Scene5『やすみ』

『明日、水族館行きませんか』


 そんなメッセージが届いたのは、高村くんと本屋に行った日の夜のことだった。


 風呂から上がって、ベッドに飛び込んでトークを開く。着ていく服、あったかな。そろそろ肌寒くなってくる頃である。この前にカーディガンを新調したのを思い出してから、了解の返事を送った。


『何時に待ち合わせる?』

『十時だと早いかな』

『十時半で!』


 OKスタンプが送られてくる。私はベッドから飛び起きて、うきうきとクローゼットを開けた。


 ハンガーを右へ左へ移動させながら服を確認していく。一番女の子っぽい花柄のワンピース……はどう見ても春物だ。かと言ってニットは流石に早い。


 少し悩んで選んだのは、白いTシャツに件の新品カーディガン、穿き慣れたジーパンという色気もクソもない普段着だった。シーズンごとのデート服は揃えていない。貧乏なのだ、許せ高村くん。


 それでも当日は、薄く化粧をして髪の毛もいい感じに整えた。最後に洒落っ気を出して香水を半プッシュ。スニーカーを履いて外に出ると、階段を上がってくる高村くんと目が合った。


「あ、」

「あ……お、おはよう」

「え、」


 高村くん……か?


 私は、恥ずかしそうにこちらを見つめる高村くんに固まった。あれ? 前髪どこいった? 何その恰好、スタイルいいからめちゃくちゃ似合うな。


「へ……変、だよね……」

「いや、いやいやいや格好いいよ。驚いて固まっちゃってたもん」

「え、う、嬉しい……。あの、猫背も治したいから、背筋伸びてなかったら、お、教えて」

「わ、分かった」


 前髪はふんわりと後ろに流されて、彼のきらきらと輝く瞳が惜しげもなく晒されている。ゆったりとしたパーカーとスラックスも良く似合っている。彼は気まずそうに頭を掻いて、少し俯いた。


「い、行こっか……」

「う、うん。てか、私デート服とか持ってなくて、ごめん。こんな格好で……」

「ううん、いつもと雰囲気違って、綺麗だよ。それに、美麗さんらしくて、良いと思う」


 カン、カン、と足音を響かせて降りる。私たちはとてもぎこちなかった。


 あっぶねー、薄くだけどメイクしてて良かったー! と心中で叫びながら、階段を降りきった。


 アパート前の伸びっぱなしの草を踏みながら道路へ出る。二人並んで、バス停まで歩く。バスの到着は十分後。私は深呼吸をして、「水族館楽しみだねー」と話しかけてみた。


「うん。美麗さん、前にショーが見たいって、言ってたよね」

「言った! イルカでもオットセイでもペンギンでも、なんでもいいから」

「今日は、オットセイなんだって。え、餌やりもできるって」

「え、やってみたい。けど皆の前に出るのちょっと恥ずかしいなあ」

「え、意外。そういうの思うんだ……」


「新発見だ……」と口を押さえた高村くんに、私は一体どう見えているのかと詰め寄る。するとちょうどバスが来て、私たちは慌ててICカードを取り出した。


「後ろ座ろ」


 二人掛けのシートの奥に腰を下ろす。窓の外を見てみると休日だけあって、大人たちも今日ばかりはのんびりとした足取りで歩いていた。勿論、学生らしき人も多くいる。


「毎日が休みの日だったらいいのにね~」

「えっ、う、うん」

「そしたら皆あくせくせずに、今日みたいにのんびりと生きていけるのに」

「そ、そしたら社会が破綻しちゃうって……」

「ははっ確かに! それに、平日があるから休日が有難く感じるんだよね~、人間の不思議~」


 答えなんか分かりきっていることだけど、そんな無駄なことを話すのがとても楽しかった。


 徐々に乗客が増えてからは、イヤホンをシェアして二人で一つの音楽を聴いた。曲は高村くんチョイスだったが、彼の好みは意外と幅広くて、流行りのロックからヒップホップやジャズテイストまで、本当に幅広くカバーしていた。


「これ、美麗さん好きそう」


 と言って彼が再生した曲は、見事に私の好みに合っていた。


「最高。曲名教えて」


 と言うと、彼は嬉しそうに笑っていた。


「っはー! 着きましたな、水族館!」

「美麗さん、もうちょい声抑えて……」

「ごめんごめん、バスが意外と混んでて疲れちゃって」


 あの閉塞感から解放された快感でつい声が大きくなってしまった。


 だが水族館の受付も割と混んでていて、げんなりした私は自分の入場料を高村くんに渡して、「一緒にお願いします……」と彼の後ろに隠れた。


「そんな、お金なんていいのに……」

「自分の分くらい出すよ、そりゃ」


 残念ながら、私たちは自分のお金で遊んでいる訳ではない。学生で一人千五百円、それが二人分となると高校生にとってはそこそこ痛い出費である。彼にそんな負担は掛けさせたくない。


