Scene8『けいかい』
絵は、完成に思いのほか時間がかかった。それというのも実は妙案が浮かんで、あれこれと試行錯誤していたからである。
私が描いていたのは有名な風景画で、やっと完成した時はもう絵なんか描きたくないと思うほど疲れた。だけどもその上に、画用紙と同じサイズの薄いアクリル板を重ねて、もう一つの絵を描くことを思いついてしまった。絵については、写真を引き伸ばしてトレースしようと思う。人物画はとっても苦手なのだ。そして試作として、ネットから拾ってきたパブリックドメインの女性の横顔を重ねてみた。
それが、意外にも大好評だったのである。美術の先生からコンクールに出さないかと打診まで受けたほどだ。高村くんに絵をあげると約束していた私は、一旦その話は保留にしてもらった。だが高村くんにそのことを言うと、是非出した方がいい、と背中を押された。
「うーん、高村くんがそういうなら……」
「だって、先生も絶賛だったんでしょ? 凄いことだよ、それって」
「どうなるかは分からないよ、ただ出すだけ」
「それでも、十分凄いって」
私はマフラーを引き上げて、吹き荒ぶ木枯らしに文句を垂れた。気づけば晩秋が過ぎ、冬を迎えようとしている。私も高村くんもブレザーの下にセーターを着込むようになった。それでも冷える。
「あ、そうだ、次の休み
「え!? そそそそれ……い、いいの……?」
「え? う、うん。だって外寒くなってきたしさ……最近は絵ばっかりで、遊んでなかったし」
高村くんの照れ顔も久しぶりに見た気がする。ああ、なんか癒されるなあ。
私は笑って、彼の制服の袖に手を突っ込んだ。その先の汗ばんだ指が逃げ惑う。高村くんがさりげなく手を引っこ抜こうとしたので、追いかけてがっしりと掴む。驚き狼狽える彼が肩を跳ねさせる。「もう……」という呟きが聞こえた頃には、抵抗する手の力は抜けていた。
「なんか、ごめんね。一つのことに夢中になっちゃうと、そればっかりでさ」
「き、気にしないで。それより、手……」
「寒いから繋ごうよ、てか高村くん、手ぇ温かいね」
「今、恥ずかしいから……手汗、やばいでしょ、俺……」
「うん。分かりやすくていいと思う」
「……美麗さんって、ほんと物好きだよね……」
「それってお互い様だと思うよ」
そもそも、告白してきたのは高村くんの方だってのに。
商店街に寄って、お肉屋さんのほかほかコロッケを二人で買う。その時、前から見慣れた制服の女子グループが歩いてくるのが見えた。
サッと、高村くんが繋いでいた手を離した。いつも以上に顔を俯かせた彼は、いつも以上に猫背になって、大慌てで隠れ場所を探し始める。
「あっ、美麗さん……と、高村くん?」
「え、マジ?」
こちらに気づいた女子たちが近づいてくる。高村くんは、隣で顔を真っ青にしていた。
「え~!? 二人ってどういう関係!?」
「放課後デート!?」
「え、でも高村くんでしょ……? あり得なくない?」
「えてか、高村くんと友達だったの? 超意外なんだけど!」
「あー……っと、」
一気に詰め寄られて、どう答えるべきか一瞬悩んでしまう。その隙に、リュックのストラップを握り締めた高村くんが、震えながら叫んだ。
「みっ、美麗さんとは、偶然そこで会って……! だ、だから、彼女は何も関係ない……! っそれじゃあ!」
一息に言って走り去っていった高村くんに、私も含めてぽかん、と口を開けてしまう。「……ナニアレ、感じ悪」と誰かが言ったのを皮切りに、時は再び動き始めた。
「なに、あの態度」
「ってか美麗さんって優しいよね~、高村くんってめっちゃ暗いじゃん?」
「さっきのも、あれヤバいよね」
「気にしない方がいいよ」
またも矢継ぎ早にそう言われ、あっという間に会話が思わぬ方向へ転がっていく。
彼女らの中ではすっかり、『高村くんに付き合ってあげていた優しい美麗さん』の像が出来上がっていた。
「あー、あのさ! 実は違うんだよね」
彼女らが立ち去る前に、何とか会話に割り込もうと声を上げる。え? という声と共に一気に注目を浴びて、心細い思いで何とか言葉を探す。
「高村くんって、皆が思ってるような人じゃないよ。確かによくテンパるし、さっきも慌ててたけどさ。今日も、私から一緒に帰ろうって誘ったの。優しい人だよ、高村くんって」
「へ、へ~……?」
「まあ美麗さんがそういうなら……そうなのかも?」
「皆はさ、高村くんのどこが嫌いなの?」
「いや、嫌い、っていうか……」
「見た目暗いし……何考えてるか分かんないし?」
「誰かとつるんでるとこ、見たことないし」
「多分友達いないんじゃない?」
「でも、しょっちゅうスマホ見てにやにやしてるよね」
「そうそう! あと猫背ヤバすぎるよね」
「話しかけてもなんか無視されたし」
「そうそう、全体的に感じ悪いし雰囲気も暗いし、近寄らんどこって感じ?」
「なるほどねぇ」
出てくる言葉は様々だが、つまりは見た目の印象が悪い、と。なあんだ、それだけの話か。私は納得のあまり笑いながら、何度か頷く。
「高村くんはものっ凄い人見知りなんだけど、悪い人じゃないからさ。あんまり囃し立てないでほしいな、気にしちゃうし」
「う、うん……なんか、ごめん」
「いやマジ、美麗さんって超優しいわ」
「ね。てかそろそろ行こ?」
「だね。美麗さんばいばーい! また明日ねー!」
「うん、ばいばい」
手を振って彼女らを見送る。食べかけのコロッケは、もうすっかり冷たくなっていた。
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