境界
@ashleynovels
第1話(完結)
俺の専攻は狭いコミュニティだった。政治学やビジネスとは違い、同学年のメンバーは大体新入生歓迎イベントで見当がついた。
席について周りをぼんやり眺めていると、俺は見慣れない髪色に、見慣れない服装をした学生を見つけた。彼女はひとりで端の方の席に座っている。ピンと伸びた姿勢は、彼女の性格を物語っているようにも見えた。
「ノア」
そんなことを考えていると、聞き慣れた声が聞こえ、俺はそちらに顔を向けた。
「オフィリア?あれ、オフィリアもこの専攻なんだっけ」
「そうだよ。まあ、第一志望受からなかったからだけど。でも知ってる人多くて嬉しい」
オフィリアは俺の隣に腰掛けた。彼女とはそこまで仲良くはなかったものの、地元が同じなため長く顔見知りだった。オフィリア以外にも、俺の専攻には同じ高校出身の学生が何人かいるということを聞いた。
イベント中、彼女は思いついたように俺に尋ねてきた。
「ねえ、今日の夜のクラブイベント行くよね?」
「ん?ああ、多分な。俺の友達も行くって言ってたし」
俺は適当に頷いた。大学生活にあまり期待はしていなかった。それなりに勉強して、友達と遊んで、卒業する。それだけが目的だった。
だからこそ俺は、彼女の存在を初めて見たときに自然と興味が湧いた。ほとんどが地元出身な中で、遠い国から一人で大学のためにこの街に来ているようだった。彼女の見た目は俺の故郷の友達とは明らかに異なっていたし、そうでなくても、彼女の一つ一つの仕草や表情はどこか不思議で、この街の雰囲気とは一線を画すものを醸し出していた。
彼女は基本いつもひとりで行動していた。数人専攻外に話す人はいるようだったが、俺の友達とは全く違うタイプの人と付き合っているようだった。
「あの子、高飛車すぎじゃない?自分のこと一番賢いって思ってるんだよ」
オフィリアたちが彼女を快く思っていないのは明らかだった。俺は特に何も意見はなかったが、彼女が俺の馴染みのある人から異質だと認識されているのはよくわかった。
彼女と初めて話したのは、同学年の専攻ミーティングだった。俺は奇しくも彼女の隣の席が割り振られていた。
彼女は今までの印象とは違い、予想外にフレンドリーで、話しやすかった。挨拶からすぐにたわいもない会話に発展し、俺はその自然さに自分でも驚いた。
「……どこ出身なの?」
会話の中で、俺は躊躇いつつ尋ねた。彼女は国の名前を答えた。予想からは少し外れていたが、俺はその国に行ったことがあったため、少しの親近感を覚えた。
「今年行ったよ。2月に」
「え、本当に?」
そう答える彼女はいつになく嬉しそうだった。普段はすましているように見える彼女のこんな笑顔は初めて見た。
そこから俺たちは、頻繁に連絡を取り合うようになった。ふたりで出かけるようになるのに、さほど時間はかからなかった。俺は、普段の彼女の人を寄せ付けない雰囲気と、2人でいるときの驚くほどの自然体に不思議な感覚を覚えながら、彼女に惹かれる感情を無視できなくなっていた。
「クラブとかパーティとか、行かないの?」
彼女と夜出かけたときに、俺は気になっていたことを尋ねた。彼女が同級生と一緒になって泥酔しパーティーを楽しむ姿を俺は想像することができなかったからだ。
俺の質問に対し、彼女は自信ありげな笑みを浮かべた。
「だって、くだらないじゃん。子どもがやることだよ」
彼女はまたごく自然にそう言った。俺は、その口調に戸惑った。大学に入って以来、俺は彼女のいう『子どものやること』しかしてこなかったような気がした。
「でもノアは、子どもっぽくないね。珍しいんじゃない」
彼女は悪戯っぽい口調で言った。その言葉に対し、俺は否定も肯定もできなかった。
「じゃあ、何が好きなの?大人っぽいことって?」
「そうね。……また会おうよ。そしたら、私の友達に合わせてあげる」
彼女はまた同じ笑みを浮かべた。
彼女との関係を、オフィリアたちには言えなかった。オフィリアたちにとって、俺は同質であるはずだ。彼女と出かけるような、異質な存在ではなく。その暗黙の了解を、俺はどう破ればいいのかわからなかった。
