宝華楼

翡翠

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東京の繁華街から人里離れた郊外にある、山のふもとにひっそりと佇む洋館があった。


名前は宝華楼ほうかろう


かつて名士の家族が住んでいたが、時代は変遷へんせんし、別荘地となっていた。


館の周囲には茂った樹木が取り囲み、日光はほとんど差し込まないため、いつも薄暗い。


その館に一人の探偵が招かれた。


名を桐野恵太きりのえいたという。


彼は無類の読書家で思索しさくふける日々を送っていたが、今回の招待状にはどうしても惹かれるものがあった。


差出人は、かつての同級生である赤井理恵子あかいりえこ


彼女の家系はこの宝華楼の所有主であり、最近、屋敷内で不可解な事件が起こったという。


恵太が館に着くと、外観は予想外の美しさがあった。


崩れかけた外壁や、雑草が生い茂る庭は、昔の繁栄を想起させるものであり、彼は宝華楼の魅力に引き込まれていった。


しかし、館の中に入ると、空気は一変した。


廊下の壁は幾つか剥がれかけ、薄暗い照明が点滅している。


「ようこそ、恵太くん」


と声をかけたのは、理恵子であった。

彼女はどこか憂いを帯びた表情をしている。


「この館で何が起こった?」


恵太はそう尋ねた。


「先日、私の叔父がここで亡くなったの。事故か自殺かは分からなくて、でもどうしても気になるの」


理恵子は、叔父である赤井弦司あかいげんじの死がただの事故ではないと感じていた。


彼は最近、宝華楼に度々出入りし何かを探していた。



♢♢♢



翌日、恵太は再び、宝華楼の館内に入った。


彼はまず、弦司が使っていた書斎に向かう。


部屋に入ると、古い本や書類が累積るいせきしていた。その中には、古い地図や手紙が多数含まれており、彼が懸命に探した痕跡が感じられた。


「彼は何を探していたのだろうか」


恵太はつぶやいた。

累積された中の手紙には、この家系の過去に関する言及があった。


「我家には知られてはならない秘密有」


その言葉が引っかかった。




恵太は他の部屋も見て回った。


洋館には、弦司が生前に特に好んでいたという美術品やアンティーク家具が置かれており、どれも気品という言葉を感じさせるものであった。


だがその中に、弦司の死に関わる手がかりは一切見当たらなかった。



♢♢♢



その日の夕方、暗くなった館の庭を散歩していると、あるモノが目に留まる。

古びた墓石が茂みの中に隠れていた。


恵太はその墓に近づき、手元の懐中電灯で照らした。


「赤井家」と刻まれたその石は、弦司の祖父に当たる人物のものであった。彼の名前を知った恵太は、この家系の歴史に更なる興味を抱く。


「この墓の周辺に手がかりがあるかもしれない」


と恵太は直感的にそう考えた。


つぎの瞬間、彼の背後で何かが音を立てた。振り返ると、理恵子が立っていた。


「恵太くん、こんな所で何をしているの?」


彼女の声には唯ならぬ緊張感が漂っている。


「少しこの館の歴史を探ろうと思って。叔父さんの死に何か関係があるかもしれないから」


彼はそして墓の話をした。


理恵子は顔を強張らせ、何かを考えている様子だった。


「それについてはあまり深く掘り下げない方がいい。知らなくていい秘密もある」


その言葉に恵太は随分興味をそそられた。


「秘密?詳しく」


理恵子は少し躊躇いながら


「私の母は、この死に関して何かを知っている」とだけ告げた。


彼女の目は一瞬、怯んだ様な気がした。



♢♢♢



数日後、恵太は再び弦司の書斎を訪れた。


彼は弦司が残した文書を丹念に読み進め、この秘密に迫ろうとした。


その中に栞のように古い写真が挟まっていた。そこには、弦司と理恵子の両親、そして知らない女性が写っていた。


その夜、恵太は理恵子と共に、館の庭を歩いていた。


月明かりが照らし、凍えるような冷たい風が吹きつける。


「この写真に写っている女性は誰?」


恵太はその写真を手にしながら尋ねた。


「それは…私の母の妹。彼女は若い頃に行方不明になった。私たちの家族にとって、その存在は絶対に触れてはいけない過去なの」


理恵子は深い溜息を吐きながらそう答えた。


「理恵子さんは彼女のことを知りたいと思わない?」


理恵子は目を伏せて何も答えなかった。


その沈黙の中に、何かしらの複雑な感情を感じ取る。彼は、理恵子がこの家族の秘密をキチンと解くことで、何か新しい発見が有るのではないかと考えた。



♢♢♢



ある晩、恵太は自室で考えを巡らせていると、ふと思い出した。


弦司の手帳に書かれた言葉だ。


「家族は掘り起こしてはいけない過去を抱え踠く。しかし掘り起こさなければ、未来は予見出来ない」


彼はすぐに電話で理恵子にそのことを伝えた。



♢♢♢



翌日、理恵子と共に、宝華楼の地下室を探る事にした。


そこには長年閉ざされていた、開かずの扉があるらしく恵太はとても昂揚した。


三十分程かけ針金で扉を開けると、カビ臭く埃が酷く舞っていた。そこで彼らは、一つの小さな箱を見つけた。


「これは…多分母が大切にしていたものだと思う」


と理恵子は言いながら、箱を開けた。


中には手紙や写真が入っていた。その中には、失踪した叔母の名前が記されていた。


「もしかしたら彼女は、家族を守るために何か起こしたのかもしれない…」


恵太は言った。理恵子はしばらく沈黙した後、感傷し涙を流し始めた。


その瞬間、館の中でガタッと物音がした。


恵太達は驚き、振り返ると館の奥から人影が見えた。誰かが近づいて来る。


「あなたたち、何をしているの?」


その声は冷たく、館の所有主である叔母の赤井陽子あかいようこだった。恵太はその目に恐れを感じた。


「僕たちは…ここに隠された秘密を探しています」


「真実?それはあなたにとって幸せなの?」


その言葉に、恵太は強い違和感を覚えた。


彼は自分たちの探求が、さらなる混乱を招いてしまうのではないかと感じた。



♢♢♢



数日後、恵太は再び理恵子に会った。


「僕たちは果たして過去を解き明かせたのだろうか」と尋ねると、彼女は曖昧な表情で答えた。


「おじさんの死が、事故でないことは曖昧ながら分かるわ。でもどうしてもそれ以上のことが…分からない」


「僕たちが探求したことで、何かが変わったのかもしれない。しかし、それはどこまでが真実で、どこまでが幻想なのか…」


過去の秘密に触れることで、理恵子の心に重くのしかかるものがあることは分かっていた。


彼らの探求は、真実を求めるものでありながら、同時に葬り去るものであった。


事件の真相は、彼らの手の届かないところにあった。彼らは真実を求めることで、ますます深く飲み込まれていく。


恵太は、理恵子の隣で彼女の手を握り、言った。


「まだ終わっていない。だが何を知ることが理恵子さんにとって本当に幸せなのか分からない」


二人はやり切れない歯痒さを抱えながら、宝華楼の中へと入った。

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宝華楼 翡翠 @hisui_may5

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