嘘だろ!? 36度8分しかない!!!

ガビ

嘘だろ!? 36度8分しかない!!!

 これは完全に風邪をひいた。


 10月24日、木曜日の午前6時20分、俺はそう確信していた。

 まだ起きるまでに40分あるが、尿意に逆らえずに身体を動かしたら、1歩歩くだけでも辛い倦怠感が襲ってきたからだ。


 トイレで用を足しながら、頬が緩む。


(ヒャッハー! これで合法的に休めるぜ!)


 基本的に学校に行くのは面倒くさい。

 友達は何人かいるし、いじめられているわけでもないから、学校が嫌で嫌で仕方がないわけではない。でも、毎日同じ場所で同じ人達と顔を合わせることに息が詰まる瞬間もある。


 そして、今日は出席番号から考えるに、英語の授業で長文を読まされる日だ。予習しなくてはと思ってはいたが、昨日の夜、推しのVtuberがゲリラ配信を始めた。「予習なんてしてる場合じゃねー!」となり、集中力を配信に全振りしたため、何も準備ができていない。

 しかし、風邪をひいたのなら話は別だ。休むしかない。


 俺が休んだら、出席番号23番の土屋くんに当たるだろう。

 申し訳ない。治ったら自販機で何か奢ってあげよう。


 トイレから出て、リビングにあるカゴから体温計を取り出す。


「ん。どうしたー?」

「なんか、風邪かも」


 母さんからの問いに、必要以上に弱々しい声を出す。


「マジか。測り終わったら何度か教えてね」

「うん」


 自室に戻り、脇に体温計を挟んで横向きに寝転がる。

 待っている間、どれだけの数値が出るのかワクワクしてきた。

この倦怠感からして、38度台には届かないだろうが37度台後半には到達しそうだ。


 2分後。

 ピピッ、ピピッ、ピピッ。

 測定が終わった。さあ、何度だ!


「‥‥‥」


 嘘だろ!? 36度8分しかない!!!


 そんなわけあるか! こんなに全身が怠いのに!

 この数値じゃ、休むラインに達していないじゃないか!


 マズい。もう今日は休むモードになってしまっている。これから朝食を食べて、歯を磨いて、制服を着替えて、さらに学校に行くなんて考えられない。


 よし。盛ろう。

 体温を盛ろう。


 38度台だと、病院に行くべきだと言われるだろう。それは面倒くさい。でも、37度2分とかだったらどうだろう。市販薬を飲みながら安静にしておく感じになるのではないだろうか。

 そうだ。そうしよう。今日は何が何でも休むのだ。

 そう決意して、リビングで寝ている母さんに、できるだけ弱々しい声を意識して、話しかける。


「えっと‥‥‥7度2分だった‥‥‥」


 母さんは身体を起こしながら、答える。


「あー。ちょっとあるね。念の為に今日は休んどきな」


 よし。第1関門突破!


「うん。学校には俺から電話しておく」

「うん。で、朝ごはんはバナナとかにする? 薬飲むにしても、何かしらお腹に入れた方が良いだろうし」

「うん‥‥‥そうする」


 母さんは冷蔵庫の野菜室に入っていたバナナを出してくれる。それくらい自分でできるが、病人に気を遣ってくれたのだろう。その優しさに、少し罪悪感が出てくる。


「無理そうだったら全部食べなくても良いからね。後これ、前に私が風邪ひいた時に飲んだら1発で治ったやつ。これ飲んどけばこっちのもんよ」


 色々してくれている母さん。

 普段は近すぎて中々気づかないけど、結構優しいんだよなぁ。


「ありがとう」


 罪悪感が膨らんでくる。でも、ここまできたら、「やっぱ6度8分でした」とは言いづらい。

 1度ついた嘘を飲み込むのは、意外と難しいのだ。


 バナナと風邪薬を摂取してから、自室に戻る。

 あぁ。これから学校に電話して、また嘘をつかなければならない。

 自分で招いたことなのに、憂鬱になる。


 試しに、おでこや頬を触ってみるが、自分では熱いのかどうか分からない。あるのは倦怠感だけだ。

 現在、7時20分。

 教師ってのは、この時間にはもう登校しているのだろうか。よく分からないので、8時くらいまで待ってみることにする。


 その間、寝てしまったら寝過ごさない自信がないので、起きていることにする。でも、何をしたら良いか分からなかった。


 普通の休日だったら、漫画を読んだり動画を観たりするのだが、どうにも気が向かない。

 結果、ボーッとするだけの無為な時間を過ごした。

 それも、時計をチラチラ見て「まだ5分しか経ってない」とか「あと26分もある」とかの雑念が入っていて、気が休まらない時間だ。


 やっと8時になり、スマホを手に取る。

 俺らSNS世代は、電話が苦手だ。

 友達とはLINEやDMでやり取りすることがほとんどなので、こうやって、稀に電話をすることになると緊張してしまう。


(えっと、相手が出たら風邪ひいたって言う‥‥‥いや違う。まずは名乗るんだ。<1年2組の武山ですけど>からスタートだ。で、風邪をひいたから休むと言えば良い。大丈夫。そんなに難しいことじゃあない)


 何度か深呼吸してから、電話をかける。

 プルル‥プルル‥プルル‥。

 待っている時の音も、緊張感に拍車をかける。

 ブッ。

 お! つながった!