その違和感を無視できなくなったのは、ある授業がきっかけだった。
クラスディスカッションで、講師は課題図書になっていた論文の趣旨を議論するよう俺たちに言い、グループを振り分けた。俺のグループには、オフィリアと彼女に、他数人の学生がいた。悪い予感を無視するように、読むのをすっかり忘れていた論文のPDFを開きぼんやり眺めていると、オフィリアがはっきりとした声で切り出した。
「……作者は、文化を非西洋圏と西洋圏でわけることの問題について書いてる。その二元論は単純すぎるって」
オフィリアがそう言い、周りが相槌を打った。
「そう。西洋圏でも、国によって文化は違うしね。2つだけに分けるのは間違ってると思う」
「うん、そうだよね」
他のグループにいる学生もオフィリアに賛同する。彼女以外は。
俺は気が付けば論文を読むのを早々にやめ彼女の様子を伺っていた。彼女がノートパソコンを見つめる視線から、何か思うことがあるのは確かだったからだ。
それでも彼女はなかなか言葉を発しない。俺はタイミングを伺い、口を開きかけた。
「……俺が思うのは」
「違う。そういうことじゃない」
彼女は突然口を開いた。
「ねえ、ノアが話そうとしてたでしょ」
オフィリアが攻撃的な口調で彼女に言う。
「いや、いいよ」
俺はそう言い、彼女に話すよう促した。彼女は確信めいた口調で続けた。
「この作者は非西洋圏と西洋圏の二元論の是非について取り上げているわけじゃない。ただ、文化が私たちにどんな影響をもたらすかについて言っているだけ。生物学的に西洋・非西洋に関わらずいろんなことを私たちは共有してるけど、文化によって自分のことをどう話すかが違うから、共通点が見えにくいって言ってるんでしょ。たとえば、西洋では、時系列的な個人が重視されてるけど、非西洋圏ではエピソード的な個人が一般的」
彼女がそう言うと、オフィリアはあからさまに不快な表情を浮かべた。皆は困惑した様子で二人の様子を見る。オフィリアは途端に笑い出した。
「ねえ、何言ってるの、この子」
最悪なことに、オフィリアは俺に向かって強い視線を向けてきた。
「ノア、この文章、そんなこと言ってないよね?」
俺はそこで自分の情けなさに嫌気がさした。論文の内容も、どちらの味方をするべきなのかも、わからなかった。
「……よくわからないけど、言ってないんじゃないか。みんながそう言うなら」
俺の口からは自然とそんな言葉が出てきた。
それは、俺の癖にも感じられた。わからなければ、合わせればいい。それで何か問題になったことは今までなかった。だが、今回は違った。その直後、俺は今まで経験したことがないような激しい後悔に襲われた。
「待って」
俺はクラスの後、足早に去ろうとする彼女を呼び止めた。彼女は聞こえないふりをしているようだった。俺は咄嗟に、彼女の腕を掴んだ。彼女はやっと足を止め、俺の顔をちらりと見つめた。その目からは、明らかに嫌悪が滲んでいた。
「ごめん。さっきのこと」
「何が?」
彼女の口調はいつになく冷たかった。
「俺、なんて言っていいのかわからなくて。でも、君を傷つけたなら、本当にごめん」
彼女は乾いた笑みを浮かべた。いつもの自信ありげな笑顔とは違い、彼女は無理に口角を上げているように見えた。
「……結局、ノアもあの子たちの一員なんだから、仕方ないよね」
彼女はそう言うと、背を見せて立ち去った。
クラスから寮に帰る途中、深く考え込んだ。
普通の、大学生活を送るつもりだったのに。
彼女へ惹かれる感情は、そんな『普通』の世界から、俺をいやがおうにでも引き摺り出した。昔は全てだったオフィリアたちの世界が、今は遠く感じられた。俺がそちらに属していると言うが、どれほど俺が彼女側に引き寄せられているのか、彼女はわかっていない。
それを言葉にしなければいけないと思った。あんな発言をしたあとに、白々しいとは自分でも思った。でも、俺が彼女の世界に少しでも足を踏み入れていることを、伝えずにはいられなかった。俺はスマホを開き、彼女にメッセージを送った。
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