第3話 クローリク城下町と喧騒 後
キララは店から出てくると、二本の鉄の剣を渡した。そのとき、道の奥から耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。その方角からは人の山が雪崩のように流れてくる。中には空を飛んで城壁を越えて出ていくものもいた。
ラビは好奇心のままに声に近づいていこうとした。しかし、キララはラビを抱え、群衆の群れに入った。
「何が起こったか分からねえが、ただ事じゃなさそうだ。とりあえず逃げるぞ」
逃げる途中、ラビの目にはその轟々とした恐ろしい声の主が映った。それは、布の頭巾を被っていて、ロングスカートを履いており、酒場で働いている女性ように見えた。しかし、顔に目や鼻はなく、3つの大きな黒い穴が空いていた。輪郭は灰色だった。
「うわああああああああ!!!」
ラビは、それを見るなり驚き咽び、キララの腕から落ちてしまった。地面に叩きつけられたラビは悶え泣いている。キララはすぐに駆け寄り、また抱え上げようとしたが、声の主は既にすぐそばまで来ていた。
「『火炎斬り』っ!!」
キララの振った剣は、炎を纏っていた。それは声の主の腹部に直撃し、その衝撃で後ろへと吹っ飛んだ。地面にのたれているその一瞬の隙を逃さず、ラビの手を引っ張って民家と民家の間の路地へと入っていった。短い戦闘だったが少し体力を削がれてしまった。
「なんだあいつ…声がでかすぎて耳がイカれそうだ。何より、"斬った感触がなかった"ぞ…ひとまず今はあの化物から逃げることを考えねえと…」
冷たい壁に腰かけて一息ついていた。周りではまだ悲痛な叫び声が聞こえる。泣き止んだラビは赤く腫らした目を開けて、息を切らしながら震えた声で話した。
「あれは化け物なんかじゃない。僕と昔よく遊んでくれたお姉さんだった。僕の大好きな姉さんだった…」
お淑やかだった彼女が何故ああなってしまったのか。今は得体のしれない恐怖よりも救われない悲しさだけがその胸の中にあった。明かされた事実に、キララは同情すると同時にいくつもの疑問が浮かんだ。何が原因でああなったのか。死ぬことはあるのか。死なないと分かった場合ここから逃げ切れるのか。
そんな事を考えていると、ふと叫び声が少しずつ迫っていることに気づいた。しかし、気づくのが遅れた。ラビが左を向いたとき、そこには3つの穴があった。
「うわああああああ!!!!!!」
驚くラビと裏腹に、キララは直ぐに臨戦態勢を取った。
『ギィィャァァァァァァァァァァァァ!!!』
耳をつんざくその悲鳴に少しよろける。穴しか存在しないのに、ラビは目があった気がした。そのとき、意識が飛んでいきそうになった。幸いすぐにキララが襟を引っ張って路地から出してくれたから助かったが、あのまま生気を吸われて死んでいたかもしれないと考えると、恐ろしいものだ。
「もう戦うしか無い!さっき買った双剣を出せ!」
キララの言葉に、ラビも鉄の剣を持ち身構え、臨戦態勢をとる。その姿は様になっていた。
『ギャァァァァァァァァァァアアア!!!!』
「いくぜ!」
キララの合図に合わせラビも動き出した。キララが真っ正面から大剣を大きく振るう。当たったらひとたまりもないだろうそれは、相手の集中を自分に向けるのには十分だった。声の主の体勢が崩れた瞬間に、ラビが走り寄り、体全体に連撃を叩き込む。山奥で暮らしている時にモンスターと戦った経験により、軽い身のこなしをしながら剣を振るのには慣れていた。山と違って地面が整っていることはラビにとっては少し不利な条件だった。
そうして、一方的に攻撃を行っていたが、急に声の主が自らを抱えるような姿勢を取った。それはまるで力を溜めているかのようだった。
「なにか来るぞ!耳を塞げ!ラビ!!」
ラビは指示に従い耳を塞いだ。そのときだった。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!』
