研究会殺人事件

有原優

第1話 毒のカレー

 プロ棋士である長谷川康太は、朝八時に家を出た。今日は先輩棋士との研究会があるのだ。

 深山博七段(三十八)村上奏斗王座(四十一)田中敏次六冠(二七)三人だ。三人とも、まだ二十三の若輩者である長谷川よりも年上の棋士で、田中以外はプロでのリーグでも上位である。


 研究会とは、棋士同士での勉強会みたいなものだ。そこで新たな攻め方などを探ったりした。

 そして、着いた時にはもう八時四五分だった。


「お待たせしました」


 そう。長谷川は頭を下げる。


「おう、待ったぞー。一五分の遅刻だな」そう、村上が笑いながら長谷川の背中をたたく。

「すみません。ちょっと電車が遅延してしまいまして」

「はあ、まったく。次から気を付けるんだぞ」そういうのは、深川だ。

「まあ、早く始めましょうよ。時間がもったいない」

「わかった、田中君。さっさとやろう、というか来るなんて珍しいな」

「たまたま予定が空いたので」


 そして、研究会が開始された。四人とも将棋盤の前に座り、難しい顔をしながら指していく。


 本日は研究会。将棋の研究を仲の良い棋士とする勉強会のようなものだ。指した手の意味や、その応手を考えながら対局は進んでいく。

 今日、長谷川と戦うのは、深川七段だ。そして、長谷川の師匠でもある。


 村上、田中に比べたら大した相手ではないが、それでもかつては竜王戦挑戦すらある実力者、格上だ。

 胸を借りるつもりで、全力で指す。

 そして対戦相手を変えながら、どんどんと指していくこと暫く、ついに一時半になった。


「ご飯食べるか」最初に言いだしたのは家主の深川だ。


「確かにそうだな、食べましょうか」


 村上が同意してご飯を食べ始める。


「今日のご飯はカレーだ」

「深川さん、昼からカレーっすか?」田中が文句を言う。

「いいだろ。これが楽なんだ。今日は明美も居ない事だしな」


 そう言って深川は笑う。明美とは深川の奥さんだ。


「仕方ないっすね」そう言って田中は笑った。

「お前はどうせいい飯食ってんだろ?」

「そんなことないっすよ」


 そんな二人を止めるように、長谷川は、「早く食べましょうよ」と、二人を急かすように言う。

「そうだな」深川が言い、みんなのご飯をよそう。


 そしてみんなでご飯を食べる。「美味しい!」村上はそう言った。

 だが、その直後、深川はその場に倒れてしまった。


「え?」


 動揺する村上。だが、すぐさま冷静さを取り戻し、「一一九番通報だ!」そう叫んだ。

 救急車が来たのが、一〇分後、緊急隊員が来て。深川は救急車で病院に運ばれる。

 だが、搬送先の病院で死亡が確認された。


「なんでだよ!」


 長谷川は思わずソファーに向けて拳を振り下ろした。


「長谷川……」


 村上は、長谷川の心情を思いやるようにして見る。

 目の前で深川が亡くなった。……その喪失感は多大なる物だろう。


「感傷にふけっているところ悪いのですが、捜査に協力してください」


 そう、三人の前に一人の男が現れた。名を谷口信二、役職は刑事だ。


「今回の事件は他殺です、胃の中に毒が発見されました」

「……ということは、この中の誰かが毒を盛った……」

「そういうことです。さすがは六冠王、理解が早い」


 ということで、三人は一人ずつ部屋で色々なことをを訊かれる。


「それで」谷口は言う。「何か犯人に心当たりありますか?」


「ありません」村上は答える。「深川を恨んでいる人なんて思い当たりませんよ。成人君主で、他人のことを常に思いやる人格者、それが深川なんですから」


「そうですか、でも、殺された。それは紛れもない事実です」

「それが信じられないんだよ。なんで、あの人が殺されたのか」


 そして、村上は、考え始める。


「それであなたは深川さんと、どういう関係だったのですか?」

「深川とは、同期でした。俺の方が年齢は上でしたが、年齢とか関係なしに仲が良かった。結局彼とはいつもいた気がする。……いや、待てよ」

「どうかしたんですか?」

「確かだ。……あいつ……田中は少し恨んでいた気がする」

「それは……?」

「田中は一回深川と女関係でもめたことがあるんだ。それは深川の奥さんを見たらわかるんだが、元々あの人は田中の彼女だったんだ。それを深川さんに取られた。それで、深川さんを殺したら彼女が自分のものになるんじゃないかと思った犯行の可能性がある」

「つまり女がらみの犯行の説があるということですか」

「ああ。実のところ田中が今日来たのは不自然だからな」


 そして、ため息をつき、「なんで深川が殺されなきゃいけないんだ。そんなくだらない理由で」そう、呟いた。

 次に呼ばれたのは田中だ。


「田中さん、まず、犯人に心当たりはないか?」

「ないっすよ。そんな人がいるならもっと早く言ってます」

「そうか、それで明美さんのことだが……君は彼女のことが好きと聞いたが、それは事実か?」


 田中の顔が強張った。


「まさかその理由で俺が殺したことになるんすか? ありえないですよ。そんなので殺すほど器は狭くはありません。そんな理由で俺を疑うんですか? 俺だったらもっとうまくやりますって、こんなばれやすい方法なんて使わないし、まず、なんで深川さんの食べる皿がわかったんすか。俺が犯人はおかしいです。明らかにへんですよ」


 そうまくしたてる田中。

 それを見て谷口は怪しいと思った。


「君と深川さんの間に、明美さんに関して何があったか教えてくれないか?」

「最初は、シンプルな話だ。俺は深川さんに明美を紹介したんだ。だって、お世話になっている人に紹介するなんて当然のことだから。ただ、明美は深川さんにほれ込んでしまった。それから明美はこっそりと深川さんに浮気して、結局深川さんの方に行ってしまった。俺の彼女なんだから、アプローチされても無視してくれればいいのにと思った。だけど、深川さんからアプローチしたわけではない。今では仕方のないことだと思っている」

「なるほど」

「それに、明美はもう深川さんのものだ、今更よりを戻してほしいとは思わないさ」


 それを聞いて、谷口は困った。この口っぷりは、嘘をついているように見えないのだ。そのプロ棋士としての、ポーカーフェイスを使って言ってるのか。

 相手が将棋というボードゲームのプロだからこそ疑心暗鬼になってしまう。




 長谷川は重そうに、谷口の前に座った。

 その目は泣いていたのであろうか、赤くなっていた。


「この状態で聞くのも申し訳ないが、何か知っていることと、君と深川さんの関係を教えてほしい」

「……」

「なんて?」

 馳川の声が小さ過ぎて聞こえなかった。そのことに気付いた長谷川は少しボリュームを上げて、

「……俺は深川さんの弟子だった、深川さんには子どもの時からずっと世話になっていた。だから……なんで死んだんだろうって、悲しい気持ちでいっぱいです」


 長谷川は感情の整理ができていない。まさにそんな様子だった。

 実際長谷川自身も自分の感情を整理できていないことはわかっている。だからこそ泣きじゃくっているわけなのだ。


 結果、今日のところはいったんお開きとなり、翌日また行うことになった。それまでは警察が捜査をするようだ。


 長谷川は家に帰った後、無心でそばにあった椅子に座った。そこから、一歩たりとも動かず、二時間程度ぼんやりと過ごしていた。


「深川……さん……」


 そう、静かに長谷川は呟いた。そのあとにも何か呟こうとしたが、残念ながら声が出なかった。

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