ご褒美ちょうだい
私が真白を叱ったあの日から、彼女は毎日のように外出するようになった。もちろん、帰宅するころには辺りは明るくなる時間。
最初はあまり気にしていなかったが、日を追うごとに、その行動が心配になっていった。特に気になったのは、帰ってくるときに違う匂いを身にまとっていることだ。それも毎回違う匂い。
夜遊びってやつだよね?危ないことしてないよね?
さらに、彼女のルーズさも一層目立つようになった。もとから家事はするほうではなかったが完全に私に任せっきりになり、特に謝ることもなく、無頓着なままの日々。私の中で不満がどんどん膨らんでいく。
そんな状態が数週間も続き、ついに私の我慢が限界を迎えた。今日はいつも寝ている時間を越えて、真白が帰ってくるのを待つことに。
夜中の3時、ようやく玄関のドアが開いた。
「おかえり」
「珍しいね、こんな時間まで起きてるの。電気ついててビックリした」
「今日も遅かったね」
「うん、約束があったから」
「はあ……今週限りでルームシェア解消するから」
「ルームシェア解消?突然だね」
私の言葉を聞いて、真白は一瞬動揺した表情を見せたが、すぐにいつもの無表情に戻る。それでも、彼女の目が少し揺れているのを見逃さなかった。
「そう。もう無理だよ。真白は自立した生活をするべきだし、他人と時間を共有していることをもっと自覚してほしい。今のままだと一緒に住んでいる意味がないよ」
そう言い切ったものの、心の奥では彼女を手放すことにどこか抵抗があるのを感じていた。
静かな部屋の中に、私の声が重々しく響く。真白は何も言わず、ただ私の言葉を黙って聞いている。
何も言い返さない、言い訳をしない。それがかえって私の苛立ちを増長させた。
「それと、何度も言うけど、家事を私に任せっきりにするのもやめてほしい。私はお母さんでもお世話係でもないんだから」
今まで心の中に溜め込んできた不満が、どっと溢れ出す。自分が強く責めすぎていることに気づいたけれど、それでも止まらなかった。
「分かった、改善する」
「口だけなら何とでも言えるよね」
「じゃあ、一ヶ月時間ちょうだい。あと……ご褒美が欲しい」
「は?」
思わぬ言葉に戸惑う。ご褒美?この人は自分の状況を理解しているの?でも、真剣な目をしているし彼女なりに何か考えがあるのかも。
「子どものしつけじゃあるまいし……そんなことで変わるの?」
「……うん。だから、約束して。頑張るから、その代わりご褒美をちょうだい」
信じてもいいのかな?やる気に繋がって変わってくれるなら、信じていいかも。
「わかった。でも、絶対に改善してよ。でなければ、この生活は終わりだからね」
真白は小さく頷くと、「ありがとう」と、ぽつりと呟く。ほっとしたような表情が一瞬浮かんだかと思うと、彼女はふいに私の方に寄ってきた。
「頑張るためのおまじない、かけて?」
「なにそれ?聞いたときないよ」
ここでどうしてそんなことを言うのか理解できなかったけれど、真白の視線が私を捉えたまま動かない。
その瞳の奥に、これまで見えなかった何か、弱さのようなものが垣間見えた気がした。
「もう……どうすればいいの?」
「ハグして」
少しだけためらったが、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の腕と脇の間を通り優しく抱きしめる。
真白は少し身体を震わせたが、すぐに私に身を委ねるように抱きついてきた。彼女の体温がじわりと伝わってきて、その温かさに私も少しだけ心がほぐれていくのを感じた。
「ありがとう、結月」
真白が耳元で囁くと、彼女の声が不思議と胸に響く。まるで、ずっと言いたくても言えなかった想いが今、ようやく形になったかのような気がした。
「やっと、ありがとうが言えたね」
「うん、ごめんね任せきりで」
「真白を見捨てたくないから、ちゃんと頑張ってよね」
「頑張る」
真白は小さく頷き、私の肩からそっと離れた。彼女の目には少しだけ涙が浮かんでいるようにも見えたけど、それを指摘するのはやめた。私もまた、彼女と真剣に向き合う必要があるのかもしれない。
