第7話 恋に気付いてしまった
今日も近藤は熱い目線で今井さんを教えている。
俺は、牽制したのに……と落胆してしまった。
俺も相変わらず、今井さんに暇があれば何かを教える、という日々だ。
今日も教えていた。
ふと、今井さんを見る。
キーボードをたたく長い指。
画面を見つめる黒い瞳。
瞬きするたび触れる長いまつ毛。
流れるような長い黒髪。
真っ白い首筋。
真っ直ぐな背中。
机の下に隠れた長い脚。
何気なく見ただけなのに、視線が外せない。
もっと見ていたい。
俺は初めて彼女に女を感じてしまった。
しかし、表に出さない様、冷静に教える。
これからも今まで通り教える事が出来るのか。
自信がない。
俺たちは、近藤との行きつけのバーに何度か今井さんを連れて行っている。
今日も、今井さんのプログラミング完了を祝して、飲みに来ていた。
お酒が好きな今井さんは、いつも楽しそうに俺らと飲んでいる。
近藤がいつも熱い瞳で、おしぼりを渡したり、マカデミアナッツの殻を剥いてあげたり、と、かいがいしく面倒を見ていた。
今日も同じ様に、熱い瞳で今井さんを見ているが、
彼女は目線を外し、近藤の瞳を受け入れる事無く笑っている。
そう。近藤は話が面白い。
流石、恋多き男である。
彼女は、長い指でグラスを持ち、近藤の方を向いたままだ。
少しでいい。俺の方を向いてくれ。
その瞳を俺に向けてくれ。
こんな感情は酒のせいだ。そうあってほしい。
近藤が思い立ったように、
「坂下。今井さん、頑張っているよね」
と、俺に話を振ってきた。近藤も2人でいる時は苗字呼びだ。
頑張っている彼女の仕事に対する真摯な姿勢は、常に好ましく思っていた。
男職場で気丈だな、とも。
俺が逆の環境ならば、気持ちが折れていただろう。
「ああ、頑張っているな」
そう近藤に言葉を返すと、彼女がこちらを向いた。
俺を見てくれる瞳に吸い込まれそうだ。
そんな彼女を見つめたまま、
「これからも、頑張ってくれ」
と、月並みな事しか言えない自分に腹が立った。
俺の会社は毎年必ず社員旅行がある。
今時にしては珍しいのではないだろうか。
行先は必ず国内の温泉だ。
俺は、夕食前に風呂に入って汗を流す。
浴衣を着て、お風呂の外で涼んでいると、今井さんがやってきた。
「部長もお風呂いただいたんですか?」
と、声をかけてくれた。
俺は返事をしようと、彼女を見てしまう。
いつもとは違う、浴衣姿。
お風呂上がりで、ほんのり赤くなっている顔。
浴衣から覗く、白いうなじ。
まとめられた、長い髪。
細い足首。
俺へ向ける眼差し。
ああ、彼女を抱きかかえ、部屋に連れていき、鍵をかけ、俺だけのものにしたい。
俺はとうとう自分の感情をだますことが出来なくなった。
恋という感情を。
今ならわかる。ひとめぼれだったんだと。
彼女には婚約者がいる。
俺の気持ちは一生叶う事はない。
近藤が言う通り、俺も泥沼にはまっていたのだ。
恋と言う感情に気付いた俺は、
「別れてくれ」
と、妻にお願いしてしまった。
叶わない恋にも関わらず。
近藤はニヤニヤしながら、
「鈍いお前でもやっと気づいたか。俺たち恋敵だな」
と、言ってきた。
叶わない恋だけど、恋と言う気持ちは誰にも負けたくない。近藤にすら。
気持ちを抑えたまま、一年が過ぎた。
叶う事のない気持ちを。
俺は近藤の様に、熱い目線で彼女を教えていただろう。
激しい思いを隠して生きるというのは、こんなにも残酷な事はない。
俺は酒に逃げていた。
帰って一人で。
今井さんは、管理の仕事も覚える様にと会社から指示が出て、プログラマー業務と兼任して管理作業の仕事を手伝う様になった。
プログラミングは引き続き近藤が教え、管理作業については、俺が教える。
お互い熱い目線で。
今井さんは、優秀なだけあって、管理作業についても覚えが早かった。
「部長が教えてくださるので、早く一人前と言われる様になりました。ありがとうございます。部長の事、尊敬しています」
と、俺に言ってくれる。
『尊敬する』
この一言に、俺の心が震えた。
ある日の事だ。
「申し訳ありません。部長。作成する資料が間違っていました。きちんと確認しなかったのが原因です。これからリカバリします」
と、真っ青な顔で俺を見る。
明日、会議で使用する資料だ。今日中に作成完了しなくてはならない。
俺は、
「ミスは誰にでもある事だ。同じ事を繰り返さなければいい。これから一人で作りなおすのは無理だ。俺と一緒に資料を作り直そう」
と、励ます。
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
落ち込んだままの顔だ。
「落ち込んでいる暇はない。作り始めよう」
と、促した。
言った通り、資料の作り直しには時間がかかる。
深夜残業を覚悟しなくてはならない。
オフィスで2人きりになる可能性がある。
その時、俺は正気を保っていられるのか。
仕事だけが、俺を正気にさせていた。
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