耳を塞いでもなお聞こえてくるその悲鳴は、周りの地面や民家をひび割れさせるほどのものだった。衝撃波さえも生むそれは、ラビを吹き飛ばした。
壁に打ち付けられてもなお、ラビの救済の念は消えていなかった。幼い頃から仲良くしてくれた人、彼女も俗に言うロボットなのかもしれない。
「大丈夫か!ラビ!」
キララが駆け寄って、剥がれ落ちたラビを受け止めた。涙が零れ落ちそうで、哀しい顔をしたラビを見て、何かを察した。
「お前、彼女を救いたいんだな。すまないが、俺には救う方法がわからない。あいつは異質な存在だ。殺らなかったら俺達が殺られてしまう。」
再び剣を構えるキララ。その後ろでラビは顔を地面へと向けている。
──姉さんは僕にとって大切な人。失うのは辛い。
目の前では命の恩人と掛けがえのない存在が死闘を繰り広げていた。
──救う方法が分からない今。姉さんが被害者を出す前に楽にしてあげるのが一番の救済なのではないか。
キララが大剣を振るったが、疲れのせいか空振ってしまった。キララの首に彼女が触れようとしたそのとき
【
「うおおおーーーーーっっ!!!!」
また衝撃波が起きたが、今度はラビが起こしたものだった。彼女の手が触れる寸前で、壁を蹴って加速した頭突きが飛んでくる。そのまま彼女と共に地面に倒れ込んだ。
ラビが起き上がって離れると、淡い顔をした彼女は胸部から段々と崩壊していった。積み上げられたブロックが崩されていくように…
大切という存在が完全に消え去ったとき、倒れていた地面には黒い跡が残っていた。
近くの宿に入って休んでいるときも、ラビはベッドに座って暗い顔で涙を床に零していた。一方、キララは彼女が何故現れたのか、そして何故消えたのかを考えていた。ほんの数十分前の出来事を始めから思い返していたとき、また一つ理解し難い疑問も生まれた。ラビは本当にNPCなのか。
それは、この先長い旅路を共にするのならば、解き明かしておかなければならない問題だろう。キララはラビがいる方を向いて、改めて確認することにした。
(輪郭は灰色。上にはラビと書かれており、プレイヤー特有の性別表記も見られない。しかし、初めて会ったときのメタ発言や、今こうして彼女の死を嘆いていることを考えると、今の時代でも高性能AIと割り切ることはできないだろう。そうして全身を上から見ているうちに、一つ気になったものがあった。
黒い切り傷だ。それは首の後ろについていて、まるで墨で塗ったかのように黒く、血は出ていなかった。確かに、このゲームのキャラクリエイトは幅広いものだがそのような模様は存在していない。
ラビが昔の友人だと言った彼女も、敵の赤い輪郭ではなく、NPCと同じ灰色の輪郭だった気がする。また、亡くなった後には黒い跡が残っていた。2人とも関わりがあり、大きな共通点もある。ラビが生まれたのがいつかは分からないが、見方によっては同時期に起きたとも捉えられよう。
そうとなれば、ラビも彼女のように化物となる時が来るのかもしれない)
キララは同意の元、ラビと部屋を分けて寝ることにした。
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次の日の朝、ラビは小鳥のさえずりと差し込む陽の光によって腫れた目を開けた。昨日の出来事を受け止めきることはまだできていないが、少し気分が安らいだ気がする。部屋にキララがいないことに気付き、昨日の話を思い出した。
(そういえば、部屋を分けたんだった。部屋が分かんないし、探しに行こう)
少しボロい宿屋だが、一国の城下町に建てられるようなもののため、部屋数は多かった。扉を開け、ギシギシと鳴る床を踏みしめて廊下を歩いていく。すぐ隣の部屋を開けてみると、ベッドに座って丸まっているキララがいた。
「やっと起きたか、今は現実で言う昼だ」
枯れた声と疲れ切った様子を見ると、しっかりと睡眠を取れていないようだった。ラビはその理由を聞いてみることにした。