次の日から、真白は少しずつ変わり始めた。
朝、私がキッチンに入ると、いつもは寝坊しているはずの彼女が眠そうな目をこすりながら、なんとか朝食を作っている。
「真白、おはよう……って、何してるの?」
「朝ごはん……作ってみた」
瞼を重そうにしながら、慣れない手つきでフライパンを使っている真白の姿がそこにあった。
卵焼きがちょっと焦げていて、彼女の不器用さが目に見えるけど、それでもその努力はしっかり伝わってくる。
「ありがとう。でも、無理しなくていいよ。そんな眠そうな顔して……」
「無理じゃない……頑張るって、約束したから」
眠気を振り払うように、何度も目をこする。
それからの真白は、少しずつだが変わっていった。毎日のように出歩いていたが控えめになり、深夜を超えそうなときはしっかり連絡をいれる。それに、これまで放置していた部屋の掃除や洗濯も、自分でやるようになった。最初は不慣れで、時折洗濯物を縮ませたり、洗剤を入れすぎたりしていたが、それでも何かを変えようとしているのが伝わる。
一生懸命頑張っているのを見ていると、私の心の中に積もっていた不満も少しずつ和らいでいく。
彼女が本当に自立しようとしているのなら、ルームシェア解消という極端な選択肢も考え直してもいいかもしれない。
一ヵ月が過ぎた頃、私はテーブルに紅茶を並べて、真白をリビングに呼んだ。
彼女は少し緊張した様子で椅子に座り、私が紅茶を注ぐのをじっと見ている。
「この一ヵ月、本当に頑張ったね」
真白は小さく頷いた。
「家事も、最初は慣れていなかったけれど、いろいろ試してくれたよね。寝坊しながらも朝食を作ったり、掃除をしてくれたりして…全部、ちゃんと見てたよ」
「……あまり上手にできなくて、ごめんね」
「上手い下手じゃなくて、気持ちが大事だよ。真白が真剣に努力してくれたことが一番嬉しいんだから。それに、ルームメイトなんだしこれからはお互いをもっと知ろうと思うの」
私は紅茶を一口飲みながら、彼女に視線を向けた。真白もまた、少しだけ頬を紅く染めながら、静かに頷く。
「うん、そうだね。私も、結月のこともっと知りたいって思った」
「例えば……私の好きな食べ物とか、嫌いなものとか、そういうの?」
「うん、それも知りたい。だって、今までお互いのこと何も知らないで一緒にいたんだもんね」
真白の言葉に、私は自然と笑顔になった。そうだ、確かにルームメイトである彼女のことを、ほとんど知らないままここまで来た。彼女の生活習慣や小さな癖はなんとなくわかってきたけれど、でも彼女が本当に大切にしていることや、心の奥に秘めていることは、まだ何も知らない。
「真白が嫌いな食べ物ってなに?これまで何度か一緒に食事したけど、気づかなくて」
「ピーマン」
意外な返答に、思わず吹き出してしまいそうになった。普段の堂々とした態度と裏腹に、子供っぽいところもあるんだと気づくと、なんだか可愛く見える。
「じゃあ、私がピーマンを料理に入れても文句言わないでね」
「う……それは、頑張る」
「ねえ、私たちやっとルームメイトから友達になれたね」
「私は最初から友達だと思ってたよ」
「本当に?」
「ホントだし」
真白は小さくむくれた顔で私を見上げ、すぐに笑い出す。なんでもない会話がこんなに心地よく感じられるなんて、これまで気づきもしなかった。
「そういえば、真白。頑張ったご褒美って……何がいいの?」
「ええと、その、なんて言えばいいのかな」
約束のご褒美なのにためらいをみせる。
「素直に言ってくれていいよ、頑張った分のご褒美だから」
「……キスがいい」
「えっ?」
思わぬ言葉に私は驚き、思わず紅茶をこぼしそうになった。キスって……冗談だよね?
「結月と、キスしたい」
ルームメイトはご褒美にキスを求める ゆずしお @yuzusio299
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