【SF短編小説】二重の記憶ー意識の継承者の箱庭でー(約7,100字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】二重の記憶ー意識の継承者の箱庭でー(約7,100字)

●第1章:継承者


 穂積早苗は、暗闇の中で浮かび上がる記憶の断片を凝視していた。無数のデータが光の粒子となって、研究所の特殊ディスプレイに流れていく。それは、彼女の母が残した最後の記憶だった。


「やはり、このあたりの数値が気になりますね」


 助手の榊原が、ディスプレイの一角を指さした。


「ええ。通常の記憶データとは明らかに異なる波形を示しています」


 早苗は眉をひそめながら、データの解析を続けた。記憶継承研究所の主任研究員として、彼女は数えきれないほどの記憶データを扱ってきた。しかし、母のデータほど不可解なものは初めてだった。


 2075年、人類は「記憶継承」という革新的な技術を手に入れていた。死の間際の人間から記憶を抽出し、それを他者が追体験できるようになったのだ。当初は医療や教育の現場で限定的に使われていたその技術も、今では故人の想いを受け継ぐための一般的な選択肢となっていた。


 早苗の母・穂積千鶴は、この技術の開発に携わったパイオニアの一人だった。しかし、プロジェクトがほぼ完成に近づいた矢先、彼女は姿を消した。残されたのは、研究所のサーバーに保存された膨大な記憶データだけ。


「榊原さん、母が失踪する直前のデータを、もう一度見せてもらえますか?」


 早苗は、目の前に広がる光の帯を眺めながら、深いため息をついた。研究者としての冷静な判断と、娘としての感情が交錯する。


「はい。4月15日の深夜から16日未明にかけての記録です」


 ディスプレイに新たな映像が浮かび上がる。それは、母が最後に研究所にいた夜の記憶だった。


 映像の中で、千鶴は何か重要な発見をしたかのように興奮した様子を見せている。慌ただしくキーボードを叩き、データを確認する。そして突然、彼女の表情が凍りついた。


「これは……!」


 その瞬間、記憶は途切れた。


 早苗は、母の最期の言葉に込められた驚愕と恐怖を何度も追体験していた。しかし、その真意を掴むことはできなかった。


「母は一体、何を見つけたのでしょうか……」


 つぶやきが、静寂な研究室に吸い込まれていく。



 記憶データの解析を終えた早苗は、深夜の研究所の廊下を歩いていた。蛍光灯が放つ青白い光が、疲れた表情を浮かび上がらせる。


「お疲れさまです」


 後ろから声をかけられ、早苗は振り返った。そこには、三ヶ月前に赴任してきた青木美咲が立っていた。


「美咲さん、こんな遅くまで」


「私も今日は残業です。新人だから、まだまだ勉強することばかりで」


 人なつっこい笑顔を浮かべる美咲に、早苗は何か懐かしいものを感じた。母が失踪してから、こんな何気ない会話すら、心が温かくなるように思えた。


「そうだ、お腹空いてません? 近くの定食屋さん、まだやってるんですよ」


 美咲の提案に、早苗は少し戸惑った。普段なら即座に断っていただろう。しかし、今夜は何故か、一人でいたくないような気がした。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


 夜の街を歩きながら、美咲は研究所での出来事を楽しそうに話した。その仕草や話し方の端々に、どこか見覚えのあるものを感じる。けれど、それが何なのか、early苗にはうまく掴めなかった。


「穂積さんって、お母様も研究者だったんですよね?」


 定食屋の薄暗い照明の下で、美咲が唐突に尋ねた。


「ええ。記憶継承技術の開発に携わっていました」


「素晴らしい方だったんでしょうね」


 美咲の目が、懐かしむような色を帯びる。


「きっと、穂積さんのことをとても誇りに思っているはずです」


 その言葉に、早苗は箸を止めた。まるで母のことを知っているかのような口ぶり。そして、その優しい微笑みは――。


「私、変なこと言いました?」


 美咲が心配そうに尋ねる。早苗は首を振った。


「いいえ。ただ、少し母のことを思い出しただけです」


 それから、二人の交流は自然と増えていった。美咲は、まるで昔からの知人であるかのように、早苗の研究を手伝ってくれた。時には、早苗ですら気づかなかったような鋭い指摘をすることもある。


 ただ、時折、美咲は奇妙な様子を見せることがあった。まるで、別の人格が顔を覗かせるような瞬間。そんな時、彼女は決まって激しい頭痛を訴え、そして何も覚えていないと言うのだった。


