二話

 肩に手を置かれ、グッと抱かれると柚子の爽やかで落ち着く香りがした。右耳に響く透き通った声が、素直に私の心へ届く。


「ね、月奈?」


 私に向けられた視線。パーマのかかった茶髪から覗く色っぽい目に引き込まれすぎないように、すぐに目を逸らした。


瀬尾せお。勝手に触るな。そして、他クラスなんだから入って来んな。帰れ」


 はたくように肩の手をどかす。落ちた手は私の腰へと着地した。


「おい。そこ、手置きじゃないんだけど」

「あれれ? おかしいな〜」


 やっと離れていった手。参りました、みたいに両手を顔の横に並べ、私から一歩分の距離を開けた。

 瀬尾は言動に余裕を感じられ、一緒にいても不快感はそんなにない。ただ、思うことがある。


「俺の目には、月奈しか映ってないよ」


 セリフがクサい、と。『十九位だ』、『お姉ちゃんの劣化版だ』と言われた後では嬉しい気持ちもあるけど、間に受けるほど私は身の程知らずではない。


 姉の美しさは、本物だ。学年…いや、学校……いや、県で一番と言っても、過言ではないだろう。

 ただ美しいだけじゃない。人を魅了し、虜にする。その美貌で他人を変えてしまうんだ。似た顔の私だけど、そこが違う。私は、姉のニセモノ。


「あ〜、また瀬尾くん来たの? ツッキーのこと、大好きだね」


 座っているかもちゃんが、立っている瀬尾を見上げる。自然となる上目遣い。からかうような、ニヤニヤしているような顔。私から見ても可愛い表情に川原は瀬尾を睨み、かもちゃんと瀬尾の間に、がたいのいい体を割り込ませた。

 その時に私の足を踏まれ、反射的に小さく声を上げると足をどかしたが、私のことなど眼中にないかのように、存在しないかのように、かもちゃんを見続ける川原。私の上履きは川原やつに踏まれた形跡がくっきりと残っていた。痛みとともに。怒りとともに。


「ねぇ、俺の月奈に何してんの?」


 瀬尾が見ていたのか、私が口を開く前に川原に突っかかる。お前の私ではないけども。さらりと瀬尾の所有物扱いをされた。


「ああ? お前も……何してんの?」


 同じくらいの身長の瀬尾にガンつけるところまで良かったのに、"俺のかもてゃんに“が言えなくてモゴモゴと濁した言い方になりカッコ悪い川原。いろいろ残念な男だ。

 男同士の喧嘩が勃発するか、そんな時だった。


「川原!」

「あん?」

「出さなきゃ負けよ〜? 最初はグー」


 咄嗟に出されたグーと、私の準備したグー。


「じゃんけ〜ん……」


 ぽん、という言葉でそれぞれ勝利を信じる手の形を繰り出す。この選択で勝敗が決まる。

 真剣な眼差しで結果を見届けた私たち。それを見守る、かもちゃんと瀬尾。勝利の女神は、どちらに微笑む?


「やった〜! 勝った〜!!」


 川原に微笑んだ。両手を高くあげ、大会で優勝したかのような喜びようだ。かもちゃんは「あーあ…」と残念そうに眉毛を下げ、瀬尾は私の様子を伺っていた。


「ざまあねーな!! 勝負しかけて負けるなんてだっせーのなんのって!!!」


 負けた相手に言葉を浴びせることに頭がいっぱいのこいつに、私は口に弧を描いた。そして、その無防備な体に遠心力を使った蹴りを入れた。

 近くにあった机と椅子ごと吹っ飛ばされる。大きなものが机と椅子に当たり、その衝撃で床が悲鳴を上げ、ドサっと何かが横たわった。


 クラスで雑談やボーッとしていた人が何事かと視線を飛ばし、静けさが訪れる。しばらくすると、音を聞きつけた廊下を歩いていた人、他クラスの人もこのクラスを覗いた。


「か…川原、大丈夫か?」


 川原といつも連んでいる、仲間の一人が寄ってきた。その声を合図にのそのそと体を起こした男は、肺にたくさん空気を溜めると一気に吐き出した。


「いってええぇぇーー!!」


 ドッと笑いが沸く。


「すぐ手が出るな!? お前!!」


 私は、口笛を吹いて誤魔化す。訂正箇所があるとすれば、出したのは手ではなく足だけどね。心配していた連中も好奇心に駆られた連中も、なんだとそれぞれの日常へ戻っていった。

 ゆっくり立ち上がり、倒れた机と椅子を元の場所に戻すと、川原はかもちゃんへと駆け寄る。


「かもてゃん〜! 痛かった…慰めて?」

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