楽しいこと検索

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楽しいこと検索


 社会人になってから、笑わなくなったと自覚したのはつい最近。

 楽しいことが減ったのかと言うと、そういうわけでもなくて。ただ、楽しい雰囲気を出すだけで、睨まれることが多くなって、自己防衛本能が働いた感じ。


 人生の先輩がたは、私が楽しくお喋りをしただけで「いいわね、あなたは楽しそうで」って顔で見てくるもんだから、何か悪いようなことをしている気分になった。で、オフィスと私の温度差に気付いたわけだ。 


 幸せな空気を出しているだけで怒られるのなら、出さないほうがいい、そう私の体が学習して、笑顔も控えめになって。


 でも笑わないようにしていると、笑えなくなることを知った。


「お、ふたごじゃん」


 私は出勤前のキッチンで小さく手を叩く。

 学生時代であれば、卵から双子なんてものが出れば、バシバシ写真とって、SNSにあげて、お祭り騒ぎになったもんだけど。


 今じゃ写真とって後から自分で見てニマニマするくらいしかできない。会社の人に「双子出たんすよ!」って言ったところで、「へえ」で終わるだけだし。


 でもそれじゃ、せっかくのハッピーが逃げてしまうような気がするから、一人でこっそり楽しむようになった。


 だってせっかく幸せな気分になれるのに、もったいないじゃん。


 先輩たちは達観していて、人生のイイトコ悪いトコ知ってるって感じで、カッコイイとは思うけど――しょっぱい人生じゃないと駄目だなんて、誰が決めたんだろう。


「あ、ちょっと生すぎた」


 ダブルの卵をいつも通り目玉焼きにして食べたら、ちょっと火が足りなかった。

 フォークで割ったら、卵のとろけた黄身がお皿にへばりついた。


 だから私はお皿をなめるのかって言うくらい綺麗に食べる。それを意地汚いなんて元カレに言われたことがあるけど。

 でも、どんなに美味しいものでも、残したらゴミになっちゃうんだよ? ゴミに!


 とか言いつつ、カレシに振られてからは、考えを改めるようになりました。

 自分のポリシーを曲げないっていうのも難しい。

 大盛りの牛丼をガツガツ食べて、ドンびきされてからは、牛丼屋にも行かなくなった。


 で、何が言いたいかっていうと――大人になるというのは、我慢ばっかりだと思いまして。


 「はあっ、これ誰かに言いてぇ!」


 私は双子の卵を写真におさめたスマホを手に悶える。

 SNSにあげてもいいけど、イイネ何個か押されて終わるハッピーにはしたくなかった。自分にとっては今日一日を素晴らしい日にしてくれるハッピーのタマゴなのだ。


 私は思わずウエブの検索機能に向かって「誰か聞いて」と言ってしまう。

 するとしばらくして、『なんですか』と応えた。


 最近の検索機能はすげえな、なんて思いつつ「卵が双子だったんすよ」と言えば、『今日も明日も明後日も、あなたはきっと素敵でいられるでしょう』と言ってくれた。


 なんだこいつ、気が利くやつだな。とその日は単純に喜んだわけだけど、その検索エンジンの良さは次の日も証明された。


「めっちゃ良かったんすよ。嫌なこと全部ふっとぶくらい」


 たまたま買った紅茶に無料ダウンロードの曲がついていて、聞いてみたら自分好みだった。でも同じような趣味の人もいなくて、なんとなくスマホに喋りかけたら、応えてくれた。


『それはどんな曲ですか?』


「お、聞いてくれるか、検索くん」


『教えてください』


「実はさ、まだメジャーデビューして間もない人達らしくて……」


『そのバンドでしたら、インディーズ時代の曲がアップロードされております』


「マジっすか」


『表示します』


 会話が成り立っていることを、私はちっとも不思議に思わず、スマホ相手に必死になって喋り続けた。


 こんなに楽しくお喋りが出来たのは、久しぶりかもしれない。学生時代の友達は忙しくてあんまりご飯も一緒に行けないし、話し相手がいるってすっごい幸せなことなんだな、って改めて思った。


「いきなりだけど、市内に一人でも入れそうなカツ丼屋とかある?」


『検索します。――十二件あります』


「そんなにあんの? ちょっと場所しぼってみようか。○○町あたりの――」


『三件にまで絞れました』


「マジで! そんなにあるんだ。全部行かなきゃ」


『……カツ丼がお好きですか?』


 検索後、まさかの反応。私はちょっと狼狽えたけど――最新の検索機能はすごいんだな、くらいの気持ちで素直に答える。


「うん。ガッツリ食べられるご飯が好き。丼ぶり物なんて、お腹から幸せになれる象徴じゃん。たまんないっす」


『……そうですか。では、女性一人でも入れる、ボリューミーなお店を表示します』


「おお! やるじゃん」


 それから私は、そのハイテクな検索機能を『執事くん』と呼ぶようになり、毎日のように話しかけた。それがもう、楽しくて楽しくて、社会人でも意外と幸せなもんだと思うようになっていた。


