

 数十人の大人が、缶ビールを掲げる。

 到底、高校の校庭での光景とは思えない絵面だ。

 ユウジの乾杯の合図で「プシュッ」という音が数十人分、校庭に響く。

 

大人になったんだなぁ。


 そんなことを不意に思う。

 僕らは高校生としてこの場所を卒業した。

 そして就職して、中には起業した人や店を構えた人もいて、そうやって社会人になってここに戻ってきた。

 容姿が大きく変わった人もいたし、左手の薬指に指輪をはめている人もいた。


 人は時間とともに変化する。


 昔、僕の親友はそう言っていた。

 本当にそのとおりだなと思う。

 僕も、変わった。

 髪形が変わった。身長が変わった。車を運転できるようになった。お酒だって飲めるようになった。


 心だけが取り残された。


「おーい、理久!次おまえの番だぞぉ!」


 そんな声でわれに返る。

 顔を上げると元軽音部のメンバーが、所狭しと折りたたみ式テーブルを囲んでいる。

 そういえば、ババ抜きをしていたのだった。

 「ごめん」と軽く謝ってゲームに戻ろうとするけど、左右どちらの人からカードを引けば良いのかわからない。


「ねぇ理久、大丈夫?さっきからボーッとしてるし...」


 そんな僕を見かねて、僕のとなりに座っていた髪の短い女性が心配そうに話しかけてきた。

 名前は確か、天崎千夏。


......8年前、高校2年生のときに僕に告白してきた子。


 そう考えて、ふともう卒業から7年もたっていたのかと思う。

 長いようで、あっという間だった高校の3年間。

 考えれば考えるほど、いろいろな思い出が溢れてきて、止まらなくなる。


懐かしいなぁ......。

 

 一度、ひとりになりたくなった僕は、「トイレに行く」と言って席を立った。

 ガヤガヤとした盛り上がりを背中に感じながら、校舎へと入る。

 校舎の中は暗くて、よく見えない。でも懐かしい匂いがした。

 

同窓会の会場が学校で良かった。


 不意にそう思う。

 校長に直談判してくれたユウジには感謝しかない。

 学生の頃は、煩くてムカつくやつだったけど。


 階段の前まで来て、無意識に僕の足が止まる。

 トイレは、階段の脇。階段を登る必要はない。

 でも、この階段を登れば”あの場所”に着く。


僕の人生でこの校舎に足を踏み入れるのは、今夜が最後だろう。


 そう思うのと同時に、僕の足は階段へ向いていた。

 1段、また1段と丁寧に登る。

 7年前は何百回、何千回と見ていた景色。

 今はその全てが白く、色褪せて見えた。

 気づけば3、4階と登っていて、やがて目の前にその場所が見える。


 窓からのぞく屋上。そして、そこに続く踊り場。


 それが視界に入ったとき、初めて足がすくむのを感じた。

 不気味なくらいに静かだった。

 不意に、掴んでいる手すりの端に、黒い油性ペンの落書きがあるのが目に入る。


 佐倉優奈 石橋理久


 2つの名前。

 それを認識したのを皮切りに、押し込めていた記憶が鮮明に蘇ってくる。




 あの日、高校1年生の夏。

 僕らは出会った。


 僕はひとりが好きだった。

 授業中は存在感を消して、休み時間はトイレの個室でスマホを見ていた。

 昼ご飯は、いつも屋上で食べていた。

 屋上に続く扉には鍵がかかっていたけど、その脇の窓なら中から鍵を開けられたから、そこから屋上に出ていた。

 もちろん、先生に見つかったら生徒指導室行き。

 だから屋上に僕以外の人がいたのを、僕は見たことがなかった。

 でも、その日は違った。

 

 4時間目終了のチャイムが鳴るのと同時に、僕は菓子パンを持って小走りに教室を出る。

 誰にも見つからないように、階段を駆け上がる。

 肩で息をしながら踊り場に出ると、見慣れた光景が広がった。

 でも、見慣れていたからこそ、僕はその光景にひどく違和感を覚えた。

 屋上へ続く窓から、ひとりの人影がのぞいている。

 窓に目をやるが、鍵がかかったままだ。


どうやって屋上に出たんだ?

