第2話 犯人

 翌日の捜査、そして聞き取りでも大したことはなかった。

 長谷川は、小学生の時に深川に弟子入りをした。

 その時、深川に優しく撫でられて嬉しかったのを長谷川は覚えている。


 そこから奨励会にはいって、深川の家に住まうことになった。所謂内弟子だ。内弟子というのは、師匠宅で家事などの手伝いをしながら、師匠から学ぶという物だ。


 元来プロ棋士の弟子というのは奨励会に入るために必要なものだ。だからこそ、弟子とはいっても、形だけという希薄な関係もある。だが、深川と長谷川の関係はまるで親子だったと言われている。


 その関係はプロになっても続き、長谷川と深川の対局で深川に勝った時、二人して涙を流したという事もある。


 その翌日、長谷川は対局のために、将棋会館に向かった。

 対局相手は平井七段、若手のエースともいえる人物だ。まだ二十一歳で、タイトル挑戦経験もある。

 その対局は六十七手という短手数で終わりを告げた。本来プロの対局は百手前後であることを考えてもはるかに短い。

 というのも、長谷川にミスが出たのだ。

 雁木囲いの対棒銀の受けというのを長谷川はしなかった。忘れていた。

 そのため、あっさりと、銀に成られ、飛車にも成られ、ぼろ負けだった。

 この内容で対局料を受け取るというのも、この棋譜が公開されるのも恥ずかしいと、長谷川は思った。

 対局中、まったく将棋とは関係のないことを考えてしまっていたのだ。


 その日の夜。長谷川は飲みに誘われた。相手は、村上だ。


「村上さん……毒はいってないっすよね」


 そう、長谷川は恐る恐る聞いた。


「入ってるわけがないだろ。とはいっても俺たちは全員容疑者、信用するのは無理があるという話だが」

「そうですね……」



 長谷川は酒をグイっと飲んだ。

「ま、今回は気分転換に来たんだ。楽しくやろうぜ」

「はい……」


 そして酒も回ってきたとき、


「長谷川、田中が犯人だと思うか?」

「え?」

「あいつは、研究会には顔を出してなかった。なのに今更顔を出すのはおかしくないか? あの日深川を殺すために顔を出したと考えたらすべてのつじつまは合う。しかもあの日は明美さんもいなかったしな」