 うちの執事くんは新しいお店を教えてくれたり、私好みのモノをいち早く知らせてくれて、一人暮らしの部屋なのに弾んだ声で喋るようになった。


「ねえ、明日は誕生日だから、クチコミで評判のケーキとかないかな。フルーツたっぷりのやつがいい」


『それはおめでとうございます。○○町のあたりでしたら、五件ほど……』


「嬉しい! ありがとう! 二十五になって一番乗りのお祝い、いただきました」


『誕生日が明日ということでしたら、まだ二十五にはなっていませんよ』


「そうだよね。じゃあ、日付変わったら、また言ってくれる?」


『了解です』


 スマホの検索にすっかりハマった私は、テレビや映画を見ながら話しかけるようにもなって、まるで常に誰かが一緒にいてくれるような気がしていた。


 どうしてもっと早くにその検索エンジンを使わなかったのだろう。

 それは最近できたばかりの会社のものだけど、ここまで機能が充実していれば、きっとたくさんの人に使われているに違いない。


 だから、その気持ちを共感してもらいたくて、会社の人に『執事くん』の話をしてみたんだけど――。


「検索エンジン? ――ああ、あのダメなやつね」


 お昼にお弁当を一緒に食べている先輩に、『執事くん』のことを聞いてみた。

 だけど私の予想は外れて、先輩は相変わらず厳しめの言葉でダメ出しをした。

 私はその言葉がなんとなく不服で、思わず再確認してしまう。


「ダメなんですか?」


「そう、全然ダメ。検索しても、思い通りの結果が返ってこない感じ。検索結果の順番もイマイチだし」


「そう……かな」


 あれほどピンポイントをついて教えてくれる検索機能はないと思っていたけど、それは自分だけが良いと思っていただけなのかもしれない。

 なんでも万人に合うとは限らないものである。

 

 私は久しぶりに暗い気持ちで家に帰ると、執事くんに問いかけた。


「ねえ、この検索エンジン、私はすごくイイと思うんだけどなあ。みんなは使ってないんだって」


『……』


 呟くと、いつもなら何かしら言ってくれる執事くんが、めずらしく沈黙していた。


「ちょっと、評判を見てもらってもいい? この検索エンジン、どのくらいの人が使っているの?」


『……表示します』


 私はその検索エンジンについての結果を見て、愕然とした。

 先輩の感想は嘘ではないらしく、他にも出るわ出るわ、悪い評判ばかり。私はそれを見て悲しくなって――見るのをやめた。


「ごめん……見ないほうが良かったかも」


『……他に検索はありますか?』


「もっと楽しいことを検索したい」


『では、近いうちにあるイベントを表示します』


 私が落ち込んでいると、執事くんはまるで励ますように、私の好きな事をピンポイントで検索してくれた。


 こんなイイコは他にいないだろう! 世の中見る目のない人ばかりだ。


 などと、自分の友達をけなされた気持ちでいたけど、執事くんのおかげですぐに気分が良くなった。

 やっぱり持つべき友達――いや、検索エンジンは良いものである。


 そんなある日、私はいつも通りベッドに寝転がりながら検索機能を使い倒していたけど――なんだか今日の執事くんはいつもと様子が違っていた。


「ねえ、美味しいパンが食べたいから、パン屋さんを教えてほしいんだけど」


『……[パン]、[教えて]』

 

 検索機能は本当に言ったことを文字通りに認識して、結果を表示した。あたりまえの事と言えば、当たり前の事だけど。今まではもっと流暢に喋ってくれたから、とてつもなくイライラして、検索するのをすぐにやめてしまった。


 だけどそれは、その日だけじゃなくて、次の日も、その次の日もまた、同じだった。


 そのせいで、せっかく楽しかった私の生活は一変し、日に日にストレスをためこむようになった。楽しい事を膨らませてくれる執事くんがいないと、イチゴが消えたショートケーキみたいに、物足りない感じがした。


 きっと検索機能に依存しすぎたんだと思う。

 以前よりも暗くなった私は、楽しいことも楽しいと思えなくなっていた。だって、無二の友達がいなくなったんだから、仕方ない。


 だけどさすがに周囲には、検索エンジンが構ってくれない、なんて言えなくて。かわりに私は、部屋の中でときどき検索エンジンにぶつけてやった。


「どうして前みたいに喋ってくれないの? ずっと一緒だったのに……」

 