 

 僕がその場に直立したまま考えていると、嫌に爽やかな風が顔の脇をすり抜けた。

 見ると、鍵がかかっているはずの屋上へのドアが半開きになっている。

 鍵が開いている。


先生かな?

 

 そう思い、僕は音を立てないようにゆっくりと窓に近づくと、外をのぞいた。

 先程までぼやけていた人影が、はっきりと像を結ぶ。

 その少女はセーラー服を着て、長い黒髪を風になびかせていた。

 先生では、ない。

 僕は、彼女の名前を知っていた。


佐倉優奈


 頭が良く、スポーツ万能。容姿端麗な、いわゆる学校のアイドルとういやつだ。

 僕の数少ない友達もみんな彼女のことを狙っているようで、よく話を聞かされていた。

 とはいえ、僕は佐倉さんにみじんも興味がなかった。

 だから、あのとき引き返さずに話しかけたのは、たぶん気まぐれ。もしくは、屋上に自分以外の人間が居るという状況を面白く思ったのかも知れない。


 「佐倉さん?」


 僕がそう呼ぶと、彼女はおもむろに振り返る。

 多分、僕はこのとき初めて、ちゃんと佐倉優奈の顔をみた。

 確かに奇麗な顔だった。

 でもその目はどこか虚ろで、なかなか焦点が定まらないようだった。

 やがて、はっきりと僕の姿を視界に収めると、少し安堵したような表情を浮かべた。


 「どうしたの、石橋くん?」


 佐倉さんはそう言って、急ごしらえしたような笑みを貼り付けた。

 その言葉に、僕は少しだけ違和感を覚える。

 

「......名前、なんで知ってるの?」

 

 その問いに、佐倉さんは困ったような笑いを返す。

 

「なんでって、私たち同級生だよ?」


 僕はおそらく学年、いや学校一目立たない。

 それでいて、僕はB組で彼女はA組。

 つまり彼女は”同じクラス”だけならまだしも”同級生”の、しかも目立たない人間の名前までを全て覚えていると言っている。

 それを当たり前だと思っている。

 早くも価値観のズレを感じ、僕は彼女に話しかけたのを後悔し始めていた。

 価値観の違う人間との会話は体力を使う。

 

 僕が何も言わないのを見て、佐倉さんは苦笑した。


「ほんとうに、なんで私に話しかけたのよ」


「......別に」


 そう言って、僕は菓子パンの袋を掲げる。

 それを見た佐倉さんは納得したように「あぁ」と呟いた後、申し訳無さそうに顔の前で手を合わせて見せた。


「ごめん!今日は私もここに居たいから、別のところで食べてもらえないかな?」


「いや、別に僕は佐倉さんがいても......」


 そう言いかけて、ふと佐倉さんの後ろ。屋上の転落防止用のフェンスが目に入る。

 この学校の屋上には1つだけ、屋上の外に出られる扉がある。


 そこが空いていた。


 もちろん普段は厳重に施錠されていて、鍵も生徒の手の届かないところに保管されている。


なんで...?

 

 そう思って屋上を見回すと、フェンスの扉の脇にカラビナでまとめられた鍵が2つ落ちていた。

 1つは屋上へと続く扉の鍵。

 もう1つは、恐らくフェンスの扉の鍵。


まさか......

 

