Scene10『きみのこと』+α

 前髪を上げた高村くんは、授業が始まってもずっと注目の的だった。休み時間だって動くたびに女子の注目を浴び、男子は居心地が悪そうに遠巻きに見つめている。高村くんはずっと居心地が悪そうに眉をひそめていたが、私と目が合うと、ぽちぽちとスマホを弄った。


『話しかけに行ってもいい? ちょっともう辛い』

『いいよ』


 送った瞬間にガタッと椅子を立つ音が聞こえる。その動作一つにもクラス内は大注目である。


 何故か私まで緊張のボルテージが上がる。どうしよう、いつもみたいに顔があげられない。


 俯く私の視界に、高村くんの手がにゅっと伸びてきた。腕を掴まれて顔を上げると、そこにはやはり頬を赤く染めて眉を顰めた高村くんがいて、「行こ」と私を引っ張って立たせる。


「え、えっ」

「もう耐えらんない……」


 半ば逃げるように教室を飛び出した私たちは、すれ違った先生の制止の声も聞かずに走り続けた。彼が人目につかない場所を探していることに気づいた私は、美術室横の非常通路に出よう、と提案する。


 バルコニーになっているそこへ出て、私たちは手すりに隠れるようにしゃがんで、息を整えた。はーっ、と深い溜め息を吐いて座り込んだ高村くんは、手で顔を隠して、「だから嫌い……!」と弱音を吐く。


「ぷっ……あははははっ! いやー凄いね! 高村くんの威力! そりゃ、中学時代もモテる筈だぁ」


 私が腹を抱えて笑うと、もじもじしていた高村くんもやっと顔を上げて、小さく笑ってくれた。そりゃ、周囲よりも数段大人っぽくて格好いいんだもの、注目を浴びない方がおかしい。


「ふふっ、ありがとうね。私なんかのために勇気出してくれて」

「ま、まあ……。美麗さんが変な目で見られるの、凄く、嫌だったから……」


 潤んだ瞳が私を捉える。高村くんはズボンで手を擦ってから、そっと私の手を握った。


「その。俺……」

「……うん」

「……えっと……なんか。ごめん、なんて言えばいいのか、」

「いいよ、ゆっくりで」


 私は彼の横に体育座りして、空を見た。ここを選んだのは間違いだった、とんでもなく寒い。


「俺、ほんと、美麗さんのこと、好き……美麗さんが、は、花でも好き。鳥でも好き。犬とか猫とか、人間以外でも、絶対好きになってた」

「う、うん。大袈裟だなあ、相変わらず」

「本当だから。えっと……こっち向いて」


 手が離れて、その代わり頬に温もりが移る。がっちりと顔を掴まれて逃げ道を失った私は、少しかさついた唇が私のそれに掠めるのを、ただぼけっと見るしかできないでいた。


「っえ、あ、」

「デートの時は、ちょっと……唐突だったから」

「い、今も唐突だと思うよ!」

「い、嫌だった……?」

「そうじゃ、ないけど……」

「けど?」

「あー……。照れる。うん、緊張するから、その、さ」

「それって、俺のこと、男として意識してくれてるって、ことだよね。良かった、じゃ、じゃあ、これからもずっとこの見た目にする。美麗さんが、ドキドキしてくれるなら」


 心臓が持たなくなりそうだ……と困っていると、高村くんは笑いながら私を抱き締めた。「寒いから、別の場所探そう」と言われ、私も素直に頷く。


「行かなきゃ」

「でも、もうちょっとだけ抱き締めてたい……」

「……も~っ、色々と豹変しすぎて、ついていけないよ」

「そう? ずっと、こうしてみたかったけどね。なんだろ、美麗さんが照れてくれるから、自信ついたのかも」

「うわ~っ、照れなきゃ良かった。そんな自信なくていいって」

「照れない練習、する?」


 今までの逆襲を受けるかの如く、顎を持ち上げられてちゅっとキスされる。だ、だめだ、早くここから脱出しないと……。そう思って藻掻くと、可愛い可愛いとさらに顔中にキスの雨が降り注ぐのだった。


「あ、やばい。……もう行こっか、寒いし」

「は、はぁ……私は熱いけどね……」


 言いつつ立ち上がって、スカートの砂を払った。こりゃあ、なにか対策を練らないと私が早死にしてしまう。そんなことを考えながらも、私は高村くんと手を繋いで校舎の中を歩くのであった。



 ―――オマケ1『あの日のこと』


「美麗さん……」


 美麗さんを美麗さん足らしめているのは、一体何なのだろう。俺は彼女の秘密が知りたくて、高校一年目はずっと彼女のことを追いかけていた。


 何度か、気を引くためにやっぱり見た目を戻そうかと考えたことはある。でもそれでコロッと彼女の態度が変わってしまうのが怖くて、あるいは彼女と距離ができてしまうかもしれないことが嫌で、結局俺は変わらないことを選択し続けてきた。


 美麗さんは時々授業をサボる。いや、結構な頻度でサボる。一年生の頃は特に。それからいつも音楽を聴いている。好きな曲はスローテンポなもの。髪の毛で隠しているが、ピアスをしていることを俺は知っている。


 俺は美麗さんの写真を何枚も持っている。決して彼女の外見に惚れたわけじゃない。


 あの日、屈託なく微笑んでくれた彼女の優しさに、暗かった俺の心にパッと光を差し込んでくれたその明るさに惚れたんだ。だけども彼女は美しい。男子たちの会話に少し耳を傾ければ、今日も「美麗さんが可愛い」という噂話が聞こえてくる。