 早苗は、その違和感の正体を探れないまま、日々を過ごしていた。


 そして、あの夜を迎えることになる――。



 その夜も早苗は母の記憶の分析を続けていた。


「穂積さん」


 榊原が、珍しく慎重な口調で声をかけた。


「記憶継承の研究には、まだ我々の知らない危険が潜んでいる可能性があります。あまり深入りは……」


「わかっています」


 早苗は相手の言葉を遮るように答えた。


「これは私にとって単なる研究データじゃありません。母の想いを理解したい。それだけです」


 その瞬間、警告音が鳴り響いた。


「これは! データに異常が……」


 榊原の声が響く中、ディスプレイ上の光の粒子が激しく明滅を始めた。そして、これまで見たことのない記憶の断片が、まるで意思を持つかのように浮かび上がってきた。


「母さん……?」


 早苗の目の前で、新たな記憶が展開され始めていた。



●第2章:記憶の闇


 それは、早苗の知らない母の姿だった。


 記憶の中で、千鶴は見知らぬ研究施設にいた。壁には"Project Stargate - Phase 3"という文字が掲げられている。


「まさか、こんな研究が……」


 映像の中の千鶴は、強い憤りを感じているようだった。彼女の前には、見たことのない実験装置が並んでいる。


「榊原さん、このデータ……普通の記憶継承実験の記録じゃありません」


 早苗は画面に映る情報を必死に読み取ろうとした。


「ええ。これは恐らく、極秘プロジェクトの記録かと。でも、なぜ今になって……」


 その時、記憶の中の千鶴が動き出した。彼女は急いでデータをダウンロードし始める。その手つきには、明らかな焦りが見て取れた。


「見つかってしまいましたか」


 低い男性の声が響き、千鶴は振り返った。そこには、初老の白衣の男が立っていた。


「星野所長……」


 千鶴の声には、怒りと悲しみが混ざっていた。


「なぜ、こんな非人道的な実験を……!」


「千鶴君」


 星野と呼ばれた男は、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「君は分かっているはずだ。人類の進化には、時として大きな犠牲が必要になる」