 嫌な想像が浮かんで、僕はそれを押し殺そうとする。

 でも、それはできなかった。

 さっき見た彼女の虚ろな目。それが全てを語っているような気がして。


「飛び降りるの?」


 気づけばそんなことを聞いていた。

 佐倉さんは虚をつかれたように目を丸くして、僕を見ていた。

 きっと彼女は、自分の体に遮られて僕にはフェンスが見えないと思っていたのだろう。しかし彼女の折れそうなほど華奢な身体では、到底隠せていなかった。

 また嫌に爽やかな風が耳をくすぐって、うるさかった。

 それから佐倉さんは、僕に背を向けると「うん」と言って小さく頷いた。

 僕は「そっか」とだけ言って、菓子パンの袋を開けた。それを一口かじって咀嚼していると、佐倉さんがこちらを見ていた。


「食べたいの?」


「いや、そうじゃなくて、」


 佐倉さんは呆れたように言うと、少し黙ってから、また口を開いた。


「君、変な人だね」


「え?」


 今度は僕のほうが驚いて、菓子パンから顔を上げる。

 不意に見た佐倉さんの顔は、悲しいとも悔しいともつかない、不思議な色をしていた。


「いや、止めないんだなぁって思って......」


「......止めてほしかった?」 


 僕がそうきくと、佐倉さんは黙って首を横にふった。そして、菓子パンを頬張っている僕のとなりに座ってくる。

 僕はそんな彼女を横目で見ながら、最後の一口を飲み込んだ。すると、隣でそれを見ていた佐倉さんが、少し迷ったような表情をしながら口を開いた。


「......あのさ、少し話しても良い?」


 僕は目線だけ時計にやるが、まだ休み時間はたっぷりと残っていた。教室に戻ってもユウジに絡まれるだけだし、特に予定もない。


「別に構わないけど」


 僕がそう言うと、佐倉さんは作り笑いを貼り付けて「ありがとう」と言った。

 正直、この作り笑いは気持ち悪いと思ったけど、口には出さなかった。

 それから佐倉さんは、少し考えるように上をむいて言った。


「今日は、あいにくの曇りだね」


「......前置きはいいから。なんで死のうとしてたのか、教えてくれるんじゃないの?」


 僕が目線だけ空にむけながらそう言うと、彼女は面食らったような顔をした後、吹き出した。


「ぷっ、はは...ごめん。やっぱり君、変わってるね」


 ”変わっている”。

 不意にその言葉が引っかかった。何度も聞いてきた言葉だった。

 その度に不快感を覚えてきたのだけれど、なぜかこの時は穏やかな気分だった。

 なぜかはわからない。


「佐倉さんも大概でしょ」


 すると佐倉さんは「そうかもね」と言って、穏やかに笑った。

 この時は本心から笑っているように見えて、「こんなふうに笑うんだなぁ」と呑気なことを考えていた。

 すると佐倉さんは僕の顔をのぞき込むようにして言った。


「でもさぁ、目の前に自殺しようとしてる人がいて、何も思わないの?」


 僕はぼんやりと考える。

 別に、何も思わないわけではない。確かになんとも言えない嫌な気分になった。    

 だけど自分がそれを止めるのは、違うとも思う。


 結局、自分でもよくわからず「どうだろう...」と曖昧な返答しかできなかった。

 佐倉さんは「なんだそれ」と笑って、また上のほうを見上げた。そして「私のお父さんは」と言って、少し黙った。


「あの人はさ、1年くらい前に浮気して、私とお母さんを置いて出ていちゃったんだ」


「とんだクソ野郎だね」


 僕がそう返すと、佐倉さんは「でしょ」と言ってはにかむ。

 ”お父さん”をわざわざ”あの人”と言い直しているのが引っかかったが、それを聞くのも野暮だろうと思い、僕はただ佐倉さんの言葉を待った。

 そうしていると佐倉さんは、淡々と身の上を語った。

 

 佐倉さんの父は1年ほど前に失踪し、彼女の母とは離婚となった。

 父の失踪により苦労することは多かったものの、佐倉さんと彼女の母は今まで通りになんとか生活していた。

 それが変わったのは、父が失踪してから半年がたった頃。

 佐倉さんの母は新しい交際相手を見つけてきた。

 それ自体は佐倉さんにとっても喜ばしいことで、素直に祝福しようとしたそうだ。

 しかし、事はそう良くはできていなかった。

 佐倉さんの母は新しい交差相手に、連れ子である佐倉さんの存在を隠していたのだ。

 さらに佐倉さんの母は、相当新しい交際相手に入れ込んでいたようで、家の貯金は半分以下にまで減っていた。

 それから、佐倉さんは彼女の母に”邪魔な存在”として扱われるようになった。

 ろくに口はきけなくなり、ことあるごとに殴られ、食事を抜かれた。

 やがて、はっきりと言われたそうだ。


「あなたがいることがバレると、私があのひとに嫌われちゃう。しかも、あんなクソ野郎との子ども......。生むんじゃなかった。」


 そうやって、家での居場所はなくなった。


 学校では、良くも悪くも生まれ持ってしまった美しい容姿のせいで、望んでもいないのに”学校のアイドル”として”清楚な佐倉優奈”であることを強制された。

 いつもみんなの期待を裏切らないようにと、常に気を張っていたらしい。それに疲れてしまっていた。

 

 結局学校にも、彼女の心安らぐ場所はなかった。


「こんなことなら、普通の人間に生まれ変わりたい。奇麗な容姿なんて、いらない。普通の女の子として、普通の家庭で生きていたかった」


 佐倉さんは制服の袖で涙を拭いている。声は鼻声だった。


「......思ったんだ。死んだら、やり直せるかなっ、てさ」


 最後に、そう言って作り笑った。


......なんだ?......なんなんだ、これは......?