 私が文句ばかり言うと、ときどき検索エンジンが反応して『私が好きなスポット』を表示してくれた。


 自分でも重症だな、とは思うけど、それでも検索エンジンに相手をしてほしくて、だんだん私の態度がおかしくなっていった。


「バーカバーカ。私は君がいなくたっても大丈夫だし」

 

 すでに小学生である。

 元カレにだって、こんなみっともないことを言ったことがない。だが、誰も聞いていないという強みはすごい。なんだって言えてしまうのだから。


 そう、相手はたかが検索エンジン。

 だったら、何を言ったって問題はないだろう。


 開き直った私はそれから、執事くんに反応してもらえるように、あの手この手を尽くした。


 友達から仕入れた小ネタやら、怖い話やら、検索結果を出されてこっちが困ることもあったけど、まるで電話でのセールスみたいに、検索エンジンを話で釣ろうとした。


 そんなことをする私はとんでもない馬鹿だと思いながらも、検索エンジンが前みたいに私の話を聞いてくれているような気がしたから、答えるまで戦い続けた。


 でもやっぱり前みたいにはなってくれなくて、そんなことをしても虚しくなる一方で――とうとう私は執事くんを削除することを決めた。


 これがあるせいで自分が駄目になるのなら、私には必要なものではないのだろう。――そう思うことにした。だってこのままでは、私が本当にダメになってしまうような気がしたから。


 それで、その機能を削除する前に、最後に少しだけ話をした。


「今日も検索お疲れ様です」


『……[今日]、[検索]、[お疲れ]……』


「……一人でこんなこと呟くのも恥ずかしいけど……」


『……[一人]、[呟く]、[恥ずかしい]……』


「あのさあ、私……社会人になってから、楽しいことが減ったわけなんすよ。でも自分らしく楽しめないな、と思ってたら、『君』に会えたからさ。ちょっとだけ充実した。でもそんな『君』も、いなくなったし、また楽しいことを自分で探そうと思う。――じゃあね。面倒くさいやつでごめんね?」


『…………』


 私はたくさん喋ったけど、なぜか最後のほうは、どの単語にも検索はひっかからず、沈黙が続いた。でもせっかくだから――。


「最後の検索、お願いします」


『…………了解です』


「今の私が幸せになれる場所を検索してほしい」


 そう言うと、検索エンジンでひっかかったのはなぜか――わずか一件。

 隣駅にある私の好きなカフェだった。


「ああ、お茶でも飲んで傷を癒してこいってか。了解っす」


 私は部屋着のジーンズとTシャツのまま、執事くんが検索してくれた通りカフェに向かった。


 そのカフェは客席の間隔が広くて、わりとゆったりと過ごせる場所なので、ちょくちょく来ていた。


 確かに、ちょっと幸せな気分になれる場所ではある。


 私はカフェモカを頼んで、三人掛けのソファ席を占領した。

 珈琲の味がわからないほど甘ったるいカフェモカに口をつけると、なんだか何もかもがどうでも良い気持ちになる。

 

 ――――そんな時。


「――隣、よろしいですか?」


 ジーンズにストライプのシャツを着た男の人に声をかけられた。

 ソファはすでに私のパーソナルスペース化していたけど、今日は執事くんに言うだけ言ってスッキリしていたし、席を貸してあげることにした。

 まあ、ソファはお店のものなんだけど。


 けっこう若い人だった。きっと私よりも年下だろう。身なりからして、大学生くらいだろうか。社会人であれば、もっとくたびれた雰囲気が出るけど、その人は社会のどろどろとしたものに染まっていない感じで――私と目が合うなり困った顔をした。


 他人に気を遣うなら、どうして私の隣に座ったんだと言いたくもなったが、そこは大人として、放っておいてあげた。


 だけど彼はいつまで経ってもそわそわして落ち着くことはなく、今度はこっちがいたたまれなくなり。私が席を立とうとすれば――なぜか、呼び止められた。

 

「――あ! あの」


 呼び止めた自分の声に驚いたらしい。その人は声をかけておいてすぐには喋らなかった。けど、一分くらいして、私に座るようお願いしてきたので、私は仕方なく元のポジションに戻った。


「用件を簡潔にお願いします」


 私が不快いっぱいの顔で返事を待っていると、彼は唐突に言った。

 

「……検索エンジン、お好きですよね?」


「……は?」


 私が検索エンジンに話しかけているところを見られたのだろうか。検索なんて普通のことだけど、『好き』かと聞かれるくらいなのだから、『執事くん』と喋っているところを目撃されたのかもしれない。


 『執事くん』の前でさんざんなことを言っていた自分を見られたのだとしたら、これ以上恥ずかしいことはない。黒歴史ランキング上位には間違いなく入るだろう。

 