「誘ってくれただけで嬉しいんだから、そういうとこまで、頑張ろうとしないでいいからね。私、今日の高村くん見た時も凄く嬉しかったよ。色々考えて、頑張ってくれたんだなって」


 もぎり取られたチケットを受け取る時、誤解を招かないように一応そう告げた。人に顔を見られるのが嫌だと言っていた彼が、今日それを惜しげもなく晒している。本当に色々と考えた結果だろう。それがとても嬉しかった。


「み、美麗さん……」

「行こ! ペンギンショーが待ってるよ!」

「今日はオットセイだよ……」


 彼の服の袖を引いて入場する。新設された水族館は、入った瞬間からブルーのスポットライトが水槽を照らし、とても幻想的な雰囲気であった。


 私たちはすぐにその世界の虜になった。もう、見ていて恥ずかしいくらいにはしゃいでしまったかもしれない。一通りぐるりと見て回って、施設内の庭園コーナーに出る。


「あ、なんかお腹空いてきたね」

「そうだね、もう一時だ」


 外にはいくつかの屋台が並んでいた。私たちはフィッシュバーガー屋を選び、ベンチに座って水族館の感想を言い合いながらそれをパクつく。


「最高の一日だなあ、天気もいいし。たまには外出もいいな~」

「俺も楽しい。あと、嬉しい……」

「高村くん、だいぶ素直になったよね、なんか」

「え!? そ、そう……?」

「うん。だって会ったばっかりの頃は、絶対嬉しいとか言ってくれなかったもん」

「まあ……そうかも、」


 それでも、今日の彼はずっと緊張している。もっと一緒に楽しみたいんだけどな、と思いはしたが、彼の緊張の理由が何となくわかって、実は私もあまり集中できていない。


「ん~、この後どうする?」

「あ、ショーは三時からだって」

「じゃあ、それまで深海魚コーナー行きたい! あ、でもちょっと遠いかなー」

「時間ぎりぎりかも……深海魚は、ショーの後がいいと思う」

「そうだね、じゃあお土産コーナー見て回っちゃおうよ、近いし!」

「うん」


 デートは順調そのものだった。二人でお土産屋に入って、私はスノーボールが欲しくて堪らなかったが、値段を見て断念する。今月は沢山無駄遣いをしちゃったから、次来た時にしよう……。泣く泣く視線を剥がして、ふと高村くんを見る。彼はアクセサリー棚の前で、デートにあるまじき深刻な顔をしていた。


 声をかけるべきか否か迷って、少し様子を眺める。全く気付かないまま唸っている彼が面白くて、やっぱりちょっかいをかけてみることにした。


「これ、高村くんに似合いそう」

「うわ!? っあ、え、これ?」


 指差したのはシルバーのリングで、波の模様が彫られている。ハワイアンジュエリーっぽいデザインだ。


「……その、……み、美麗さんも、に、似合うと思うな」

「ありがとう」


 お揃いにする? とは言ってあげない。笑いながら彼の言葉を待っていると、顔から火が出そうなほど真っ赤になった高村くんは、「ごめん……意気地がなくて」と顔を逸らしてしまった。


「っははは! ううん、ごめん私こそ意地悪して。これ、ペアリングだよね。可愛いなあ高村くんは」


 つい、猫背が復活している彼の背中を叩いて大笑いする。ちらりと時計を見ると、もうショーの時間が迫っていた。


「あ、ショー始まっちゃう。行こっか」

「う、うん……」


 別に、ペアリングなんて有っても無くてもいい。この関係がいつまで続くかも分からないのだ。彼がいつ私に愛想を尽かすかも分からない。私は一足先に店を出た。スノーボールだけは少し惜しかったな。と考えながら高村くんを待っていると、彼もすぐに外へ出てきた。


「ご、ごめん、行こっか」

「うん」

「その前にちょっと、自販機でお茶買っていい? 喉乾いた……」

「勿論」


 二人でお茶を買って、やっとショーへ向かう。オットセイはずんぐりむっくりしていて可愛くて、とても賢かった。

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