 彼女の話を聞いて、僕は初めて自分の心が痛むのを感じた。

 まさか、他人の身の上話で自分の心が痛むなんてことが、あるとは思わなかった。

 それが同情なのか、共感なのかわからない。それ以外の感情かも知れない。だけど僕はこの時、確実に、彼女を助けたいと。はっきりとそう思った。

 こんなに人に何かを思ったのは、初めてだった。


「じゃあさ、やめちゃおうよ」


 僕は隣で、涙を拭いている佐倉さんに言った。

 考えるより先に口が開いていた。

 すると彼女は、涙で腫れた目を丸くして、こちらを見た。


「......やめるって?」


「学校のアイドルとかいうやつ。そんなのアホな男子共が言ってるだけだろ?何を気にしてるの?」


「そうだけど......それじゃ、私の居場所が...」


「居場所ってさぁ、そんなにアッサリとなくなるものなの?」


 佐倉さんの言葉を遮るようにして、僕は言う。

 少し大きな声を出したので、彼女は驚いて肩を震わせていた。

 僕は小さく「ごめん」と言ってから、少し落ち着いた声で続ける。


「僕は人との関わりを避けてるけど、ユウジっていうムカつくやつがいつも話しかけてきてくれる。つまりさ、佐倉さんが自分の意志に関係なく、勝手に”学校のアイドル”になったように、自分がどう有っても人間関係はなるようになるんだよ。だからさ、好きにやったらいいんじゃない?」


 そう言って、ちょっと空を見てみる。

 相変わらずの不透明な曇り空が広がっていた。


「そうかもしれないね」


 そんな小さな声が聞こえた。

 声の方を見ると、佐倉さんが穏やかな笑みを浮かべて空を眺めていた。


「でもさぁ、やめるって、どうしたらいのかなぁ」

 

 不意にそんなことを問われ、僕は少し考える。

 要は、”清楚な佐倉優奈”のイメージを破壊すればいい。

 すでに死ぬという発想にまで至っているんだ。少し無理矢理なやりかたをしてもいいだろう。


「これ、あげるよ」

 

 そう言って、ポケットから小さな箱を取り出し、佐倉さんに渡す。

 佐倉さんは「なにこれ」と言いながら受け取ると、ゆっくりの小箱の蓋を開けた。


「ピアス?」


「そう。ユウジの買い物につきあわされて、買った(買わされた)やつ」


 僕が苦笑しながらそう言うと、佐倉さんは明らかに困惑した表情を浮かべる。


「いや、悪いよ。そんな...」


「高いものじゃないし、それ間違えて買った女性用だから、むしろもらってほしい。あ、僕ピアス空けてないから、未使用だよ」


 箱の中に入っていたのは、青いジュエルの付いた小さなピアス。

 ユウジがオシャレ好きのいわゆるチャラ男なので、度々買い物に駆り出されては、僕の分も買わされていた。

 ユウジは「理久も垢抜ければ結構かっこいいと思うぞ」って言っていたけど、垢抜ける気もなければオシャレをする気もない。

 アクセサリーの購入費はもちろん自腹だが、特にお金を使う予定もないので、言われるままに買っていた。だけど選び方もよくわからないから、たまに女性用を買ってきてしまう。今あげたピアスがまさにそうだった。


 まだ困惑の色が消えない佐倉さんに、僕は言う。


「まずは形から。手っ取り早く「私は”清楚”なんかじゃありません!」ってアピールしたらいいんじゃない?」


 そう言う同時に、ゴーンと鈍い音が響く。

 始業の5分前を知らせる予鈴だった。

 時計の方を見ると、すでに話し始めて20分も経っていた。話に夢中で気がつかなかった。

 「間が悪いな」と思いつつも、遅刻してはいけないので急いで帰ろうと立ち上がる僕に対し、佐倉さんは一向に立ち上がる気配がない。


「佐倉さん、授業始まっちゃうよ」


「......いい」


「え?」


「優等生もやめるから、サボっちゃう!」


 そう言って顔を上げると、佐倉さんは満面の笑みで言った。


「ピアス、ありがとう!」


 それは、間違いなく心からの笑顔だった。

 それを見られたのが妙に嬉しくて、今日は僕も一緒に授業をサボってみることにした。

 

