第6話 決断①

 その時の僕は、さぞ間抜けな顔をしていたことだろう。


 目の前に座る学園の理事長は、地下鉄で助けた赤髪の美少女の実父であった。


 その真実を受け入れるのにしばらく時間を要し、放心していた僕は浜に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉していた。


「それは、その……驚きです」


 何かしゃべらねばと思い立った僕は、そんな外連味もない素直な感想を述べた。


「ふふ、『まさか目の前に座るおじさんが、あの女の子の父親だったなんて』、って顔をしてるね。よく言われるんだ、あまり似てないとね」


「ぼ、僕はそんなことは……!」


「否、実際そうだ。私のこの老けた顔と白髪は長年培ってきた心労と気苦労によるものだし、林檎りんごの透き通るような赤髪はオランダ系の血を引く妻の遺伝によるものだ。君も間近で見ただろうが、綺麗だったろう?」


「そ、それはとても、その、はい……」


 初対面のはずの僕に娘のことを惚気のろける白雪さんの顔は、とても父親らしいと感じてしまった。


「娘が被害に遭った当時、私は学園の業務でバタバタと動き回っていてね。娘を救ってくれた君に、お礼の手紙とせめてもの菓子折りを渡すことしかできなかった。ささやかな謝礼ですまなかったね」


「そ、そんなことはなかったです。お菓子、とても美味しかったです」


 被害者の家族からですと受け渡された菓子折りは、白雪さんが僕宛に贈ってくれたものだったのか。


 すごく美味しかったのは確かだが、お菓子のブランドと値段を調べたお母さんが目をひん剥いて卒倒しそうになっていたのを覚えている。


「しかし、娘を救ってくれたヒーローである君に対し、菓子折りと手紙だけでは心もとないと感じた私は、理事長として君に恩義を尽くす意味でも、煌櫻高等女学園初の男子生徒に君の名を挙げたわけだ。どうだい?納得してくれたかな」


「な、納得しました。ですが……」


 これ以上は打ち明けてもいいのか気が引けるが、思い切って言ってみることにした。


「僕は、男として、いや……人として、できることをしたまでです。それ以外は平凡で取柄もないし、優れた能力があるわけでもないです。僕は理事長が務める学園の生徒として、釣り合わないかもしれません……」


 自虐的な結論を述べる僕に対し、白雪さんが僕に向ける笑みは少し悲しそうだった。


調、君は正義感に満ち溢れた素晴らしい男性だね。だがいささか、自己肯定感に欠けるようだ」


 そうして白雪さんは立ち上がり、窓のそばに歩を進め外の景色を見やる。


「――君は、私の愛娘に危害を加えた悪漢を覚えているか?」


「……はい、それはもう……」


 女性に危害を加え、大声を出して周囲を威圧し、口角泡を飛ばして僕を恫喝した、卑しき犯罪者。


 できれば思い出したくもないのだが、覚えているかと聞かれれば肯定せざるを得ない。


「……あの男は、我が学園とゆかりのある証券会社の幹部の息子なんだ」


「えっ…………」


 まさか、そこでも繋がりがあったとは。高圧的かつ卑怯な手を使って罪から逃れようとしていたのは、自分の高い地位を確信していたからなのかと納得した。


「……私は、その時ほど自分の不甲斐なさを痛感したことはなかったよ。愛娘に手をかけた悪漢に、極刑を下してやりたい激情に駆られながら、加害者側の親による文面のみでの謝罪と、巨額の示談金という『相手側の精一杯の和解』に頷くことしかできなかった、父親失格であるこの私を…!!」


 僕に背を向ける白雪さんの背中からは、先ほどまでの好々爺こうこうや然とした雰囲気とは程遠い、どす黒い怒りのオーラが迸っていた。


 まさに今、白雪さんに大鷲のような大きな翼と鋭利な鉤爪があれば、娘に手を下した悪漢のもとまで向かい、引き裂き千切り殺さんとする気迫だった。


「……それでも私は、ただひたすらに前を、未来を見据えた。悪漢の所業はさておき、煌櫻高等女学園の男女共学化についてだ。せめて運が良かったと、割り切ることにしたんだ」


 白雪さんの怒気にビクビク震えていると、彼の雰囲気が少し穏やかになったのを口調から感じ取れた。


「君の言ったとおり、学園に特別に入学させる男子生徒の条件については、幾度も議論を重ねた。政府長官の令息に大地主の血筋、芸能界の若手有能株などなど候補はいくつも挙げられたが、最終的に私の意見である『娘を痴漢から救った鍋敷力くん』で意見が合致した」


「そ、そんな有力な候補が挙げられたなかで、僕が選ばれたんですか……!?」


「難色は示せど、おもむろに否定してかかる者はいなかったかな。林檎に手を下した愚図グズの痴漢事件を富裕層は認知していたから、男子生徒に血統や能力を求める者は皆口を閉ざしたんだ」


 とうとう白雪さんが犯人に対する憎悪を包み隠さなくなっていた。心境は大いに共感できるので不快には思わなかったが。


「そもそも、学園の本分とは『生徒の感性を健康的に育み、未来への可能性を限りなく広げ高めるための場所』だ。『自分は優秀だ』などとうそぶくサルも、『自分は有能だ』などとおご大鋸屑オガクズも必要ない。我が学園に必要なのは、『将来有望で生涯優良』な生徒だけなんだよ。……君のようなね」


 こちらに顔を向ける白雪さんの顔は、先ほどまでの憤怒にまみれたものではなく、また穏やかなものに変わっていた。


「とまぁ、ここまでが私以外の者の意見もまとめた『学園側』としての君の特別入学の理由だ。ここからは、私と娘による私情を話させてもらう」


 ソファに座りなおした白雪さんは、表情筋を引き締めこちらをまっすぐ見据える。


「我が愛娘の林檎は現在、君に直接会いたいと願っている」


「えっ……!?」


「あれだけ怖い思いをしたのだ。事件からしばらく塞ぎ込んでいたのだが、気が落ち着いたところで『君に直接会い、謝罪と感謝を述べたい』といった旨の内容を自ら頼んできた。今は諸事情で、学園から出ることは叶わないがね」


「ぼ、僕なんかに……光栄です」


「……思えばすべては、私の独りよがりな過失によって引き起こされたのだ。独善的な思考の末に、一人の愛娘は不幸のどん底に落ちた。だからこそ、立ち直った林檎には幸せになってほしいと願っている」


 全容を明らかにすることは叶わないだろうが、理事長と娘の間にも何やら確執があるようだ。


「君の煌櫻高等女学園への特別入学は、理事長としての『願い』でもあり、父親としての『罪償い』でもあり、男としての恩返しでもある。君が承諾をすれば、入学までとその後のバックアップを全面的に行い、何ひとつ不自由にはさせないつもりだ。……どうだい?その気になったかな?」


 白雪さんの柔和な笑みからは、悪意や邪念は何一つ感じ取れない。彼が心の底から、僕を歓迎しているのは明らかだろう。

 だが。


「……答えを出すのに、少し時間をください。帰宅してから、今日の夜までには結論を出します」


「……いい答えが返ってくることを願っているよ」


 僕の慎重な返答にも白雪さんは嫌な顔をせず、お互い固い握手を交わしてから面会は終了を迎えるのだった。

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箱入りお嬢様を魔の手から救ったぽっちゃり男子は、男子禁制の女子学校に特別入学しました かにゃびぃ @ULT_SLOTH

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