20勝手目 アイツが来た(1)


 伊東が秋田を後にした。


 帰る間際、過去に猟銃を置いて来た事を思い出した沖田と晴太は青褪めた顔で報告していた。


 伊東は何をそんなこととゲラゲラ笑い、無いんだから仕方ないですねと支払いまで無しにしてくれる。

 その代わりにと筍を渡していたが、嫌な顔をせずに受け取っていたのはシュールだった。


 しかし、金庫番と言うくらいだからもっとお堅いイメージがあったが、話してみると面白い奴だ。

 洋斗とネリーの上司というんだから信頼出来る。経費を出してくれる事に加え、沖田に味方が増える事は有難い。

 ある程度の権力を持つ神霊庁の金庫番なんて心強すぎる。


 でもコーヒーを不味いと言ったのは許さん。まるで俺が味覚音痴みたいな言い方までしやがった。

 お高いものを食べ過ぎて庶民の味がわからんだけだろうに。


 さて、次なる問題は祈の神霊庁入り。これにいたっては俺もどうしたもんか。

 祈は神霊庁を嫌っているが、頭のなしに否定はしない。


「そういえば祈、なんでいるの?」


 沖田が祈に傷を隠すためメイクを施されながら聞いた。手がぴたりと止まり、呆れを込めたため息を大袈裟に吐く。


「あんた達、私に気を遣ったんでしょ! どうせ晴太か守がママの事件調べたんでしょうけど、熊って本当に怖いんだから! 今回は大事もなんとかなったけど、いくらなんでも甘すぎ!」

「うあ……僕ですぅ……バレた……」

「でしょうね! だと思ったわ!」


 祈がしょげる晴太にデコピンを喰らわす。


「で、でもちゃんと祈のお母さんも救って来たよ!? ほら、僕も完全にイタコの力を失ったわけじゃないからね! お母さんと話す事だって出来るよ! ……恐山に来てもらわないと無理だけど……」

「はぁ……」


 祈は沖田に使っていたメイク道具を片付けながら、呆れたと肩を落とす。

 晴太の気遣いは優しさからくるものだが、祈には優しさではないかもしれない。


「有難いけど、ママとは話さないわ。私はママに会えると思って来たんじゃないの」

「過去に戻れば会えると思って来たんじゃないのか」


 静かに首を横に振った。夏の夕暮れが栗色の髪の毛を糸のように照らす。


 呪いの重圧に耐えられないと不安気な祈は、そこに居ない。


「秋田に帰ったら、自分が何したいのかわからなくなっちゃって。でも、逃げる事に一生懸命だったって気付いたの。やりたくない、出来ないを理由にして、楽な選択ばかりしてた。周りが道を決めて行くのに焦ってただけかもなぁって」


 誰にでもある事だ。道に迷うが、決めるのは自分。しかしその道も正しいのかわからない。誰だってきっとそうだ。


 しかし、祈は真面目だ。進んだ道に迷いがあれば、それ無ければならないと思うのかもしれない。

 

「今も自分の事、あんまりわかっていないの。だからね、感情に従う事にしたわ!」


 祈は歯を出してニカッと笑う。そして、飲み物を飲む沖田の前に屈んだ。


「洋がくれた手紙読んだよ。すごく嬉しかった」

「なんだ言うんだよ! バレないように入れたのに……」

「字が汚いのは減点ね」

「うざ!」


 沖田は顔を真っ赤にして、祈に宛てた手紙がバラされた事を恥ずかしがっている。

 何を書いたのかわからないが、ブルーシートに包まろうとするあたり、多分あまり知られたくない事を書いたんだろう。


「ねぇ、洋。本当に私の事大好きなの?」

「はあ!? 何!」


 悪戯に微笑みながら問いかける祈。沖田はガサガサブルーシートで体を隠し、籠城した。

 

「どうなの?」

「……」


 それでも祈は諦めない。返事が聞けるまで黙り込み、沖田が言葉を発さなければ誰も話せないような空気になった。


 観念した沖田がブルーシートから顔だけひょっこり出す。鼻に横貼りした絆創膏が小学生を思わせてマヌケだ。


「……あんましどっかに行って欲しくない……」


 ボソボソとそれだけ言うとまた籠る。


「また隣に居てもいい?」

「……――あ! うざいうざい! 勝手にしろ!」


 ブルーシートから勢いよく出てくると、車に向かって走り出して、今度はそっちに籠城する。

 恥ずかしくて火が出そうなのは見てわかるが、祈は何故しつこく確認したのだろうか。


 祈はやりすぎちゃったと大層嬉しそうに微笑んだ。


「洋と過ごしたのは1ヶ月くらいしかないのにね、いつの間にか洋のことばかり考えるようになっちゃって。それでも禁忌は怖いわ。今日だって守が縫合を先にしてくれなかったら、なかなか踏ん切りがつかなかったと思う。でも慣れていく。あの子からは逃げないって決めたわ」

「祈もその手紙で呪われちゃったんだね」


 晴太がうんうんと頷く。沖田に魅了される事を呪いと言うならば、これから何人が呪われるだろうか。

 もしかすると経理部の人間も、伊東だってその可能性がある。


 協力者が増えて心強いと思っていたが、沖田と過ごした22年が無くなるように思ってしまうのは何故だろう。


 沖田に他にも頼れる人が出来たら、俺達が住む世界が変わるんだろうか。

 

「秀喜が言ってくれた通り、神霊庁に戻れるように掛け合ってみるわ。まずはパパの説得ね。それが済んだら仙台に行く! そうだわ。洋の家がなくなるから、部屋も探さないといけないわねぇ」

「それなんだけどさ、実は……洋に僕らと住まないかって言おうと思ってて」

「はあ? 安アパートに4人とか嫌よ! 洋と2人ならまだしも、男と一緒なんてあり得ない! 住んだとしてせめて完全に1人1部屋ある一軒家でしょ!」

「だって洋の家は売りに出されちゃうし……」


 晴太と祈が話しながら車へ向かうと、沖田が慌てて降りて来た。そして俺の名前を叫んで、顔を真っ青にして冷や汗までかいている。


「な、なななななななんだ!? 今、家、売りに出すとか、言ってなかった!?」

「あ……沖田が聡さんから何も聞いてないの忘れてた」


 晴太も祈も同じ反応だ。誰1人として沖田に家がなくなる事を伝えておらず、結局沖田は何も知らない。

 

 一人暮らしを余儀なくされ、あげく自宅を失うと知らされた沖田は今までで1番焦っている。


 怒りと焦り、そしてホームレスの文字が過ぎったらしく、ムンクの叫びのような顔で絶叫した。


「なんで大事な事言わないんだよ! お隣さんじゃなくなっちゃうかもしれないんだぞ! 土方ァ、家買ってェ!」

「買えるか!」


 秋田の山に沖田の叫び声がこだまする。

 お隣さんじゃなくなるかもしれないのが嫌なら、さっきの心配事はあまり気にしなくていいかもしれない。


 何かあれば土方と呼ぶ。どれだけ多くの人間が沖田に魅了されても、アテにされているのが俺なのであればいい。


 言葉で括れない関係は、誰にも壊されたくないんだ。


 

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