Scene9『どきょう』

 家に帰ってスマホを見ると、高村くんから『今日はごめん』とだけメッセージがきていた。『別に気にしてない』と打とうとして、気が変わって電話を掛ける。


 最初の一回は取ってもらえないまま一度電話を切る。もう一度かけると、少しの間の後で何とか繋がった。


『……ごめんなさい』

「違う違う、怒ってないから」

『でも俺……美麗さんに迷惑か、かけたくなくて、失礼なことした……』

「大丈夫だから、聞いて? あのさ、一応弁解というか……まあ、いい感じに話しといたから。高村くんさ、見た目が取っ付きにくいから遠巻きに見られてるだけで、別に物凄い嫌われてるとかじゃないからね。あんまりネガティブに捉えすぎなくていいって、それが言いたくて電話したの」

「……美麗さん……」

「あの、前にも聞いたけど、もう一回聞いてもいい? なんで前髪伸ばしてるのか。それに、昔からずっと今みたいな性格だったの?」


 私にはとてもそうは思えなくて、なるべく優しい声色で問いかけてみた。


 すると電話の向こうで、彼が息を吸い込む音が聞こえる。


 高村くんがゆっくりと話してくれたのは、中学生時代のことだった。


 中学一年生の頃には既に背が高かった彼は、元々の容姿も相まってとにかくモテたそうだ。だが容姿に群がり、自分の前ではいい顔をする女子たちが裏で陰気な男子を虐めていることを知ってしまい、女性不信になってしまったのだという。


 性格は元々気弱なところがあり、押しに弱く、いわゆる肉食系女子に押し倒されたこともあった。命辛々逃げ出せたが、女性不信には拍車がかかった。それから高村くんは、件の女子たちに虐められていた男の子と仲良くなりたかったらしく、声をかけたこともあったそうだ。


 だがその男の子からは、『顔がいいからって調子に乗るな、僕を笑いに来たのか』と散々言われ、同時期に、彼を妬む友達から陰口を叩かれていたことも知った。


 すべての善意が空回りし、他人の裏の顔を恐れた彼は人間が嫌で嫌で堪らなくなってしまったのだという。


 件の男の子は結局、三年間ずっと虐められていたらしい。高村くんはそのことに深い罪悪感を感じていた。地元を出て、誰も自分を知らない土地でやり直したかった。前髪を伸ばしたのは自分の容姿を隠すためでもあったが、なんとなく、その男の子への罪悪感もあったらしい。


 という訳で、高校入学時には思いっきり暗い奴になった。だが今度は暗すぎて、クラスの地味なグループにさえ入れなかった。集団の中で孤立することの辛さを身をもって感じたことで余計塞ぎ込み、人間不信も手伝ってもう針のむしろだった。


 そんな時、私が『消しゴム貸して』と声をかけたと……彼の話はそう繋がっていった。


『に、人間って、怖いよね……。俺はほんの少しの、気の合う友達と一緒にいれたら、それで良かった。でもこんな見た目にしたら、酷い扱いを受けて……』

「それで余計に人間不信が加速した、と」

『うん……』

「なるほどね……納得した」


 彼は些か極端な気もするが、それでも他人に失望する気持ちは痛いほどわかる。


 確かに虚しいだろう、顔しか見られないことは。『自分の所有物にしたい』という欲望をぶつけられるのは。『減るもんじゃないんだし』と、つぶさに行動を観察されることは。誤解を受けることも多くあるだろう。そんなんじゃ、気疲れするのも無理はない。特に高村くんは、とても繊細だから。


「ねえ、私はね、高村くんといて恥ずかしいと思ったことなんか、一度もないよ。だからさ、今日のことは気にしないでいいんだからね。辛くなるくらいなら、無理に変わろうとなんかしなくていいんだから」

『……ありがとう』

「うん。それじゃあ、おやすみね」

『うん……おやすみ』


 電話を切って、スマホを置く。


 あの女子たちはお喋りだから、きっと明日にはクラス中には広まっているかもしれない。はーあ、それで高村くんが病まなきゃいいんだけど。


 私はあらゆるフォローを考えながら、重い体を引き摺って浴室へ向かった。


 しかしどれだけ悩んでも朝は来るもので、冬の清々しい青空を見上げると、チュンチュンと囀る雀が電線からこちらを見ていた。……あんまり、寝れなかった。


「はぁ~あ……」


 のろのろと支度をして、いつも通り学校へ向かう。クラスのドアを開ける時、心臓が破裂するほどドキドキしていた。手が震えそうなことに気づいて、私も意外と繊細なんだな、と驚く。


「ふー……よし」


 がららら、とドアを引く。一瞬だけ沈黙が落ちる。私は無意識に高村くんの席を見た。来てない……。心配になって、席に着いてからスマホを取り出す。


 今日に限って寝坊? でも、連絡しても大丈夫? 余計追い詰めることになる? 色々考えてしまい、私はカオリに、高村くんが来ていないことを相談した。


「え……?」


 スマホを弄っている時、そんな誰かの呟きが嫌にはっきりと聞こえた。


 なんだなんだ、教室内が水を打ったように静まり返っている。あ、まさかと思って顔を上げると、そこには高村くんがいた、が。


「え……誰?」


 昨日の女子グループの一人が、そう呟いた。


 高村くんは前髪をまとめて、ハーフアップにしていた。背中も堂々と伸びて身長の高さが際立っている。ドアの前に立ち竦んでいる彼は私だけを見つめている。その視線の先を辿った数名が、私を見て「やっぱり……!」と色めき立つ。


 ぎこちない足取りで自分の席に座った彼は、リュックを置くと、ばふっと机に突っ伏してしまった。


『おはよう』


 そんなメッセージが来て心臓が跳ねる。


『お、おはよう。どうしたの? 今日』

『昨日は電話でああ言ってくれたけど……俺なりに、考えて。やっぱ、昨日みたいに逃げたくなくて。堂々と美麗さんの隣にいたくて』

『そっか。驚いたけど、高村くんがちゃんと考えたことなら凄くいいと思う。それに、新しい髪型も似合ってるよ』

『良かった……ここに来るまで、ドキドキしすぎて何度もやっぱ髪崩そうかと思った』

『ナイスファイト! 崩さずによく頑張りました!』


 Goodスタンプを送ると、高村くんから『こっち見て』とメッセージが来る。何事かと思い振り返ると、真っ赤な顔をして第二ボタンを開けた彼が、胸元からチェーンに通した指輪を引っ張り出した。


「……」


 撃沈、である。いつかの仕返しをされるなんて思わなかった私は、机に突っ伏して顔を隠した。くそ、キザな仕草も似合うな……。高村くんはもっと大化けするかもしれない、と末恐ろしくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る