「ログアウトができない」
やけに深刻そうな表情をしていたので、詳しく聞いてみることにした。どうやら、ログアウトとはこの世界から離れることらしい。
「ログアウトが出来ないのは、現実に戻れないのと同じだ。電気代は馬鹿にならないし、何より栄養が取れず、排泄もできない。このままだと現実の俺は肉体的にも社会的にも死ぬだろう」
話の内容は大体分かったが、一つ気になることがあった。
「キララは現実に生きてるんだろう?じゃあ、今この世界に入るために使っているものを外せば良いんじゃないか?」
キララは体を揺さぶった後に、首を振って説明した。
「今見えているこの体は、俺の脳波いわゆる思考を元に動いているんだ。動作の快適性のためにログアウトしないとヘッドセットは外れないようになっている。一応緊急ログアウトも試してみたが、動作しなかったさ」
その時、腕にはめていた青いリングがブルブルと振動した。どうやら、運営からのお知らせが届いたらしい。題名には『全プレイヤーに告ぐ』とある。本文にはこう書かれていた。
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全プレイヤーに告ぐ
トゥループレイヤーを遊んでいる皆さんは、異変に気がついたかな?多くの冒険者はログアウトが出来ないことに不安を覚えただろうね。でも大丈夫。私がログアウトする方法を見つけたよ。何故知ってるかって?私がサーバーをハッキングして、ログアウトが出来ないように書き換えたからさ。
これはゲームだ。楽しいゲーム。私がハッキングをした時間帯は日本で言う今日の午前4時だ。こんな時間までオンラインゲームに浸っているような奴等は、社会に出ても錆びてガタガタの歯車にすらならないだろうさ。そんな奴等はこの箱庭に閉じ込めた。私を楽しませる玩具にでもなっておくれよ。
ログアウトが出来ないことについて、心配したことがあるだろう。現実の身体の状況についてさ。そこは安心してくれ、勝手に亡くなられては興醒めしちまう。君達の身体はこちらで預かっている。全体人口の4割くらいだったが、一つの場所に収容するのは、大変だったよ。
さて、ログアウトさせてもらえる方法だが、2つある。1つ目は、私を倒すこと。簡単に思えるかもしれないが、熟練の冒険者ならマップの広さを知ってて絶望するだろうね〜。2つ目は、昨日クローリク城下町にいたやつなら知ってるかな?和気藹々とした群衆を惨劇の舞台に送り込んだのもこの私さ。あの化物を全部消すことが出来たら、この災禍から救ってやるよ。
他にゲームを辞める方法が一つある。死ねばいいのさ。トゥループレイヤーは、死んだらセーブ削除で強制ログアウト、その斬新さが多くの人の目を引いて売れたゲームだ。しかし、こんな状況になったら話は変わってくる。死んだらログアウトできずに画面は真っ暗なまま。二度とこの世に戻れないまま、意識だけが残る。まあ、さっき述べたようなゴミが消えたところで、誰も悲しまないけどね。君達の体はこっちが預かってること、忘れないでね〜。
それじゃ、頑張ってね冒険者達。
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すべて読み上げたラビは、身体が熱くなるのを感じた。怒りという感情が、沸々と湧いてきたのだ。一方、キララはまだ状況を飲み込めずにいた。ラビがキララの方へ向いて考えを伝えようとすると、異変に気がついた。目の前に立っていたのは綺麗な女性ではなく、顔立ちが少し整っている青年だった。髪型も変わっていて、服もグレーのセーターとグレーのズボンだった。
「おい、お前誰だよ!」
ラビは驚いて少し後ずさりした。キララも自らの服と部屋の鏡を見て異変に気がついた。
「おい!俺が6時間かけて作った最高傑作はどこに行ったんだよ!」
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