嫉妬

「原田さん、駄目じゃない!床を水で洗ったら。あなた、うちのマニュアル読んでないの?」



直美は派遣会社の主任、山崎佳代子に注意された。



「はい、主任・・・申し訳ありません。でも、水洗いからしないと・・・」



「原田さん余計な事は言わないの!マニュアル通りにして下さい。」



山崎佳代子は、もうすぐ還暦を迎えるベテラン清掃員で、直美達のリーダーである。



佳代子は何かと直美に冷たくあたる。



それにはわけがあった。



直美が以前、高柳の会社で企画課の主任に成り立ての頃の話しである。



直美は派遣会社の清掃員に、自らが考案した清掃マニュアルの説明をした。



この説明会で最後の質疑応答の時に、佳代子が質問したのである。



「制服が白というのは困ります。私達は遊んで仕事をしているわけではありません。汚れが目立ちます。それでは、かえって見た目には不衛生ではないでしょうか!?」



佳代子の質問に、直美は冷静に答えた。



「私どもが皆さんに身に付けて頂く制服の肘と脛には、サポーターが有りますから汚れたら交換して下さい。それから、清掃とはこまめな作業の繰り返しだと私は思います。一気に片付ける様ですと汚れも付きやすくなるのではないでしょうか。」



佳代子は、その事が忘れられない。



小娘が偉そうに!!



その小娘である直美が自分の部下になったのである。



社長からは事情を聞かされてはいたが、今は自分の部下である。



現場がもっと知りたければ、もっと働けば良い。汗水流してね!



直美は、そんな事は全く知らない。



佳代子の事も覚えてはいなかった。



それでも直美は、佳代子に自分をもっと知って貰おうと一生懸命だった。



何故?主任は私を嫌うのか?



「おはようございます主任。」



佳代子は会釈のみである。それでも業務上の話しは嫌でもしなければならない。



直美達は今、さいたま市の郊外にある大型のショッピングモールへ派遣されている。



いつもの様に、佳世子を中心に朝のミーティングが始まった。



「クレームです。清掃員に売り場を尋ねても私は店員ではないのでわからない。それでは困ります。でも、ただひとり、原田さんは、しっかり対応が出来ています。皆さんも見習って下さい。」



直美は、担当するフロアの売れ筋商品の配置などには怠りがなかった。



店員の代役は、十分にこなしていた。この事が店長に知られて評判が良かった。



そこで、平日などは店員も削減している事から清掃員の協力が求められていた。



店側としては、いつも清潔で綺麗な店内と、店員削減の穴埋めとして清掃員は必要であった。



佳代子は考えていた。



何故、あの娘は、あんなに一生懸命なのか?他の清掃員みたいに適当にさぼり、適当に掃除をすれば良いものを。本当に、この仕事が好きなんだろうか?



佳代子も清掃という仕事が嫌いではない。



しかし、目立たない地味な仕事である。



縁の下の力持ち。



孫達とディズニーランドへ行った時には感心もした。何処へ行っても綺麗。だから気持ち良く楽しむ事が出来る。



まさに、こまめな作業の繰り返しである。直美の言う通りであった。



私は、あの娘に嫉妬しているのか・・・



なかなか直美へ、心を開く事が出来ない佳代子であったが、仕事での評価は偽れない。



「今日から、私が早番の時の後のリーダーは、原田さんにお願いします。野上さんは彼女のサポートをして下さい。」



この話しは事前に何も聞かされてはいなかったので直美は呆気にとられた。



「わかりましたか?原田さん!」



佳代子に促されて、直美は、



「はぃ。」と小さな声で応えた。直美は嬉しかった。リーダーになれた事ではない。



佳代子へ気持ちが通じたと思ったからである。



それを確かめるために直美は、翌日の昼休みに佳代子がひとり食事をしている休憩室を訪れた。



「主任、この席に座っても良いですか?」



「あら、あなたは、いつも外食ではなかったの。」



「あっ、いいえ、ハンバーガーにも飽きちゃって。」



直美は今朝、自分で作った弁当箱を広げた。



そこには、卵焼き、ウィンナー、ミートボール・・・



まるで小学生のお弁当であっが、その下の箱には煮物が詰まっていた。



佳代子はそれを見て、「この煮物、頂くわね。」



そう言うと、直美の返事もきかないで摘み出した。



・・・



「これ、あなたが作ったの?」



「はい。」



「あなたのお母さんって素敵な人ね。」そう言うと初めて直美へ微笑んだ。



「ありがとうございます。」



直美は、佳代子のご機嫌伺いに来たのではない。



佳代子に自分をもっと知って欲しい!そんな思いからであった。



佳代子は、それを十分に分かっていた。



「原田さん、覚えているかな?もう何年か前だけど私、あなたに会っているの。」



説明会の質疑応答の話しを始めた。



直美は覚えていた。



しかし、その質問者が佳代子である事は、覚えてはいなかった。



「すみません主任、生意気な事を言ってしまって。」



「どうして謝るの、あなたの言う通りじゃない。私は良い年をして恥ずかしいわ、あなたに嫉妬していたの。」



佳代子はお茶を飲みながら、さらに話しを続けた。



「私にもね、もちろんだけど原田さんみたいな若い時があった。学校を卒業すると近くの工場の事務の仕事をしたの。それで、二十歳の時に工場で働いていた今の旦那と結婚。直ぐに子供も出来てね。後は子育て。それはそれで楽しかったわ。でもね、あなたの説明会での堂々とした姿を見てると、私にも何か出来たんじゃないかって。」



直美は食べる事も出来ずにずーっと佳代子の話しを聞いた。



「あなた彼氏居るの?」



「あっ、はい…」



佳代子は立ち上がると、



「頑張っていきましょう!あなたに負けないように頑張るわ!」



そう言うと部屋を出て行った。



直美は、スマホをポケットから取り出すと修一へメールをした。



第三次世界大戦は永久に来ないかな。



佳代子の話しを修一へ相談した時に、スイスでは第三次世界大戦に備えて、どこの誰と核シエルターに入るかを決めてあるそうだ。気が合わない人と一緒だと生き地獄。悲しいかな。それが人間。



でもね、仕事ならば一緒に成功するんだ。そしたら仲間になれる!



事実、直美のおかげで店長からはクレームではなくて、むしろ契約の継続を取り付けていた。



もちろん、この事は派遣会社の社長から長沼の元へも知らされていた。



修一から返信メールが届いた。



そっと携帯を開くと、



仕事での成功は、お互いの信頼関係がないと成り立たない。もう大丈夫!良かったね、直美。



読み終わると 何故か涙がポロポロと流れた。



ありがとう修一さん。



直美はそう言うと、静かに携帯電話を閉じた。

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銀雪の恋 安曇愁 @azumisyuu

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