「……それが本当だったら、俺は田中さんのことを信じられなくなります。本当ならですけど」

「お前は俺も信用してないってわけか」

「逆に今は誰も信用できませんから。ったく、なんで深川さんが……。これなら俺が死ねばよかったんだ」


 そう言って長谷川は酒をグイっと飲みほした。「はあー」豪快な声とともに。


 翌日また集められた。少し捜査が進歩したのだ。


「今回の事件。毒が入っていたのはカレー本体ではなく、カレーの皿に付着していたのがそのまま入ったものだと思われます」


 という事らしい。それを聞いて、村上は、


「田中、お前はこの家に何回も来たことがあるんだろ? だったら毒を仕込む暇だってあるはずだ」


 そう、田中を問い詰める。


「俺? そんなこと言わないでくださいよ。それを言うなら長谷川も同じだし、村上さんだって同じでしょ? そもそも俺は最近研究会には参加してなかったんですから」

「そもそも、そこが怪しんだよ。なんで今日は来たんだよ」

「俺が来たら悪いんすか? 忙しかったから来て無かっただけなんすけど。なんせ六冠ですから」


 二人の言い争いは加速していく。谷口は「おい!」と言って二人を止めようとする一方、長谷川と、明美はそれをただじっと見つめていた。


「ねえ、」


 明美が口を開く。


「田中君は犯人じゃないんでしょ?」


 その言葉にその場にいた全員が黙り込む。


「あって、田中君は優しいからそんな理由でなんてありえないもの」

「ありがとう、明美さん」


 そう言って田中は頭を下げる。


「村上さんも田中さんを責めないで上げて」

「……でも、この三人の中に犯人がいるっていう事ですよね?」


 そう、明美の言葉に呼応するように長谷川が言う。


「じゃあ、感情論では決着はつかないですよね。俺は深川さんを殺した犯人が知りたいだけなんです。田中さんか、村上さんか、それとも俺か」


 その長谷川の言葉で周りは静かになる。


「俺は責めたいわけじゃない。ただ、少し落ち着こうって話です」

「ああ、悪かった」


 そして、落ち着いたところで、谷口からの説明を受ける。

 毒を皿に塗った人がこの中にいるかという事だ。

 そしてそんなシーンを見た人がいるかという事だ。

 まず、トイレに行った人や、水を取りに行った人たちが疑われた。だが、みんな将棋に夢中で、トイレや水を汲みに行っているときに、何があったのかを知っている人はいない。

 こうなったらほかの証拠がない以上、どうしても状況証拠が頼りになる。そして、みんな一通り話した後、一旦小休憩となった。


 ★★★★★


「なあ」


 田中が長谷川に話しかける。

「お前が犯人だろ。深川さんを殺した」


 その瞬間、周りの空気が心なしか、涼しくなった。


「おかしいと思ったんだ。お前だけなんでそんなに変な感じなのか。だが、ようやくわかったよ。お前は殺したという記憶を押し込めてたんだな」

「……何を言っているんだ? 俺が深川さんを殺した?」

「ああ、お前が犯人だと俺は思っている」

「俺が殺したっていうのか? 俺は今深川さんが死んで悲しみの底にいるんだ。そんなのは冗談でも許さない」

「俺は冗談なんかでそんなことは言わねえ」

「はあ……」


 長谷川はため息をつく。


「冗談じゃないんですか。だったらなんで俺があの人を殺したっていうのかを教えてください」

「証拠はない。ただ、お前が一番怪しいと思っただけだ」

「……ふざけないでくださいよ。俺は悲しいんですよ。あの人がいなくなって」

「お前ってそういうところがあるよな。そういう、現実を見ないところが」 

「はあ?」

「俺の推理はこうだ」田中は椅子から立ち、歩き始める。「お前は深川さんを殺そうと思ったのは、その前日なんだろ? 殺害方法が雑だからな。お前は深川さんに言われたんだろ? カンニングをしてるだろって」


「なんでそんな事を?」

「深川さんから聞いてたんだよ。それで、深川さんを生かしておいたらカンニングがばれて、棋士人生が終わりを告げる。だから殺した。だが、お前は自分で殺しながら、その事実が認められなかった。だからお前は現実逃避でその事実を忘れ、泣いた。まるで自分の大事な人がほかの人に殺されたかのように。おそらくお前もその事実を忘れかけているのだろう。だから、知らないふりをしたんだ」

「そんな馬鹿な。ならなぜさっき言わなかったんだ」

「俺はお前に自首を促しているんだ。自首したら罪が軽くなるからな」

「あははははははははは。そうだよ、俺が、俺がこの手で殺したんだ。さらに毒薬を塗ったんだよ。深川さんが死んだときは、本当に悲しかったよ。そうだ、全部深川さんのせいじゃないか。あの人が俺のカンニングを指摘しなかったら、深川さんが死んで俺が悲しむこともなかった。俺は、俺はぁ!」


 その長谷川の目から涙が零れ落ちる。


「俺は深川さんに死んでほしくなかった。俺に殺されてほしくなかった。あれ、俺は……何をしているんだ?」

「お前は……もう救えないな。いつまでそうやって逃げ続けているんだ。全部お前のせいだ。他人のせいにするな。罪を償え」

「なんでだよ。なんで深川さんが死ななきゃならなかったんだよ! この世界がおかしいからだ」


 その瞬間長谷川の頬に痛みが伝った。


「もういい加減にしろ、いい加減にしろよ……!!!」


 長谷川はイマジナリー犯人を作っているのだろう。

 そして、その責任をすべて擦り付けようとしているのだろう。

 さきほど、犯人探しをしていたのは、長谷川自身が過度なストレスで自分が殺したという事実を忘れていたからだ。


 この騒ぎに人が集まってきた。


「お前の身勝手な感情で……深川さんを殺してるんじゃねえよ」


 そういって泣き出す田中を長谷川はただ真っすぐに見つめていた。


 その後長谷川は逮捕され、刑務所に送られた。ただ、長谷川は毎日泣いて過ごしていたのであった。


「俺は、深川さんを殺したくなかった。そうだ、総理大臣が悪いんじゃないか? 大統領が悪いんじゃないか? こんな世界にしたすべてが憎い」


 長谷川はこの世のすべてに憎悪を向けたまま、その二年後に亡くなった。

 自分自身にかけた過度なストレスにより。


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研究会殺人事件 有原優 @yurihara12

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