Scene6『がまん』
「面白かったねえ!」
水族館を出て、私は思いっきり伸びをした。
外はすっかり西日が差していて、妙な哀愁が今日という一日を名残惜しくさせる。バス停に向かう道中、高村くんの歩みも心なしかゆっくりに思えた。いや、確実にゆっくりだった。寧ろあと少しでバス停、というところで完全に止まった。
「あ、あのさ……!」
呼び止められて、振り返る。彼の瞳はいつかのようにきらきらと輝いていた。風が前髪を揺らす。それをごく自然に搔き上げた手が格好良かった。あ、本気なんだ。そう思った時、高村くんがいつものリュックの中から紙袋を取り出した。
「受け取ってほしい。……嫌なら、捨てていいから」
水族館の紙袋の中から、可愛くラッピングされた袋を取り出す。ピンクのリボンがかかったそれは、とても薄くて、中に何が入っているのか、一目で予想できた。
「重かったら……ごめん」
「そんなことない。……ありがとう」
緊張で手が震えないようにこっそりと深呼吸して、それを受け取った。中身はやはり、あのペアリングの片方だった。
「好きです。……俺、やっぱり美麗さんのこと、す、凄く好き。俺に付き纏われても、嫌な顔一つしないでくれて……お、俺、ほら。緊張すると、どもっちゃうし。だけど、美麗さんは嫌がらずに話、聞いてくれて。いつも励ましてくれて。勿論、それだけじゃないけど、でも毎日毎日、もう、おかしくなるくらい美麗さんのこと好きで……! 美麗さんのことばっかり考えて、苦しくて」
「……う、うん」
「もう死にそうで、我慢できなくて、けじめをつけたいって、思った。ごめん、自分勝手な理由で、押し付けて。待つって言ったけど、俺……俺、美麗さんがなんて答えても、多分諦められない。でも教えてほしい。なんで、こんなに、俺に優しくしてくれるの? なんで俺を嫌がらないで側にいてくれるの? 俺が好きって言ったから? ただの、気まぐれ?」
高村くんは自分の胸元を握り締めて、苦しそうに顔を歪めてそう言った。私は昨晩から今の今まで、ずっと考えていた答えを口にする。息を吸うと、彼が呼吸を止めたのが分かった。
「最初はね……高村くんのこと、好きでも嫌いでもなかったの。どういう人か分からなかったし。でも悪い人じゃなさそうだと思って、まずは君のこと、知ろうと思った」
私は手元を見て、自分の気持ちを振り返る。
「いい人だなって、思ったよ。話しやすいとも思った。気が合わなければ、こんなに仲良くしてないもん。私、親切心だけでこんなにずっと一緒にいたりしないよ」
「! そ、そっか」
「今では、好き……だと思う」
私の曖昧な答えに、高村くんはパッと華やがせた顔を少し曇らせた。
「正直ね、人を好きになるって、どういうことか分からない。高村くんみたいに激情に駆られてる訳じゃない。けど、ずっと一緒に居たいなとは思う。安心できるの。そしてそれは、私にとっては一番大切なことなの」
私は、ピンクの包みを両手で握った。
「これ、凄く嬉しかった。……つけてもいい?」
「! も、勿論……!」
「私さ、無神経な時もあると思う。自分勝手で、高村くんを傷つけることもあるかもしれない。でもそういう時は、愛想を尽かす前にちゃんと伝えてほしい。そうやって、お互いにちゃんと向き合っていける?」
向き合った先にあるものが、必ず幸せであるとは限らない。それでも、高村くんとなら……。
初めて自分の願望を口にした私の手は知らぬうちに震えていた。高村くんは私をじっと見つめて、そして何度も頷いた。勿論、絶対に離さない。絶対に愛想を尽かすなんてない、と彼は言い切った。でも、そんな言葉が私にとって何の意味も成さないことはきっと分かっているだろう。
「ねえ……は、ハグしてもいい?」
私の提案に、彼は慌てて首を横に振った。
「だ、だ、駄目……今は、その、我慢、できなくなっちゃうと思うから」
汗を掻いて両手を横に振る高村くんに、私は構わずえい! と飛びついた。脇腹に両腕を回して、子供のように抱き着く。彼の汗の匂いは全く不快でなかった。笑って彼を見上げると、真っ赤な顔から煙が上がった……ように見えた。
高村くんが大きく息を吸い込んだ音が聞こえる。両肩に彼の手が乗ったかと思うと、ぐいっと引き剥がされた。
「っごめん、もう限界……俺……、これでも今日、結構耐えてる。美麗さん、ほんと、時々信じられないくらい、すっごい可愛いから……。ごめん、俺、ほんともう……めちゃくちゃにしたい。今日はここで解散しよ、これ以上煽んないで……あと、できれば引かないでほしい……」
最後は最早涙声であった。私はこっちこそごめんと、自分本位であったことを謝る。そうしているうちにバスが到着する。私がそれじゃあ、と髪に絡む彼の指を解こうとすると、大きな手が顎に回って引き寄せられた。
唇に熱く柔らかいものが当たる。舌がぬめりと閉じた唇を舐め上げて、火傷しそうな吐息が離れていく。間近に見た高村くんの瞳は獣のようにぎらついて、言葉とは裏腹に、手は私を捕らえて離さなかった。
「……ごめん。それじゃあ、」
「う、うん……ま、また、学校で」
ゆるゆると手が落ちる。私はコケそうになりながらバスに乗り込み、俯いたまま一番後ろの席に座った。だって、どんな顔すればいいんだ。恥ずかしくて、運転手や乗客と目なんか合わせられない。
それでも出発間際、窓の外に目をやると片腕で口元を隠した高村くんがへなへなと壁に体を預けていた。きっと彼も我に返って恥ずかしくなったに違いない。顔にそう書いてある。
私は小さく手を振った。すると彼も、小さく手を振り返してくれた。
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