第8話 2人きりの夜

2人、2人だけのフロア。

好きな人と。

お互いの息遣いが聞こえる。

俺の速い鼓動も聞こえてしまっているだろうか。


「今井さん。後は仕上げだけだね。間に合って良かった」

めどが立ったので、彼女に声をかけた。

すると、黒曜石みたいに綺麗な瞳から、大粒の涙が流れている。

俺は動揺した。

「今井さん?どうかしたの?今回のミスは気にすることはないよ。リカバリできたのだから」

と、心の内を悟られない様、話しかけても泣き止まない。

「給湯室に行こう」

彼女を連れだした。

たった2人しかいない、給湯室へ。


「コーヒーでいい?」

彼女は遠慮をしたが、

「落ち着くことが大事だから、まずは飲み物を飲んで、気を落ち着かせよう」

と、微笑みながら彼女を見つめてリラックスさせようとする。

「ありがとうございます。コーヒーでお願いします」

俺は、彼女に『ブラックでいいか』と確認し、自動販売機でコーヒーを買って彼女に渡した。

それでも、彼女は泣き止まない。

俺は、落ち着くまで待った。

なにか話しかけようと思った瞬間、彼女が口を開く。

「部長……」

「どうした。何でも言ってくれて構わない」

と、言葉の続きを促す。

すると、彼女は涙に濡れた顔で、俺をまっすぐ見て、

「すみません。私……部長の事が好きなんです。

決して告白はしないと決めていたのですが、2人きりで、どうしても気持ちが抑えられなくなってしまって……

尊敬する気持ちが、好きだからって気付いてしまったんです。

不誠実ですよね。部長には奥様がいらっしゃるし、私には婚約者がいるのに……。

でも、好きなんです。どうしても、気持ちを抑えられないんです。

すみません。すみません……」

と。綺麗な瞳から、大粒の涙がこぼれる。


告白だ。


俺は、真っ直ぐ俺を見る目線に目線で返し、両手で肩を握りしめる。

喜びを爆発させてしまいそうだ。

でも、

でも。

だめだ。

彼女の気持ちに応える訳にはいかない。

さぁ、そう言え。

そう言わなくては。

断ってしまったら、彼女を傷つけるのはわかっている。

でも、気持ちに応えてしまっては、彼女の今後に差し支えてしまう。

俺は俯き、目をぎゅっと閉じ、唇を噛みしめる。

だから……

理性があるうちに。

だから、

だから、

だから。

『応えられない』と言え!


意を決して、彼女の顔を見た。

濡れた瞳に吸い込まれる。

俺は、気付くと彼女を胸におさめていた。

理性なんて、最初から持ち合わせてなどいなかったんだ。


俺は、熱い気持ちをぶつけてしまう。

「今井さん。俺もずっと好きだった。多分、きみが配属されてから。

自分は、部下に思ってはいけない気持ちを抱いている気持ちが悪い奴だと、ずっと思っていた。

だから、自分の想いは、ずっと明かさないでいようと。

本当ならば、きみの気持ちに応える事はできない。

でも、俺も。俺も気持ちを抑えられない。

こんな自分を許してくれ」

俺は、感極まって泣いてしまいそうになりながら、言葉をひねり出した。

彼女は、白く美しい顔を赤く染め、

「部長が謝る必要はありません。私が悪いんです……」

と、顔を伏せ、俺から逃れようとする。

俺は、腕の力を強めた。

「俺が悪いんだ。きみは気にしないでくれ……」

と言って、彼女の顔をあげて、口づけをした。


幾ばくかの時が流れる。

ずっと俺は彼女を胸におさめたままだ。

彼女の顔を上げ、見つめなおす。

「仕事が終わったら飲みに行こう」

「はい……」

もう、俺たちはわかっていた。

抱き、抱かれる事を。


いつも近藤と3人で飲んでいるバーに着いた。

「ウイスキーダブルのロックで。今井さんは甘いほうがいい。ミルクは大丈夫?」

と、注文をしながら確認する。『大丈夫です』と答えたので、

「カルーアミルクを」

と、追加で注文する。

俺らは無言で飲んでいた。

カウンターの下で、手を絡めながら。


「じゃ、俺の家に行こうか」

と促す。

彼女は、びっくりした顔で、

「奥様は大丈夫なんですか?」と。

当たり前だ。俺は彼女に

「実はね、離婚しているんだ」と、安心させる。

驚いたまま、

「なんで……」

と。

俺は『内緒』と言って、人差し指で彼女に唇に触れる。

本当はね、きみを好きになってしまったからだよ。

決して言う事はないけど。


俺の家へ向かうタクシーの中で、俺はずっと彼女の肩を引き寄せていた。


家に着いた。

月並みなお願いをする。

「俺の事は、恭介と呼んでくれ。きみのことは昴と呼んでいいかな?」

「はい。恭介さん」

と、笑顔で返してくれた。


「緊張しなくていい」

はやる気持ちを抑え、服を脱がせていく。

愛し始めると、なんだかおかしい。

緊張しているだけではない。ぎこちないのだ。

一つの結論に達した。

「もしかして、婚約者に肌を許していないのか?」

彼女は真っ赤になった。

結婚まで純潔を保っているのか?

すると、彼女は、

「はい……どうしても彼を受け入れられないんです」

結婚まで、という事ではない。

「このままだと、俺に純潔を捧げる事になる。構わないのか?」

と、鼓動を速くして、返す。

「はい……部長じゃないと嫌なんです。だからお願いします……」

と、決意を湛えた目で俺を見る。

俺は、歓喜で胸を震わせた。

でも、言わなくてはいけない事がある。

「ここで俺に純潔を捧げてしまったら、今後、捧げたい人が現れた時にもうどうすることも出来ない。きみはまだ若い。そうなる可能性は高いだろう。だから良く考えてくれ」と。

彼女は、涙を一筋こぼし、

「そんな人、一生現れません。部長の事が好きなんです。私じゃ嫌ですか」と。

俺は唇で涙を拭い、喜びで震える手で彼女を抱きしめ、

「嫌な訳なんかない。ありがとう。俺に純潔を捧げてくれて。

でも、初めて男性を受け入れるのには、痛みが伴う。

出来るだけそうならないようにするが、ゼロにはできない。

怖くないのか?」と、喜びの言葉かけ、確認をする。

「怖くないと言ったらうそになります。

でも、嬉しさの方が勝るんです。

私を受け入れてくれて、ありがとうございます」

と笑顔を向けてくれた。

「わかった」

と、笑顔で返す。


俺は、彼女をリードして愛したが、どうしてもシーツに赤い花が咲いてしまった。


「よく頑張ったな。ありがとう」

と、腕を枕にして、感極まって泣いてしまった彼女の髪にキスを一つ落とした。

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情熱~部下への恋 くまと呼ばれる @kuma_kuma_kuma_kuma

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