<はい。柳原高校、校長の里島と申します>


 校長が出たー!

 なんてこった! 知ってはいるけど実際に話したことの無い知り合いランキング、堂々の1位の校長につながってしまった!


「あ、あ、あの、1年2組の武山とも、申します。あ、あの、大島先生はいらっしゃいますか?」


 その結果、アホ丸出しの対応になってしまう。


<申し訳ありません。大島先生はまだ出勤されていませんね。私の方から伝えておきましょうか?>


「は、はい。えっと、風邪をひいてしまって‥‥‥。微熱なんですけど」


<そうなのですね。最近、寒暖差が激しく風邪が流行っていますからお大事にして下さい>


「は、はい。すみません。ありがとうございます」


<はい。では、失礼します>


「お、お忙しいところすみませんでした」


<いえいえ>


 電話を切る。

 ‥‥‥びっくりした。

 でも、校長優しかった。


「‥‥‥」


 ドッと疲れた俺は、布団に倒れ込む。

 寝よう。

 もう、どこが調子悪いのか分からなくなったけど、とにかく寝よう。

\



 目が覚めたら、もう昼だった。

 少しだけのつもりが、4時間以上寝ている。本能が休息を求めているのかもしれない。


 グゥゥゥぅ。


 とか格好いいことを言ってみたが、腹の虫がマヌケな音を立てることで恥ずかしくなる。本当に具合が悪いのなら、空腹なんか感じないはずなのだ。

 その羞恥心を誤魔化す意味も含めて、リビングに母さんを探しに行った。


「お。風邪大丈夫そう?」


 洗濯物をたたみながら聞く母さん。


「うん。朝よりは楽になった」

「そっかそっか。じゃあ、うどんでも作ろうかね」


 うどんか。この腹の虫を黙らせるにはカツカレーでも食いたい気分だが、そんなことを言ったらぶん殴られるだろう。


「ありがとう。助かる」


 部屋で、横になってはいるが睡眠状態には入っていない中途半端な時間を過ごすこと30分。


「できたよー」

「はーい」


 食卓に向かうと、ネギとかまぼこが乗ったうどんが用意されていた。さっきまで不満に思っていたが、実物を目の前にすると美味そうに見える。こんな俺に食事を与えてくれる母は偉大なり。


「いただきます」


 ガッツいて食べると「元気じゃん」と思われそうなので、意識的にゆっくり啜る。しかし、それでも5分もかからず完食してしまった。


「食べれたね。良かった良かった。じゃあ、もう少し寝ておきな」

「うん」


 もちろん、全然足りていない。何だったらこの5倍はいけるくらいだ。でも、今の俺には自室に戻るしか選択肢は無いのである。

 もう、大して眠くもないが布団に横たわる。


「‥‥‥」


 ダメだ。眠れない。

 それでも、病人なのだから我慢しようと歯を食いしばること1時間後、部屋のドアがノックされた。


「買い物行ってくるけど、大丈夫そう?」


 よし! チャンスだ!


「うん‥‥‥いってらっしゃい」


 感情と言動に高低差がありすぎて酔いそうだ。


 玄関のドアが閉まる音と、鍵をかける音を確認してから、俺は勢い良く立ち上がった。

 確か、カップ麺があったはず。


 自分用に買った、横にデカいタイプのカップ麺「ガッツリ豚骨ラーメン」である。間違っても病人が食べるものではないが、食欲には抗えない。

 急いでお湯を沸かして、容器の中に入れる。


 しかし、そこで厄介なことに気づいた。

 これ、待ち時間が5分のやつだ。


 これは計算外だ。母さんがどこに買い物に行ったか分からないが、近くのコンビニとかだったら、この2分の差は勝敗を大きく左右する。いっそのこと、硬くても良いから3分で食べてしまうか?


 ‥‥‥否!


 創業元が、ベストだと判断した方法で食べるべきだ。そこを曲げてしまったら、カップ麺好きの道から逸れてしまう。


 スマホで5分タイマーを設定する。

 5分。されど5分。

 異様に長く感じた。午前中は一瞬に感じたのに、時間というのはいつだってイジワルだ。

 スマホが5分を知らせてくれる。

 食卓に持っていく時間さえ惜しく、キッチンで貪り食う。


「‥‥‥ッ」


 美味い。この馬鹿みたいに濃い味が舌に喜びを与えていく。

 あっという間に麺を食べ終えた。しかし、スープの誘惑が俺を狂わせる。

 バレないように片付ける工程も待っているのだぞ。それはやり過ぎだ。

 そう、脳内で忠告を受けるが、飲み始めてしまった。

 あぁ。脳が溶けそうなほどの旨味。

 俺は今、この瞬間のためにうまれてきたのだと本気で思った。


 あと1口で飲み終えそうになって、人の気配に気づく。


 恐る恐る振り返ってみると、そこには笑いを噛み殺しているお母様の姿があった。


「あ。ごめんごめん‥‥‥ふっ、昼ごはん足りなかったんだね‥‥‥くっ。うん。そういうこともあるよね。続きをどうぞ〜」


 鏡を見なくても分かる。今の俺の顔面は真っ赤だ。


「ご、ごめんなさい」


 そう言うだけで精一杯だ。これならまだ、オ⚪︎ニーをしているところを見られた方がマシまである。

 こうして俺は、これから先、過度に具合の悪いフリをしないことを心に決めたのであった。



-完-

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