「でも、これは違います! 記憶の操作だけでなく、意識の書き換えまで……」


 その言葉に、早苗は息を飲んだ。


「意識の……書き換え?」


 通常の記憶継承技術は、あくまでも記憶を「読み取る」だけのものだった。しかし、この会話が示唆するものは、それをはるかに超えている。


「人類は次のステージに進まなければならない」


 星野の声は冷たかった。


「個人の記憶や意識という概念自体を超越し、集合的な知性として進化する。それが、Project Stargate の真の目的だ」


「あなたは狂っています」


 千鶴は震える声で告げた。


「この研究は、即刻中止すべきです。私が、世間に公表します」


「残念だな」


 星野はため息をつきながら、ポケットから何かを取り出した。


 その瞬間、記憶が途切れた。


「母さん!」


 早苗の叫びが、研究室に響く。


「これが、母の失踪の真相……?」


 榊原が、不安そうな表情で画面を見つめている。


「穂積さん、このデータは直ちに保存して、しかるべき機関に……」


 その時、研究所全体に緊急アラートが鳴り響いた。


「警告。システムへの不正アクセスを検知。強制シャットダウンを開始します」


「え!?」


 早苗が慌ててキーボードを操作する。しかし、画面は次々と暗転していく。


「早苗さん!」


 榊原の警告の声が響く中、研究室のドアが開いた。そこには、数人の黒服の男たちが立っていた。


 そして、その後ろに……。


「星野所長……」


 早苗の前に、記憶の中で見た男が、同じ目でこちらを睥睨していた。


●第3章:遺された真実


「穂積早苗さん」


 星野の声は、記憶の中と同じように低く響いた。


「あなたの母上とは、随分とご無沙汰しています」


 早苗は直感的に理解した。この男こそが、母の失踪に関わる重要な鍵を握っているということを。


「母は、一体どこに……?」


「その前に」


 星野は、ゆっくりと研究室の中に歩み入ってきた。


「あなたは見てはいけないものを、見てしまいましたね」


 早苗は本能的に、データ保存用のメモリーカードを握りしめた。母の記憶の中に隠された真実。それを、何としても守らなければならない。


「榊原さん、急いで!」


 早苗の合図で、榊原が非常口に向かって走り出した。黒服の男たちが追いかけようとする。


「待ちなさい」


 星野の声が、男たちを制止した。


「彼女たちに危害を加えるつもりはありません。ただ、真実を知ってもらいたいだけです」


 その言葉に、早苗は足を止めた。


「真実……?」


「ええ。Project Stargate の、そして、あなたの母が目指していたものの真実を」


 星野は、ポケットから古びた写真を取り出した。そこには、若かりし日の千鶴と星野が、笑顔で写っていた。


「私たちは、かつて同じ夢を追いかけていました」


 星野の表情が、懐かしむように和らぐ。


「人類の意識を、より高次の存在へと進化させること。それは、単なる記憶の継承を超えた、革命的なプロジェクトでした」


「でも、母はそれに反対した」


 早苗は、わずかに震える声で言った。


「ええ。彼女は、個人の意識を維持したまま、記憶を共有する方法を主張しました。しかし、それでは限界がある」


 星野は、ゆっくりと歩きながら続けた。


「完全なる進化のためには、個という概念自体を超越しなければならない。それが、私の信念です」


「でも、それは人間の尊厳を踏みにじることです!」


 早苗は強く抗議した。


「母は、きっとそれに気付いたんです。だから……」


「ああ。彼女は反対しました。そして、プロジェクトの真実を暴こうとした」


 星野の目が、鋭く光る。


「しかし、彼女は最後まで、自分の研究成果が何を意味するのか、まったく理解していなかった」


「どういうことですか?」


「記憶継承技術には、もう一つの特徴があるのです」


 星野は、ゆっくりとディスプレイの前に立った。


「それは、記憶を『書き換える』能力です」


 早苗の背筋が凍る。


「あの日、千鶴さんの記憶は確かに保存されました。しかし、彼女の意識は……書き換えられたのです」


「まさか……」


 早苗は、震える声で尋ねた。


「母は、今も……生きているんですね?」


 星野は、静かに頷いた。


「ええ。ただし、別の記憶、別の人格として」


●第4章:選択の時


 早苗の頭の中で、様々な記憶の断片が繋がり始めた。


 三ヶ月前、研究所の新しい職員として赴任してきた青木美咲。どこか見覚えのある仕草、不自然なほど早苗に関心を示す態度。そして、時折見せる、母によく似た笑顔。


「まさか、美咲さんが……」


 星野は、早苗の思考を読み取ったかのように頷いた。


「そうです。青木美咲は、書き換えられた千鶴の新しい人格です」


 早苗の膝から力が抜けた。記憶継承技術が、ここまでの可能性を秘めていたとは。


「しかし、予想外のことが起きました」


 星野は続けた。


「千鶴の本来の記憶が、完全には消えていなかったのです。それが、時折、表面化している」


 早苗は、美咲が時々見せる奇妙な様子を思い出していた。まるで、別の人格が顔を覗かせるような瞬間。


「私たちの研究は、人類を救うためのものです」


 星野の声が、研究室に響く。


「個人の記憶や意識に縛られず、集合的な知性として進化する。そうすれば、人類は今の限界を超えることができる」


「でも、それは間違っています」


 早苗は、強い口調で反論した。


「記憶も、意識も、それぞれの人生の証です。それを勝手に操作するなんて……」


「あなたにも、選択肢があります」


 星野は、ゆっくりと早苗に近づいた。


「私たちと共に、新しい未来を築きませんか? あなたの才能は、必ず役立つはずです」


 その時、突然の物音が響いた。


「早苗さん!」


 振り返ると、そこには美咲が立っていた。しかし、その表情は、いつもの彼女のものとは明らかに違っていた。


「早苗……私のこと、わかる?」


 その声は、間違いなく母のものだった。


「母さん!」


 早苗は思わず叫んだ。美咲の姿をした千鶴は、苦しそうに頭を押さえている。


「時間がないわ。私の意識は、すぐにまた消されてしまう」


 千鶴は、震える声で続けた。


「Project Stargate の真の目的は、人類の進化なんかじゃない。それは……」


「千鶴!」


 星野の声が鋭く響く。同時に、黒服の男たちが動き出した。


「やめろ! 彼女の意識をこれ以上、不安定にするな!」


 その時、榊原が緊急警報を作動させた。けたたましいサイレンが響き渡る中、研究所内が混乱に陥る。


「早苗、これを!」


 千鶴は小さなメモリーチップを早苗に投げ渡した。


「真実は、この中に……!」


 その瞬間、千鶴の表情が一瞬の苦痛を示し、そして――元の美咲の人格に戻ってしまった。


「え? 私、どうして……」


 混乱する美咲をよそに、早苗は即座に決断を下した。


「榊原さん、美咲さんを頼みます!」


 早苗は受け取ったメモリーチップを握りしめ、非常階段へと駆け出した。背後では星野の怒号が響いている。


 階段を駆け上がりながら、早苗の脳裏には母の言葉が響いていた。記憶継承技術の真の目的とは? なぜ母は、そこまでして真実を伝えようとしたのか?


