第2話 セレス

「五億六千七百万年ってなんの冗談なのかしら?」

「正確には五億六千七百万飛んで八千二百三十八日ですにゃ」

「そこまで行けば誤差のようなものでしょう? それよりも冗談というわけではないのね」

「本当のことですにゃ。ローザ様がお眠りになって五億六千七百万飛んで八千二百三十八日経っていますにゃ」


 五億年も経っていれば衣服が塵になっていたのも遺跡が埋まっていたことも納得ができる。そもそも五億年も寝ていられたことのほうがおかしい。なんとなく空を見上げる。五億年経っても空や風に太陽は変わっていないようだ。


「ティア、詳しく話をしてもらえるかしら?」

「にゃーも話したいことはいっぱいあるにゃ。疑問にも答えるにゃ」

「そう……。とりあえず休める場所を出しましょうか。ティア、この辺りに大型の魔物や危険な魔物はいるかしら?」

「今はにゃーがいるから近寄る魔物はいないにゃ」

「ティアがいるから? まあいいわ、それでは家を出すわね」


 手を軽く振り空間魔法の収納を使う。地面に広がった真っ黒な空間から二階建ての屋敷がゆっくりとせり上がってくる。


「まずはお風呂ね。ティアも久しぶりに洗ってあげるわ」

「にゃーは精霊だから汚くないにゃ」

「気分の問題よ気分の。洗った後は一緒に寝てあげるから」

「仕方がないにゃー、洗われてあげるにゃ」

「ありがとう、ティア」


 色々と聞きたいことはあるのだけどまずはお風呂に入って食事をして一眠りしてからでも遅くはない。五億年も経っているなら今更ジタバタしても何も変わることはないでしょう。


「それでは入りましょうか」

「にゃー」


 屋敷の扉を開けて中に入る。家の中はいつも通り綺麗に掃除が行き届いていて埃の一つも見受けられない。パチンと指を鳴らすと備え付けられているランプに明かりが灯る。


「おかえりなさいませローザ様」


 どこからともなく声が聞こえ、いつの間にか玄関ホールの中央に一人の赤いメイド服を着た少女が立っていた。髪の色は薄い金色で頭には白いスカーフを巻いている。


「セレス、ただいま。お風呂の用意と食事をお願いできるかしら」

「かしこまりました」


 この子の名前はセレス。シルキーと呼ばれる妖精で、この家に憑いている。最初は私を驚かせて追い出そうとしたが、お話し合いをして私と契約することになった。それからは甲斐甲斐しく家の管理と私の世話をしてくれている。


 セレスはその場に立ったまま少しの間視線を上向かせて、再びこちらに向き直る。


「お風呂のご用意が出来ました。ごゆるりとおくつろぎくださいませ。わたしはお食事の用意をさせていただきます」

「お願いねセレス」


 セレスは礼をした後にその場から消える。それを見送り私とティアは玄関ホールからお風呂場へ向かう。広めの脱衣所にたどり着くと衣服を脱いで、おいてあるカゴへいれる。脱いだ衣服は後ほどセレスが洗ってくれる。


 脱衣所に備え付けられている鏡を見ると、そこには私が映っている。赤い髪に赤い瞳、ずっと暗い場所で眠っていたためだろうか肌は病的なほど青白い。


(見た目は三十代だけど、中身はもうおばあちゃんなんだけどね)


「ティアおいで」

「にゃー」


 まずはティアから洗う。備え付けの石鹸でゴシゴシ洗う。そもそも精霊なので洗ったとしても汚れが出たり毛が抜けたりするわけではない。ティアに言ったように気分の問題で自己満足でしかないのだけど、この時間が私は好きだ。


 ティアもなんやかんや言っているけど、洗われている時は気持ちよさそうにうにゃうにゃ言っている。洗い終わった後は泡をお湯で洗い流す。


「はい終わったわよ」

「ありがとうにゃ」


 お湯をかけたためにいつもはふわふわの毛が体に張り付いている。それもすぐにいつも通りのふわふわの毛並みに戻る。ティアは、専用に作られた小さな浴槽に入り、気持ちよさそうに目を細めている。


 私も素早く体と頭を洗い浴槽に浸かる。改めて体を確認してみる。ずっと暗い所でいたためか記憶にあるよりも肌が白いように思える。適度な温度のお湯に浸かっているとなんだか眠くなってくる。


(五億年も寝ていたというのにまだ眠たくなるのはどういうことなのかしらね)


 このままだと本当に寝てしまいそうなので、気合を入れてお風呂から上がる。ティアに声をかけて脱衣所に戻ると脱いだ衣服は無くなっていて代わりにナイトガウンが用意されていた。私はそれを着てから、室内履きの靴を履いて食堂へ向かう。


「ティア、詳しい話は明日でいいかしら?」

「にゃーならいつでも構わないにゃよ」


 食堂にたどり着き席に座ると、すぐにセレスが食事を運んできてくれた。


「ローザ様はお疲れのご様子ですので、消化の良い軽めのものをご用意いたしました」

「あら、助かるわ。お風呂に入ったためかなんだか眠いのよね」

「それでは食後にはよく眠れるように、ハーブティーをご用意させていただきます」

「ふふ、ありがとうセレス。それではいただくわね」


 腕を組み目を閉じて創世神に祈りを捧げる。祈りを終えてスプーンを手にとりスープを口に含む。私の感覚では一日ぶりの食事なのだけど、体は正直でスープを一口飲んだ後は無心に食事を進める事になった。


「いつも通り、いえいつも以上に美味しかったわ」

「ありがとうございます。こちら食後のハーブティーになります」

「ありがとう」


 出されたハーブティーはカモミールティーだった。確か効能に鎮静作用があり寝付きを良くするものだったはずだ。


(今日はもうこれを飲んだら何も考えずに眠ってしまいましょう)


 温かいカモミールティーをちびちびと飲み干す。


「ごちそうさま。それではセレス、今日はもう眠らせてもらうわね」

「ローザ様、どうかごゆるりとお休みくださいませ」


 私はふわふわと空中で寝転がっているティアを抱き上げて、頭を下げるセレスに見送られながら部屋を出て寝室へ向かう。二階にある寝室に入りティアをベッドの上に下ろしてから洗面所へ向かう。歯を磨き寝室へ戻りティアを抱き上げて布団に潜り込む。


「おやすみなさい」

「ふにゃー」


 私は目を閉じティアの温かさを腕に感じながら眠りについた。

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