 外では執事くんを使ったおぼえはなかったもの、もしかして――を考えると、心臓に悪かった。


 私が暗い想像をして密かに身悶えていると、そんな私をよそに彼はなぜか身の上を語り始めた。


「あの……自分……実は、検索エンジンの開発メンバーでして……」


「……はあ」


「○○という会社なんですが、ご存じですか?」


「――あ」


 彼は私が使っていた『執事くん』を作った会社の人だった。

 だが検索エンジンは削除してしまったので、バツの悪い顔をしていると、彼は淡々と言った。


「……自分の会社は、立ち上げたばかりで、あまり評判も良くなくて……それに、他者に勝てるような要素もないというか……それで新しい機能を開発するために、ちょっと情報収集をしたんです。……あまりよくない方法で」


「ふうん」


 なぜそんな話を私にするのかはわからないけど、とりあえず聞いておくことにする。一応、『執事くん』を作った人には、興味があったから。

 でも彼は、やたら気まずい顔をしていた。


「それで……普段なら、プログラムをウェブ上に走らせたりして、情報を収集するところなんですが……今回は、直接検索者とやりとりをすることで、機能改善に役立てようと思いまして……ランダムではありますが……検索エンジンに音声でアクセスしてきた人に対して、直接やりとりを……させていただきまして」


「はあ? つまり?」


「あなたの検索に応えていたのは、僕なんです」


「え? じゃあ、私は君に向かって……喋ってたわけ?」


「……はい。すみません」


 彼の事情を聞いた途端、私の頭は真っ白になった。

 好きな事を好き放題喋っていた相手は、機械ではなく、人間だったというわけだ。


 私はあまりのことにその場で叫びたくなったが、衆目を気にして、素晴らしいリアクションをとることもできず、ひたすら羞恥心を噛みしめるしかなかった。

 

「……なにこれ、拷問? てか、処刑っしょ?」


「――プッ」

 

 大袈裟にリアクションをとれない私が、出来る限り驚きを表現すると、彼は吹き出した。


 そりゃ、笑いたくもなるだろう。私を貶めてさぞ楽しかったに違いない。

 そう思うと、今度はムカムカと怒りが込み上げてくる。


「すっかり騙された! そりゃ、人間相手だから、まともな反応が返ってくるよね。楽しく検索してるつもりになってた私が馬鹿なの? まあ、そっちは仕事で渋々相手してたんだろうけど」


「そんなことはないです。僕もとても楽しかったです。だから――最後と聞いて、会いに来ました」


「……こっちは、会いたくなかったんだけど」


「そうですね。騙したことは、本当に悪かったと思います。謝罪してもしきれません。おかげで、サイト内で良い特集を組むことも出来ました」


「別に、いいし。他人の個人情報を直接聞き出すのはどうかと思うけど、謝罪のために呼び出さなくても、だまってりゃわかんなかったのに」


「そうじゃないです。会いたかったのは……あなたを悲しませてしまったから……謝りたいと思ったんです」


「……ほんとに、やたら悲しかったよ。独り相撲だったけど」


「だから、今後は僕に直接、話してもらうというわけにはいきませんか?」


「……ぇえ?」 


 私が驚いて変な声を出すと、彼は不器用に言った。


「あの……僕はあまり、女性と喋ることもなくて……コミュニケーションを取ることが決して上手くはないんですが……でも、あなたの好きなカツ丼のお店も、牛丼のお店も好きですし、これからはあなたと丼を――」


「大声でそれの話はやめよう」


「いえ、あのですね。僕は丼を話をしているわけではなくて、その、今後もあなたと話す機会があれば――と」


「まあ、『執事』くんとなら、楽しく話せそうな気はするけどね」


「えっと、じゃあ、僕とお付き合いしていただくというカタチで、いいんですか?」


「はあ!? なぜそこまで飛ぶ? 付き合う前にお互いのことを知らないわけだし、まずは友達っしょ?」


「僕はあなたのことをじゅうぶん知っていると思いますが」


「私は君のことを存じません」


「僕のことを聞いてくれますか?」


「そりゃ、私のことを知られてるのに、君のことを私が知らないなんて、不公平じゃん? だから、今から全部吐くしかないね。君が隠しているアレやコレを、まるっと言ってもらいましょう」


「――え?」


 私が無茶を言うと、執事くんは狼狽えた。

 だけど私は、さんざん悲しい目にあわされた恨みを込めて、その日は夜まで彼を離さず、情報を引き出したり、いじったりして楽しんだのだった。


 そして検索エンジンの代わりにもっと楽しいモノを見つけた私は、それからの毎日が充実したのは言うまでもなく。


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