 屋上のドアを開けると、夜空が広がっていた。


 星々が、まるで母の記憶の破片のように、無数に瞬いている。


「ここまでです」


 振り返ると、星野が立っていた。


「もう、逃げることはできません」


「なぜ……」


 早苗は、震える声で問いかけた。


「なぜ、ここまでして記憶を操作しようとするんですか?」


 星野は、静かに目を閉じた。


「人類の意識を書き換え、完全なる統一体として再構築する。それこそが、究極の進化です」


「嘘です」


 早苗は、メモリーチップを強く握りしめた。


「母は、きっと別の真実を見つけた。この技術の、もっと恐ろしい使われ方を」


 その時、早苗の手元のメモリーチップが淡く光り始めた。


●第5章:新しい夜明け


 チップから放たれた光は、まるでオーロラのように夜空に広がっていく。


「これは!」


 星野の表情が、初めて動揺を示した。


 光の中に、新たな映像が浮かび上がる。それは、Project Stargate の隠された記録だった。


 記憶の書き換えは、すでに多くの人々に実験的に行われていた。そして、その目的は??人々の意識を特定の方向にコントロールすることだった。


「社会の完全なる統制」


 早苗は、映像の中の文書を読み上げた。


「人々の記憶を書き換え、従順な意識を植え付ける……これが、本当の目的だったんですね」


「それは、必要な過程だった」


 星野の声が、どこか虚ろに響く。


「混沌とした人類を、正しい方向に導くために」


 その時、研究所の中から人々が屋上に殺到してきた。警察と思われる人々も交じっている。


「星野所長! これが、Project Stargate の全記録です」


 榊原が、大きな声で告げた。


「青木さん……いえ、千鶴さんが残していた証拠が、すべて公開されました」


 星野の周りで、警察官たちが取り囲みを始める。


 夜明けの空が、少しずつ明るみを帯びていく。



[第5章後半を以下の内容に差し替え]


 一ヶ月後。


 早苗は、リハビリ施設の庭で母と一緒に歩いていた。春の陽射しが、二人の肩を優しく照らしている。


「早苗」


 千鶴が、穏やかな表情で娘を見つめた。


「美咲さんが、お話ししたいそうよ」


 それは、もう珍しいことではなくなっていた。記憶の専門医たちの驚きと共に、千鶴と美咲の二つの意識は、徐々に共生の道を見出していったのだ。


「私たちの中で、何が起きているのか」


 ベンチに腰かけた千鶴が、静かに語り始めた。


「最初は、混乱と恐れしかなかった。でも、美咲さんの意識には、確かな意志と人格がある。彼女は、彼女なりの人生を生きてきたのよ」


 早苗は頷いた。確かに美咲は、記憶操作によって作られた人格だった。しかし、それは偽物でも、単なるコピーでもない。彼女なりの経験と感情を持つ、一つの魂だったのだ。


「そして……」


 千鶴の表情が、かすかに変化する。それは美咲の、優しい笑顔だった。


「私も、千鶴さんのことを理解できるようになりました。この記憶や想い、そして早苗さんへの深い愛情。それは、消してはいけないものだと」


 早苗は、目頭が熱くなるのを感じた。


「私たちは、一つの身体に宿る別々の意識として、お互いを認め合うことにしたの」


 千鶴の意識が戻り、穏やかに続けた。


「記憶継承技術は、本来こうあるべきだったのかもしれない。記憶を奪い、書き換えるのではなく。複数の意識が響き合い、高め合える可能性として」


 新しい研究プロジェクトは、その方向で動き始めていた。記憶の強制的な書き換えではなく、意識の共生と調和を目指す研究として。


「母さん、美咲さん」


 早苗は、二人の存在を強く抱きしめた。


「これからの人生、一緒に歩んでいきましょう」


 桜の花びらが、三人の周りを舞っていた。


 研究所では、新たな発見が続いていた。意識の共生による、予想もしなかった可能性の芽生え。それは、人類の進化における、まったく新しい扉を開くものになるかもしれない。


 しかし今はまだ、この穏やかな春の一日を、大切に過ごしたいと早苗は思った。


「そうだ、今夜は三人で食事会にしましょう」


 美咲の明るい声が響く。


「私の好きな定食屋さんに行きませんか?」


「ええ、いいわね」


 千鶴が優しく微笑む。


 二つの人格は、もはや争うことなく、自然な形で寄り添っていた。


 早苗は、春の光の中で微笑む母の姿に、新しい時代の希望を見た気がした。


 記憶は、決して消えることはない。それは、新しい形で生まれ変わり、そして未来へと続いていく。


 三人の笑い声が、優しい風に乗って、空へと響いていった。


(了)

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