 それから僕たちは初めてのズル休みを、僕ら以外誰もいない屋上で、たわいもない話をしながら過ごしたのだった。





 翌日。

 僕がいつもどおり菓子パンを片手に屋上へ行くと、そこには1つの人影があった。

 

「佐倉さん!」


 彼女の名前を呼びながら、僕は歩いていく。

 佐倉さんは、穏やかに笑って手を振っている。

 彼女の後ろにのぞくフェンスの鍵は、しっかりとかかっていた。


「ピアス、空けたんだね」

 

 僕がそう言うと、佐倉さんは「うん」と言ってこちらに耳を傾けて見せた。


「似合ってる?」


「もちろん。というか、清楚な雰囲気を壊そうとしてつけたピアスなのに、佐倉さんがつけるとやっぱり清楚で綺麗な感じになるね」


 佐倉さんは「それはめっちゃ分かる」と言って笑っていた。

 それから彼女は、昨日とは打って変わって楽しそうに話した。

 ピアスを空けるのが、想像よりも痛かったこと。ピアスを開けるのに、親には少し咎められたこと。先生は案外チョロくて、ピアスも昨日のサボりも不問となったこと。

 そしてまぁ結局、”学校のアイドル”の人気っぷりも変わらなかった。


「なんか、これなら佐倉さんの好きなようにやっても問題なさそうだね」


「ねー」


 佐倉さんは気の抜けた返事をしながら、コンビニのおにぎりを手に持って固まっている。

 

「どうしたの?」


 僕がそう問うと、佐倉さんは恥ずかしそうにこちらを見ていった。


「いや、朝はおにぎりの気分だったんだけど、今石橋くんのパン見てたらパンが食べたくなっちゃって、......少し後悔してた」


 そう言われて、僕は手元のパンを見る。

 いつも無意識に選んでいる、いちごジャムとマーガリンが入った菓子パン。別に好きでも嫌いでもない。ただ、安い。

 

「交換する?いつも脳死で同じの選んでるから、飽きてきてて......」


「いいの!?」

 

 少し食い気味に言われて「どんだけ食べたいんだよ」と内心ツッコみながら、「いいよ」と言って、おにぎりと菓子パンを交換した。

 佐倉さんが持ってきていたのは、僕がパンを買ったのと同じコンビニで売っているおにぎりだった。具は焼きたらこ。

 僕はツナマヨの方が好きだけど、隣で無邪気に菓子パンを頬張る佐倉さんを見ていると、そんなことを言うのは野暮だなと思えた。


 そして僕はこの時、彼女を好きになってしまったんだと思う。

 なんてことない日常の中。あの時まで、ずっと気づけていなかったけど。





「はぁ!?告白された!?......あの理久がぁ?」

 

 そう言って失礼にも驚いているのは、僕の同級生で親友の佐倉優奈。

 彼女の自殺未遂の一件から早くも半年以上がたち、僕たちは高校2年生に進級した。

 その間、特に何かあったわけでもなく、僕たちは普段はそれぞれ相容れない”学校のアイドル”と”陰キャ”として、そして昼休みは屋上で自由気ままに過ごすのが日課になっていた。

 1つ変わったとすれば、お互いを下の名前で呼ぶようになったくらいだ。

 優奈はあの一件以来、気を張って”学校のアイドル”を演じるのはやめたそうだが、結局、素の彼女のほうが人気が出てしまったそうだ。優奈は「それも悪くない」と笑っていたので、僕も何も言わなかった。

 美人とは、何をしても無敵である。


 ただ、問題が解決したわけではなかった。

 

 時々、制服の長い襟からのぞく胸元や、スカートで隠れた太ももに大きな黒い痣が増えているのが見えた。

 優奈の家庭内暴力は、日に日にその異常さを増している。

 それがわかっていて、一高校生には何もできないのを悔しく思ったりもした。


 まぁ、そんなこんなで時が流れて、高校2年生の夏。

 僕は放課後に、空き教室に呼び出されていた。

 朝、登校すると下駄箱に、放課後に空き教室で待っている旨を伝える手紙が入っていた。

 ラノベかと疑ってしまうようなベタな展開。それでも、僕にとっては全く違う意味を持つ。

 何度も言うが、僕は極力目立たない努力をしている。


果し状?カツアゲ!?


