東国のドレス
@ashleynovels
第1話
西国最大の都市、ルネッタ。
東国と違い、この街は華やかだ。夜でも活気に満ち溢れ、バーやクラブの光や人々の笑い声が街を彩っているようだった。
長い旅路を終え、私が行き着いたのは、ルネッタ中心部の衣料品店だった。私だけ他のドレスと違うのは明らかだった。東国の伝統的な絹と刺繍が編まれた私の見た目は、西国の派手で革新的なデザインとは一線を画していた。
ここに来るお客さんは、誰も華やかな見た目をしていた。ここは、ルネッタのキャバレーで働く歌手やダンサーたちが御用達にしている衣料品店らしかった。行き交う人皆が同じメイクやスタイル、ゴシップまでも共有しているように見える。慣れ親しんだ東国の女子たちとは全く違う雰囲気に、私は呑まれそうになった。しかも彼女たちは、私をラックの中から見つけると、必ず顔を顰めた。
「え、なにこれ」
メイヴも例外ではなかった。働くキャバレーでパフォーマンスの機会があるたびにこの衣料品店を訪れる彼女は、見た目も、ファッションも、話し方ですらも典型的な西国の女子に見えた。
「ねえマリア、これ見て」
彼女は連れの女性に声をかける。
メイヴと親しく見えるマリアは、初めて見たときから印象を残すくらい、雰囲気のある女性だった。
マリアはちらりと私を見て、驚いたような表情を浮かべたが、すぐに取り繕った。私はそれを見逃さなかった。
「なに、このデザイン。他のドレスと違いすぎじゃない?」
メイヴがそう言うと、マリアは私に少し触れ、曖昧に答えた。
「……本当だ」
「誰がこんな田舎くさいドレス着るんだろ。仕入ミスか何か?」
メイヴはそう言って乾いた笑い声をあげた。マリアはメイヴの声が聞こえていないかのように私のことをじっと見つめたのち、躊躇うように手を離した。
いつも一緒に買い物に来るメイヴとマリアは、キャバレーの人気の歌手であるようだった。店に来る客は、ときどきゴシップとして彼女らの話をしていた。
マリア——特に、彼女は格別だった。その歌唱力と魅力的な外見に、コミュニケーション能力の高さから来るこの街随一のパトロン数。お客さんの話から、彼女がルネッタの歌手たちの憧れの的であるということは明白だった。メイヴですらも、彼女と一番親しい関係にあることに誇りを持っているように見えた。
でも、私は陰ながら、誰よりもマリアのことを知っていると感じるようになった。彼女がとあることを皆に隠していることに私には明白だった。
事が変わり始めたのは、8月のことだった。
「ねえ知ってる?この店、東国出身のスタッフを雇ったって」
いつも通り買い物をしながら、メイヴはそうマリアに言った。
「え?そうなの?」
「うん。ほら、あそこ」
メイヴは、店の奥で椅子に座り、じっと床を見つめる影を指さした。
「オーナーもどうかしたものだよね。あんな国から来た難民をわざわざ雇うなんて。売上には困ってなさそうなのに」
「……不思議だね、確かに」
「店に出てると、若い歌手たちにいじめられてるんだってさ。可哀想」
メイヴはそう言ってまた笑い声をあげた。買い物を終えた2人はいくつかの商品を持ってカウンターに向かう。
奥に座っていた彼は顔を上げて椅子から立ち上がり、2人から代金を受け取った。
何気ない顔つきをしていた彼だったが、マリアの姿を捉えた途端に目を丸くするのがわかった。
「マーシャ?」
その声に、マリアは動揺したような表情を浮かべ、彼を見つめた。メイヴも眉を顰める。
「え、なに?……マーシャ、って」
「なんのことですか?」
マリアは強い口調で言った。
「マーシャだろ?はっきり覚えてる」
彼も負けじと声を張った。
「人違いですよ」
マリアの語気はいつになくきつく、彼を口止めしているようにも聞こえた。その様子に、彼はショックを受けたように口を閉ざした。
「……行こう」
マリアはメイヴに声をかけ、商品を取ると、足早に店を去っていった。
マリアは数日のうちに店に戻ってきた。
閉店間際で、客が彼女以外にいない夕方のことだった。彼女は珍しく1人で、いつにない質素な格好をしていた。
「ルカ」
マリアは、カウンター越しに彼に声をかける。ルカは、ちらりとマリアを見たが、その表情は堅かった。
「……この前は、本当にごめん。ああ言わざるをえなかったの」
そう話すマリアから、都会風のアクセントは消えていた。その声を聞いたルカは、いささか安堵したような表情でマリアを見つめ直した。
「……じゃあ君は本当に、あのマーシャなんだな?」
「うん。本当は、すぐにでもハグしたかった」
ルカは嬉しさに顔を染める。2人はカウンター越しに強く抱き合った。ふたりの表情はいつになく明るく見えた。
マリアは小声で、ルカに尋ねる。
「10年ぶり、とかだよね。……どうしてここに?どうやって東から西に来たの?」
「……東の状況は今でも変わらない。あそこで一生を終えるなんて我慢できなかったし、どうしても、外の世界が見てみたくて。何年もかかったけど、準備が整ったから、最近こっちに来たんだ。……まあでも、マーシャが国を出た頃よりは、大変じゃなかったと思うよ」
