Scene7『とくべつ』
週が明けて、月曜日がやってきた。
いつものルートで登校する私の足は、空中散歩できるほど浮足立っているだろう。何しろあれから、家に帰って平静を取り戻して、指輪を眺めている時に良いことを思いついたのだ。昨日の不意打ちの逆襲である。
教室に入ると、いつも通り殆どの生徒が既に揃っていた。勿論、その中には高村くんもいる。彼はいつも通り厚ぼったい前髪を下ろして俯いている。そして私の気配を察知してか、びくりと肩を震わせて縮こまった。
『こっち見て』
そんなメッセージを送ると、彼はスマホを握りしめたまま、恐る恐る顔を上げた。目が合って、私はチェーンを通して首にかけていた指輪を持ち上げて笑う。
アクセサリーは校則違反だが、ネックレスならまあバレないだろう。私はすぐに指輪をワイシャツの中に仕舞って、いつもは第一ボタンまでは開けているところを全部きっちり閉めた。
高村くんの反応は予想通りで、動揺しまくってスマホを落とし、顔を真っ赤にして机に突っ伏していた。なんて揶揄い甲斐のある恋人だろう。私は一人でほくそ笑みながら、次はどんな悪戯をしようか、と楽しくて仕方がなかった。
「んで? その高村くんとはいつお昼をご一緒できるのかしら?」
昼休みに入って、いつも通りカオリと昼食を食べる。彼女には昨日すぐに高村くんのことを報告していたので、私が満面の笑みでスキップして合流しても「浮かれてんな~~」の一言で終わった。
「それがねぇ、カオリが怖いみたい」
「なんでよ」
「うそうそ、冗談。でも、まだ人見知りは治らないみたい」
「ふ~ん、まあ私はいいんだけどさ。カップルののろけとか見たくないし」
「まあ、ですよね」
「あ、二人揃ったらイチャイチャするって自覚あるんだ」
「まあ予想はつく。ちょっかいかけるの楽しいんだもん」
あんたってほんと……というカオリの呟きを聞きながら菓子パンをかじる。高村くんは面白い。それに、あの水族館デートの日は本当に格好良かった。
前に、いつから前髪長いの? と聞いたら高校入学の時からだと言っていたから、中学の時はきっとモテていたんだと思う。それが嫌で前髪伸ばしたのかな。と推測を立てていると、スマホがメッセージを受信する。
「あ、高村くんからだ」
「なんだって?」
「『今日の放課後、会いませんか』だって。いつも会ってるのに」
「テンパってるね~、相変わらず」
「『いいですよ』っと……ね、カオリはこの前言ってた男の子とはどうなったの?」
「うーん、なんか面白味がないっていうか……」
「でも安藤くんってサッカー部の人気の人じゃん」
「そうなんだけど、なんか爽やかすぎて。キラキラし過ぎてる、っていうかねえ」
「とか言って、苦労話とかされたらコロッといっちゃうタイプじゃん」
「まあね……弱いのよ、そういうのに」
「人情派ですなあ」
カオリにアプローチしている安藤くんは犬を思わせる可愛いタイプの男の子だ。サッカーも上手で、結構女子に人気があるらしい。キャーキャー騒がれているところを見たことがある。
「ああやってヒーローで居続けられるのって凄いよねえ」
「まあね。苦じゃないんでしょ、騒がれるのが」
「いい性格してんね、ある意味」
「ちょっと、捻くれた物の見方しないでよ。安藤くんって見た目通り馬鹿みたいに純粋なんだから」
「言い方!」
春ですなあ、なんて呟いてみる。そうこうしているうちに、あっという間にチャイムが鳴り響いた。
「あんた、最近サボらないね」
「うん」
「更生したわけ?」
「ううん、教室に行くのが楽しいだけ」
「高村くんのおかげか……。なんか悔しいわ」
「でもカオリが同じクラスだったら、最初からサボってなかったかもよ」
彼女がいなければ、今頃高校なんて辞めていたかもしれない。私はポケットの中で菓子パンの包み紙をにぎにぎしながら、そんなことを考えた。
『放課後会いませんか』の連絡にOKした私は、ぎりぎりになって待ち合わせ場所を美術室に変えた。先生から鍵を貰っていたので開けて、棚を漁る。
「あ、あったあった」
「み、美麗さん……? 早いね」
画用紙を摘まんだまま振り返ると、高村くんが入口でおどおどしながら立っていた。
「あの……昨日は本当にごめん……!」
「大丈夫だよ、びっくりしただけだから……それより、今日付き合わせちゃってごめん」
「全然。美麗さんのこと、知れるの嬉しいから」
キャンバスに画用紙を張り付けて、椅子に腰かける。その斜め後ろに高村くんも座った。この絵は、一年前に途中で描くのをやめた絵だった。好きな画家の絵を真似ただけなので、コンクールなどに出すつもりはない。
「……どうしようかな」
「え、続き、描かないの……?」
「うーん……」
本当は、処分しに来たのだ。だが気づいたら椅子に腰かけていた。気が乗らない。それでも頭の中で無限にイメージしてみる。だがどれも違う、違う、違う。
大雑把に描いた下絵を視線でなぞる。少しの歪みを修正する。そうして集中し始めると、有難いことに高村くんは黙って、邪魔をしないでいてくれた。
「……結局、描いたな」
筆を持っていた手を下ろす。気づけばすっかり日が落ちていて、高村くんが教室の電気を点けてくれなければ真っ暗なことにも気づかなかっただろう。
「凄いね、美麗さんは……。絵、上手」
「でも、本当にたまにスケッチするくらいなんだ、本当は。筆で描いたのは小学校の授業以来だし、多分今後も描くことはない……かもしれない」
「え……勿体ない」
「そもそもデッサンが苦手だからね」
精密な絵を描ける人に憧れるが、どうやら私には絵と向き合う根気は無いようだ。筆を置いて、伸びをする。あーあ、帰ろう帰ろう。お腹空いたなあ。そう言いながら画用紙を外して棚へ差し込む。適当に片付けをして、鍵を職員室に返して帰路へ着く。
「絵、なんで、途中で止めちゃってたの?」
「飽きたから」
「そっか……」
「……ごめん、嘘。その時、色々忙しくて絵どころじゃなくて。まあ、趣味にもならないような趣味だったから、元々優先順位も低かったし」
それでも胸のどこかでずっと引っかかっていて、完成だけはさせたかったのかも。そう呟くと、高村くんはこんなことを言った。
「あの絵、どこかに飾ったり、する?」
「? しないよ」
「じゃ、じゃあさ。その、完成したら、俺、欲しい」
「え、あれを? いいけど……いいの?」
「うん。美麗さんの絵、欲しい。世界に一枚だけの、特別な絵だから」
なんだか照れ臭いような、誇らしいような不思議な気分だった。私は妙にむず痒い気持ちを抱えたまま、「高村くんは大袈裟だなあ」と茶化すので精一杯であった。
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