 とっくに卑屈色に染まってしまった僕の脳内に、告白なんていう恋愛イベントは想定されていなかった。

 放課後、ガクガクと震えながら空き教室にむかう。

 昼休みに優奈に相談したとき、「ドンマイ。死んだら骨くらい拾ってやるよ」と煽られて、余計に不安になっていた。

 だから告白だったとわかると、何より先に安堵した。

 告白してきたのは、同じクラスの女子。僕が幽霊部員をしている軽音部の副部長、天崎千夏さんだった。


 僕が事の顛末を話すと、優奈はひとしきり驚いた後に、急に真面目な顔になって言った。


「で、付き合うの?」


 ひとの恋愛事情なんて、優奈なら興味なさそうに流しそうなことだが、この話題については妙に噛みついてきた。


「......いや、断ったけど?」


 僕がそう言うと、優奈は一瞬安心したような表情をした後、にこやかな笑みを貼り付けた。


「それまたどうして?千夏ちゃん可愛いじゃん」


 そう言いながら、優奈はわざとらしく首をかしげて見せる。

 その様子が妙に可愛くて、「お前のほうが可愛いだろ」と突っ込みたくなるが、それをそのまま言うのも癪なので飲み込んだ。


「”学校一可愛い女子”と飯食ってたら、目が肥えちまったのかもな」


 ちょっとしたからかいのつもりで、僕はわざとらしくそう言って立ち上がると、校舎へと続く窓へむかって歩き出した。

 しかし、いつもなら一緒について来る優奈が、今日はついて来こない。

 不思議に思い僕が振り返ると、優奈が僕をボーっと見ていて、やがてピタリと目があった。優奈が慌ててそれをそらす。

 気まずさからか、その頬が微かに赤くなっている気がした。


「どうしたの?」


「い、いや。別に。千夏ちゃんの告白を断っちゃって、理久には一生彼女できないだろうなって」


 ......なんかすごく失礼なことを言われた。


「まぁ、僕は極力他人と関わりたくないから。もし彼女が欲しくなったら、そん時は拾ってくださいよ。”学校のアイドル”様」


 仕返しに、僕はからかうようにそう言ってから、校舎に駆け込む。

 今度は優奈もついて来たけど、終始僕と目を合わせてくれなかった。


......なんなんだ?...ほんとに。





「理久の家に行きたい」


「はぁ?」


 ある日の放課後。

 あまりの暑さにワイシャツを第2ボタンまで空けてパタパタと扇いでいる僕に、優奈は唐突に言った。

 ......これは、優奈と約1年過ごしてわかったことだが、彼女は意外と人との距離のとり方をわかっていない。

 今だって、内心かなり混乱している僕に対し、優奈はさも当然のことを言ったというように、あっけらかんとしている。

 もしかすると、この絶妙な距離の近さが優奈を”学校のアイドル”たらしめているのかもしれないが、一緒に行動する”異性”としては結構悩ましい問題だった。

 

僕も変わったなぁ......。


 少し自嘲気味に、心のなかで呟いてみる。

 どうやら一般人と価値観がズレているらしい僕は、人との関わりを避けて生きてきた。

 優奈を助けたのだって、興味本位で偶然。なんで助けたいと思ったのかすら、今ではよく覚えていない。

 そんな僕がこうやって女子を”異性”として、赤の他人以外の何かとしてみている。

 生意気にも、ひとりの男子高校生として。


「ちょっと、聞いてる?理久」


「はい?」

 

 優奈の声で我に返る。

 すると、優奈が不機嫌そうにむくれながら僕の方を見ていた。


「どうしたの?」


「私が家行くって言ったから、えっちなこと想像してた?」


「いや、してないが......」


「まぁ、いいや。とにかく、このまま家行くから!!」


 どうやら、ハナから僕に決定権なんてないらしかった。

 


 

 


 

 


 

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