「この前、美麗さんがバスケしてるところ見てさー、へー運動もできるんだって惚れたわ」

「お前ちょろすぎ笑」

「でもマジで、美人って何しても美人だよな~。汗が光ってたもん」


 バスケ、バスケ。それは新情報だ。俺は、俺も知らない美麗さん情報を持っていたそいつに死ぬほど嫉妬したが、気持ちを切り替えて、美麗さんのバスケ姿を拝むためにより注意深く彼女を観察した。あわよくばその姿をスマホに収めたいのだ。


 そしてある日、俺は念願のレアショットを入手した。


 ダン、ダン、ダン……とリズムよく跳ねるボールは綺麗に彼女の手に吸い込まれていく。髪を一つに結っている姿も美しい。あぁ、美麗さん美麗さん。俺は益々夢中になった。そしてふと、クラスの男が美麗さんに告白する、と話していたのを思い出した。


 ポケットを探る。いつか、タイミングがあったら渡そうと思っていたメモに触れる。自分でも意識するより早く、俺は体育館の床を踏みしめていた。




 ――オマケ3『美麗さんの好み』


 ここだけの話、人のことは言えないが俺はロン毛の男が嫌いだ。


 だが俺は美麗さん好みの男である自信がある。


 これは決して、美麗さんの恋人という称号を得た男の驕り高ぶった妄想じゃない。彼女本人が、過去に話していたことなのである。


 あれはそう、俺がまだ美麗さんに恋して間もない頃の話だ。


「――ねえねえ! 美麗さんってどんな奴がタイプなの?」


 クラスの中心で騒いでいた男が一人、スキップしながら美麗さんに近づいてそう尋ねた。俺は「気安く美麗さんに話しかけてんじゃねえ……!」とそいつを睨みながらも、つい聞き耳を立ててしまった。


「え゛。……それって外見の話? 中身の話?」

「ん~、まずはぁ~、見た目の好みが知りたい!」

「あー……。まあ、髪長い男の人って、恰好いいよね。長瀬〇也みたいな」

「ほほう、じゃあ性格は?」

「えーっと……まあ、流されない人、かな? 自分を持ってる人っていうか。ああでも、社交的な人も好きだけど」

「なるほどね! んじゃ、社交的と言えばオレじゃん!? オレなんかどう!?」

「どうって何が」


 聞き耳を立てて静まり返っていた教室内が、美麗さんの呆れたような笑い声で徐々に騒がしさを取り戻す。俺は内心、人避けのための奇策が偶然にも功を奏したことに歓喜し震えていた。髪が長いと言えば俺じゃん。クラスの(男の)中では、一番髪が長い自負がある。


 あとは性格だが、流されない人か……。社交的も別に、頑張ればできるかもしれないけど……。


 俺はその後、一人で延々と彼女の好みに生まれ変わるための策を練っていた。美麗さんの隣に堂々と立って歩きたい。そして時折、うっとりとした視線を向けられたい。


 だが、そう考えるのは決して俺だけではなかった。


 翌日から、クラスの男たちは『流されない人』を実践するためにやたら自己主張が激しくなり、髪の毛は伸ばしっぱなしのもさもさという見た目も性格も鬱陶しい奴に様変わりした。


 あれから一年半経った今でも、うちの学校でロン毛は隠れ美麗ファンの証となっている。……そう、これがかの有名な『ロン毛事変』である。




 ―――オマケ2『記念日』


 じゃーん! と言って美麗さんが掲げたのは、コンクールに出したはずの絵であった。アクリル板には、トリミングされた俺と美麗さんのツーショットが引き伸ばされて張り付けられている。


「ど、どうしたの? コンクールは?」

「アクリル板使うのは反則だって。でも板外したらただのパクリになっちゃうから。一応特別賞は貰った」

「え、凄い!」


 へへ~、と得意げに笑う美麗さんは今日も美しい。


 今日は初めて美麗さんの家にお邪魔した記念すべき日だ。


 それから彼女の部屋着を始めて見た日、彼女のベッドシーツの色を確認できた日等々数多の記念日ではあるが、そこに『美麗さんの絵が特別賞を貰ったと知った日』も追加しよう。


 床に体育座りしていた俺の膝を割って足の間に潜り込んで座った美麗さんは、アクリル板に張り付けた俺たちの写真を見て「クソコラみたい」と笑っていた。一応、彼女が自分でトリミングしたらしい。


 美麗さんの脇腹に両腕を通してそっと抱き締めると、小さな照れ笑いに交じって「恥ずかしいよ」という声が聞こえる。あぁ、明日死ぬんじゃないかってくらい幸せだ。体のあちこちにキスすると彼女は子供みたいにキャッキャとはしゃぐ。そして俺に抱き着いて、耳元でこんなことを言った。


「今日は我慢できる?」


 その言葉で、すべての遠慮や建前が吹き飛んだ。


 顎を押さえて唇に噛みつく。あー、美麗さんの唇はなんでこんなに気持ちがいいんだろう。滑らかな肌も、艶のある黒髪も、すべてに触れていたい。美麗さんの細いうなじに手を添える。首から胸元へ唇を下ろすと、羞恥心を押し殺した小さな吐息が聞こえた。

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【完結】美麗さんは美しい。 郡楽 @ariyama

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