マリアは少し複雑な表情を浮かべたが、笑みは依然として消えていなかった。
「……そう。何はともあれ、こうやって生きて再会できて嬉しい」
「うん。……君は?ここで相当な売れっ子歌手なんだな」
ルカはマリアを試すような表情をしてそう言い、マリアは苦笑いを浮かべた。
「まあ。おかげさまで、子どもの頃は想像もつかなかったような、充分な暮らしができてる」
「そうか。俺も、これから頑張らないとな。……あ、そうだ」
ルカは、思いついたようにカウンターから立ち上がり、私をラックから取り上げ、マリアのもとに持っていった。
「このドレス、見た?」
「……うん。私たちの故郷で作られたんじゃないかな。このデザインに、素材は。どうしてここにあるのか、すごく不思議だった」
「オーナーが買い付けた西国のドレスの中に紛れ込んでいたらしい。でも、すごく綺麗だと思わないか?マーシャによく似合うよ」
「……」
マリアは顔を背けた。
「近く、パフォーマンスがあるんだろ?マーシャがこれを着て歌う姿、見てみたい」
ルカはそう無邪気に言うが、それに対してマリアは顔を顰めた。
「冗談でしょ。こんなデザイン着たら、私が東の出身ってことがばれる。……私の友達、そのドレスとか、東のこと散々に言うんだよ。他の歌手の子たちも、きっと私のパトロンも」
その発言に対し、ルカは戸惑いの表情を浮かべた。
「……マーシャ、まさか、誰にも自分の出自を言ってないわけじゃないだろうな」
マリアは語気を強めた。
「もちろん言ってないに決まってるでしょ?私は歌手なんだよ。東出身っていうことが知られていたら、ここまで来れてない。誰が、東出身の小娘にお金を出すと思う?」
「冗談で言ってるわけじゃないよな?」
「冗談なんかじゃない。……ルカこそどうかしてる。ルカ、お客さんから酷い扱い受けてるんでしょ。どうして東出身ってことを隠さないの?」
「……それを隠して周りに気に入られて何になる?俺は、自分が東の出身であることを誇りに思ってるし、否定することはしない。西の住民がなんと言おうと」
ルカはマリアの目をまっすぐ見つめて言った。
「……なにそれ。全然理解できない。ここではそんなことは通用しないって、今にわかるよ」
マリアは冷淡な口調で言った。
「とにかくそのドレスは買わない。ていうか、誰も買うわけないんだから、捨てた方がいいんじゃない」
そう言うと、マリアは背を向けて店から出ていった。
キャバレーの社交界は狭い世界だ。立った煙を、彼らが見逃すことはない。
「知ってる?マリアが実は東国からの難民だって」
「それをずっと隠してキャバレーで働いてたんだって。なんて図々しいの」
マリアの噂が衣料品店に出入りする歌手たちに回るようになったのは、それからほどないことだった。
メイヴは、マリアと買い物に来ることは無くなった。代わりに、私はメイヴが他の人気歌手たちのグループと話す様子を見るようになった。
「あんな詐欺師と仲良くしてたなんて、信じられない」
メイヴはそう言って、相変わらずの笑い声を上げていた。
マリアが店に現れると、他のお客さんは、彼女を避け、ヒソヒソと陰口を叩くようになった。マリアは最初、泣きそうな表情をこらえているようだった。あの日までは。
秋、ルネッタはあちこちのキャバレーが大規模なパフォーマンスイベントを行うシーズンに差し掛かり、街の雰囲気はいつになく明るかった。
そんなある日、マリアは店に入ると、私がかけてあるラックにまっすぐに進み、私を掴んでカウンターに持っていった。
その日カウンターに座っていたのは、オーナーだった。
「……ルカは今日、いないんですか?」
マリアは尋ねる。
「ああ。今日は休みだよ」
「……そう、ですか」
マリアは頷いた。
「あんた、やっとこのドレスを買う気になったんだね」
オーナーはマリアから代金を受け取りつつ、そういった。マリアは戸惑った表情を浮かべる。
「……え」
「あんたのアクセントと、都会風の雰囲気は私に劣らないくらい見事だけど、故郷が同じ人間にはわかるもんだ」
「……まさか、オーナーも」
マリアの表情は驚きに変わっていた。
「私だって偉そうなことは言えない。ルカにすら、本当のことは言ってないからね。でも、あんたのことを誇りに思うよ。どんな噂が立とうと、そうやって毅然として、今日はこのドレスを買いに来た。私も、何十年も自分の故郷を忘れようとしてきたけど、やっぱりできなかった。そろそろ覚悟を決めるときかと思って、このドレスを店頭に置いたんだよ」
「…………」
マリアは俯き、何を言うか迷ったような仕草を見せた。数秒後、彼女は顔をあげ、決意したような口調で言った。
「ルカに伝えておいてください。私はこのドレスを着てパフォーマンスに出るって。……それと、間違っていたのは私だったって」
オーナーは笑った。
「明日言っておくよ」
マリアはうっすら涙を浮かべていたが、笑顔で私を受け取った。私もオーナーと同じ思いだった。私をようやく受け入れてくれたマリア——いや、マーシャは、いつになく美しく見えた。
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